日常に慣れるべく1-2
屋敷には定期的に人が訪れる。
紺色または黒のコートを着込んだ男女。
「報告はいつも通りだね」
「はい。問題はありません……ですが、少々不気味に感じる事があります。信仰会もここ最近は大人しく、飢えた狼も姿を見せていません」
「僕等に被害が出ていないのなら、それに越したことはないけど、確かにそれは気がかりだね」
客人に自家栽培の茶葉で淹れた紅茶を振舞う。
茶葉と一緒にリンゴの切り身を入れて湯を注ぐことで、砂糖を入れなくても甘い風味が付く。茶葉本来の香りを邪魔しない程度のもので、アレッタからも好評でよく淹れたりしていた。
「柊殿、ここは相変わらず良い場所ですな。花々が咲く静かな場所で暮らすと、ストレスもないでしょうに」
「それは僕に対する当てつけでしょうか」
「ほほぅ、そう取られてしまったという事は、何か心当たりがおありのようで?」
「いや、無いかな。うん、きっと無いよ」
「業務を私達に任せっきりで、無いと言い切りますか?」
「……あはは、二人には助かっているよ」
リビングのソファーに向かい合う男女――眼鏡を掛けた几帳面な印象を抱く赤髪の女性と、柊より甘い、朗らかな笑みを浮かべている老紳士風の男。
仲良さげに話すこの二人も、柊と同格のAAランク魔術師。
世界に三人しかいない最高位の魔術師たちはこうして、定期的に顔を合わせては近況報告や今後の動きについて話し合っている。
アレッタはガラス扉越しにエントランスホールから様子を窺っていた。息を潜めてジッと観察するように――柊に出された課題。
「お二人が話している時の仕草を真似する。ジッと機微に観察して」
一瞬たりともその動きを見落としてなるものかという意志は、その眼光に宿り、まるで二人を親の仇でも見るかのように眼光が鋭くなる。
中で何を話しているかは分からない。
女性は基本的には姿勢を伸ばし、手は膝の上に置いている――堅物な印象。
老人は身振り手振りを交え、口を大きく開けて話している――人好きのする印象。
二人を交互に見合って、誰一人として話の輪から外さない柊――気配りができる印象。
時折、女性と老人がアレッタの方を見ては苦笑している。
「私達をまるで親の仇のように見る……アレッタさん、でしたか。彼女は先程から何をしているのですか?」
「儂等は何か怒らせるような事をしてしまったのかな。それとも、こうして柊殿と仲良く話している事に嫉妬しておる、と。いやはや、実に可愛らしいお嬢さんだ」
「嫉妬ですって? 馬鹿な事を言わないでください、クラウス伯。私達は仕事で来ているのです。幼子とはいえ、誤認させたままにしておくわけにはいきません。私がしっかりと説明し、その誤った認識を正させます」
表情一切変えない女性が席を立って、アレッタへ向かおうとするのをクラウスが止めた。
「まぁまぁ、行ってもまた逃げられるは容易に想像が付くというもの。それに、これには思惑があっての事ではないかな、柊殿?」
クラウスのシワだらけの目元が悪戯に深くなる。
アレッタを一瞥した女性は、では聞きましょうと座り直し、奇麗なボブカットを指で払った。
「ええ、これにはしっかりとした思惑があります。彼女は極度の人見知りをします。今では僕と普通に話してくれますが、出会った当初は目を合わすことも出来ず、会話なんてままならない状態でした。今でもまだ、眼を五秒合わせただけで逸らされてしまうんですよ。ですから、離れた場所から僕等がコミュニケーションを取っている姿を見せて、他人との接し方を学んでもらっています。クラウス殿、ヨゼフィーネ殿も僕と一緒に、彼女の見本となっていただきたいのです」
柊の説明に納得したヨゼフィーネは、前髪を指で払って溜息をついた。
最初から話しなさい、と柊を見て、プリーツスカートから伸びる白い足を組み、前屈みになる。二段目のボタンシャツの隙間から、程よい大きさの胸元が覗く。
自分を観察している少女はどのように学んでいるのか、少し悪戯心が沸き、視線を扉の向こうのアレッタに流す。
「ほほぅ、なかなかの実りですな。いやはや、眼福眼福。普段は堅物な女子が乱れると、はてどうしてそそられる。年甲斐もなく元気になってくるというもの」
クラウスは胸元へと釘付けになっている。
老紳士はまるで胸と会話しているかのように、アレッタと柊の目には映った。
「……私は、人を見る目が無い、のでしょうか」
ヨゼフィーネは堅物から淫乱に。
クラウスは人好きから女好きに。
抱いた印象を強く書き換えていく。そんな人として駄目な印象を否定するのではなく、それでも学べるものは得ようという姿勢で、二人を意識して眺めていると、一つの閃きを得た。
「ですが、あの仕草は取り入れて、無駄ではなさそうです。女性の色香、でしょうか? 私も大きくなったら……」
一切のふくらみも無い胸を手で押さえる。
視線をクラウスから外し、ヨゼフィーネ一点へと向ける。そんな視界の端で柊は、教育に良くはないなと後悔していた。
「ヨゼフィーネ殿。慣れない事はしないでください。アレッタが道を踏み外しでもしたら、どうするんですか」
「そうね、なんとなく本で得た知識を実践してみたのだけれど、やはり私のような女では色香が足りないみたい。クラウス伯もいつまで覗いているんですか? 私の胸より、ご実家には若奥様を初め、多くの若い給官が控えているではありませんか」
「いやはや、ギャップはよいものだよ。至福の時間をありがとう」
クラウスはヨゼフィーネの胸に合唱をして、柊に向き直った。
向き直ると同時に魔術師としての顔付きとなる。この変わり身の早さは社会で通じる神業なのではないかと、アレッタは喉を鳴らして、再び二人の所作に驚いた。
次第に顔色が曇っていく柊。
いったい何を話しているのか。自分が聞いても理解できないだろうし、彼等にとって得になる事は一つも無い。自分がするべきはクラウスとヨゼフィーネの観察。
三人の話し合いが終わると外は夕暮れに染まっており、窓から差し込む橙色の夕陽が、アレッタの銀髪を幻想的な夕焼けに染め上げていた。
柊の四歩後ろで半身だけ隠して、二人を正門まで見送りに出るが、何一つとして言葉を掛けられない。悪い人間でないのは柊を通して理解していても、やはり柊同様に、他人とは恐怖の象徴だった。
二人はアレッタに笑みを残し、傷だらけの車に乗り込んだ。耳障りなエンジンを猛らせながら、深い森の道へと呑み込まれていった。
「どうかな。彼等から学べたことはあった?」
「はい。とても多くを学び、考えさせられました」
「うん、それは良かった。観察お疲れ様。お腹空いたよね、直ぐに夕飯の支度にとりかかろうか」
四歩離れた二人の距離――それでも隣に並び歩き、歩幅をアレッタに合わせる柊の心遣い。
アレッタは長い髪で小さな笑みを隠した。
こんばんは、上月です
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