消えた大隊
野戦食堂のすぐとなりの樹木に男の死体が三人分、吊るされているのが目に入った。
こんなものが目に入ったら飯もまともに食えやしないとアルは思ったが、ここの連中はそんな事もお構いなしに、まずそうなトウモロコシの粥に手をつけていた。
アルは二人の兵士に乱暴に連れられてマーロウ大隊のテントが集まる場所に着いた。既に集められていた数人の男たちと共に一列になってだ。
犯罪者集団とも言うべき彼らの間に、軍隊という厳しい規律がかろうじて保たれているのは厳しい罰則によるものだとその時に分かった。
どの軍隊でも基本的には同じだ。鞭打ちや縛り首の恐怖によって兵士達の自由な感情を奪い、マスケット銃の装填と行進の途方も無い訓練の繰り返しによって戦列歩兵は機械仕掛けの大きな怪物になる。
それでも、ここのやり方は想像をはるかに超えていた。
アルは正規兵の赤い軍服を着た男の前に立たされる。囚人部隊と言っても建前上、全員が正規兵だ。そうでなければ規律を保てないと、大体の士官将校は考えているようだった。
その他大勢の兵士達も汚らしいが赤い軍服だった。
どうやら目の前の男は軍曹らしい。下卑た笑いを浮かべ、アルの身体をくまなく調べた。
裸にされ、胸、腹、背中、股間の一物から手足の指があるかどうか。その顔に反して極めて事務的に検査は進む。
そして一番大事なのが歯。彼はアルの口に容赦なく指を突っ込み、歯にかけるところがないか素早く乱暴に調べる。
よし、という言葉とともに男が帳面にサインをすると、同じように他のもの検査する。一人だけ歯抜けの男がはじき出され、どこかへ連れ去られた。どこに言ったかは知りたくもなかった。
アルを含めて残った人間は一回り大きい将校用のテントの前に横一列に並ばされた。
先ほどの軍曹が列の右端に直立不動で立つ。
テントから将校風の男が一人でてきた。おそらく彼がマーロウだろう。他の連中に劣らず悪党顔をしていた。だが戦い慣れているようだ。制服の金のモールはくすんでいたし、レースはほつれていた。
「本日入隊する者です、大尉!」軍曹が狂ったように大声で報告した。
「よろしい」そして一人ひとりを見ながら言った。
「ようこそ大隊へ。君らは本来なら受けるべき刑の執行を免除された。そうだろう? だが大して変わらない。ここでは一ヶ月に十人に一人の人間が死ぬ。その中の半分が縛り首で、もう半分が兵隊同士の喧嘩だ」
沈黙。彼は構うこと無く続けた。
「だが、君たちは運がいい。もうすぐ我が大隊は初めて実戦を経験する。今まで戦死者はいないが処罰で死んだ者は数え切れない。それを考えたら、君ら、運がいい。名誉の戦死なら余程国のためになる。まともに訓練してなくてもな!」
そして彼はテントの幕を上げて中をこれから兵士になる男たちに見せた。そして中から大きな布のような物を取り出した。
それはとても大きい旗だ。
縦と横の長さは同じで、アルの身長と同じかそれより少し大きい。深い緑色の生地に金糸のモールで縁取りがされ、中央には天秤をバラのリースが囲んだような形のシンボルが色鮮やかに刺繍されていた。
「これが我が大隊の軍旗だ。民兵には軍旗は与えられ無い。だが我々にはある。ただ単に隊の居場所を示すだけのものではない」
そう言って彼は旗を繰って全体を見せた。金の刺繍がそのたびにきらきらと光る。
「これは大隊の団結精神の象徴であり、軍旗こそが大隊であり、諸君なのだ!」
彼は咳払いを一つして、しゃべりすぎたと言うように最後に言った。
「戦いを生き残り、大隊にとどまる限り刑は延期される。やるべきことをやれ」
彼は再びアル達を見回してから、自分のテントの方に帰っていった。
どうやらとんでもない所に来てしまったようだ、とアルは思った。以前から軍隊というのは食い詰めた者か、永遠に思える単調な農作業に飽きた農家の少年が夢を見て騙されて入るような所だとバージルから聞いていたが、ここはそれどころではない。本当の掃き溜めのようだ。
刺青に焼き印、頬の深い傷。回りにいるどの顔も街なかであったら絶対に関わりたくないような、邪悪な顔つきをしていた。
アルはそんな連中のたむろするテントを通り過ぎ、装備品を受け取りに武器庫へと連れられた。
「各自、装備を受け取れ! 早くしろ!」
例の軍曹が叫び、一人ずつ倉庫の中に入っていく。そこから需品係の兵隊から装備を受け取ったが、これがまた酷かった。
支給されたはアングリア兵を示す赤い軍服、三角帽、白いズボン、プラグ式の銃剣、三六発入り弾薬盒一つに銃剣と弾薬盒を吊り下げるためのベルト、そしてマスケット銃。
「これでお前らは立派に女王陛下に奉仕する兵士だ」
これだけで兵士というなら、アングリアに住む開拓者はほとんど兵士ということになる。
備品を受け取るとあとは解散とばかりに放り出された。逃げようと思えば逃げられる。
そう思ったが、そこは抜かり無いようだ。パケナムの騎兵たちが銃を手に見張っていた。
「あいつ俺達に撃たれても知らないぜ」一緒にいた男の一人が吐き捨てた。
「それは無理だな」アルは男の手にするマスケットを見ていった。
「なんだと?」逆上する男に構わず、アルは自分のマスケットの銃口に手を突っ込んで言った。
「この銃は最悪だ。最後に撃った後、まともに手入れしなかったのか火薬にやられてボロボロだ。次撃ったら暴発するかもしれない。それにあんたのマスケットは燧石が割れてるからまともに撃てない」
「お前さん、ずいぶんと詳しいな」別の痩せて背の曲がった中年男が話しかけてきた。
「まあ、な。半島じゃ珍しいことじゃないと思うが」
「馴染めなかったんだよ」
「ん?」
「ここにいる連中は、大体が夢を求めてアングリアの貧民街から移住してきたんだ。だけど農作業なんてしたこともない、だからすぐに失敗して盗人やる以外に道がなくなっちまったんだな」自嘲気味に話す男に何故か親近感を覚えるアル。
ああ、俺もそれ以外に道がないから密猟をしていたんだ。
「そうかい……。ああ、ちなみにあんたの銃は槊杖がないから弾を込められないぞ」アルは痩せた中年男の銃を指さして言った。
「これじゃあ、敵のいい的ってか!」
「銃が撃てないとなれば銃剣に頼るしかないな」そう言ってアルが抜いた銃剣は先端がぐにゃりと曲がっていた。これでは豚も殺せない。
他の連中のも似たり寄ったりだった。刃こぼれだけならまだマシで、リングが歪んで銃身に装着できない物もあった。
「くそっ。俺達に何がさせたいんだ、連中は!」
「軍隊は俺達にまともに戦争させようなんて腹は無いだろう。これは消極的な処刑さ。あわよくば他の連中の弾除けになれば済むぐらいの、な」
アルは赤い軍服を見ながら思った。服にはいくつかの穴が空いている。ちょうど弾丸の直径に近い。きっと死んだ兵士から剥いだものだろう。
その場にいた皆が暗い気分になった。夜になると誰もが焚き火を囲んでいたが、それ以来ほとんど口を利くこともなかった。