聖羅との危険な旅1-11
植物たちがアーリアから吸収しているのは生命力だけではなかった。
アーリアが在るために必要な熱量、憎悪までも植物たちは自分たちの成長の糧としてしまっていたのだ。
アレッタは急いていた。
背後には重傷の柊を聖羅が何とか治療を試みているが、彼女の漂う気配から非常に危ない状況だ。きっと聖羅なら大丈夫。絶対に柊を治してくれる。彼女に対する信頼があるからこそ、目の前の災厄の塊の対処に全力で掛かれている。
まさか、生命力だけでなく感情までも吸い上げてしまうとは思ってもいなかった。
「もう少し、もう少し……」
体長がアレッタと同じくらいまでに縮んだアーリア。それでもまだ、残った憎悪を増大させて破裂しようと抵抗を見せるアーリアだが、収縮の速度を僅かばかり遅らせる程度の結果しか生じていない。このままでいい。後もう少し。しかし、アレッタの意識が一瞬だけ霞み、集中力を欠いたアレッタの魔術は綻びを生み、消失しかけた。
耳鳴りがする。意識が混濁し、自分ははたして自分の足でちゃんと立っているのかも怪しくなってきた。動悸息切れが鬱陶しく耳障りな雑音に聞こえ、今にも倒れ伏しそうな状況の中で唯一集中力を維持し続けられるのは、自分をこれまで面倒見てきてくれた彼、最愛の先生であり、最愛の男性、柊春成の存在に他ならない。
口から何かが垂れ落ちたが何かは分からない。
たぶん液体だ。粘っこい液体。
大量にこぼれてしまったが、たぶん大丈夫。
自分に言い聞かせながら、霞む視界には常にアーリアを定めておく。
「化け物の人間め! 俺たちと同じニオイがする人間め!」
アーリアは最期に恨み言を残して、ようやく消滅した。
終わった。
そう思った途端に膝から崩れ、地面に突っ伏したが、柊の笑顔が脳裏に浮かび、彼の現状を一刻も早く知りたい、と這いながら二人の下へと戻ってきた。
「せ……ら。せん……せぇ、は?」
赤い液体をゴボゴボと垂らしながら這い寄ってくる親友が痛ましく、聖羅は一瞬だけ顔を背けたが、弱々しい掌がそっと聖羅の膝に触れた。自分は約束を守った。だから、貴女も約束を守ったはず。その手はそう言っているように感じられ、下唇を噛みしめる。
「すまない……。私の力不足、だ」
「……え」
「柊、何か言い残すことはあるか?」
膝に触れる手を掴んで、それを柊の手に握らせた。
「ああ、聖羅。ごめん……。少しだけ、二人にして欲しいな」
聖羅は黙って立ち上がって大ホールからよろよろとふらつきながら出て行った。
残された柊とアレッタ。
最初に口を開いたのは柊だった。
「あの悪魔を、倒したんだね。偉いよ……頑張ったね、アレッタ」
「柊せん……せ」
「うんうん。キミが無事で良かったよ。お願いがあるんだ、キミの笑顔が見たい」
柊は苦痛にうめきながら這うアレッタの身体に手を回して近づけた。
「あはは、せっかくの美人さんが血だらけで……台無しだね。ほら」
柊はジャケットからハンカチを取り出して、アレッタの口周りの血を拭った。だいぶ血が落ちたところで満足気に頷き、その頬を撫でた。
「アレッタは立派な魔術師に成長してくれたよ。本当に、想像以上だ。できれば、付きっきり指導してあげたかったけど、互いに忙しかったからね。なかなか先生としての役割は果たせなかったのが残念だよ」
「これからです! これから……いっぱい……」
「そうだね。これから、キミはもっと成長するよ。シェルシェール・ラ・メゾンと、魔術師たちの将来を宜しく頼むね。一人で背負う必要は無いよ。津ヶ原君、久世さん、聖羅や多くの仲間達がいる。彼らを頼って、みんなで事に当たるんだ」
柊が穏やかに笑った。
痛みを感じていないような、もう頭が回らなくなってきたような穏やかさ。
「懐かしいなぁ。キミが初めて僕の所にやって来た日のこと。小さくて可愛らしい蕾みたいだったのに、今は美しい花を咲かせたね。また、帰りたいな。二人で、あの閉じた花の、楽園に。二人で、笑って、花の世話をして、魔術の勉強をして、料理を作る。楽しかったなぁ」
「ひいら……せい」
「言いたいことが一杯あったのに、忘れちゃった。僕も歳かな」
「いいえ、若いです。まだまだ、活力に溢れて」
「世界真理の探究はここまでだ。僕の世界との違和感はなんだったんだろう」
「一緒……探し、まだ……これから」
「アレッタ」
「はい」
「笑って欲しいな」
柊が子供のように笑う。
初めて会ったときのような若々しい輝きだ。
彼の最期の輝き。
自分も彼の輝きに応えたい。
「はい! 柊、先生」
アレッタも笑った。
「懐かしい笑顔だね」
柊の眼には、アレッタが幼い頃のアレッタに映った。
人に怯えながらも、新しい発見や身に付けた知識に喜んでいた幼子の笑顔。
柊の意識はあの頃の風景に溶けていった。
「柊、先生。もっと笑ってください」
彼の身体を揺すっても彼は目を閉ざして、動かない。
「あ、ああ、ああぁぁぁぁぁぁ!!」
慟哭がホールに反響する。
親友の悲痛な叫びを扉越しに聞いていた聖羅は歯を食いしばり、床に大粒の滴をいくつも落としていた。
こんばんは、上月です
次回の投稿は22日の22時を予定しております