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アレッタという種1-2

 車を降りると甘い匂いがアレッタの鼻腔を抜けた。


「ここにいる方ならば、キミを人として面倒見てくれるはずだ」


 門に備え付けられている小さな鐘を鳴らす。しばらくすると、柵の奥に広がる花々の庭園から一人の男性が歩いてきた――黒い髪に黒い瞳。アジア特有の黄色の肌をした優しそうな青年。


 麦わら帽子のつばを少しだけ持ち上げて、これからくる人物を観察した。


 閉じた世界に生きていたアレッタは、人種によって肌の色が異なる事を知らない。自分が見知っている、人間の価値観が崩れる音が聞こえていた。


「えぇっと、確かフォルトバイン家の専属医の方でしたね」

「はい、私はツェルニ・ダンズェリンと申します。フォルトバイン家の医師にございます。本日は唐突な来訪をお許しください」


 初めて知った医師の名前。


 ツェルニは自分よりも年若い青年に深く腰を折って頭を下げた。不思議に思うアレッタを他所に青年は微笑んで歓迎した。


「いえいえ、大丈夫ですよ。それで御用というのは……そちらのお嬢さんの件ですか?」

「はい。此方はアレッタ・フォルトバインと申しまして、フォルトバイン家当主グランツ様の娘にございます。その……お願いというのは、この子の面倒を見ていただけないか、というご相談でして。理由は私の口からは申せません。虫のいい話ではありますが、どうか!」


 言い辛そうに言葉をつっかえさせながら話すツェルニは、雇用主の手法を自ら口に出来ず窮している様子だった。


 東洋の青年はアレッタに視線を合わすべく腰を落とすが、他人に恐怖を覚えているアレッタは数歩下がり俯く。


 自分を守る為の四歩分の距離(ひゃくにじゅうセンチ)


「えっと、僕は柊春成ひいらぎはるなり。キミのお父さんが所属する魔術組織の運営管理を務めているんだ。よろしくね」

「…………」


 差し出された手を怯えた視線でジッと見つめるだけで、その手を取ることなく石像のように固まる。


 苦笑する柊は、どうしたものかな、と言いたそうにツェルニを見上げた。


「屋敷では人として扱われず、日々を暴力と罵倒を受けて過ごしておりまして、他人に対して警戒心が強いのです」

「そう……でしたか。僕がこの子を育てるのは構いませんが、問題はこの子次第ですね。えっと、アレッタちゃんでいいのかな。キミはどうしたい? 僕と一緒にこの屋敷で暮らす?」

「…………」

「柊様が聞いているんだ、答えたらどうだっ!」


 優しい柊と叱咤するツェルニに挟まれ、軽くパニックに陥いったアレッタは、視線を両者に忙しなく行き来させる。口をパクパクするだけで口内が渇いていく。言葉が喉から絞り出せずにいた。


 自分の意志を伝えたいのに、余計な緊張と暴力の光景にちじょうが阻む。


 小刻みに身を震わせるアレッタに、柊はツェルニを逆に叱った。


「小さい子を怖がらせるものではないですよ」

「え……いや、そういうつもりでは」


 柊はゆっくりと再度問う。


「じゃあ、こうしようか。僕と暮らしたかったら、この庭園に足を踏みいれて。嫌だったら、来た車に乗り込むっていうことで。大丈夫、焦らなくていいよ。ゆっくり考えて、自分で道を選ぶんだ。強制はない。キミには選ぶ権利がある」


 答えは最初から決まっていたが、余計な不安がその決意を曇らせてしまう――また自分は必要が無いと捨てられるのではないか。また暴力に怯える生活が始まるのではないか。目の前の柊と名乗る男性は、一見して優しい対応を見せるが、本当は悪い人間なのではないのか。そんな考えが足を竦ませる要因となっていた。


 中々行動を示さないアレッタにツェルニは苛立ち始めている。彼の指が額を叩く速度が彼の心境を主張していた。


 頭がボーっとしてくる。眩暈もしてきた。アレッタは過呼吸になりながらも、その全てを気概で乗り越えるべく、大きく息を吸って呼吸を止める。


 選択したアレッタの答え――。


「いらっしゃい、アレッタちゃん。僕と此処の花達は、キミを歓迎するよ」

「……よ、よろ……がいします」


 アレッタはそこで初めて帽子を取り、自分の容姿を曝け出した。


「うん、此方こそよろしくね。綺麗な色だね。とても、珍しい」


 手を差し出そうとした柊は途中で止めて、四歩分距離を開けた隣に並び、屋敷を指さした。


「あそこが、今日から僕達二人で暮らす屋敷だよ。荷物とかあるなら運ぶけど……」

「それには及びません。彼女は手荷物一つなく放り出されているので。では、私はこれにて失礼させていただきます。アレッタ、人並みの幸せを享受しなさい」


 それだけ言い残して車に乗り込み、逃げるように走り去ってしまった。道中でボコボコになった車体が深い森の奥に見えなくなるまで見送った。


「さて、アレッタちゃんの事を色々知りたいけど……うん、焦らないで、ゆっくり話せる時に話して欲しいな」

「あ、その……私……」


 ふり絞った声はしゃがれていた。自分でもどうしてこんな声が出せたのかが不思議だった。自分で発しておいて、ちょっとだけ可笑しく、少しだけ恐怖の震えが収まった。


「その、ちゃんは、要らないです……アレッタ、で構いません」

「分かった。じゃあ、アレッタ。僕の事は柊って呼んで欲しいな」


 この出会いが人生の起点だった。


 娘としての価値を生かしてもらえず、日を追うごとに増えていく生傷を数える日々。誰からも優しい声を掛けて貰えたことさえない人生で初めて、自分に対して優しい声を掛けてくれた青年。


 数分前はもしかしたら悪い人かもしれない、なんて考えてもいたが、それは杞憂だったと安堵する。


 心優しい人が、こんなに素晴らしくも美しい庭園を築けるはずがないからだ。

こんばんは、上月です



次回の投稿は5月5日の21時を予定しております。


人間不信の対人恐怖に怯えるアレッタが、他人と触れ合い、少しずつ他人との距離を縮め、人として、そして魔術師として成長していく物語です。

是非とも、最後までお付き合いいただけたらと思います。


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