魔術師としての歩み始め1-4
まさかの言葉に柊を見上げた。
発光する魔力粒子に照らされている横顔は、見慣れた顔付きではなかった。哀れみに泣き出してしまいそうな頼りない素顔。
己を痛めつけながらも、食欲という欲求に従って生きる異形に、恐れる事も憎悪することもなく、正面から向き合っている。機微に観察しても読み取れない感情を宿した顔色は、どう表現していいのか――それ以前に、彼が発した先程の言葉がアレッタの脳裏に根強く残っていて、思考に集中する事が出来ない。
「どうして、アレがアレッタの中に居たのかな? 異形が人を喰らうことはあっても、人の体内で共存する事例は、これまでに一件たりともなかった。そう、例外が無かった……暴走と同様に」
異形に問い掛けているのか、アレッタに問い掛けているのか。それとも双方へか。
異形は泣き叫ぶだけで返答はない。
「あの、私は……」
答えたくはなかった。
自分の出生の秘密を。
知られたくはなかった。
誰よりも優しい青年に、穢れた我が身の構造を。
「答えたくない事を、無理して答える必要はないんだ。話したい事を話してくれれば、それだけでいいんだよ、アレッタ」
視線は異形に向けたまま、柊は傍らでへたり込むアレッタに、いつもの柔らかい口調で諭した。
この優しさが心地良く、失ってしまう瞬間を恐怖させる。このまま秘密を話さなくても良いと言うが、きっと自分はいつか話してしまう。自分の全てを受け入れて欲しいと願ってしまった時に。
話した後の自分はどの立場にいるのか。
気味が悪いと捨てられる運命と、それでも受け入れてくれる運命。
別れた道を歩む未来はそう遠くない気がした。
「アレッタ。一つ、魔術師として教えなくちゃいけない事があるんだ。魔術はあくまでも、世界真理探究の神秘。殺傷目的に行使する神秘ではないことを覚えておいてね。魔術師として生きていくのなら、ね」
その言葉の意味を理解するのには、優秀なアレッタでも少し時間を有した。その言葉が自分を歓迎しているものだという事に。
「……はい、覚えましたっ!」
一度は魔術師への道を諦めさせた柊は、アレッタへと視線を向け、この先の困難をも乗り越えて行けるかを、その瞳の決意に見抜いた。
「偉いね、流石は僕の可愛い教え子だ。今回は自己防衛として魔術を使うけど、よく見ておくんだよ」
乳白色の魔力粒子が柊の周囲を渦巻き始めた。
これから何が起こるのか。これから自分はどのような神秘を目の当たりにするのか。目の前の異形の存在さえも忘却してしまうくらいの神々しい光景に、生唾を大きく呑み、柊の温かな詠唱を静聴した。
深夜の庭園の空気が変化していく。
「僕の魔術理論は粋――この世全てを形作る情報を固めて識る。理論に沿った媒体が、この結晶。これが魔術だよ」
掌の上に転がしていた小さな結晶を空高く放り投げた。
その結晶を眼で追う異形とアレッタは、同時にその奇蹟に眼を見開く。
月光を差し込んだ結晶は砂のように崩れ、異形の身体へと付着していく。次第にその巨大な頭部から色が抜け落ち、鉱石のように重量を増していく。
宙を浮いていた異形も、次第に増していく自重に根負けして落ちた。
「柊先生、この……生き物は?」
「異形と言ってね。人の住む裏側の世界の住民だよ。魔力の弱い一般人には見えないし、干渉されないけど、彼等が現世に留まる時間が長ければ長いほど、人に与える影響も増幅していき、食欲に駆られて、人を食べてしまうんだ」
そんな化け物が自分の中に居たのかと思うと鳥肌が立つ。
無色の結晶体と化した異形は、柊によって砕かれ、夜空に細々とした破片が風に乗って旅立った。月光を反射する結晶片を見上げると、柊はポツリと呟く。
「明日からまた、キミの先生になりたい。一度、匙を投げた僕だけど、もう一度、先生としてキミに神秘を教えていきたい。どうかな?」
「不甲斐ない生徒ですが、よろしくお願いします。柊先生」
「うん……こちらこそ、不甲斐なくて頼りない先生だけどよろしくね。今度は投げ出さない。アレッタを怖がらせる奴は、僕が払い退けてあげる。だから、思う存分、魔術師としての探求をしてほしい」
怖がらせる奴とは、今の異形のような存在だろうと受け取り、小さく頷いた。
そこで、柊はある事に気が付いた。
「距離、二歩分くらいかな?」
「――ひゃあ!!」
腰が抜けていたにも関わらず、条件反射で立ち上がり、顔を強張らせてさらに二歩分の距離を取る。
黙っていた方が良かったかなと内心で苦笑したが、それでも無理に距離を縮めるのではなく、彼女から歩み寄ってくる将来の楽しみを思い浮かべた。
月光に照らし浮き上がる白い肌を、ほんのりと赤みを帯びて俯く少女が愛おしかった。気恥ずかしく躊躇いと後悔をない交ぜにした顔をするアレッタに満足して。
「もう夜も遅いし、屋敷に戻って寝ようか。僕もあまり夜には強くなくてね。ふぁ~、眠いなぁ」
「柊先生」
屋敷に足を向けた柊が振り返った。
「ん、何かな?」
頬の赤みは消えて、年相応の感情を真面目なものに切り替えていた。
「ありがとう、ございました。助けていただいて、もう一度、先生になっていただいて」
「僕はアレッタの保護者でもあるからね。アレッタの事を守るのは当然だよ。それに、こんな優秀で可愛い教え子を持てたのは、僕としても誇りだし、嬉しいんだ」
「私もです。優しくて物知りな先生の教え子で、とても嬉しいです!」
黒と紫の瞳は見つめ合う。
夜風に揺らされ草花が擦れ合う音は、二人を囃し立てる第三者のようにも捉えられる。だが、二人はそういった関係性ではなく、信頼し合える関係として、時間を忘れて見つめ合っていた。
エントランスホールで別れるまで、勝手に魔術儀式をした事に対して、嗜める程度のお小言を聞かされた。
左右に分かれる螺旋階段を小さな足取りで上り、昨日の出来事を思い返しながら自室に戻る。明日から自分は、本格的な魔術師としての修行に取り組むのだと考えると、際限ない喜びと意欲が溢れ出してきた。
「もう寝ないと……でも」
興奮極まって眠れそうになかった。
仕方なく室内に取り付けられている暖炉で、火を起こしてホットミルクを作る。甘く温かいミルクは冷えた身体を内側から温めてくれて、飲み干した時にはもう眠気がアレッタの意識を引っ張っていた。
睡眠欲が求めるままに、ベッドの上で丸まって瞳を閉じた。
こんばんは、上月です
次回の投稿は19日の21時を予定しております!