赤の奇跡1-11
日が沈んだ海を航海していた。
荒波だと思っていた揺れの正体を知って、自分の選択を後悔していた。
甲板では元魔術師や信仰会の海男たちが、かつて自分の足で立っていた戦場を思い出しながら声を張り上げ、船が沈まないように、脅威へと立ち向かいながら、みな最善に尽くしている。
次々と甲板へと乗り上げてくる、擬音や理解不能な音の羅列を並べ立てる悪魔の群れ。
異形なんかではない。
あれは本能のみで動いてはいない。着実に、確実に、包囲を狭めながら、狩るその時を見定めている。
「アレッタ、ぼさっとしないで! これ以上、船に乗り込まれると転覆するわ。そうなったら最期よ」
「わ、わかってます!」
でもどうやって。
アレッタは船に持ち込んだ全ての植物を対象に成長させ、太く硬化した意思を持つ植物に海上の悪魔共をなぎ払わせながら、船上に上がりこんだ奴等にも対応している。しかし、数が尋常ではない。早朝の異形の群れの比ではない。
活路は開けない。
もう、為す術も無く終わるのか。
ヨゼフィーネの魔術はその場で最も最適な奇跡を発現させるが、等価交換によりもたらされる神秘であるために、そう何回も使用できるものではない。実際にいま、彼女は重要な場面を除いて魔術式で応戦している。
アレッタは焦りと恐怖で思考が定まらない。
打開策より、柊先生ならどう考えるか。聖羅ならどう切り抜けるか。そればかりが頭をぐるぐると巡り、意味の無い他人依存に嵌まり、自分本来の姿を見失っていた。
意識すべき箇所がブレた瞬間だった。
「――ッ!」
アレッタの左腕に鋭い痛みと熱が奔った。
反射的に腕を抱きかかえると右手にべっとりと赤い液体が付着していた。
自分のすぐ隣りには愉悦な笑みを浮かべた人型の悪魔。
「オネエチャン。不思議ダ。変ナ身体」
「……何を言って」
確かに自分の血肉の半分は異形のものだ。
だがしかし、それを不思議だ、などと形容されると引っかかりを覚える。しょせんは悪魔の戯れ言。発する言葉に意味はないのかもしれない。それでも、アレッタは訝しんだ。それは、悪魔の眼が本気でアレッタを不思議がっていたからだ。
アレッタの中途半端な問いに悪魔は答えられなかった。
「……え」
目の前の光景のでたらめに時間が止まった感覚に陥る。
悪魔は一瞬だけ恐怖を浮かべると、体中から生えた蔦に全身を絡め取られ、素肌が見えなくなるまでぐるぐるに巻かれると、蔦からは幾つものピンクの花が鮮やかに咲いた。
動かなくなった悪魔。
彼はもう生きていない。なぜか確信できた。
代わりにアレッタの傷が癒えていたのにも驚いた。
「ああ」
私は人間じゃ。
心の底で呟き欠けて否定した。
「今はやるべきことに専念しないと」
アレッタは自分を取り戻し、一筋の光明が脳裏に差した。
「できるか分かりませんが」
ここにあるだけの植物では足りない。
どこからか調達し、物量には物量で。
アレッタの視界の端、数十キロ先には陸地が見える。自分たちが出航した公園だ。山が幾つも並び立ち、地方の恩恵がそこにはわんさかと揃っているではないか。
普段の自分では至らない考え。
稲神聖羅のように常識外れな思考だ。それでも彼女はやりとげてしまう。どんなにむちゃくちゃで無謀な策であろうとも。だが、アレッタにはそのぶっとんだ外道な考えを現実にすることができるかは分からない。
数十キロ先まで範囲を広げるとなると、それなりに膨大な魔力を放出して届かさせなければならない。
できるかどうかじゃない。
やらなければ明日は無い。
アレッタは純白の魔力を港へと伸ばし始める。
アレッタが何かをしようとしていることを察した乗組員やヨゼフィーネは、言葉も無く、彼女の成すべき何かに必要な時間を稼ぐため、より一層の激しさで悪魔を迎撃していく。
フリントはアレッタを一瞥しつつ、ゆっくりと距離を縮めていく。
「ああ、大丈夫だよ」
フリントは笑った。
こんばんは、上月です
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