決戦の日
最終決戦の日、朝はとても穏やかで、俺は窓から差し込む太陽の光で気持ちよく目覚めた。
白いベッドからのそりと起きて、淡々と支度を始める。ふと周囲を見回せばずいぶんと広い大理石造りの部屋。庶民感覚を持ち合わせている俺からすれば最初は広すぎて逆に落ち着かないくらいのものだったのだが、いつしかそれにも慣れてなんだか気に入るようになっていた。
ベッド近くに置いてある荷物を手に取り、着替える。青色を基調としたゆったりとしたローブに鉄製の杖。これが俺の標準装備――魔法使いとして活動する、普段着だ。
近くに姿見があったのでそれを確認。黒い髪に黒い目はこの異世界でもそう珍しくはないけど、日本人的な顔立ちはあまり見ない……もし元の世界からすれば『地味』という表現の似合う俺の顔立ちは、魔法使いとして――英雄などと呼ばれていなければ、きっとこの異世界でも埋没していたはずだ。
準備は終わったので、部屋を出るべく扉へ近づく。すると、廊下からどことなく軽快な足音が聞こえてきた。
俺にとって馴染みのあるその音は、どうやらこの部屋の前で立ち止まり……次の瞬間ノックの音が聞こえた。
「――レイト! 起きてる!?」
次に聞こえたのは女性の声。ハツラツとしたそれを聞きながら俺は扉を開け、
「起きてるよ、そっちは大丈夫そうだな」
「もちろん!」
軽快に返事をする女性――白をベースにした衣服は装飾も少なくシンプルなものではあるが、素材に良い物を使っているようでなんだかキラキラしているようにも見える……いや、これは皇帝である彼女が着ているからそう感じるだけなのか。
加え威風堂々とした佇まいにも関わらず、可憐かつ妙に愛嬌のある顔立ちと、肩に掛かる程度に伸ばされた綺麗な茜色の髪。そして天真爛漫な笑顔は見る者を心地よくさせる爽快感が備わっていた。
そんな女性と俺は肩を並べて――といっても頭半分くらいの身長差はあるが――戦うパートナーである。年齢は一個俺より年上で、ついでに言えば元の世界で言う成人を迎えている。俺からすれば正直そうは見えないけど。
「まずは朝食。レイトの好きなものを揃えたから、遠慮せずに食べてね」
「ああ、それはありがたい……腹がふくれすぎて戦えないなんてアホなことにならないよう気をつけるよ」
そんな返答に彼女は満面の笑みで応じる――いつもの朝でいつもの会話。けれど今日、世界の存亡を賭けた戦いが始まろうとしていた。
この俺、塚町黎人が異世界……リーベルア大陸に来てしまったのはとある老人の召喚術式によるもので、高校に入学して少しした時のことだった。これが勇者召喚とかであったなら様になったかもしれないけど、その人物は召喚した俺を実験体にするつもりだった。
彼いわく「貴様には魔法を用いる天賦の才があり、内に抱える魔力も膨大だ」とかなんとか。で、俺を利用して何やら儀式を始めようとした。けれどこちらはそれに抗い……結果、奇跡的に老人の手から離れ、異世界に放り出されることに。ちなみにその老人は風の噂で魔物に食われたとも。同情の余地などなく、ざまあみろとしか思わなかった。
召喚魔法の効力なのか一応人と会話は可能だったのだが、無一文で右も左もわからない俺は初日で途方に暮れ、魔物に襲われた。そこで手をさしのべてくれたのが、現在のパートナーである女性。名はリリーテアル=エリン=イファルダ。愛称はリリーで、イファルダ帝国の第四皇女であった。
花嫁修業など一つもしないまま、剣を極めるべく城を飛び出して武者修行に明け暮れる破天荒な皇女様だった。第四皇女ということもあって王位継承権が遠く、まさにやりたい放題という存在に国側は手を焼いていた、お転婆な女性。
本来ならば皇帝になるなんて天地がひっくり返ってもあり得なかった。けれど今回戦う敵……そいつによって多数の悲劇が生まれ、彼女にまで継承権が回ってしまうことになった。
思わぬ形で皇帝になってしまったのが彼女であり、国家存亡の危機なのに無茶をやっていたリリーが皇帝になったら国はどうなってしまうのか――不安を抱く人は多数いたはずだが、良い意味で期待を裏切られることになる。
彼女の治世は、戦時下という状況ではあったが素晴らしい成果を上げた。今は誰もが皇帝として認めることになり、また命を預けついていくほどとなった。
俺はそうした彼女を支えるパートナーとして強固な関係を築いた。最初は彼女の先導により旅を行い、魔物と戦い、人を助け、また多種族と交流した。そうしている内に様々な異名で呼ばれるようになった。俺が耳にしているものは「英雄」や「魔法使いの王」に、あるいはそれを短くして「魔法の王」など様々だ。
魔法、という概念はこの世界で稀少であることも彼女の発言から知った。この世界には魔力を入れ込んだ武具――人々が『魔装』と呼ぶ物――は多種多様に存在するけれど、俺が行う魔法――手をかざし、自在に炎や雷を操るような技法――を扱える人間はこの世界において希少であり、なおかつ俺ほどの力を有する者は、世界においてほんのわずかというレベルだった。
だからこそ俺は英雄と呼ばれるようになり、リリーと共に世界の命運を担うことになった。リリーからの「私と一緒に死ぬ覚悟で戦って欲しい」という願いを聞き入れ、共に背中を預ける形で最終決戦に臨むのだ。
「――ごちそうさまでした」
手を合わせ朝食を終えると、傍らにいたリリーはうんうんと頷き、
「身支度をしていつもの場所に集合ね」
「わかった。遅れるなよ」
「そっちこそ」
短いやり取りを交わして俺は食堂を離れる。廊下を歩き最後の準備をするべく進んでいると、窓から見える景色に少し立ち止まった。空は快晴。また城はずいぶんと高い建造物であるため、城壁に囲まれる町が一望できる――そうした中で、俺は城壁の外にいる黒い物体を目に留めた。
「来たようだな」
あれが、俺達の敵……通称『闇の王』と呼ばれるものだ。
どういう存在であるのかいまだによくわかっていない。確実に言えることは巨大な闇の塊そのもので、この城すら飲み込む巨大な闇がこちらに押し寄せている。もし町が飲み込まれてしまえば、生物は死に絶え町や城は廃墟と化し、作物一つ育たない不毛の大地しか残らない。
この帝都における住民の避難は既に終わっているけど、俺達が負ければ彼らもいずれ滅ぶことになるだろう。『闇の王』はこの国を含め世界全てを覆い尽くそうとしている。この存在によってエルフやドワーフ、さらに竜といった大陸に住まう様々な種族が……強大な力を持つ魔族や天使でさえ飲み込まれた。今はそうした面々の生き残りが町にいて、俺達の作戦に協力してくれている。
出現した当初は対抗手段がわからず、絶望的だったが……滅んでしまった種族が攻略法を発見した。うごめく『闇の王』には巨大な水晶球のような核が存在する。それを破壊できれば侵攻は止まり、いずれ力を失う……俺達はその核を砕くため、最終作戦を行うことになっていた。
現在、それができるのはこの俺とリリーのみ……これまでの戦いで、俺と彼女は核を破壊できないまでも一度『闇の王』の侵攻を食い止めた実績がある。それは魔族や天使でさえ成し遂げることができなかった偉業。俺達二人がいれば、必ず成功する……そう誰もが口にしていた。
不安はあるし、世界の運命という抱えるものの大きさに多大なプレッシャーを感じることもあった。でもそれをぬぐい去ってくれたのは、パートナーであるリリーだった。
彼女の存在があるから、戦い続けることができた……彼女を守るために、救うために戦うと決めたんだ。
俺は部屋で最後の準備を済ませ、集合場所――中庭に向かう。そこには既にリリーが待っており、戦闘装束に着替えていた。
色合いは相変わらず白で金属的な素材は一切無いが、天使から授かったもので多くの危機を彼女から救った代物だ。
「レイト、やり残したことはない?」
「大丈夫……他のみんなは?」
作戦には多種族の仲間を始め、彼女の側近や城を守護する騎士なども参加することになっているが……ここには俺とリリーしかいない。
「既に外に出ているよ。闇がすぐそこまで迫っているから」
「悠長にしているのは俺達二人だけか」
「最後に主役の登場、というわけ」
その言葉の瞬間、互いに笑う――絶望的な状況であっても、笑おうと呼び掛けたのは他ならぬ彼女。だから俺はプレッシャーを肩にのしかかっても戦うことができた。その笑顔がいつでもそばにあったから。
彼女は異世界からやって来たと語る俺のことを「助ける」と告げ、共に旅をして強くなった。こんな俺のことを信頼し、ここまで来た。
異世界に来てから、およそ三年ほどだろうか……とても長かったように感じるし、あるいは光の如く駆け抜けた気もする。
「レイト、思い出に浸っている暇はないよ」
ふいに、リリーから心を読むかのような指摘が入った。俺は「そうだな」と返事をして、
「それじゃあ、俺達も行こう」
城から郊外に出る城門までは距離がある。よってこの城に備わっている転移術式によって移動する。地面に魔装の技術を応用した術式が刻まれており、その上に乗れば発動するようになっている。城の周辺しか移動できない代物だけど、今回に限っては十分な効果だ。
決戦の地へ向かおう……一度深呼吸をしてから俺は中庭の中央に存在する術式の上に乗った。一人用なので、リリーは後から続く形となる。
「……レイト」
移動しよう、という時になってリリーは俺の名を呼んだ。
「これまでありがとう。こんな……わがままも言う私に付き合ってくれて」
「今更だな。それにお礼を言うのはまだ早いぞ」
俺の指摘にリリーは微笑を浮かべ、
「そうだね。でも今言っておきたかった」
「戦いが始まったら、そんな暇もなくなるからか?」
俺が疑問を告げた時、彼女はふいに俺へ近づき、
「もう――会えないから」
次の瞬間、彼女の顔が近づいたかと思うと、突然唇が塞がれた。
あまりに唐突であったため、思考が完全にフリーズした。キスされたのだと理解した時には全てが手遅れで、俺の体は光に包まれていた。
それは転移ではなかった。魔法使いとして活動し続けた俺ならわかる。これは、
「――送還、術式……!?」
「今までありがとう、レイト」
笑みを見せるリリー。けれど先ほどまで見せていた天真爛漫なものとは違い、別れを惜しむものでとても悲しげに映った。
「わけもわからずこの世界へ連れてこられて、一緒に旅をして……ここまで戦ってくれた。それで私達は十分」
「待てよ! 俺は――」
この世界に骨を埋める気で――そう言おうとしたけれど、何もかも遅かった。
周囲が光に包まれる。声は白い世界に吸い込まれ、リリーに届くことはなく――
気付けば俺は道路に立っていた。周辺は家ばかりの閑静な住宅街。俺は、召喚当初……制服姿で三年間の成長などなかったように……高校生に戻っていた。
「……あ」
声が漏れる。周囲の光景は、元の世界……ずっと前に帰ろうと思わなくなってしまった、平和な世界。
俺はしばし立ち尽くし、ただただ呆然となる……まるで三年間の戦いが夢であったかのように、俺は元の世界へと戻ってきてしまった。