柊の魔術1-2
時計が針を進める毎に目の前の料理は冷めていく。
先に屋敷に戻っていたアレッタは、土作業で汚れた手を洗い、リビングのソファーに腰かけていた。背筋を伸ばして微動だにしない姿は人形のようだね、とクライス伯にからかわれたことがあった。
整った顔立ちと現実離れした身体的特徴色は、衆目に晒せば目立ってしまう。だからこそ、こうしてジッとしている自己防衛の術を身に着けた。
エントランスホールに立て掛けてある大きな振り子時計の音が、響き渡る程に屋敷の内外は静まり返っている。
「ごめんね! 先に食べてくれていて良かったんだよ?」
「一人でご飯を食べるのは、いや……です。柊先生の話を聞きながら、ご飯を食べたいです」
フォルトバイン家で飼われていた頃は、一人で味の薄い冷めた料理を食べていた。時折、料理に虫が混入していることもあった。薄汚い衣服を纏った這う犬のような態勢で、隙間風が吹き抜けるずさんな小屋の中で一人、飢えを満たすだけの栄養補給を摂っていた。
「本当にごめんね。ちょっと工房と屋敷が離れていて、僕自身も体力が無いから直ぐにバテちゃうんだ」
息せき切っている柊を一瞥して、視線を料理に戻す。温かいうちに食べていたら、とても美味しかったはずだ。それでも待っていたのは自分の意志で、柊はなにも悪くない。
小さく首を横に振ったが、責めていないという表現がしっかりと伝わったかは、分からない。ちゃんと言葉で否定すれば良かったのに、どうしてか言葉がつっかえてしまった。
「アレッタが助けたかった、この子を綺麗にしていたんだよ」
胸ポケットにしまってある透明に近い白色の花――先ほどまでは植物としての美しさを魅せていたが、今は違う。無機質であるが永遠を閉じ込めた上質な美が、その花を栄えさせていた。
植物が結晶化している非現実的な現象に、普段は感情を多く見せないアレッタも驚きに眼を見開き、その結晶に釘付けにされていた。
「これが、柊先生の言っていた手段、ですか? 綺麗です。でも、どうやって?」
「これが僕の魔術だよ。世界真理を識る為の理論を魔術という形にしてあげた結果が、物質の結晶化なんだ。どうかな、この花をアレッタにプレゼントしたいんだけど……気に入ってくれるかな」
柊の手に収まる花の色を見た――微かだが緑色をその結晶の内側に秘めていた。とても満足そうに永遠の美を手に入れた柊の花。
「この子も、とても喜んでいます。柊先生から頂けるのでしたら、私はどのようなものでも嬉しい、です」
「良かったよ。要りませんなんて拒絶されたらどうしようかと思って、ビクビクしていたんだ。必要であれば、ブローチや髪飾りに加工することも出来るけど、どうする?」
「いえ、このままの状態で頂きたいです。部屋の机に活けて飾ろうかと思います」
薄白色の葉面全体に巡る葉脈は透明で、日の光が差したらとても綺麗な模様を机に映し出すに違い。
この神秘こそ、世界最高位の魔術師が扱う魔術。
「柊先生、魔術師は世界の真理に至れますか?」
「どうかな。現時点で世界真理に至った者は二人いるんだけど、彼等は人であることを辞退して、世界そのものに溶けてしまったからね。人の身では、もしかすると、真理到達に耐えられないのかもしれない」
「それでも……追い求めるのですか、真理を」
「それが、魔術師の性だからね。知りたい事を知って、識る。個人の人間性を豊かにする事が、魔術の起源なんだよ」
「知りたい事を知って、識る……個人の人間性?」
柊の言っている内容の一割だって理解できないが、彼等は一途なのだという事は分かった。どのような手段を用いても、飽くなき探求欲に従って純粋に知識を追い求める探求者。
自分を産み出した父もその一人。
「知りたい事を知って、識る」
憑かれたように何度も呟くアレッタに、柊は口を挟もうとはしなかった。
思考することは人間が人間であるための条件。思考を放棄してしまえば本能の傀儡へと成り果てる。幼い頃から考える楽しさと、常識にとらわれない発想力を育む事が、将来の展望へと繋がるからだ。そう信じているからこそ、真剣に考えている相手に、自らは声を掛けないと決めていた。
「柊先生……その、わ、私も魔術師になれますか?」
「おや、唐突だね。それはどうしてかな?」
真摯に柊の言葉を思考して至った答えは意外なものではあった。だが、心のどこかではいつかは、もしかしたら言い出すのではないかとも予想していた。
彼女もまた魔術家系に生まれたのだから、その宿命は、一種の無意識の強迫観念という呪いなのかもしれないと。
「私は父の――フォルトバイン家の繁栄の為だけに、生み出されました。私は必要とされない日々を過ごして、どうして私だけこんな酷い仕打ちを受けないといけないのか、と泣いた事もあります。私は人の底知らぬ私欲を知っています。浅ましい私欲は人の道を踏み外させることも……ですが、人はきっと変われるとも思っています。私がそうでしたから」
他人が怖かった。世界が怖かった。自分の内向的な殻に籠る事で世界を自己完結させ、それ以外は害敵だと認識していた。とても狭い世界観に生きていたが、ここに来て柊と出会ったことで、閉鎖的だった世界の殻に亀裂が入り、外界の斜光が凝り固まった理論を溶かし始めていた。
世界は怖くはないのかもしれない。他人は怖くはないのかもしれない。
自分の中で築き上げた害敵という常識は変化を見せ始めている。これこそが成長ではないだろうか。自己一貫した常識に、新たな常識を取り入れることで見えてくる世界。
誰でも成長する事が出来るのならば、過ちさえも成長の一過程だと受け入れられるのではないかと。
「私は、怖かった世界を、成長することで知って、識りたいんです」
「アレッタは夕食を忘れるほど、意欲的に調べものが出来る子だし、物覚えも抜群に良い。これほど魔術師にとって、最高の才能はないんだよ。本気で魔術の世界に足を踏み入れるなら、僕は歓迎するし、色々と教えていきたいと思うけど、どうかな?」
自分も魔術師になって世界真理を追い求める事が出来る。柊と同じ世界を歩く事が出来る。憧れに一歩近づく事が出来た実感に胸を熱くさせた。
人の浅ましい欲望が蔓延る世界に対し、成長という枝葉を無限に伸ばす理論で識る。
これがアレッタの抱いた魔術理論。世界に触れる魔術という奇跡の花を咲かす希望の種。
「私は……魔術師になりたいです」
「うん、その言葉、しっかりと聞いたよ。魔術の世界へようこそ、アレッタ」
柊は朗らかな笑顔を向けて言った。
「詳しい話は夜にして、冷めちゃった料理を温め直そうか」
空腹であることを思い出した二人は、グラタンを温め、ちょっと遅い昼食に他愛ない会話を飾った。
何処の家庭でも見るありふれた日常の一コマは、アレッタにとっては至上の幸福だった。このまま何年、何十年先もこうした幸せの中に居たいと願う程に。
こんばんは、上月です
次回の投稿は明日の22時を予定しております!