赤の奇跡1-9
地方にある港町を散歩して朝市というものを覗いてみたが、海に異形や悪魔が出没するということで閑散としていた。
漁師達は自慢の太い腕を組んで暗い顔を合わせて、なんとかならないものかと話している。その輪の中の一人がアレッタに気付くと、気風のいい笑顔を浮かべて手招いた。
「お嬢さんだろう。町長が呼んだ、えっと、魔術師と言ったかな。この町の将来はお嬢さんたちに縋らなきゃいうけねぇ。本当に情けねぇ話だが、どうか頼むぜ。そうだ、新鮮な魚を食っていかねぇか。日本という国では生魚を食う習慣があるとかで、俺たちも醤油というものを取り寄せて食ってみたら、びっくりうめぇんだ」
日本という単語に反応したアレッタに漁師達は急いで刺身の用意をはじめた。職人包丁には岐阜という文字が書かれていた。その包丁の名前か、漁師の名前だろうか。アレッタはしばらく生き生きと魚を捌く漁師を見ていると、別の漁師が酒を片手にアレッタに椅子を勧めてきた。
「ありがとうございます。えっと」
「お嬢ちゃんはお酒飲める?」
「あの、まだ未成年ですので」
「ああ、まあお母さんも先生も見てないだろうし、ちょっとだけ、な?」
「おい、育ちの良い少女に酒なんか勧めんな、このエロ親父」
漁師たちは笑い合いながら食事の準備を進めていく。
「まあ、あれだわな。早く悪魔だか、化け物だかがいなくなってくれなきゃ、俺たちも食っていけなくなるんだよなぁ」
しみじみと呟いた一人に伝播されて、みな表情に影を作る。そんな彼らにアレッタはしっかりと力強い口調で言った。
「大丈夫です。私たちが必ず日常を取り戻して見せます! だから、もう少しだけ、もう少しだけ待っていてください」
アレッタの使命めいた勢いに漁師達は互いに顔を見合わせ、「ああ、そうだな。お嬢ちゃん達が来てくれたから、その時をこうやって待たせてもらおうかな」と出来あがった刺身を簡易テーブルの上に並べていく。みんなでテーブルを囲み刺身に醤油を浸して食べる。
初めて食べた刺身の感動にアレッタの時が止まった。こんなに美味しいものが日本にはある。柊も日本に居た頃にはこれをよく食べていたのだろうか、と日本に対する憧れがまた一段と膨れ上がったところでフリントが現れた。
「アレッタさん、こんな所にいたんだね。どうかな、この海で獲れる魚の味は」
「魚を生で食べるのは初めてでしたけど、とても美味しいです」
「そうか、そうか。そうだ、一緒にちょっとだけ付き合ってくれませんかな」
フリントは優しく笑み、アレッタは漁師達に礼を述べて彼に付いていく。
「楽しんでいるところを済まなかったね。ちょっと、アレッタさんにお聞きしたいことがあって」
「大丈夫です。それで、お聞きしたいこととは?」
「ヨゼフィーネのことなんだがね。どうかな、あの子は上手くやれているかな?」
なるほどと心の中で頷いた。
自分の弟子が遠い地で魔術師としての活躍は耳に入るだろうが、その他の部分での心配をしているのだろう。ヨゼフィーネは魔術師としても仕事人としてもとても尊敬に値するが、少々無理をしすぎる面があるとアレッタは思っていた。そんな彼女に自分も無理をしすぎると忠告をされたのだから、なんだか可笑しかった。
「シェルシェール・ラ・メゾンのみんなとも仲良くしていますし、日々、魔術師としての探求にも励んでいますよ」
「そうか、そうか。孤立していなくて安心したよ。あの子はちょっと固いからなぁ、友達ができなくて、その反動で魔術に没頭しているんじゃないかと不安があったんだ。私の下から離れて長いこと連絡もしなかったしな」
「あの……」
「ん、なんだい」
「いえ……、すみません。なんでもないです」
こんなに想ってくれている人のことを嫌うのはどうしてなのだろうか。彼の魔術師としての人生を潰してしまったとも言っていた。
連れて来られた場所は小さな喫茶店だった。まだ準備中の掛札が扉に掲げられている。そんなお店の都合も関係なく、フリントは扉を押し開けた。木製扉に取り付けられた鐘がカランコロンと鳴ると、厨房から細身の少女と年老いた男が顔を覗かせた。来客がフリントだと分かると笑顔で一番奥のテーブル席を二人して指さした。
「静かでゆっくりと話すにはちょうどいい場所だろう? 朝食を済ませてもここのモーニングは別腹でね」
注文もしていないのに、厨房では何かを焼く音が店内に広がる。フリントはその音を楽しそうに耳で堪能したあとに、表情を少しだけ険しくして声のトーンを落とした。
「今夜、悪魔使いが現れる可能性が高い」
こんばんは、上月です
次回の投稿は25日の21時を予定しております!