疑わしき依頼1-13
道中では異形の群れと何度も交戦を経て、ようやくもっとも濃度の濃い異界中央へとたどり着いた。
何か居た。
しかし、それの姿をしっかりと認識することができない。
人型のようにも見える赤い靄がユラリと揺れて、聞き取りにくい人語を話した。
「世界の防衛システムが働いたか。しっかし、その姿とは幻滅ものだよ。仮にも私の前に立とうとする戦士が、制限を設けられた代替品とはね」
「誰、ですか。私には貴女に対する記憶がありません。世界の外側からの飛来物に、心当たりなんて在るはずもない」
「記憶のほとんども組み込まれていないとは、本体のお前は痴呆にでもなったのかな? あまりにも巫山戯ている。雑兵の群れを引き連れて来たところで、唯一神格である私を御せると? これまでに幾度とも同じ結果を見て、やり直してきた。そろそろ、飽きてくるぞ?」
「何を言って……いるの」
アダムは嫌悪と疑念の表情と視線で赤い靄を睨み付けた。
「私は彼らと共に、歪みの発生源となっているあなたを消滅させます」
「ずいぶんと人間くさい感情を持ったものだ。防衛システムが起動する前のお前については、私は知らないぞ。まあ、本戦ではなくあくまで種植えとしての戦争に興じよう」
来る。
アレッタは自分の内の奥底にある何かが危険信号を発し、咄嗟に柊と聖羅を地面に突き倒して、自身も同じように伏せた。
直後。
背の真上を勢いよく長いモノが駆け抜けていく気配を感じた。禍々しいといよりかは神々しい。まるで天使が羽ばたいていったような余韻を残して。しかし、その神々しい何かは大きな破壊を振りまいた。
何百何千にも重なる人の悲鳴が鼓膜を揺るがしたのだ。
土で汚れた顔を僅かに上げて背後を振り替えると、それは地獄のような光景が広がっていた。アレッタの後ろには何千何万という規模の魔術師と執行会が列をなしていたはずだ。それがどうだろうか。木々を大きく薙ぎ倒した、まるで巨大な蛇の通り道が作られている。そこにいるはずの人々の姿は無い。
柊と聖羅もその圧倒的な理不尽を前に言葉を失って唖然とした。
「おい……、これは何の冗談だ?」
ようやく口にした言葉は単純で意味を持たないものだった。
聖羅の思考さえ停止させる程の現実は重く、討伐軍の勢力を一瞬にして大きく削りとった。しかし思考を停止したのは一瞬のことで、聖羅も柊も飛び跳ねるように起き上がって、魔力を既に全身へ流し、媒体を手に詠唱を終えていた。
当然、アレッタも彼らとほぼ同タイミングでそれを成した。
世界を薄く執刀していく不可視なる探求の刃。
世界のありとあらゆるものを凝固する探求の結晶。
世界に対して己を成長させて対等に触れ合う探求の進化。
刃が、結晶が、植物が、これ以上の損害を被らせるための時間を与えてやるものか、と探求の神秘が猛威を振るう。
気付けばいつの間にかアダムも消えていた。
正体不明の一撃に巻き込まれた可能性もあるが、今は他人の心配をしていられるほどの余裕は誰にもなかった。
だが、膨大な魔力を練り込んで展開させた魔術も、赤い靄は何かをして霧散させてしまった。その正体さえ見抜けない外法に三人の気勢は打ち砕かれる。
「あまり、巫山戯てくれるなよ。存在も不定形、扱う神秘の正体も不明ときた。攻略の鍵だと自負していたアダムも消し飛んだ。あれをどう攻略すればいい!」
苛立ちをぶちまける聖羅は、諦めずに数百数千の執刀を靄に対して突き立て切り裂いていくが、刃物では靄を切ることは出来ない。実体のないものをお前は切れるのか、と赤い靄は挑発した。
激高する聖羅は遂にはやけくそ気味に無駄な魔力を消費していく。
「稲神聖羅か。神である私を殺せる資質を有する血を引くというのに、これが歴代最強の稲神家の魔術師か。常世の時代のどの神さえも殺せないぞ」
「知らんことをべらべらと、耳障りだッ!」
聖羅の魔術は激しさを増す。切れ味を増す。しかし、いかに刃を研いだところで結局は空気を切るような行為に意味は無い。
切れぬのであれば閉じてしまえ、と柊は次々と空気中にキラキラと光る粒子を生み出し、風に運ばれるようにフワフワと赤い靄の周囲に纏わり付くが、此方も効果はなかった。炎を氷に閉じ込めておけないのと同じだ、と出来の悪い生徒に言い聞かせる教師のような口調で柊を責めた。
「本当に存在しているのかさえ怪しいね。聖羅、そろそろ別の手段を」
「うるさいぞ! お前だって効果的な手段じゃないだろうがッ!」
アレッタは動いた。
魔術の手段を捨て、魔術式を即座に構築、展開する。
魔力を馴染ませた空気を高速回転させ乾燥させ、曖昧な着火の理論を混ぜ合わせると、摩擦で炎が生まれ、膨大な火力にまで成長した炎を靄めがけて放った。
「一番、理にかなった手段だ。ああ、だが残念だね。その程度の火力ではこの結界は晴れん」
靄を包む炎さえも霧散した。
為す術も無い。
しかし、そんな時に彼女は現れた。
「なら、私の魔術はどうでしょうね。その結界とやらを剥ぐに相応しい対価を等価を捧げましょう」
赤い靄との間に割って入ったのは、赤い髪と眼をしたヨゼフィーネだった。彼女も全身が土で汚れていたが、難を逃れたことにアレッタは安堵した。
「キャラが被る。赤い人は私だけでいいのにな」
「知りません。そんなこと、どうでもいい。私が合図を出したら、アレに対して最大濃度の魔術を放ってください。いいですね?」
柊は否定した。
「待つんだ、ヨゼフィーネ殿。あれの結界は強固なんだ。あれを剥ぐに同価値のものなんて……」
柊は言い淀んだ。
「ええ、承知しています。しかし、多くの犠牲を払ってしまった。私の浅はかな策に従った結果です。彼らへ報いる為ならば、私は全てを差し出す覚悟があります」
ヨゼフィーネは小さく微笑んだ。
珍しいものを見た柊は動きを止め、しかし、その隙にヨゼフィーネは対価を宣言した。
こんばんは、上月です
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