悲しみを越えるべく1-8
医務室では誰も口を開かず、ベッドで眠る聖羅を見下ろしていた。
医療魔術師の話では、命は取り留めたとのことではあるが、ただ一つ、彼女の心臓に、一ミリにも満たない硝子片のようなものが刺さっているとのこと。どのような手段を用いてもその硝子片は抜けず、しばらくは経過観察ということになった。
安らかな表情で眠る彼女と、不安で気が気でない仲間達。
ベッドに寄り添うアレッタは、恐る恐る彼女の額に触れて、髪を優しく撫でた。
そういえば初めて触る彼女の髪。
真っ直ぐに伸びた赤茶色の髪。
アレッタの手は髪から顔の輪郭に沿って降りて、頬をさする。
「起きなさい、聖羅。起きて、まだやることがいっぱいあるの」
軽率な行動によって引き起こされた。
統括者という立場に自惚れていた。AAランクという称号が慢心を招いた。ちょっと強くなったくらいでみんなを守れると思い上がっていた。
「アレッタさんだけのせいじゃないよ。むしろ僕等の方が」
「ごめんね、アレッタちゃん。私が地下に行こうなんて言い出さなきゃこんなことには……」
「いいえ。地下に潜り込んだ魔術師達の話が私の耳に入っていれば、私は自分の意思で、地下に潜っていたわ」
誰もが自分を責める。
そんなときに扉がノックされた。
「お前さん達、余計なものを突いてくれたな。アダムがこの城に留まる限り、アレは何もできないのが幸いだがのぉ」
「クラウス伯、あれは何ですか。魔法使いや、世界の歪み、飢えた狼、悪魔使い、そのどれよりも膨大な存在。私はあんなものがこの組織の地下に存在していることを知りませんでした」
クラウスは整えてある自慢のヒゲに指を絡ませ、思案するように窓へ視線を向けた。
「世の中には秘匿なるものがある。我々の裏社会も表社会にとっては秘匿すべき事情であると同じように、裏社会からも秘匿せねばならない事情もある」
「それが、地下の怪物だというのですか?」
幹久は恐る恐る聞いた。
「お前たちは使役悪魔と契約していなくても知識としては知っているだろう。十三世界の悪魔」
あまり勉強を好まない香織は首を傾げたが、アレッタと幹久は頷いた。
「ええと、確か、悪魔の中でも最高位の存在だと」
「津ヶ原、それでは合格点をやれんぞ」
クラウスは意地悪く笑い、彼の回答にアレッタが補足した。
「決して人に寄り添わず、また干渉もしない。己の独自欲求によって形成された十三の世界に君臨する王たちのこと。一体でもその力の恩恵を受けられれば、世界を掌握しうる力を得たも同然とされる伝説の悪魔たち。ただし、契約には悪魔の格に見合った相応の対価を必要とします。まず、常人では一生の命を払っても対価には届かない。故に、人が契約できる存在ではない」
「講義上では満点だな」
「講義上、ですか?」
「まあ、話が逸れる。それはまた今度な」
クラウスは聖羅を一瞥してから一同を見回す。
「地下のあれは、異界の悪魔王。格でいえば、十三世界の上位三体と同等だな。つまり」
「僕等、人間が干渉していい存在ではない、ということですね」
「察しがいいな、津ヶ原。つまりはそういうことだ。アダムの意思によって閉じ込めてある。無闇に好奇心で突くべきでない。だが、不可解な点が一つある。誰が地下階段に張った結界を解いたのか、だ。あれは、ワシ、ヨゼフィーネ殿、柊殿の三人で何重にも張り巡らせた結界だ。AAランクはもちろん、一介の魔術師が解けるような代物ではないはずなんだが」
「え、それってぇ、誰かが解いちゃったってことでしょ? でも、地下に潜った魔術師って
とかBじゃなかったっけ?」
「つまり、誰かが手引きした。それも、統括者三人の強大な結界を解く実力と知識を持つ者が」
「そういうことだな。それは、こちらで調査をしておく。お前達に言うべきは、二度とあの場所に近づいてはならない。いいね? 聖羅が目を覚ましたらちゃんと釘を刺しておくように。負けず嫌いのこれが一番危なっかしいからな」
表情を崩して笑ったクラウスは、最後にもう一度だけ表情と口調を切り替え。
「ワシはもう、身近な者達を失いたくはない。だから、頼む。余計なことに首を突っ込むな」
そう残してクラウスは部屋を出て行ってしまった。
残された三人は互いに顔を合わせて頷きあう。
こんばんは、上月です
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