極花1-3
久しく帰っていなかった大切な人との思い出の場所。
山の奥深い場所に建つ洋館を囲うレンガ造りの囲い。正門に車を停車させて鉄格子の扉に手を掛ける。
「私があの人に捨てられて、初めて訪れた時に柊先生は私に手を差し伸べてくれましたね」
現在と過去を比較しながらゆっくりと門を開けて園内に足を踏み入れた。懐かしい匂いがこの理想郷に今も充満していて、見渡す植物たちの色も活き活きと鮮やかな緑色をしていた。キルツェハイドが入念に手入れをしてくれたお陰だ。
正門から館へ真っ直ぐに伸びる白石の道。中央は円形の広場になっていて、よく二人で昼食をそこで食べた。彼の作る日本の団子という菓子を初めて食べたあの感動は今でもよく覚えている。思い出すと食べたくなる餡をふんだんに掛けた団子がまた食べたくなってきた。
右手に広がる庭園の奥には小さな小屋がある。柊が魔術の研究を行うための研究所で、手作りの柵の内側には家庭菜園として使っていた小さな畑がある。今は何も植えられていない。アレッタはその小屋のノブを回してゆっくりと開けた。
カーテンが閉まっていて中は薄暗く、花の甘い香りが漂ってきた。
書棚とデスクがあり、デスクの上には花の結晶や様々な色の結晶体が無造作に乗せられていた。
「世界の知識を閉じて世界を識る。柊先生の魔術理論でしたね」
彼の研究所を出て屋敷へと向かった。
屋敷の鍵を使って、蝶番が古くなっていて軋みながら木製の両扉を押し開けた。
屋敷内はほとんど手が付けらておらず、床には埃が溜まっている。これは屋敷内の清掃をキルツェハイドの配慮で断られたからだ。二人の思い出が特に濃く残るこの屋敷に手を付けたくは無いという彼の主張。つまりこの屋敷を最後に掃除したのは、一年半ほど前に休暇を使って帰って来た時なる。
右手には曇りガラスが嵌め込まれた扉。その奥には二人で一番長く一緒に過ごしたリビング。変わらぬその光景は目を閉じてもあの日と変わらぬまま。リビングをグルリと回ってからエントランスホールにある階段を使って二階に上る。洋館は東西に延びていて、エントランスホールの左右に取り付けられた螺旋階段を使わなければならない。左側の螺旋階段を使えば西側へ。右の螺旋階段を使えば東側の通路に繋がっている。エントランスホールを区切って二階は左右に分かれるので、いちいち階段を降りなければ向かい側には行けない。
初めに左側に西側の通路へ。
一番奥にある部屋がアレッタの自室だった。
よく夜が怖くて眠れず、かといってあの時の自分は他人も怖かったので、柊に助けを求めることもなかなか出来ずにいた。
「私もだいぶ成長しましたね」
年齢や考え方、魔術師としても。
今は普通に人と接することができ、対人恐怖で自分以外の者すべてが危害を加える敵だと認識していた自分が、今では世界中の魔術師たちを纏め、組織を運営するにまで至った。ここまで成長できたのは、多くの人達と出会い触れ合った結果だ。
ベッドの縁に腰掛けて、窓から見える青空を見上げた。
最期に柊の部屋へと向かう。
彼の部屋も自分の部屋と同じ広さで、同じように最低限の家具しか置いていない。机には何冊もの分厚い本が積まれ、言語も日本語を初め六カ国の文字で書かれていた。書棚には園芸の本や花の図鑑がびっしりと差し並んでいる。
柊は本当に花が好きな人だった。
「あら……?」
机の引き出しが少し開いていた。
ゆっくりと引っ張ると封筒が入っていた。
以前来たときは気が付かなかった。
未開封の封筒を日に翳すと一枚の紙が入っている。厚さからしても三重に折られていることがわかった。
なにより宛名がアレッタ・フォルトバインになっていたことに驚いた。
アレッタは封を切って中の紙を取り出す。手紙だった。日本語で書かれた彼の直筆の手紙。アレッタは母国語以外で初めて覚えたのが日本語だった。これは彼といつか日本に行きたいと夢見て覚えたもので、最近では稲神聖羅、津ヶ原幹久、久世香織の間でしか喋っていない。日本の文字を見たのは久しぶりだった。
手紙にはアレッタとの思い出か綴られていて、最後の一文には、「キミがこの手紙を読んでいる時には立派な花を咲かせているのかな」と書かれていた。
「私は立派に、柊先生の言う美しい大輪を咲かせているのでしょうか」
彼に問う。
返事は無い。
自分ではそう思えない。
自分は不老不死になった。人間を殺すことに躊躇いや罪悪感がなくなった。
美しい大輪どころかもう枯れてしまっているような気もした。
「貴方ともう一度、お話がしたいです。柊先生」
叶わぬ望みは魔術でも成し遂げられない。
世界真理を識ったところで死者は戻らない。
こんばんは、上月です
次回の投稿は11日の21時を予定してます。