魔術師としての初任務1-1
日も昇らぬ時間帯に目を覚ました。
静寂な生活に時々耳にするけたたましい音。窓の外が明るく、排気音を止めた車から一人の男性が降りた。
逆光でしっかり容姿を確認する事は出来なかったが、その背丈や歩く仕草からして男性だということが分かる。直ぐ後には屋敷内の扉がノックされる。エントランスホールを挟んだ対面の通路からぱたぱたと慌ただしく聞こえる足音。これは柊のものだ。
「こんな時間に、お客人……?」
気になったら徹底的に調べて理解する。アレッタの好奇心が眠気を覚醒させ、音を立てずに扉を開け、忍び足で二人の会話が聞こえる距離まで近づく。
「呼び出すときは魔術を使ってほしいな。今この家に住んでいるのは、僕だけじゃないんだ」
「へぇ、女でも連れ込んでるんですか、柊様」
「女の子だよ」
「おやおや、柊様はロリの気がおありですか……これは、面白い情報だ」
「茶化さない。僕の教え子だよ、もちろん魔術のね」
親しそうに話す二人の関係性に少しだけ安堵した。
そんな時だった――。
〈盗み聞きなんかしていないで、堂々と会話を聞いたらどうですか。なんなら、会話に混じりますか?〉
アレッタは身体を縮こませてキョロキョロと周囲を見渡した。誰もいない。玄関口ではいまだに楽しそうに話す柊と男性の声。今聞こえた声が脳に直接伝えられた事実に驚愕すると、またしてもその声が可笑しそうに語りかけてくる。
〈驚きましたか? いや、驚かせるつもりは無かったんですがねぇ。これは俺の魔術で、小難しい理論を省くと、直接お嬢さんの聴覚野に声を届けています〉
脳に届く声は柊と話しこんでいる男性と同じ声をしていた。
〈別に怪しいものじゃありませんよ。俺はキルツェハイド・トールマンと言います。柊様とは友人をさせてもらっています。ですので、とりあえず警戒はしなくていいと思いますが。姿を見せてお話でもしませんか?〉
砕けた敬語を使う気さくな性格。
楽しそうな会話に惹かれて顔だけを覗かせる。アレッタの困惑な顔色を見知らぬ茶髪の男性が即座に見つけて手を軽く上げた。
「やっぱり、起こしちゃったみたいだよ。キルツェハイド」
「それは申し訳ないですが、既にお嬢さんには謝罪はしてありますんで。ですよね、可愛らしいお嬢さん」
柊と同い年か少し若いくらいの青年。着崩したスーツからは真面目さとは無縁のような印象を受ける。粗野な人間が下手に敬語を覚えた口調は、アレッタを見てもブレることは無かった。
「柊先生、おでかけですか?」
初めて会う人間にはどのような対応をすればいいのか分からない。キルツェハイドから視線を外して柊に逃げ込むように話題を振る。無視された形になるが、キルツェハイドは気を悪くした様子は無く、ニタニタと柊の横顔を意味ありげに見つめていた。
「今日一日、僕は仕事で出掛けなくてはいけないんだ。アレッタには申し訳ないけど、お留守番をお願いしてもいいかな。もしかすると二日三日は帰れないかもしれないけど」
「一人残すのも可哀相じゃないですか? どうせなら、連れて行くのも俺はいいと思いますけどねぇ。魔術のお弟子さんなら、現場を見せておくのも勉強になると、俺は考えますよ」
「でも、危ないし、アレッタに万が一のことがあっても……」
「人の助けも得にくい屋敷に、一人で残しておく方が心配だと思いますがね」
キルツェハイドの意見も尤もだとだ、と顎に指を当てて考えた。
視線だけをアレッタに移して。
「人込みという程ではないけど、それなりに人が集まる場所に行かなくてはいけないんだ。どうする、僕等の仕事を見学しに来るかい?」
これはアレッタにとってチャンスであった。魔術師になれば外部から仕事を貰い、自分の魔術や魔術式を使って仕事を完遂する。現場を見ておくのも悪くはないと判断を下すが、問題は人の輪だった。
行きたいけど行きたいと即決できないアレッタに、キルツェハイドは肩を竦めて助け舟を出した。
「別にお嬢さんが誰かの相手をするわけじゃありませんから、俺や柊様の背後に隠れていれば問題はないでしょう。ねぇ、柊様?」
「うん、そうだね。最低限の挨拶が出来れば問題は無いよ。どうかな、僕やクラウス伯達との練習の成果を確認する事も兼ねて」
「はい……よろしくお願いします」
そうと決まれば出発は早い方がいい、とキルツェハイドは手を叩いて、柊とアレッタに荷物を纏めるように指示を出した。
「荷物は特には無い、ですね」
柊は自室に戻り、キルツェハイドはリビングで珈琲を啜っているので、アレッタも自室に戻ってきた。リビングに居てもキルツェハイドという他人とは今日が初対面。まともに会話する自信が無ければ、彼のペースに付いて行ける自信もなかった。
とりあえずは悪い人ではない、という印象だけを胸にしまって、未だ暗い夜空に浮かぶ月を、風に当たりながら見上げていた。
「へぇ、ここから見上げる月というのも、風情があって綺麗なもんですねぇ」
「――ひゃあっ!?」
「うぼぇっ!!」
耳元で吐息の温もりと共に聞こえた陽気な声に驚き、素っ頓狂な声で、振り向きざまに小さな拳をその頬に見舞った。
少女の一撃は大したことの無い一撃だが、演技がかった痛みを演出して頬を抑えるキルツェハイドは数歩後退してよろめく。
「痛いじゃないですか、お嬢さん。流石に驚かせたのは俺が悪いですし、女性の寝室に黙って入ったのも俺で、お嬢さんの絶対領域に踏み込んだのも俺で……あれ、俺ってちょっと悪い奴になってませんかねぇ?」
「ちょ、ちょ、ちょっとじゃないですっ!」
「いやぁ、俺の事をちょっとでも知って欲しいから、暇つぶしにお話をしようかと思っていたんですがね、いや、これは逆効果でしたね。お詫びと言ってはなんですが、この焼き菓子を食べてみませんか?」
そう言ってスーツの内側から取り出したのは、可愛らしくリボンで包装されたクッキーだった。これは怪しい。ジッとお菓子とキルツェハイドを見比べる。
「俺には多くの兄妹がいましてね。お嬢さんくらいの歳の妹もいます。それで、全員がせがむんですよ、お菓子が食べたいってね。それで独学で菓子の作り方を学んでいるうちに、菓子作りが得意になったんですよ。兄妹たちが口にする大切な菓子に毒物なんて無粋なものを入れる事はしませんし、自分の自慢の一品を貶めたくはありません。そもそも、毒殺なんてしてみてください、柊様にきっと殺されますよ、俺」
よく喋るキルツェハイドは手に持ったお菓子を中央の机に置く。
自分の意思で選択してくださいと言っているようだった。彼には数多くの兄妹がいるからこそ、自分のような子供にも優しく出来るのか。目の前の男性もまた、アレッタにとっては珍しい人種の一人に加えられ、ゆっくり一歩踏み出す。
「おっと、確か四歩分の距離でしたね。柊様に忠告されてますよ。四歩以内の距離に近付かないでくれと」
キルツェハイドはアレッタの歩幅に合わせて後退していく。
机の端に置かれた小さな菓子袋を手に取り、キルツェハイドに顔を向ける。彼が頷くのを確認してから封を開けると、中から甘い粉糖の香りが空腹を刺激した。
中から一枚取り出すと、表面に粉糖がまぶしてあり、こぼれないように口に入れて咀嚼する。生地には小さな蜜柑の果肉が練り込まれていて、甘さの中にほんのりと酸っぱさと苦さが織り交ざる。
「美味しい、です」
こんばんは、上月です
次回の投稿は27日の21時を予定しております