魔術師としての初任務1-4
大勢の人、多様な音と匂いに立ち眩みを覚えた。
つばの長い麦わら帽子を目深に被り、紫色の瞳が人目に付かないように俯きながら、柊の足元を追って歩く。背後からは四歩分の距離を開けてキルツェハイドが周囲を警戒してくれている。
純銀の髪はこの際致し方ない、と歩く度に背中を小さく撫でる。
その輝かしく日光を反射する髪へと視線を集めるが、アレッタは気付かぬ振りをしてやり過ごす。意識をしてはいけない。ただ、前を歩く柊の歩幅を計算して自分の歩くペースを保てばいい。
先頭を歩く柊も背後のアレッタに気を遣ってゆっくりと歩いていた。
「柊様、今回の仕事はあの屋敷の主人からの依頼ですよ」
そこまで広くはない田舎町の小高い丘に建つ屋敷を指した。
金持ちの道楽等は一切飾られていない質素な印象を受ける佇まい。
緩やかな蛇行した坂を上ると、正門は蔦が絡まる錆びた鉄柵が迎えた。遠目から見た以上に小汚い外観。柊が柵脇に取り付けられた呼び出しベルを押し込むと、直ぐに敷地内から初老の女が陰気な表情で、アレッタ達を屋敷内へと招き入れた。
庭に生い茂る雑草や朽ちた花達を見たアレッタは、黒々とした花の気配に薄ら寒さで身を震わせた。ここまでの死色を見たことが無かったからだ。黙って先頭を歩く老女を含めて、この屋敷には生気の活動というものが見受けられない。
屋敷内も老若男女の使用人達が陰気な表情で与えられた仕事を黙々とこなしている。その動きは緩慢で、とうてい彼等を生きた人間と形容できたものではなかった。
『柊様、ちょっと異様ですね。彼等の眼を見てください』
キルツェハイドが魔術で直接脳内に語り掛ける。
アレッタにも接続されていたようで、突然脳内に声が届いてビクッと身体が硬直したが、彼の口調はこの不気味な雰囲気に気圧されているようだった。
『生気が感じられないね。まだ根拠はないけど、僕は異形が原因ではないかと疑っている』
『同感です。悪魔や魔術が原因であれば、現場に魔力や何かしらの痕跡が滞留しますが、この場にはそういった痕跡は感じられません。仮に異形の仕業だと考えた場合、人の精神に害を加えられるという事は、そろそろ成熟が近いということですかね』
『成熟した異形は現世に干渉できるから、飢えを満たすべく捕食を始め、人を食らい更なる力を得る。悪魔のようにあらかじめ決まった力量ではなく、糧を得て力を増す存在だ。早々に片を付けないと……』
柊の声にも重みが増し、良くない状況であることが窺えた。
柊とキルツェハイドは二人だけの会話で周囲の異変に気が付かなかった。
「どうして……」
離れた場所で窓ふきをしていた女中――その窓に映った容姿は、実際の表情と異なり、苦痛に歪み助けを求めているように映った。
窓ガラスに映った表情も直ぐに書き消え、陰気な表情を映している。
この事を柊達に伝えるべきか。
今ならキルツェハイドの魔術が展開されていて、周囲に聞かれること無く情報のやり取りが可能だが、あの光景も一瞬の出来事。アレッタ自身の見間違いという可能性もゼロではない。ここで自分が余計な事を言って、二人を混乱させるのは良い判断とはいえず、ひとまずは保留にしておく。
見間違いを真実に変えるには確証を得ればいい。
魔術師見習いとして今回の仕事に同行しているのだから、少しは役に立ちたいと思ってしまうのも致し方のない事だった。
記憶力や柔軟な思考力はあっても、やはり十歳の少女。
自分でもきっと何かできる、という思い込みに胸を躍らせていた。
「僅かな変化の流れを見逃さず、機微にジッと観察する」
誰にも聞こえない声量で自分に言い聞かせる。
柊から教わった探求の基礎。
基礎を疎かにしては、いかなる過程を経ても納得のいく結果へは至らない。探求欲と観察力こそが魔術師の基礎を構築する材料。
アレッタは少々、基礎に忠実過ぎる節があるが、別段悪い事ではなく、むしろ徹底することで如何様にも可能性の枝を伸ばせる。
アレッタは独自の観察眼を以って、二人をサポートしようと決意した。
「此方が当主様のお部屋でございます」
と抑揚のない声で告げると、部屋をノックしてノブを押し開く。
小さいとはいえ一つの町を管理する領主の自室ともなれば、そこそこの装飾品や贅を叩いた趣向品が並んでいそうだが、室内はガランとしていて、まるで快適な牢獄を思い起こさせた。
麻の絨毯が敷かれ、くたびれている来客用の向かい合わせソファー。部屋の最奥には書類と本が乱雑に重なられた執務机があるだけの部屋。
「ああ、良かった……来ていただけましたか。ああ、本当に良かった」
執務机で書類整理をしていた男が顔を上げた。
使用人たちのように陰気な雰囲気はないが、憔悴しきっているようだった。頬はこけて、皺だらけの顔には白混じりの無精髭。眼の下には真っ黒な隈が浮かび上がっている。
これが、このなりをした人物が当主なのか、とキルツェハイドは表情を引きつらせ、直ぐに口元を手で隠して普段の顔付きに戻す。
アレッタは帽子のつばを少しだけ持ち上げ、少しでも変な個所はないかジッと見つめる。
そんな二人の様子に肩を小さく竦めた柊が早速仕事の話を振った。
「僕は柊春成といいます。魔術組織シェルシェール・ラ・メゾンの統括者の一人として、運営管理を任されています。今回の依頼についてですが、依頼書には会ってから話すと書かれていますね」
「ええ……あ、はい。その通りです」
当主は女中を下がらせた。室内には四人だけとなり、来客用のソファーを勧められ、柊とキルツェハイドはソファーに腰かけ、アレッタは少し離れた場所に立って三人を見守る。
ソファーは大きい物ではなく、三人で座れば距離感的に安全領域の侵入を許してしまう。アレッタの事情を知らない当主の眼には奇異に思ったのかもしれないが、深くは追及をしてこない。
「荒唐無稽なお話になりますが、どうか、馬鹿馬鹿しいと思わずに聞いていただきたいのです。実は、この屋敷は……何者かによって呪われているのです」
こんばんは、上月です
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