赤の奇跡1-3
休息を挟みながら港町に到着したのは日が昇り始めた頃だった。
シェルシェール・ラ・メゾンを出発して二十時間ほどが経過していた。長距離の運転にもかかわらずヨゼフィーネは一切の疲労も表さずに携帯電話を開き、メールを打ち始めた。
返信文を見ながら車に搭載されているナビに住所を打ち込み、車を再び走らせた。
目的地は町の端にある、船着き場を見渡せる鮮やかなレンガ造りが印象的な屋敷だった。
「依頼主はこの町の町長よ。元魔術師だった人で、知識豊富な人だから色々と学べる話を聞けると思うわ」
二人で車を降りると、タイミングを見計らったように屋敷の両開き扉が開き、中から頭髪のない朝日を反射させる老人が気さくな笑顔を浮かべて迎えた。
「ヨゼフィーネちゃん、久しぶりだね。わざわざ遠い場所からごめんね、朝ご飯とお風呂を用意してあるから、其方のお嬢さんと済ませちゃって。話はその後にゆっくりと」
「お久しぶりです、師匠」
「……師匠?」
ヨゼフィーネは確かに老人を師匠と呼んだ。
「ええ、そう。この方は今回の依頼主でもあり、私を魔道へ引きずり込んだ張本人よ」
引きずり込んだ。まるで自分の意思ではなく、魔術師の道へ引っ張り込まれたような言い方だった。この二人の関係は自分と柊のような多くの師弟関係とは異なるのだろうか。
「お師匠様からの依頼だったのに、クラウス様や聖羅に任せようとしていたのですか?」
「任せるつもりだった。貴女が過労で倒れなきゃ、ね。だって、私」
ヨゼフィーネは鋭い視線で老人を睨み、驚きの言葉を放った。
「この人のこと、殺したいほど愛しているから」
「……え?」
固まるアレッタに老人はツル禿げの頭部をひと撫ですると、困ったような口調でヨゼフィーネを窘める。
「お嬢さんが困っているじゃないか。まあ、ワケあり師弟ってことかな」
「だからこの仕事を、本当ならばあの二人に押しつけたかったのよ」
「詮索しないほうが良さそうですね」
「そうね。好奇心は猫を殺すから。死ねるならば、まだ救済で片付けられるわ」
「酷いなぁ、ヨゼフィーネちゃんは。さっ、立ち話もこれくらいにして、屋敷へ入ってくれ。我が家のようにくつろいでくれて良いからね。二人分の部屋を用意してあるんだ。最高の長めを堪能できる部屋をね」
アレッタはこの老人から悪意や邪気といった気配を感じ取ることは出来なかった。最近はいい人に恵まれているせいで、幼少期に研ぎ澄まされた顔色伺いも鈍っているのかも知れないが。しかしここまで、ヨゼフィーネが敵意をあらわにするのは珍しい。そして、愛しているという言葉にも、彼女の奥深い憎悪との摩擦がありそうだった。
最初にお風呂に通され、これはまた立派な日本式な大浴場だった。とは言っても、日本を代表する檜風呂や釜風呂といったものを使用したことはないが、テレビで日本を紹介する番組で映されたままの様式が整っていた。
感嘆の声がもれる。
次いで一度は浸かってみたいと思っていた日本式に、感情が湧き上がる。
「ヨゼフィーネ様! 凄いですね! ケロ桶がありますよ! 石で囲ったお風呂も!」
子供みたいにはしゃぐアレッタに苦笑を浮かべた。
「ゆっくりと堪能しなさい。日本本場のお風呂に入りたいなら、日本からの依頼を回してあげるわよ」
二人で身体を洗い、湯に浸かる。
痺れるような、疲労が体外へと流れ出すような感覚が全身を包み、おもわず表情が蕩けた。ずっと激務で本当に自分の時間も作れずにいたアレッタはいま、仕事で出向いたことを忘れてただただお湯を満喫していた。ヨゼフィーネも同様で、表情こそ蕩けはしないが、リラックスしたように息を吐いて、天井を見上げていた。
「ちゃんと読んだわね?」
アレッタを現実に戻す一言に、頷いて返す。
「悪魔使いの被害は、主に漁業に影響を与え、最近では満足に魚が捕れず、漁師を初めとした多くの人が困っています」
渡された資料にはそんなことが書かれていた。
「明朝、私たちは漁船に搭乗し、悪魔使いを探る。悪魔使いの悪例はこれまでに幾つも報告が上がってるの。話してなかったけど、貴女と聖羅の合同初任務、覚えているかしら?」
「……あ、はい。たしか女学校に、ってまさか!?」
「そう。あれが悪魔使い。貴女たちの報告を受けたときは、ただ使役悪魔だと見落とすところだったけど、彼女、クレール・アランは全てを話したわ」
オルグイユ女子校の校長を務めていた、クレール・アラン。学生達からは親しまれてアランママンと呼ばれていた彼女だが、現在はどうしているかはアレッタは知らない。
「本人の証言では、魔術師に力を、悪魔を授けて貰ったというが、契約悪魔は契約者以外の者には従わない。魔術師というのも素人目に見た判断でしょうね。基本的に悪魔の譲渡はできないの。それが一般人ならなおさらね。彼らが欲しいものを捧げられる可能性が低いからよ」
「でも、契約者が代価を支払って、他人の為に働かせるというのは」
「考えられなくも無いけど、まずありえないわ。契約者に利点がないもの。他人に従わせるなんてまどろっこしいやり方なんてしないで、自らの手で行った方が早いからよ」
「でも、可能なんですね?」
「どうして、そんなことを確認するの? ええ、可能よ。でもね、高位の悪魔になればそれだけ必要とする代価も支払いにくくなる。並の魔術師ではまず無理ね。それも、オルグイユ女学校で悪事を働いていたような、そこそこ高位の悪魔ならね」
アレッタは悪魔と契約していないので、そこらへんの事情には疎いが、確かにわざわざ高価な代価を支払って、十分に扱えるかも分からない素人に悪魔を託すのは考えにくい。
「代価って何を支払うんですか?」
「それは悪魔と魔術師の間で取り決められるものだから、それぞれね。契約したいの?」
「あ、いえ、そういうわけではないんですけど……。ただ、ちょっとだけ気になっただけです。それと、高位の悪魔ってどうやって見極めるんですか?」
「そうね。私たちの住む現世とは別に悪魔界、異界、という境界越しに、人間界を挟んで世界が並んでいるの。悪魔界には悪魔が住み、異界には異形が住んでいる。悪魔は人に友好的な勢力が多いけど、異形は全てが人間の敵。一応、裏では対異形としうて協力関係を結んでいるの」
誰がそんな取り決めを結んだのか気になったが、ヨゼフィーネは直ぐに答えを示した。
「アダム・ノスト・イヴリゲン。アダムは全ての悪魔と仮契約をしていて、例外となっているのが最高位の悪魔と呼ばれる、十三世界の悪魔、境界線の悪魔くらいね」
「十三世界? 悪魔の世界は一つではないのですか?」
「そうね。そこまでは詳しくはないのだけれど、悪魔の世界を十三国に分けて、その国一つ一つを統治している強大な悪魔の総称ね。そんな悪魔と契約できる魔術師がいたら、私はその人を人間だと思えないわ」
一つまた賢くなった。
区切りにノ良いところでヨゼフィーネが話題を、アレッタと柊の恋愛関係に至るか云々の恋話に方向転換させた。
こんばんは、上月です
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