隠された騎兵
隊列後方の鼓笛隊が軽快な行進曲を奏で、男たちは前へ前へと、歩き始める。
戦いをするにはあまりにも呑気な太鼓と笛の音だったが、訓練中に彼らの中に刷り込まれた行進曲は死への恐怖を誤魔化し、兵士の心のなかで『戦闘』は目の前の敵まで前進する、という単純な目的遂行のみに取って代わった。
堡塁から出てきたマーロウ大隊を見た敵兵は、その不可解な行動に驚き、ラゴールの士官はその行動を勇気の表れと見て取った。
海兵団は一時前進を止め、士官が前に歩み出て丁寧に帽子をとって敵の民兵にお辞儀することによって民兵の勇気を讃えた。
貴族士官の騎士道精神などマーロウには関係なかった。敵に早く接近し、射撃体勢を整えようと必死だった。鼓手の叩くペースは上がっていき、もはや走っているのとほとんど変わらなかった。
マーロウは隊列の右端に移動し、前進八十歩の所で停止を命じた。相手の射程に飛び込むより、敵が前進して射程に入るのを待ちたかった。
白と茶色の隊列がお互いに向き合う中海兵団は整然と前進を再開した。既にお互い敵の表情がわかる距離だ。
アルはお互い鏡合わせに制服の違う自分をみているような奇妙な錯覚に陥った。
マーロウは間をおかずに命じた。
「用意!」彼が叫ぶと全員が復唱した。最前列は立膝の体勢となり、お互いの肘がぶつかるくらいに密集する。銃を右脇に掲げ、撃鉄を完全に起こして射撃に備える。
アルはためらった。手元のマスケットでは射程に届いてないと思ったからだ。
(早すぎる、これじゃかすめるだけだ!)
「構え!」
だが、号令は続けられた。無数の銃口が敵兵に向けられ、アルも命令違反を恐れて仕方なく銃を構えた。目の前の敵の兵士が十字を切り、顔をひきつらせる。
「撃て(ファイア)!!」
民兵のマスケット銃が一斉に火を吹いた。三列の焔の波が光り、まるで巨大な爆竹を鳴らしたかのような凄まじさだった。あまりの音にアルはしばらく耳鳴りが収まらなかった。
アルは撃つふりをして、他の兵士に合わせて『用意』の姿勢にもどった。
この一発は仲間達の元に戻るのに絶対に必要だ。この混乱する戦場で次に装填する機会など無いかもしれない。
敵の隊列は一斉射撃を受けてわずかに乱れた。数人の男たちが呻き声を上げてその場に崩れ落ちていくが、生き残った兵士達が欠けた隊列を埋めて、なおも前進してくる。
「敵が止まらない!」
「早すぎたんだ!」アルはマーロウを見た。彼も自らの過ちに気づいたようで、苦い顔をしている。
マーロウは大きなミスを犯した。彼は先手を取りたいが為に、有効射程より遠い所で射撃を命じた。結果、放たれた銃弾は僅かな敵を減らしたに過ぎず、かえってラゴール兵の敵意を煽る事になってしまった。
静かな怒りを湛えた敵は、太鼓のペースから外れることなく着実に接近する。
「再装填だ! 騎兵が来るまで耐えろ!」
マーロウはそう叫ぶ。もはや彼にはパケナムの突撃しか希望はなかった。
「再装填!」軍曹たちも叫ぶ。兵士達は紙薬莢を弾薬盒から取り出すと、先端を食いちぎって火薬を入れていく。次々に紙の切れ端が散った花びらのように空を舞う。
銃弾を取り落としたり、操作を間違える者もいて、装填はかなり時間が掛かった。マーロウは焦りを見せながらパケナムが来るのをずっと待つが、馬のひづめが大地を叩く音は未だに聞こえない。
向こう側の太鼓の音が止んで敵が止まった。敵も同じように最前列が立膝をつくとこちらに撃ってきた。
「撃て(ティレー)!」
目の前が赤く光り、硝煙が惨劇を覆い隠すように戦場を漂う。先ほどと何ら変わらぬ爆音。ただ違うのは、ヒュッ、ヒュッ、と何かが飛んでくる音だ。
アルの右隣に立っていた男が弾を受け、悲鳴とともに崩れ落ちた。アルはそれを見て思い知った。自分が死ななかったのは全くの偶然だったのだと。
(デイヴは?)
左隣を思わず確認した。デイヴは目をギュッと閉じて恐怖に凍りついていたが、傷はないようだった。
目を開いた彼がアルの視線に気づいて言った。
「俺達はまだ生きてる」
「ああ」
二十人以上の男たちが敵の凶弾に倒れた。敵も斉射を終えて再装填を急ぐ。戦場は双方共に装填を急かす下士官の怒声と、必死の兵士達の漏らす震えた声が支配していた。
「再装填はまだか、サー・ジェイムズは……!」マーロウは懐中時計を何度も確認した。
丘の湿った風が小さなラッパの音を運んできた。
マーロウは何度も繰り返される音が騎兵の突撃ラッパだとすぐに分かった。音はだんだん鮮明になり、窪地から騎兵のうねりが突如として姿を表わした。
「騎兵だ! 彼は約束を守った!」
絶好のタイミングだった。海兵団は動揺して無防備な側面を晒していたし、騎兵は大地に立つものすべてを蹴飛ばさん限りの速さで突進している。パケナムは興奮気味にサーベルを振り回していた。その叫び声はアルの耳元まで届いた。
「続け! 都市の守護者、冒険者の息子たち!」
パケナムは声を枯らし、裏返った声で叫び続けた。その必死の姿はどこか滑稽だった。
「敵を引きつけるぞ、装填でき次第、各個に撃て!」
まばらな射撃が続いた。敵を壊滅させるには程遠いが、それでも敵が騎兵への対処を遅らせ、邪魔するのに十分だった。敵の大尉もどちらを攻撃していいか分からず戸惑っているようだった。
この拙い突撃はほとんど成功する寸前だった。アルも堡塁を出た時とは全く違う、ある種の期待を抱いていたのも事実だった。
「ヒャッホウ、やったぞ、アル。これで敵は細切れにされるぞ」デイヴを始めマーロウ大隊の人間は歓声を上げていた。
「ああ、信じられない」
あるは騎兵を見て感じたた。ずいぶんと派手に土煙を上げているな、と。
まて。土煙が多すぎる。それに何か嫌な予感がした。
「パケナムの後ろを何かがつけているぞ」
突撃する義勇騎兵隊の後ろを土煙に隠れるように追いかけてくる影がある。
土煙を破って現れたその姿は紐飾りの付いたジャケットに、右肩にマントのように掛けた上衣が翻っていた。
ラゴールの軽騎兵。その先頭を行き、馬を巧みに操るその男に、アルは見覚えがあった。
「ドスタンか!」
「なんだって?」
「敵だ、敵の騎兵が後ろにいる。挟み撃ちにされる!」
敵の騎兵は全員がサーベルを抜き放ち、腰を浮かせて突撃の姿勢をとった。その水平に据えられた刃は陽の光を浴びて光った。それはまるで獲物を狩る無数の獣の鋭い瞳の光のようだった。




