魔術師としての初任務1-6
夕食を食べ終えたアレッタは、早々に食堂から立ち去った。
食べている時も「いただきます」「ごちそうさまでした」の二言を除いて、黙々と食事を続けた。
食堂を出て行くまで、背中には二人分の視線――柊とキルツェハイドのものだろうが、気付かぬふりをして「おやすみなさい」とだけ、小さな微笑みを添えて扉を閉めた。
「化け物は、化け物……なんです。せめて、私は……役に立つ化け物でいたいな」
だからこそ、今回の依頼を柊とキルツェハイドとは別に、独自で解明してみせようとした。魔術はおろか魔術式さえまだ扱えないが、ある程度の所で線引きをして、自身の身を守るのだと言い聞かせた。
まず初めに気になったのは、昼間の使用人たちの視線とヒソヒソ話。そして窓に映った、反射する表情とは異なる助けを乞う顔。
この屋敷には何かがある。
ひとまず違和感を見間違いではないと捉えておく。些細な情報から得られる幾筋もの近道。それらと結びつけるには一つでも多くの違和感を見つけなくてはならない。
「えっと、とりあえずは屋敷の中を……ん?」
足を止めて振り返る。
視線を感じたような気がしたが、誰も居ない。長い通路が続いているだけ。この時間帯は使用人たちも夕食時なのか、周囲に人の気配を全くと言っていいほど感じない。
アレッタは対人恐怖から、人の気配や感情変化を機微に察知する事ができる。確かに感じた。ジッと観察するような、何かを訴えかけるような視線を。
「気のせい……かな。でも……」
窓の外は真っ暗で、中庭の様子は窺えないが、外からは中の様子はしっかりと確認できる。だが、アレッタが感じた視線は背後の通路から。
大勢の人が住んでいるはずの屋敷は、寒々とした、物音一つさえしない不気味さを醸し出していた。
今は感じない視線に足を止めていても進展などあるはずもない。アレッタは背後に注意をしながら屋敷の図面を頭に刷り込むべく、ここ一階フロアを探索する事にした。
呪いの事で頭をいっぱいにして、案内に意識を向けていなかったので、再び屋敷内を歩かなくてはならない。
客室には番号プレートが扉に張り付いていて、それ以外の部屋は、鍵が開いていれば少しだけ中を覗き込む。鍵が開いている部屋のどれも電気が消えていて、一々電気スイッチを手さぐりに探して付けなければならない。
食堂の通路とは対面になっている通路の最奥にある――その部屋だけ扉の使用が異なっていて、扉手前には塞ぐような、隠されているように物が置かれて積まれていた。
身体が小さいアレッタだから物の隙間を縫って通り抜ける事が出来た。そして見つけた。この扉の存在を。
たぶんここは、昼間には案内されていないと直感した。
「この扉の中には、何が……」
ゴクリと唾を呑み込み、恐る恐るとノブへと手を伸ばす。
長い間手入れのされていないノブには薄く埃が付着していた。冷たい金属の感触を確かめてゆっくり回すと、鍵は開いていた。
ここまできたのだから、という思いを決意に変えた。
「失礼、します」
回しきったノブを押して、ドアを押し開くと闇が広がっている。長い間使われていないのだから、明かりが付いていないのは当然で、半身だけ部屋に踏み入れて手探りでスイッチを探す。
「――ひゃあ!」
掌に何かヌルヌルとした、金属ノブとは異なる冷たさが触れ、思わず手を引っ込め、飛び退くように部屋から距離を取った。
触れたのはなにか。中に何がいるのか。もしくはあるのか。
暗闇は想像を嫌な方嫌な方へと巡らせる。
掌は粘性の液体が付着していて、無色無臭だが、あまりの気持ち悪さに身を固めて、この粘液をどうやって拭き取ろうか、なんて考える余裕も無い。
「柊先生ぇ……」
思わず彼の名前を呟いて助けを求めてしまう。
「駄目、助けを求めちゃ。これは私が解明して、化け物も役に立つって思ってもらわなきゃ」
柊は自分の出生理由は知っていても、その忌まわしい誕生の過程を知らない。自分が化け物だという事実もまた知らない。
知らない。知らないでいて欲しい。でも、いつかは向き合って話そうと思っていた。そう、先程の彼の言葉を聞くまでは。
涙ぐみながら粘液のついていない方の手で目元を擦り、再び手を壁に這わせて探る。何もかもが手探り状態だが、いつかはこの探求も自分の芽となり開花すると信じている。
自分が伸ばせる範囲に電気のスイッチは無かった。
ここで引き下がれば事件解明の手掛かりを逃すことになる。アレッタは、暗闇の部屋に両足を踏み入れ、壁に沿って歩きながら電気スイッチを探すことにする。
「右手も……ヌルヌルに、うぅ……気持ち悪い、です」
両手で必死に探してようやく見つけたスイッチらしき手触りに安堵した。これで周囲を見渡せるのだ、とスイッチを押し上げる。
天上からバチッという音がして、数回の明滅後に室内を橙色の蛍光灯が照らした。
「――ッ!!」
部屋中の壁一面に描かれた不可解な文字と魔術陣。
壁のヌルヌルの正体は直ぐに分かった。棚に横たわる瓶から無色の液体がぶちまけられていて、直ぐにアレッタは疑問を抱く。
「長い間、使われていなかった部屋。どうして、乾いてないの? まるで、今さっき溢したみたい」
疑いの念を抱いた観察眼は、次々と不可解な個所を見つけだす。
部屋の空気が籠っていない事。床に埃が積もっていない事。小さな簡易祭壇に供えられたバナナがまだ青々としている事。
なにより異質な――一番気がかりな場所へと、嫌々に視線を向けた。
「ただのシミ……だよね?」
天上には成人男性の形をした黒シミが浮かび上がって、部屋全体を見下ろしている。そのシミは輪郭だけなので実際に眼などがあるわけではない。だが、まるで自分を凝視しているように感じられ、アレッタは小さく身震いして総毛だった。
「偶然、人に見えるだけ……たまたま、出来ただけ。だけど、どうしてあんなにハッキリとシミが」
アレッタはシミから距離を取ろうと後ずさる。
「何を、されているのですか。お客様」
「――ひゃあ!?」
反射的に振り返り、反射的に四歩分の距離をまで飛び退く。
「そこまで驚かれると、傷つきますよ」
その女性は陰気な案内役だった。
彼女をジッと観察しても内面を読み解く事が出来ない。陰気な厚い表情の下には空洞があるような、個というものを有していないようにアレッタは感じていた。
「子供がこのような部屋を見ても面白くはないでしょう。それとも魔術師の方は、やはりこういったモノに惹かれますか?」
「い、いえ……そういうわけでは、ありません。ちょっと冒険をしていたら、たまたま見つけて」
視線を合わせる事が出来ず、俯き気味に答える様は後ろめたさのある子どもの様だ。別段、後ろめたいという感情はないが、ただ人が怖い。目の前の陰気で人の情を感じない女が怖い。
対人恐怖は柊が相手でも、未だに根強く拒絶反応を主張する。
「食堂のお二人は先程部屋に戻られましたよ。お嬢さんも早い所、自室にお戻りなさい。夜は怖いお化けが徘徊しますので」
「お化け?」
「物の喩えです。幽霊が出る訳ではありません」
女は部屋全体を見渡し、アレッタに先に部屋を出るように促す。
女は腰に吊るした鍵の束の中の一つを鍵穴に捻じ込んだ。ガチャリという施錠の音は、この不気味な部屋を完全に外界から隔離する音。
「さあ、おやすみなさい。綺麗なお嬢さん」
「……おやすみなさい」
アレッタは頭を下げて急ぎ足でその場を立ち去った。廊下突き当りを曲がる寸前にチラリとあの部屋の場所を一瞥すると、女が門番のようにこちらを見ていて、一瞬目が合った気がしたが、次の瞬間には壁に阻まれた。
こんばんは、上月です
久しぶりの投稿です!
次回の投稿は6月14日の21時を予定しております。




