魔術師としての歩み始め1-3
とても怖い夢を見ていた。
これを夢だと認識できるのだから、眼が覚めるように念じればいい。直ぐに布団のフカフカした抱擁と、太陽の日差しの温かさが、悪夢を見ていたことを忘れさせてくれるはずだ。
目を閉じて悪夢の終わりを願うが、アレッタの願いはいつまで経っても叶わない。
「どう、して……いやぁ。こんなの、見ていたくないのにっ!」
時間概念を無視した再生と巻き戻しを繰り返す。終わりのない惨劇を以って、アレッタの心を壊しに掛かる悪夢。
自分が何度も何度も喰われる映像。
純白の靄がアレッタの四肢を食い千切り、骨を砕いて肉を磨り潰す音が、卑しく耳に刷り込まれていく。
「やめて、ください。やめて……どうして、私ばっかり」
目を閉じて耳を塞ぎ込み、非現実的な悪夢の終わりを待つ。夢の中のアレッタは延々と食い千切られ、復元と破壊の摂理に従い、殺され続けていた。
どの深い闇よりも悍ましい純白の闇。
「アレッタ、しっかりするんだ!」
死を享受する破砕の音と別に聞こえる。
幾度となく安心させてくれた優しい声。
常に自分を気に掛けてくれて、いつも朗らかに笑い、家族として接してくる最愛の青年の呼び掛け。自己主張が乏しく、花を愛でる青年の姿が脳裏に描き出され、声のする方へ手を伸ばす。
「柊先生、助けて……助けてくださいッ‼」
塞ぎ込む殻を脱ぎ捨て、斜光が差す亀裂の入った天上に救済を求め叫ぶ。
必死に此方からも呼び掛け、その小さな手をもがき伸ばす。きっと彼なら自分を掬い上げてくれると信じているから。信じさせてくれるから。これからの人生を自分で選択させてくれるから。
斜光がより強くなり、白い靄を払いのけると、アレッタの意識も白光に溶けていった。
「あ……」
「良かったぁ、目が覚めてくれて。酷くうなされていたから心配したんだよ。身体の痛みは大丈夫? 気分は悪くない?」
霞がかった記憶を探っても、何か怖い夢を見た程度にしか思い出せなかった。とても恐ろしく、叫びあげたい衝動に駆られる夢だったはずなのに、その詳細な内容までは思い出せなかった。
そんな忘れかけている夢より、魔力路の開通儀式はどうなったのか。
アレッタの訴えかける紫色の瞳を見つめている柊は、言い辛そうに顔を一度しかめて見せた。
いったい何があったのか。あの後、自分はどうなっていたのか。魔力が流れる激痛と諸々の障害によって記憶が曖昧だった。
「その、大変に言い難いんだけど。ごめんね、僕はこれ以上、キミに魔術を教えてあげる事は出来ないんだ。いいや、違う。キミは魔術を学ぶべきではないんだ」
「そんな……どうして、ですか」
まさかの言葉に動揺を隠せるはずもない。
あれほど親身に講義をしてくれた相手から、手のひらを返した言葉。
自分の何がいけなかったのか。あの失態こそが原因だというのなら、もう一度チャンスを与えて欲しかった。自分の失点を探り、忙しなく視線を泳がせるアレッタに、柊も心を鬼にして、キッパリと諦めさせなければという意志もあった。
「正直言うとね、アレッタは、その……才能がないんだ」
「才能が……ない。私は魔術師になれない?」
「うん、残念だけど」
「さ、才能は、才能は探求する意欲だって、柊先生が、い、言いました!」
「言ったね。でも、それは魔術師としての才能だよ。キミはまだ魔術師の土俵にも上がっていない見習い。魔術師の才能と、魔術師になる才能はまた別なんだよ……」
信じたくはなかった。嘘だと言ってほしかった。こんな非情があって許されるものなのか。これから先の人生、自分の知らない知識と神秘を習得するはずだった。最愛の先生と呼び慕う青年と共に、自分の理論に従って世界を識るはずだった。
それがこんな形で、こんな早くに瓦解するとは思ってもいなかった。
「そう、ですよね。私みたいな化け物は、人と同じように……同じように、うぐっ……うぅ」
「化け物……? 違うんだ、そういう意味ではなくて」
自分は人間ではない。
人の欲望を満たすためだけに作り出され、不要となれば簡単に捨てられる都合のいい作品。人の肉と異形の肉を混ぜ合わせて形作られた異種配合生物。それがアレッタと言う名を持った美醜の生命体。
「柊先生、ごめんなさい。少しだけ、考え事がしたいので、一人に……してください」
アレッタに何かを言おうと口を開くが、言葉がつっかえて続かせられない。少しの沈黙をして了承した。ゆっくりと椅子から立ち上がり、背を向けて何も言わずに部屋を出て行ってしまった。
こんなのは違うと背を向ける彼に縋りつきたかった。
「あ、ああ、あぁぁぁぁぁぁっ‼ どうしてっ! どうして、私は自分の道を敷けないんですか。これが、無道のフォルトバインに産まれた化物の運命なのでしたら」
なんと救いのない人生だろうか。
枕に顔を強く埋めて泣き叫んだ。
生まれて初めて感情的に涙を流し、顔を真っ赤に染めた。心が落ち着くまで泣き叫んで涙で枕を濡らし続けた。時間を忘れる程に自問自答を繰り返し、結局は答えを導き出せず、答えを提示してくれる者もいなかった。
何がいけなかったのか。
問題の原点に回帰したところで――。
「そうだ……才能がないなら、努力をすればいいんだよね。魔術師の才能があるのなら、努力をして魔術師になって……きっと柊先生もまた、面白い講義をしてくれるはず」
数時間の思考の果てに辿り着いた結論。
コップ一杯の水を一息に飲み干し、静寂を敷く屋敷の廊下を歩く。月明かりが窓から差して埃一つない通路を艶やかに照らしている。
エントランスホール一階に降りると、リビングには人の気配はなかった。玄関脇に立つ大きな振り子時計は午前二時を回っていて、普段なら眠っている時間だ。
もう眠りたくはなかった。眠るのが怖かった。
また、怖い夢を見てしまうのではないかという心細さが、眠る事を忌避させた。
エントランスホール両脇にある二つの螺旋階段は、西通路と東通路に繋がっている。アレッタの自室は西通路の最奥の角部屋。対となる東通路の最奥には柊の部屋がある。東通路と西通路は繋がってはいないので、こうして一度、エントランスホールに降りて向かいの螺旋階段を使わなければならない。
「柊先生、少しだけ待っていてください」
アレッタは東通路に通じる螺旋階段を上り、床に顔を押し当て、扉の下隙間から光が漏れていないのを確認した。夜も遅いのでもう寝ているのかもしれない。そうなれば都合は良かった。
一番手前の部屋は物置として使われている。手鏡とガラス瓶はすぐに見つけられた。息を潜めて忍び足でエントランスホールまで戻り、軋む玄関扉を慎重に抜けて裏庭に向かった。
昨夜の魔術陣は直ぐに見つけられ、消えかかっていないのを確認して中心部に立つ。
魔術詠唱や工程は覚えていたので、難なく同じ手順で魔力を流し込めた。
魔力を魔力路に流した時に襲った激痛を覚悟していたが、それも二度目となると痛みはなかった。身体中を冷たい液体が流れているような心地良い感覚を知覚し、内部から外部に通じる穴を想像して放出する。
「これが、私の魔力……こんなに綺麗なものが、私の中に」
魔術陣を通して現界した魔力は闇夜に生える純白色。
次工程は魔力を自分の身体に慣らすべく、放出した状態をしばらく維持していなければならない。これが中々に疲労を伴う作業で、今まで無いものとして生きていた生身の身体に、新たな熱量を宿すのだから相応の負荷がかかる。
「でも、この作業さえ終わってしまえば……私も魔術師として、柊先生と――ッ‼」
異変を直感した。
体内の奥深い場所から、言葉では形容し難い何かが、外に向かって這い上ってくる気配があった。
「――だ、ダメ!」
必死に自分を強く抱きしめ、得体のしれない何かを放出させまいと努力した。だが、そんな物理的な抑制は功を成すことなく、純白の魔力と共に、魔術陣からその正体をあらわにした。
「キャッ、キャッ!」
無邪気に口角を歪める巨大な頭部をした赤子。
こんな生物が――こんな悍ましい化け物が、自分の中に身を潜めていたことに驚愕した。
闇夜に浮かぶ巨顔の赤子は、母に甘えるように眼を細めて笑い、アレッタを見下ろしている。この後、自分はどうなってしまうのだろうかという疑問さえ抱けぬうちに、大きな口を開けて見せたサメのような形状の牙。
異形の赤子が近づいて来る。
このままだと食べられてしまう。冷たく暗い死がアレッタを呑み込もうとした時——。
「アレッタ、下がるんだっ!」
赤子とアレッタの間に巨大な薄乳白色の壁が広がった。牙は薄壁に突き立てられるが、削り取る事も出来ず、苛立つ赤子は眉根を潜めて耳障りな音域で喚き散らす。
何度も何度も学習せずに壁にぶつかってくる。理性の無い行為はまさに赤子だった。頭蓋が砕けても、顔中を赤く染め上げても、喚き散らしながらアレッタを食べようと攻め立てる。
「無事みたいだね。どうして勝手に、魔術練習をしたのかな?」
腰を抜かして立ち上がれないアレッタの脇に柊が立ち、困った表情を浮かべて微笑んだ。怒る事が苦手で、どうやって説教をしようかと悩んでいるのだろう。異常が目の前で牙を剥いているこんな状況でも、何一つ余裕を崩さない柊が見せた笑みは、アレッタを少しだけ恐怖の重圧を軽くした。
「殺さなきゃいけないね」
彼らしくない一言に、死の恐怖とは別の薄ら寒さで身動きが取れなくなる。
こんばんは、上月です
今回は文字数が少し多いです。
なぜ、アレッタの中から異形が現れたのか。
そもそも、魔力路開通の儀式がどうして失敗したのか。
この二つに共通する『世界真理と魔術式』の津ケ原透理。
彼女もまた無色透明の魔力という、アレッタと同様に伝説色の魔力を有していた。
今後、その理由も語られると思います。いいえ、語ります!
次回の投稿は5月16日の21時を予定しております。