魔術師としての歩み始め1-2
空気が澄んでいる。
乳白色の粒子が綿毛のように夜空を舞う。
その美しい光景に身震いしてしまいそうだった。月光を浴びる粒子はキラキラと、青年の足元に描かれた同色の魔術陣から次々と生み出されていく。
「これが、魔力の放出。魔術行使の最初に行う工程だよ」
初めて見る魔術という神秘の基礎。
一面の花園を背に、魔力の綿毛と戯れるように微笑む柊を幻想的だと惹かれていた。ボーっとしているアレッタに柊は、しょうがないなぁと笑う。
「手順はいま見せた通りだから。さぁ、やってみて。大丈夫、怖くはないよ。僕がちゃんと付いているから」
「はいっ!」
チョークで書かれた魔術陣の上に立ち、手に持った手鏡を覗き込む。詠唱は夕飯を食べながら脳内で反復していたので暗記していた。
深呼吸をして逸る気持ちを抑え、覚えたての詠唱を一語一句ハッキリと口に出す。
「我が魂と肉の聖櫃に宿る不変なる魔力よ。我が血液を媒体に全身を駆け巡れ。我が望みを具現せし奇跡の神秘よ、世界真理に我が理よ在あれ」
地面に描かれた魔術陣が発光し始める。
一瞬だけ足元に意識を取られそうになるが、視線は常に鏡の中に映る自分へと向けたまま。
「――痛いッ!」
「魔力が閉じた魔力路をこじ開けながら流れるからね。もう少し痛みは続くけど、我慢して」
「は、はい。私も柊先生みたいに、魔術師になりたいから……頑張ります」
内部の筋肉や臓器が、皮膚を突き破って破裂してしまいそうな激痛が、幼い身体を貫いていく。心臓部分から始まり、頭部と足先に向かって痛みの波が広がる。
下腹部当たりの痛みは凄まじく、涙と涎が地面を濡らした。無様な姿を見られても途中で放棄するわけにはいかない。
痛みがなんだというのか。フォルトバイン家での扱いに比べれば、ぬるま湯以下の生易しい苦痛だったが――。
「あ、あぁ――いや、いやぁぁぁぁぁぁ!」
脳が搔き乱される。
柔らかく瑞々しいゼリーを掻き混ぜるに似た音が、直接聞こえてくるみたいだった。視界が断続的に閃光する。もう鏡を直視している余裕はアレッタにはない。
「――アレッタ!?」
天上を仰ぎ、白目を剥いて痙攣する少女には柊の叫びも聞こえない。
口の端から泡を吹きだし、その色は赤く染まっている。
「そんな、どうしてっ! これまでの検査で、暴走を起こした事例なんて一度もないはずだ!」
予測不能の緊急事態にたじろいだが、最愛の教え子の身を第一に、ポケットから結晶を取り出し、全身へと魔力を浸透させる。
「純なる結晶よ、繰り返し積み重ねる時間さえも封じる静謐な――ッ!!」
掌の結晶が弾け飛んだ。
鋭い痛みに視線を落とすと、手首には赤く細いミミズ腫れが浮かんでいた。
「これは……一体?」
何かが自分の手首を打ち付けた。
正体不明の何かが柊を阻害した。
その正体を探すが、何処にも自分の手首を打ち付けた何かを見つけられなかった。
「柊……先生、私の魔力、見て……ください」
「アレッタ、キミは……その魔力は……」
こんなもの見たことが無い、と生唾を呑み込んだ柊の表情――神々しくも美しいが、蠱惑的に舐める悍ましさを共存させた――純白色の魔力。
魔力の色によって質の格付けがされている。
黒を筆頭に紺や紫といった暗い系統の色は上位色と呼ばれ、希少で重宝される理想色。
純白と無色の二色は、存在しない幻想色と呼ばれ、原初魔力とも表記されている。これまで数千年の魔術史を遡っても一人も存在しない、まさしく誰もが幻想に思い描くしか見ることのできない色。
Sランクの二人であっても黒色をしていた。
「柊せんせ……」
魔力を消費して意識と集中が途切れ、放出した魔力は夜闇に溶けて霧散した。
「アレッタ!」
倒れ伏したアレッタに駆け寄って、その身を抱きしめて何度も呼び続けた。
生きてはいるが呼吸は浅く、真っ白な肌の至る箇所で黒々と内出血を起こしていた。痛ましい教え子の姿を目の当たりにして、自分の不甲斐なさに恐怖を抱いていた。自分が居れば大丈夫だと過信し、何事にも例外は必ず存在する、という視点が希薄だったのが原因だと。
「アレッタ、アレッタ……ごめんね。ごめんね、僕がしっかりと監督していなかったばかりに……」
魔術講義を続けるべきではないのかもしれない、と決意がぶれる。
このまま続けても少女の身に何が起こるか分かったものではないからだ。だがそれ以上に彼女の本質を秘匿にしておきたい理由は、純白色の魔力という探求者の目を曇らせる魔性の魔力にあった。
この事が外部に漏れれば、彼女を狙う輩が必ず現れ続出する。
シェルシェール・ラ・メゾンの他にも魔術組織は数多くあり、世界最大規模の最高ランク魔術師が在籍するシェルシェールを快く思わない組織も多い。もし仮にこの事が周知されれば、彼女は研究材料としてその一生を付け狙われる。そんなことにでもなれば、平穏な日常を二度と過ごすことはできない。
それだけは避けたかった。
「アレッタ、申し訳ないと思うし、非常に残念だけど、キミを魔術師にしてあげることはできないよ」
口や鼻だけでなく目元からも血が溢れ出し、汗と血液に濡れた髪を肌に張り付かせていた。
震える指先で髪を払う。
ぐったりとしている身体を持ち上げてふと思った――初めてアレッタに触れたと。
自分以外の外界に怯えて塞ぎ込む少女は、非力な柊が簡単に持ち上げられるほどに軽く、服越しに伝わる華奢な身体が内包する体温が伝わってくる。
そのどれもが脆く儚いものに感じられた。
抱えたアレッタを自室のベッドに横たえさせ、魔術式による破壊された細胞の修復に取り掛かり、全治させる頃には日が頭上に差し掛かっていた。
「痕とか残らなくて良かったぁ。呼吸も安定しているし、問題はなさそうだけど……さて、どのように説明しようか」
本人意思で魔術講義を辞退してくれれば、柊としても二つ返事で了承するだけだが、アレッタの探求意欲や魔術師になる事への希望が、辞退という選択を選ばせるとは到底思えなかった。
幼い才能の芽を摘み取る事に抵抗はあるが、これから先の将来性を考えればやむを得ない。
魔術師としての道を歩ませていれば、間違いなくその才能を余すことなく開花していただろう。人生の将来性を優先する為に、才能の将来性を潰さねばならない事への決断は、魔術師である柊にとって苦渋の選択だった。
予後の経過を見ながら説得の言葉を幾つも考える為に、寝不足で覚束ない足を引きずりながらリビングを出た。
眠気覚ましの紅茶を淹れに行く為に。
こんばんは、上月です
次回の投稿は5月14日の21時を予定しております