赤の奇跡1-15
詠唱も済ませたヨゼフィーネは、最小で最大の奇跡を望んだ。
何処からともなく銃声が連続して鳴り、フリントは身体をくねらせながら数歩後退した。しかし、しょせんは最小の対価で望んだ奇跡。
身体から血を吹いたはずのフリントだが、やはり常人ではなく、直ぐに姿勢を正してヨゼフィーネを見て笑った。
「鉛玉で私が死ぬとでも? いやはや、まあ、人間だった頃なら死んでいただろうね」
「悪魔使いは、既に人ではない、ということですか」
「魔術師が悪魔を使役するために交わす契約とは異なる契約をしたからな。この身はとうの昔に人ならざるモノなんだよ」
ああ、こいつはもうそういうモノなんだ。
ヨゼフィーネは諦めた。この男は本当に殺さなくてはいけない。殺したい程に愛した男を本当に眠らせなければならない。永遠に。二度と悪夢に苛まされないくらいに深い眠りに。彼を殺すことが自分の償いだ。
どんどん浮上していく船は時折、船体が傾いたりするが、フリントは足底が接着剤でくっついているかのように体勢を崩さない。
「研究ばかりで足腰が弱まってしまったんじゃないかな」
「大きなお世話よ」
フリントは会話を打ち切り、隆起した肉体を張り、大きく息を吸い込んだ。
何か仕掛けてくる。咄嗟にヨゼフィーネを横転した。吸い込んだモノを吐き出すように反った上体を鞭のように前屈させた。視界の端、自分が立っていた場所が大きく抉れ、溶け、立ち上る瘴気からは悪魔が産まれた。
あんなものを受けたらひとたまりも無いどころか、全身から悪魔が身体を食い破ってくる。冷や汗が頬を滑り、喉が渇く。
あれに対抗する奇跡を求めた。
代償はもうこの際なんだって払う。
とにかくアレを一秒でも早くなんとかしなければならない。ヨゼフィーネの背後に深紅の魔術陣が描かたのと、フリントがまた上体を反らしたのは同時。
ギリギリのタイミング。
吸い込んだ空気を吐き出すより前に、背後の魔術陣から深紅色の雷が音を奪う轟音と共に放たれた。
魔術式でさえ、稲神聖羅でなければ電気は生み出せなかった。魔術式は大気中に存在する分子等に魔力で曖昧な意味を持たせて炎や水といった物質へと変換させる。正真正銘の自然な力だ。魔術で作られるモノはあくまで個人の思想に魔力を練り込ませて形を成し、魔術媒体で自分の内面から現実世界へと発現させる。魔術式のそれとは異なり、威力に安定はない。見かけ倒しでないことを願った頃には雷がフリントの巨躯を打ち抜いていた。
反った状態で強縮を引き起こしたフリントは、白目を剥きながら吸い込んだ空気が抜けていく。身体の至る箇所が炭化していき、ボロボロと皮膚が風に撫でられただけで剥がれ落ちていった。
しかし、その強大な奇跡に等価な代価が支払われた。
「右眼の視力、か。まあ、まだ左眼があることだし、問題はないでしょうけど、慣れるのに時間が掛かりそうね」
急に視界の片側が真っ暗に染まるが、何一つ取り乱さず、ありのままを受け入れた。だが、ここで手を緩めては、右眼を失って得た奇跡を無駄にする。ヨゼフィーネは次なる奇跡を求め、求め続け、次々と日常生活に必要な機能を失っていった。
味覚、嗅覚、触覚、痛覚、温冷覚、平衡感覚、記憶能力、記憶、右足の筋力、左腕の筋力、肺機能。
もはや自力で立っていることさえままならず、膝をついて、肺機能低下による息苦しさに目眩や脳活動に障害をもたらした。
徹底的な破壊を尽くした。
これ以上の代価は命さえ危うい。
炭化し、穴だらけになり、すり潰された肉塊を見据える。
人であれば五十回以上は死んでいる。それだけの数を殺した。だがしかし、その肉塊は惨状なんてお構いなしに動いた。
ヨゼフィーネは忌々しく舌打ちをした。
「ば……けもの、ですか。悪魔、つかい」
「いたいなぁ。七十三回も殺される身にもなってほしいな、ヨゼフィーネちゃん。だけど、ああ、キミも中々に酷い身体になったものだね。直ぐに楽にしてあげるよ。私はキミと違ってまだ慈悲がある。何十回も殺さない。一瞬だ。みんなの所に送り届けよう。かつて、魔術師として尊敬し合い、研磨した日々の昔話に花を咲かせなさい」
炭化し、すり潰された穴だらけの肉塊は、時間を巻き戻したかのように復元していく。
これまでの奇跡はいったい。自分が捧げた対価はいったい。支払い損だ。等価交換とはなんだ。ヨゼフィーネは諦観してはいたが、それを表情に表すことなく、最期となるならば、貴様も道連れにしてやる、という意気込みで、生涯最期の等価交換の魔術を展開した。
こんばんは、上月です
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