聖羅の用事1-2
石造りの魔術組織は黒く濡れていた。
雨が降っている。本降りの雨は白みがかっていて視界が不明瞭だ。五メートル先も見渡せない隔絶された古城の窓からアレッタはぼんやりと外を眺めていた。
見渡せない闇夜に浮かぶ白。窓を打つ雨の音だけが部屋に聞こえる。多くの魔術師が常に数百人規模で在籍するには静寂が過ぎる。
「聖羅。大丈夫でしょうか」
顔を合わせれば軽口を叩いて他人を小馬鹿にする少女を思い浮かべる。
稲神聖羅はこの一週間、シェルシェール・ラ・メゾンを空けている。彼女への指名依頼が入ったからだ。
柊邸でベッドの中で聖羅は先週、自分に指名依頼が入った事を教えてくれた。その依頼内容はアレッタの胸中に不安を渦巻かせるものだった。
「飢えた狼を狩るなんて……無茶です」
飢えた狼――戦場や血の臭いを嗅ぎ付けては見事なまでの殺戮劇を繰り広げる者達。その出生や目的は不明だが、魔術師や信仰者たちを狩って回っている。
アレッタはまだ飢えた狼と遭遇したことは無いが、柊から聞く話によれば既に飢えた狼たちによる被害は数千にも届く。
来月の合同任務のメンバーにちゃんと聖羅が含まれているのか、などと考えては頭を強く振るった。
考えるな。稲神聖羅は天才だ。彼女は自分よりも強いし機転も利く。戦闘に特化した稲神家の中でも群を抜いた強さを誇る。そんな彼女が飢えた狼に敗北するはずもない。そう言い聞かせている時点で、自分は稲神聖羅を信じ切れていないのかもしれない、と憂鬱な気持ちにさせられた。
幹久や香織は聖羅をどう思っているのか。今もこうして自分と同じように彼女の身の安全を気にかけているのか。それとも何も心配などせずに、彼女が帰って来る時を待っているのか。
「どうして、聖羅が飢えた狼と……ううん。そもそも誰が彼女を指名したの」
確かに稲神聖羅は魔術界隈でも一目置かれる存在だ。だが、しかし、彼女より実力のあるものはまだ数多くいる。中には飢えた狼や執行会、魔法使い専門を専門とする魔術組織も数多ある。
考えすぎかもしれない。思考すればするほど最悪な方へと想像が膨らんでいく。彼女はもういない。自分がこの場でどうこう考えてもすでに成す術も無いのは重々承知だ。思考を切り替えようにも聖羅の最悪の事態が脳裏をよぎって、気付けば場思考は回帰している。
「大丈夫だとは思いますよ。彼女は馬鹿じゃない。無理だと思えば退く事に全思考を振るでしょう」
自分以外の声に眼を見開いて振り返る。
他人がいるはずのないアレッタの部屋だ。
「……キルツェハイドさん。女性の部屋に無断で入るのはどうかと思いますよ」
「無断じゃないんですがねぇ。何度もノックしましたし、この時間に俺を呼びつけたのはアレッタ様じゃないですか」
視線を時計へ向けた。
時刻は十九時を示している。
キルツェハイドの背後から赤髪の白衣姿の女性が肩を竦めて現れた。魔術組織シェルシェール・ラ・メゾン統括者の一人、ヨゼフィーネだ。
二人の来客に自分の予定を忘れていた事を思い出す。
「も、申し訳ありません! すぐにお茶の用意を」
「構わないわ。キルツェハイド、あなたが用意しなさい。私は先にアレッタと話を進めておきます」
「人使いが荒い事ですね。尻に敷ける男性を婿に貰った方がいい」
「軽口の天秤に釣り合う罰は何がいいかしら」
「ご冗談ですよ。アレッタ様、キッチンをお借りしますよ」
陽気な口笛を吹きながら台所の戸棚から色々なものを取り出し始める。
ヨゼフィーネは視線でソファーに腰かけるよう訴え、二人は正面に向かい合って座る。
「キルツェハイドを呼び出させて悪かったわね。私の方も時間に追われていてそっちまで手が回らなかったの」
音無き会話。
苦笑するヨゼフィーネには疲労の色が濃く顔に滲んでいた。
「いえ。こんな機会を設けていただけるだけでも光栄です」
「では早速始めましょう。魔力検診の結果だけれど、そうね。所属当時より大幅に……いいえ、異常なほどの成長が見受けられるわ。前例を見ない程の、ね。魔力純度と量だけで見れば、Aランク以上AAランク以下」
今回のこの件はアレッタの魔力検診の結果について。普段はこういった面談は行われないのだが、結果が結果なだけに検診担当医も務めるヨゼフィーネから面談を言い渡された。キルツェハイドの役割は周囲への警戒。彼の魔術は他人と直接脳内で会話をする力を持つ。故にこうしてヨゼフィーネとアレッタは直接脳内で会話をしていた。室内には雨音と茶を淹れる音のみ。
「アレッタにとっては詮索されたくない事でしょうけど、出生を調べさせてもらったわ。邪道の魔術家系、久世の手法を用いたのね」
「……はい。この事を知るのは柊先生だけだと。たぶん、香織さんは知りません」
「申し訳ないけど、キルツェハイドには先に話してあります。この件には彼の力が必要だったので」
アレッタの秘密を知る人間が増える。
「最初は驚きましたが、アレッタ様はアレッタ様ですから。気にする必硫黄は無いと思いますがね」
「キルツェハイドさん。ありがとうございます」
「安心してください。俺達は誰かに喋るような奴じゃないので」
「知っています。お二人は信用できる方です」
紅茶と茶菓子を持ってきたキルツェハイドはヨゼフィーネの隣に座った。
「アレッタ。貴女を近々、AAランクに昇格させようかと思います」
「――そんな! 私なんてまだまだ未熟です」
「そうね。あなたはまだ未熟。でもね、ランク付けは魔力の質と量。そして世界真理に最も近い順から昇格するの。アレッタの魔力は健診結果で証明されている。世界真理も植物を、成長を通して識るという明確な道もある。それでもまだ不十分?」
「ですが……」
「私達は一般企業のようにエスカレーター方式に給料が上がって役職が付くわけじゃないの。生まれた当初から持つ才能が大部分で、不足分を努力で埋める世界にいるのよ」
才能がものをいう世界。人格に難があっても、持つモノを持っていれば簡単にのし上がれる。のしあがれなくても自分流の探求が出来ればいいというものもいる。そういった世界だ。
「昇格試験は在籍魔術師たちの前で、統括者の誰か……もしくは創立者との模擬戦を行います。ただし、柊は除外されるわね。身内贔屓だと難癖付けられるのも、貴女を推薦した私もそうだし、柊も余計な不信感を買う。私としては創立者も除外したい。あれはもう人じゃない。人の痛みも忘れ、人の情も忘れ、ただ世界に溶けた災厄の塊。残るは私かクラウス伯になるわね。対戦相手は私の一存では決められないけど、なるべく私が相手をするよう根回しはするつもり」
「……はい。その時は宜しくお願いします」
「いい返事が聞けて良かったわ。AAランク昇格試験の話はまだ私とキルツェハイドしかしらない。これからクラウス伯と柊と協議するけど、まず試験を受ける方向に話が進むでしょうね。その後、三人で創立者に話を通す。形だけの承認を受けるだけ。期日は最短で、そうね、半年後くらいかしら。今は誰も予定を開けられそうにないし」
「最短で半年。わかりました。その間に魔術師として研磨を怠らず精進します」
「詳しい試合方式はまたおって報せるわ」
ヨゼフィーネは紅茶を口にして立ち上がった。
「ヨゼフィーネさん」
「なに?」
「休息もちゃんと取ってくださいね」
「ええ、ありがとう。もう少し男連中が仕事に前向きな姿勢であれば私も楽が出来るのだけれど。柊にもしっかりと伝えておいて」
二人で小さく笑い合う。
ヨゼフィーネは仕事が溜まっているので帰ってしまったが、残ったキルツェハイドは魔術を解くことなく、ヨゼフィーネを魔術対象から外した。
「稲神聖羅の件で、報せたい事があります。ヨゼフィーネ様の手前、下手な事を口に出来ませんでしたが、この依頼は仕組まれたものでした」
「そんな!」
「統括者の御三方の耳に入れば余計な負担になると思い、独自に調査していましたが、依頼書の出所は、どうやら信仰会からのものでした。何かきな臭いとは思いませんか? 対魔法使いであれば協力し合う協定はあります。ですが、飢えた狼についてはそのような協定は無いんですよ。なぜ対立する魔術組織に依頼を出したのか、今はその理由をなんとか探って入るんですがね……」
アレッタの不安の渦が色濃く増していく。
「聖羅の場所は分かりますか?」
「ええ、ですが、どうされるおつもりですか?」
「決まっています。連れ戻します」
こんばんは、上月です
次回の投稿も来週のこの時間を予定しております




