cat o' nine tails
幾つかの条件付きではあるが、軍の野営が認められた。条件というのは、連絡役のアニエスとドスタン以外は村に入らない事、野営は一日限りである事、の二点だった。
酒場から戻ってきたバーンズが村の意見を伝えると、意外にもドスタンは条件を快諾した。
「それでいいだろう。我々も文明人同士だ。原住民のように裏切ったりはせん」
ドスタンが軍曹に命じると、兵士はバーンズの指定した郊外の放牧地に集合した。彼らは各自のテントをいっせいに広げ、設営の準備にかかった。
「これでお互い安心して寝床につけるというもの。それと、殺された牛の件についてもゆっくり話し合いたいものですな」
「それについてはこちらから提案がある」
「なんですかな」
「残念ながらこちらも牛一頭に見合うだけの対価を持ち合わせてない。そこで関係者の処罰だけでも先にハッキリしておきたい」
「よろしい、具体的には?」
「なに。ちょっとした余興だよ。良かったら君たちも是非見て頂きたい。なにせ、こういった田舎には娯楽が少ないだろうからね」
その時のドスタンの下卑た笑いにバーンズは心底肝を冷やした。彼の隣に控えていたアニエスはなんとも言えない複雑な表情をしていた。
「実は刑の準備はもうできているのだ。……集合のラッパを」
馬上のドスタンの命令でラッパを手にした兵士が単調なメロディーを奏でる。テントを組み立てていた兵士達がぞろぞろと集まった。
「大隊! 整列!」
見事なあごひげを蓄えた古参らしい兵士が叫ぶと、兵士たちは横一列に整列した。そして上半身裸の五人の男が銃で武装した兵士たちに連れられてきた。
「これより懲罰を執り行う。曹長、罪状を読み上げろ」
ドスタンの命令を受けた兵士が無言の敬礼で答え、軍法典を片手に朗々と読み上げた。
「陸軍軍法第一一条、軍規を著しく乱し、知恵と理性の守護者、星の恩寵によるラゴールの王の名を貶める行為を行った者はこれを罰す」
「鞭打ち、三六回。階級および全ての褒章の剥奪、軍からの放逐」ドスタンが平坦に言った。
さきほどのひげの軍曹によって衆目の前で彼らの階級章と勲章が剥ぎ取られ、地に打ち捨てられた。
それが終わると今度はムチを持った一際大きな男が現れた。
彼の持つムチの先は革製で九本に枝分かれしており、これが一振りの痛みを何倍にも増す。哀れな受刑者達は一人ずつ木の幹に縛り付けられ、背中を晒した状態でムチ打たれた。
最初の男は牛を殺した張本人だった。軍曹が一つずつ数を数える度、ムチが振るわれた。
一回目の悲鳴は大きかった。それは次第に弱まり、十回を越えた辺りからうめき声に変わった。最後の五回は気絶したままだった。背中は赤熱した鎌で引っ掻かれたように赤く腫れあがり、おびただしく出血していた。
刑は順次執行された。この間、全ての兵士達は目を背けることを禁じられている。アニエスも硬い表情でそれを見ていた。
村人たちも最初は珍しがって見ていたが、鞭打たれ、疲弊する彼らを見て声も出なくなった。
五人の鞭打ちが終わると、彼らは再び兵隊達に髪をつかまれ引きずられて消えていった。
「いかがかな。納得出来なければもう十二回ばかり――」ドスタンが硬直するウォルターの顔をうかがう。
「もういい、彼を許すから!」やっとの事でウォルターの喉から出た言葉だった。
「それは、それは」
ドスタンはその場に居るすべての人間の注目を集めるように馬を巡らして言い放った。
「軍の規律を乱す者は誰であれ処罰される! 明日は我が身と心得よ!」
「……曹長、解散を」
「大隊! 解散!」
兵士たちはバラバラに散って再びテントの準備に取り掛かった。
ドスタンはバーンズに馬を再び近づけた。
「誤解しないでほしい。軍には厳しい規律が必要とされるのだ。規律の無くなった軍隊がどうなるか想像しただけで恐ろしい」
「今、ワシの目の前で起きた事はそれに劣らず恐ろしい事だと思うがね」
「そうか? だが処罰は君たちが望んだことでもあるのをお忘れなく」
「……むう」
「ところで、今夜一緒に食事はどうかね。自慢になるが、私のコックはいい腕をしている」
「大変ありがたい話じゃが……」
「まあ慌てるな。村に関する重要な案件について話し合いたい。我々が此処に来た本当の理由だ」
「なんじゃと?」
「ラゴール領総督直々の命令だ。検討してほしい」
「ここは辺境とはいえ、アングリアの村じゃ。勝手なことは出来ん」
「その時に詳しい話をしよう。……ああ、それとこの村にロタラン中尉の命を助けた若者が居ると聞いた」
「彼も是非とも招待したい。礼は尽くさねば紳士の名折れ。それに彼は毛皮の貿易に通じているとも聞いているのでね」
「彼は投獄中じゃ」
「こちらの提案は確かに伝えたぞ」
ドスタンはそう言うと一際大きい自らのテントへ戻っていった。
その後、夕暮れを迎えるまで、村は至って平穏だった。心配された兵士と村人のトラブルも無かった。
最初はぎこちない挨拶を交わすだけの両者だったが、兵士の一人が自分の持っているタバコと村の食料を物々交換しようと、身振り手振りで取引するものがいないか尋ねた。
村人の中にラゴール語の分かる者が何人かいて、その中の一人が鶏を逆さに持ってやってきた。
大半の村人は警戒して近づこうとも思っていなかったが、それ以上兵士たちを刺激することもなかった。
やがて静かな夜が訪れる頃には、村人たちはすっかりこの奇妙な隣人の存在に慣れてしまった。もともとラゴール人の村も近くに点在するこのあたりの環境では、過剰に反応することもなかったのかもしれない。
ドスタンとバーンズの取り決めによって、唯一村に出入りすることを許されたアニエスは連絡ついでに村落を歩きまわって珍しそうに見物していた。
彼女はその可憐な容姿と、何よりアングリアの言葉が話せるという理由で村人から興味を持たれ、彼女の周りには自然と人だかりが出来ていた。
アニエスはその中からキアラを見つけると彼女の方へと近づいていった。キアラは警戒してはいるものの、さきほどアニエスを怒らせたのを負い目に感じてか素直に応じた。
「調度良かった」
「皆と話なんかして、あなたやっぱりスパイなんじゃないの?」
「ミス・ファーガソン。脅かさないでください」
「そんなに村の連中が珍しいかしら?」
「ここの人達はみんな活気がありますからね」
「森を開墾すれば、誰でも自分の土地を持てるのよ。それに大陸の小作農と違って、みんな自分の土地で取れたものだから自由に売買できるの」
「大陸ではあまり見かけない光景ですね」
「この近くにはラゴールの村だってあるでしょ」
「ラゴールは半島に近いので近隣の農家は中央の支配が効いてます。アングリアは島国だから、ここまで来るのには二ヶ月はかかるそうですね」
「そういうこと。それより私に何か用かしら? 散歩しに村に入ってきたわけではないでしょう?」
「そうでした。ドスタン大尉から、あなた方を夕食に誘うよう言付かってます」
「それなら村長に伝えておくわ」
「いえ、貴方も招待されてるんです」
「私?」
キアラは驚いた。自分にはほとんど関係ないと思っていた事だったのだ。
「村長、貴方の父上、今回の被害者のムシュー・ハウンズ、そしてアルヴィン・ウォーデンもです」
そう言ってドスタン直筆の招待状をキアラに差し出した。
「ま、まあ、ずいぶんと招待して下さるのね」キアラはおずおずと招待状を受け取る。
「大尉が幕舎でお待ちしてます」
キアラの小言も意に介さず、軽く会釈をしてアニエスは野営地へ戻って行った。