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日常に慣れるべく1-1

 未知を追い求め、既知となることが喜びだった。


 人生のまだ一割程度しか生きていない少女にとって、世界とは膨大な未知であり、探求の蜜を内包する蕾そのものだった。


 四季によって咲かす花の世話を初め、料理や掃除といった日常生活の手習いを受けるアレッタは、こうして一日一日の新しい知識をノートに書き写していくたび、蕾は少しずつだが花弁を開いていく。


「今日はお団子という日本のお菓子の作り方を習いました。丸くてモチモチとした食感は初めてで、トロトロとした甘みのある蜜を塗って頂く他にも、あえて焦がした手法もあり、お団子の道は、とても奥深い事を同時に知りました」


 今日の得た知識を書き記し、自分の抱いた疑問や感想をそれ以上に数ページに渡って綴っていく。


 壁に掛けられた燭台と机の上で揺れるロウソクの灯火だけが、この部屋の全ての明りだった。山奥の深い森の中に電気は通ってはいないが、生活する炎や水は、魔術式と呼ばれる魔術師の扱う――魔術とは異なる神秘によって賄われていた。


 飲み水以外の生活水は全て魔術式で生成し、暖炉や料理に使う炎もまた魔術式によるもの。


 電気のある生活が当然であったアレッタにとって、魔術式とは魔法のような奇跡だった。


「柊先生、明日は何を教えてくれるのかな」


 毎日が楽しい。


 学ぶことが楽しく、つい時間を忘れて勉強に没頭してしまうほどに。夕飯当番だったことを失念し、その日は柊と一緒にお菓子を、楽しいお話を聞きながらいっぱい食べた事もあった。


 どんなに楽しい時間を一緒に過ごしても、やはりまだ柊に抵抗があり、怖いと思ってしまう自分がいた。そんな吹っ切れない自分がもどかしく、嫌になってしまう。それでも笑って自分との距離感を計ってくれる柊の優しさには、感謝の念を忘れたことが無かった。


「いつか、手を繋いでみたいな」


 きっと温かく柔らかい手をしているに違いない。土の匂いが染み付いた植物を想う手。


 いつしか自分が他人との壁を壊せたのなら、まず初めに柊の手を握ってみたいと思っていた。生命を育む彼の手の温もりを考えるだけで、アレッタの気弱な顔色にも朱色が差す。


 自分を必要としてくれる人に寄り添って生きていこう。


 困っている人が居れば、柊が自分にしてくれたように手を伸ばそうと。


「柊先生って、偉い魔術師なんだよね。魔術って……」


 アレッタにとっての魔術とは、自分が栄える為に命を蔑ろに弄ぶ神秘だった。フォルトバイン家での日常が、悪印象という種となり、魂の根源に根付いてしまっていた。


 柊がこれまで魔術を行使する所を見たことがなかった。


 父親グランツはよく魔術を使って日々を探究していた。それに比べて柊の毎日は、花の世話やアレッタに新しい知識を与えること。もしかすると、自分に手を焼いているせいで、魔術を使う時間が割けないのではないか。


 急に不安が込み上げてくる。


「私の……せい? いつも、笑っていてくれるけど、本当は邪魔なのかな……不要?」


 悪い方へ悪い方へと想像が膨らみ、抜け出せない負の泥沼に嵌まり込んでいく。違う。違う。そう考えれば考えるだけ、それを否定する思考が働いていく。


 頭がクラクラとしてくる。呼吸も浅く早くなり、胸が締め付けられていく。もう自分を自分意思で抑制できないくらい、視界が霞み、耳が熱くなり、頬を伝い落ちる雫の感触。


 辛いと同時に、やっぱり自分は今を幸せだと実感した。


「私……私は、迷惑じゃ……ないかな。でも、きっと柊先生……は」


 思っていても口には出さない。


「お金も稼げないし……私は柊先生に、何もしてあげられない」


 静かな部屋で小さな嗚咽を漏らし、スカートの裾を小さな手でぎゅっと握ってシワを作る。幸せは大きければ大きいほど、失う恐怖も増して大きくなる。そのことを知ったのは最近だった。幸せになりたいと願う反面、幸せになる事への恐怖も抱いていた。


 これから先も幸せは肥大していく。


 比例するように恐怖も肥大していく。


「私は、幸せが……怖いですっ!」

「それは、悲しいことだよ」

「――ッ!?」


 涙で塞がった視界を袖で拭うと、少しだけ開いた扉から柊が顔を覗かせていた。


 こんな無様な姿を晒してしまった恥ずかしさに、視線を落としてしまう。何かを弁明しようにも、切るべき言葉が無い。


「立ち聞きするつもりは無かったんだ。勉強に根を詰めすぎているかと思って、紅茶とクッキーを持って来たんだけど、そうか……アレッタは怖いんだね。幸せを育むことが」

「あっ……」


 悲しい顔をしないでほしかった。


 こんな自分を見て、どうして悲しそうな眼で、悲しそうに微笑むのか。


「入ってもいいかな」


 お盆を手にする柊は、アレッタの了承を得て盆をテーブルの上に置き、対面の椅子に腰かけた。何かを模索するように黙した柊は、ゆっくりと諭す口調で――。


「いいかい、幸せは平等に与えられているんだ。僕にも、グランツ殿にも、アレッタにも。自分の幸せを守る為の努力を惜しんではいけないよ。幸せは儚く、とても繊細だからね。花と同じなんだ。一生懸命手心を加えていけば、奇麗な花を咲かすように、幸せも大事に大事に守っていけば、より大きな幸せに育つ。僕の幸せが何か分かるかな?」


 柔らかく問い掛ける柊に、アレッタは髪を乱して首を振るう。


 彼にとっての幸せは何だろうか。


 花を育てる事。魔術師として世界真理を探究する事。その二点を除くと、答えはアレッタには分からなかった。


「じゃあ、ヒントを出すよ。僕が今、一番期待を込めて育ててるのは何だと思う?」

「鈴蘭の花……ですか?」


 アレッタの回答に眼を細めて苦笑した。


「期待して育てているという点では間違ってないけど、一番という点ではハズレかな。僕が一番期待して育てている種はね」


 澄んだ黒色の瞳が、涙で濡れる紫色の瞳を真っ直ぐに見つめて――。


「アレッタ・フォルトバインという、何よりも綺麗な花を咲かす種だよ」

「アレッタ・フォルトバイン……私、ですか?」

「そうだよ。アレッタと出会って僕の日常に寂しさは無くなったんだ。自然に対しての知的好奇心は人一倍旺盛で、一つを教えれば四つ五つと質問が返ってくる。少しでもアレッタが探求を楽しいと思えるようにするには、どうするべきか、って考えていると時間を忘れてしまうんだ。そして、知識を自分のモノにしたアレッタの笑顔を見るのが、何より充実した幸せだよ。だから」


 ここで一度口を閉じた柊は、自分の発言はとても恥ずかしいものなのではないかと思い至り、照れ笑いを浮かべて言った。彼の言葉は、アレッタの抱いた不安を一瞬で消し去る春風のよう。


「僕と一緒に、ずっとこの先も居て欲しいな……って。あはは、ちょっと恥ずかしいね」


 負の連鎖を紡いでいた思考は止まり、アレッタの頬を伝い落ちる涙は、温かいものとなる。


「私も! 私も、一生に居たい……です。もっと柊先生に色々と、教えてもらいたいです」


 正直な彼の気持ちと言葉に答える為に、アレッタは初めて、他人をまっすぐと自分から見つめた。

こんばんは、上月です



次回の投稿は6日の21時を予定しています。

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