疑わしき依頼1-1
「おい、起きろって。ったく、仕方の無い奴だな」
誰かが自分の身体を揺すって声を掛けるが、自分の意思でさえ動かすことの出来ない身体と、留めておくことも億劫な意識。微睡みの心地よさに埋没していく感覚にこのまま委ねてしまおうと、彼女の声は聞こえてないことにして眠ってしまおうとしたが、何やら不穏な気配を首筋に感じ、うつ伏せる顔をちょっとだけ横に向けて重たい瞼を薄く開けた。
ぼやける視界も少しだけ晴れると、赤茶色の髪と瞳をした綺麗な女性がニタニタと笑って手には何かを持っていた。
「クク、起きないのならコイツを見舞ってやるぞ?」
この人は何をしようとしているのか、という思考と同時にうなじに触れる、身を跳ね起きさせる冷たさ。
「――冷たッ!?」
意識は覚醒した。
赤茶色の髪と瞳をした女性は稲神聖羅。彼女が手に持っているのは氷嚢で、白い白い冷気を漂わせているソレを、机にうつ伏せて眠っていた自分の首筋に押し当てたと理解する。
「何をしているんですか、聖羅!」
「何って、見て分からんのか? 氷嚢をお前の首筋に押し当てたんだ」
「どうして! ソレを! 四日間の徹夜で仕事を片付けた私の首に押し当てたのかと聞いているんです! 私に仮眠も与えてくれないのですか!」
「そう、カッカするな。せっかくの美人面に余計な皺を刻むぞ?」
「だ、誰のせいだと……。ん? それは何ですか」
氷嚢を持つ右手とは逆の左手には黒い封筒が握られていたことに気付く。
聖羅もようやく本題に入れるとソレを机の上に置いて「まあ、要件はこれだ。まずは読んでみろ」と手に持った氷嚢をアレッタの頬に当てた。
「冷たいですから!」
氷嚢を奪い取って、中身を流し台に捨てて、溜息を吐きながら使い慣れた椅子に腰掛けた。
封筒は一度開けられた痕跡があり、既に聖羅が目を通したのだと分かり、分かった上で自分の口から離さずに、これを読ませるあたり何か思惑があるのだろう。
縁起の悪い色の封筒から一枚の紙を取り出して読み進めていく。
「信仰会最高指導者からの依頼、ですか」
「ああ、キナ臭さが漂っているとは思わんか? なにせ一度、こいつらからの依頼を受けて、酷い目にあったからなぁ」
稲神聖羅が六年前に受けた飢えた狼の討伐依頼。しかし、それは聖羅を魔法使いにぶつけ双方が疲弊しきったところで、執行会が両名を執行するというもの。ただ、気になるのがこの依頼主だ。あの頃は信仰会の暗部である執行会が独自に身分を偽って依頼したもの。今回は身分を偽らず、なにより、信仰会の中で頂点に座する人物からの依頼。
「私と、お前と、柊の三名を指名しているな。クク、AAランク三名をご指名とはそうとうな内容なんだろうよ。それより指名料が凄まじいぞ」
指名魔術師のランクに見合った指名料を取られる。
AAランク一人を指名するのに、日本円で換算すると数億から数十億。そこに交通費と依頼に費やした日数も加算される。
「柊先制にはお話されましたか?」
「いや、まだだぞ。お前を弄って飽きたら、話を持って行こうと思っていたところだ」
「話を通す順序が違いますよ。まあ、いいです。一緒に柊先生の部屋に行きましょう」
徹夜続きの気怠い身体を休ませる暇も無く、目先のやっかいな壁へと対処しなければならない。まだAランクだったころの気楽な日々を懐かしく思い返す時もあり、柊とクラウスが仕事を放棄していた間、ヨゼフィーネが一人で仕事をこなしていたというのだから、彼女の仕事の速さには感心してしまう。それと同時に投げだしてくなるクラウスや柊の気持ちも分かる。稲神聖羅は容量が良いのでテキパキと仕事をこなして、自分の時間を有意義に過ごしているのに対して、アレッタは深く考えすぎてしまう性格のため、書類処理に時間がかかる。それでも、普通の人がこなす分よりかは多い。それだけ、この組織に舞い込んでくる書類量が多すぎるのだ。
柊の部屋にはヨゼフィーネとクラウスが共にお茶をしていて、彼らもまたアレッタが加盟した時と比べて歳を取っていた。
そして、なにより驚いたのがヨゼフィーネはまだ二十代だということ。初めて柊の屋敷で会った時はまだ十五歳だったのだ。現在、アレッタと聖羅は二十三となり、ヨゼフィーネはまだ二十九。柊は三十七を控えている。クラウスは見かけが出会った当時よりまったく変わらない容姿。いかな神秘を以てしても不可能とされている不老不死なのではないか、という疑問も抱いていた。
「やあ、アレッタに聖羅。どうしたの?」
柊の歓迎に答えたのは聖羅。
「要件はこれだ。信仰会最高指導者から私とアレッタ、柊を指名した依頼が来てるぞ」
三人の統括者は和やかなお茶会の雰囲気を一変させた。
「どうするね? 柊殿。一応、儂から確認をしてみようか? まあ、これが秘密裏なものであれば否定されるとは思うがね」
「拒否するべきです。信仰会は私たちの敵ですし、かつて、聖羅が騙されて死にかけた時のことをお忘れではないでしょう?」
「まあ、そうなんだけどね。どうしようか。アレッタ、聖羅。キミたちはこの依頼をどう思う?」
「罠だと、思います」
「ああ、罠だな。だが、あえて乗り込んで、思惑を崩してやりたいとも考えているな」
「まずは、その手紙を読んでからだね」
三人の統括者は顔を付き合わせるように手紙を読み進めていった。
こんばんは、上月です
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