アレッタという種1-1
悪戯に生み出された魂に、人の価値は与えられなかった。
初めて赤子に差した日の光よりも先に差す侮蔑の言葉。
「銀色の髪と紫色の瞳。どうやら、化け物を作り上げる事には成功したらしいな。だが、問題は保有魔力の純度と量だ。そして才能が受け継がれているか、がコイツの存在価値だ」
整えた顎髭を撫でる中年の男と、彼を囲む医師や使用人たちから向けられる、冷ややかな眼差し。
産み出された――作り出された赤子は女の子だった。
「名前は、何でもいい。おい、お前が決めておけ」
「わ、私が、ですか? は、はぁ……かしこまりました」
男は嫌悪する視線で赤子を一瞥し、もう用済みだというように、使用人を連れて部屋を出て行ってしまった。取り残された医師は、胸ポケットのメモ帳を取り出してペンを走らせていく。思いつく限りの名前をそこに書き出して候補を挙げていった。
「自分の子供くらい、自分で名前を付けていただきたいものだ……そうだな、では、アレッタと名付けておこうか。その出生は穢れているが、せめて名前くらいは普通でありたいだろ。可哀相で哀れな娘だよ。家の事情で望まれぬ生を受けたんだから」
こうして赤子は、アレッタと名付けられた。
稲神、津ケ原、久世、と並び魔術師世界に名を知らしめる魔術家系――フォルトバイン。
特に秀でた特徴や信念があるわけではないが、上等な魔力の質と量を有する家系として栄えていた。だが、それも年々と色褪せてきていた。このままでは名声が失墜してしまう。それを恐れたフォルトバイン家当主は、邪道なる探求理論を数多く生み出してきた久世家に頼み込んだ。もちろんそれは、禁忌であり、人道なんてものを唾棄した忌まわしい呪法。
「自分の妻に異形の血肉を埋め込んで、子を孕ませる。思いつく久世の家もそうだが、そこまでして名声に縋りつくフォルトバインも常軌じゃあない」
儀式と出産の苦痛に果てた母の脇で眠るアレッタが感じた最初の人の温もりは、死人の冷たさだった。生きている人間が向けたように、否定的な眼差しを向けなければ、疎み蔑む事もしない。死の冷たさが母の優しさの全てだった。
人の枠組みから外れているアレッタは、常に暴力と陰湿な苛めが日常だった。使用人にさえゴミ扱いされ、箒で叩かれては追い回される日々。身体に生傷が絶えない人生。誰もアレッタに助け舟を出そうとはしない。誰もが見て見ぬふりか、暴力を与える側に回るかの二者。
魔術師としての講義より、内包する魔力量と純度の検査をしていたある日――。
「ああ、お前はもう要らないな。お前は保険として作ったに過ぎない。だが、安心したまえ。我がフォルトバイン家はもう安泰だ。この間、発表した魔術論文が評価され、再び日の目を見る事が確約されている。質のいい魔術師の女も手に入った所だ。子供は新たに人として産ませればいい。つまりは、化け物みたいなお前に居場所はないということだよ」
「お父様……?」
「聞こえなかったのか? お前はこの家に何の価値も無い。あの女は無駄にお前を孕んで死んだだけだった、という事だな。分かったら、何処へなりとも行ってしまえ」
「お父さ――」
「黙れッ! 私はもう、お前の父ではない。その異形のように腐った美しさで、売春でもして身を立てるといい! もちろん、自分が名誉あるフォルトバイン家の者だと名乗る事を禁ずる。これまで掛けたお前の養育費の埋め合わせを測らねばならんのだ。理解したらさっさと出ていけッ!」
必要とされてこなかったが、父と慕った男は、アレッタを足蹴にした。
自分は誰にも必要とされていない。どうして自分を産んだのか。どうして、どうして、という疑問だけが頭をよぎる。十歳の少女にはそれを口にする勇気も無く、許されなかった。
腹に響く痛みは、捨てられた苦痛に塗り重なる。
アレッタは居場所を失った。
行く当てのない人生が広がっている。暴力と罵倒の毎日に怯え、助けを求めた結果がこの有様だというのなら、それはなんとも漠然とした救済だろうか。それどころか、生きている意味さえ見つけ出せない人生に、進むべき道など無かった。まさに無道と称されるフォルトバイン家の者に相応しい末路だと思った。
つばの広い麦わら帽子を目深に被って歩いていると、一台の車がゆっくりとアレッタに並走して停車した。帽子で視界は遮られていたが、その声を聞いて誰だか分かった。
「良い場所を知っている。キミに人生の選択を与えてくれる、心優しい御人を」
窓から顔を出した男は、アレッタに名前を与えてくれた中年の医師だった。
「どう、して……」
「正直、キミとは関わりたくはないが、キミの出生に立ち会った医師として、匙を投げだすのではなく、頼りになる方に預けた方が、命を扱う医師の在るべき在り方に反してないだろう。それ以上でも以下でもない。私はキミに救済の言葉を掛けた。あとはキミが選択するといい」
目の前に選ぶべき道があるのならば選びたい。
躊躇いながらも乗車し、長い時間を沈黙の車内で過ごした。休憩として寄った町には多くの人が行き来し、一歩も家から出たことが無かったアレッタは、驚きと恐怖に眼を見開き、身体は硬直して息も上手く取り入れられなくなる。
「帽子を深く被っていなさい。キミの容姿は目立ちすぎる」
この数時間、一切喋らなかった医師がアレッタを睨んだ。
「はい、ごめんなさい……」
「食べ物を買ってくる。好き嫌いはないな」
「え、あ……」
返事を待たずに車を降りて人込みに紛れた医師。アレッタは静かに俯いて、人形の様に在る事を徹底する。自分の容姿が他人の中で浮いてしまうので目立たないように。彼等も自分を見て奇異の視線で、感情の内側で気味悪がるのだろうかと考えながら。
どれくらい同じ姿勢で固まっていただろうか。両手にパンや菓子を抱えた医師が車に乗り込んだ。
「待たせた。好きなものを食べて構わない。ここから目的地までは数時間掛かるが、それまでの間、よろしく頼む」
「え……はい。よろしく、お願いします」
急に口調が柔らかくなった医師に違和感を覚えたが、良好な関係を維持できるのならば、と慌てて頭を下げた。
「先程までは、フォルトバイン家の管理地でね。不用意に発言が出来なかった。魔術式による監視が在るからもしれないからな。まぁ、だが勘違いはされたくはないのだが、私はキミを恐れている。そこだけは、正直に言わせてもらうよ。なにせ、人を喰らう異形と人間の配合種なのだからね。キミも私からだいぶ距離を開けているんだ、お互い様だろう」
「……はい」
後部座席の隅に身を縮こませて座るアレッタを、医師の男は軽い溜息をついて指摘した。
今まで受けてきた仕打ちを鑑みれば、アレッタの人間不信による対人障害は致し方なかった。だから医師の男も深くはアレッタと関わろうとはしない。ただ、旅路の最中くらいは暇つぶしの話し相手となってもらおうと考えているのだろう。医師はその後もポツポツと思い出した時にだけ質問を投げかけ、それに答えるだけの一方通行な会話が続いた。
人の生活圏から逸れて、今まで以上に足場の悪い道が車体を大きく揺さぶる。気持ち悪さが込み上げてくるも、必死にこらえるアレッタは涙目になりつつ、視線は外の薄暗く深い山間を見渡していた。
山道に入って六時間――蔦が絡まる大きな鉄柵が閉じた門が出迎えた
こんばんは、上月です
今回から本編の始まりです。
次回の投稿は5月4日の21時を予定しております!