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兵卒の手習い

「大隊! 右向けっ、右!」

 軍曹のがなり声が練兵場に響き渡り、茶色や浅葱色の様々な布が揺れる。銃を担いだ男たちが一斉に動く。動きはまばらで緩慢だ。

「そこ! お前、右と左もわからんのか!」

 昨日の痩男が回る方向を間違えて軍曹に叩きのめされていた。皆、それを横目に見ながら間違えた男に心のなかで悪態をつく。

 ひたすら訓練の日々だった。

 訓練の大半は『歩くこと』に集中した。

 整列、行進、隊形転換。

 戦列歩兵は上官の命令一下、部隊がひとつの機械のように整然と動くことが要求される。戦場で勝利を収めるには横隊での一斉射撃を相手に先立って行えるかどうかにかかっているからだ。縦隊で行進し、敵を見つけたら素早く三列横隊に転換、射程まで近づいたら一斉射撃を行う。騎兵が来れば方陣を作る。

 必要なのは命令に反射的に反応する兵士だった。考えるよりも先に手足が動く。よく調教された馬のように、とはよく聞く軍人の言葉だが、本当に動物を飼い慣らすように兵士達は鞭打たれ、ひたすら歩かされるのだ。

 だが、マーロウ大隊は機械でもなければ、良く飼い慣らされた馬でもなかった。寄せ集めには時間が足りなかった。行進もペースが揃わず、肝心の銃の装填動作も遅い。一般的な戦列歩兵が一分間に三発撃つのに対して、この大隊では一分間に二発が限界だった。おまけに弾薬節約の為に実弾を使った射撃訓練は一度も行われていない。

 その日は一日、ひたすら行進と隊形転換の訓練が行われた。そして一日が終わり、兵隊は解散してめいめいに靴を磨いたりしている。

 アルは手始めに曲がった銃剣を直すことにした。大きめの平らな石の上に銃剣を置くと、銃床で思いっ切り叩いた。

 ガチンと大きな音と同時に、硬いが確かな手応えがあった。そのまま何度か打ち付けていると、元通りには程遠いが、なんとか直線状になった。

 微妙に波打った三角の刃先が蛇の舌のようで気味が悪いな、とアルは思った。

 一緒にいた痩せ男がオロオロしているのを見て、アルが声を掛ける。

「調子はどうだい」

「俺の銃には槊杖がないんだよ。需品係に言ってもまともに取り合っちゃくれねえ」

「死んだ兵士から奪うか?」

「冗談じゃない」

「どうせ何百人と見て回るんだ。バレやしない」

 アルは肩をポンと叩くと自分の槊杖を取り出して、彼に与えた。

「いいのか?」

「ああ、最悪なくても撃てないことはない。銃剣は使えるし」

 どのみちこの銃で二発目を撃つことは無いだろうとアルは思っていた。

「助かる、相棒」

「相棒だって?」

「そうさ、縦隊なら前後、横隊で左隣って気づいてないのか」

「すまん、気が付かなかった」

「悲しいなあ、まあいい、とにかく助かった」

「ああ、そういうことなら戦場でも槊杖を貸してもらうさ」

「あんた、少しお人好しだよな。気に入った。俺はデイヴィッド、デイヴィッド・ステイシーだ。デイヴでいい」そう言って彼は握手を求めた。かれの屈託のない笑顔をみて、この部隊の殺伐とした空気に疲れていたアルはその手をとって答えた。

「アルヴィン・ウォーデンだ。よろしく頼む」

「アルって呼ばれてるだろ? そう呼ばせてもらうぜ」

 そう言って彼は槊杖を自分の銃に収めるとどこかに歩いて行ってしまった。アルは相棒、そう言われて悪い気分ではないなと思った。


 横隊で並んだ兵士達の前に現れたのはマーロウだった。

「明日、マクルーアン総督を始め、軍の司令官たちが来て査閲がある。全員装備を再点検せよ。軍曹」

「サー!」例の軍曹がくるりとマーロウの方を向き、非の打ち所がない敬礼をした。

「この寄せ集めどもが、少しでも見栄え良くなるように」

「了解しました、サー」

 軍曹が再び敬礼をするとマーロウは馬に乗ってどこかに行ってしまった。その場にいた全員がそれを見ていた。

 大隊の教育はほとんどこの男に任されているようだ。アルは列の後ろから彼を見てそう思った。

 そわそわとした空気が大隊に漂っていた。数日中に戦いが始まると誰もが感じていた。アルの近くで不安を紛らわすためか小声で無駄話をしているのがアルにも聞こえた。

「なあ、査閲ってなんだよ」

「お偉方が俺達がちゃんと仕上がってるか見に来るんだよ。前にいた連隊でもやってた」

「お前、ほかの軍隊にいたのか」

「おっと、今のは内緒だ。バレたら銃殺か、縛り首だ」

 そう言って男たちは再び口をつぐんだ。

 軍の偉い人間が来るのか。アルはもしかしたらアニエスも、と考えていた。一瞬、彼女やマクルーアンに頼んでここから出してもらうように頼んで見ようかと考えた。

 だが、それは得策ではないとすぐに打ち消した。彼女は今、騎兵の束ねるべく奮闘している。他人の目もある中で、身内を贔屓したらなんと言われるだろうか。

 自分の活路は自分で見出さなければならない。アルは奇妙の思い込みに取り憑かれ初めていた。戦場の混乱が状況を打破する鍵になると。

 今は耐えるのだ。すべてが価値がひっくり返り、破壊のるつぼに落とし込まれる時まで。すべての混乱はチャンスに変わる。

 待つんだ。会戦のその時まで。アルは自らにそう言い聞かせると、軍曹が解散の合図を告げるのを聞いて、自らのテントへと戻った。

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