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忘れられた傷

「またせたな」

「さあ、行きましょう」馬で一足先についていたアニエスが入り口の前で待っていた。アルは馬に乗れないので一緒には行動出来なかった。

 アルは再び総督官邸に来ていた。あれからアルは街の郊外の農場跡に身を寄せる事になった。アニエスは貴重な騎兵の正規士官として、街にとどまるよう請われた。

 その後、敵の侵攻は確実となり、グレートティンバー入植地でも戦いに備え会議が持たれる事になった。

 最初、アニエスは街で馬車を捕まえようと言ったが、狭い車内で二人っきりになるのはアルの方が気が引けた。結局こうして歩いて来て、待たせるのもバツが悪い思ったがもう遅かった。

 ここに来るのは二回めだったが、やはり元々が砦だけに両開きの門扉には結構な威圧感を感じる。戦争が目前とうことで、建物の至る所に軍の衛兵が立っていた。

「なぜ俺が呼ばれた?」

「表向きは村での事件について聞き取りがあるということだけど」

 二人が応接間に通される。アルはその中にバージルの姿があるのを見つけて驚いた。服こそ猟師の格好をしてはいたが、腰にサーベルを下げ、士官を示す赤い腰帯をつけていた。

「おっさん、その格好はどうしたんだ?」

「軽歩兵中隊の隊長に任命された。今は民兵大尉だ」

「貴方は引き受けないと思っていました」アニエスも驚きを隠せないようだ。

「ウォルターも竜騎兵ドラグーンに志願した。マクルーアン総督はグレートティンバー民兵連隊の連隊長、今の苦境は皆の物だ」

 ウォルターが騎兵に志願? アルは驚きの目でアニエスの方を見た。

「黙っててごめんなさい。でもアルには内緒にして欲しいって」

「そっか……。なんだか俺だけ何もしてないみたいだ」

「うちの隊に入らないか? 射撃の腕の立つ人間を集めてる。お前の腕なら十分に戦えるぞ」バージルがアルの肩を叩く。

「よく考えた方がいいわよ」

 扉の前に立つ従兵に声を掛けられ、三人は応接間を抜けて今は臨時の会議室となっている部屋に通された。

 そこには総督のマクルーアンを始め、街の今後を左右するであろう人々がいた。

 半分以上が軍人の格好をしていた。総督のマクルーアンも擦り切れた赤い軍服を着ていたし、嫌なパケナムの顔も見える。

 妙な雰囲気だ。

「まず本題に入る前に別件を処理したいのでお許し願いたい。市民の義務として、この場にいる犯罪者を告発する」

「何を言い出すんだ」

 議場の大半は困惑していた。おそらくはパケナムが苦しまぎれに言った戯言だろうと、口々に言った。

「お静かに。そこの男だ。アルヴィン・ウォーデン!」

「どういうことだ? サー・ジェイムズ。説明してくれ」ハートレイ中佐が困惑もそのままに質問する。

 一同に衝撃を与えたと確信したパケナムは、得意満面に説明を始めた。

「よろしいでしょう。彼は今でこそ射撃の名手ということで名が通っていますが、この手配書にある通り、彼は数十回にも及ぶ密猟を行っていた。取引相手はラゴール王国の商人です」

 パケナムは手配書を机につきだした。

「なんと!」ハートレイ中佐が声を上げた。

「事実なのかね。マクルーアン総督」

「それはだな……。ラゴールと取引をしたという証拠はあるんだな。だが、モノが密猟品かどうかはわからない。それに取引していたのは紛争が始まる前の話で……」

「釈然としませんな、総督。ここには貴方のサインもあるんですよ」そう言ってマクルーアンの署名に指を突きつけた。

「閣下、私からも説明を求めます!」

 通商長官のメイトランドがマクルーアンの目の前に迫った。彼は以前から密猟が貿易による利益を損ねている考えていた。彼は通商長官として公正な取引を守り、国の利益を守る義務感からマクルーアンを問いただしたのだ。

 思わぬ方向からの詰問にマクルーアンも言葉を詰まらせた。

「ミスタ・メイトランド、商取引を管理する貴方の危惧も十分に承知している……しかし――」

「軍事に関しては見識のある諸君らに任せよう、しかし密猟、密貿易となると話は別ですぞ!」

 メイトランドの意見を支持する者は机を叩いてこれに答えた。

「休会だ! 一時休会だ!」マクルーアンの叫びも虚しくかき消された。

 アルは彼らのやりとりを見ていて、暗い気分に襲われた。皆が自分を指さしながら口論している。それも本来の街をラゴールから守るという議論からは無関係だ。

 パケナムがこんな事を言い出したのもマクルーアンの影響力をそぐためのものに過ぎない。だから、ここで俺が何とかしなければならない。

 アルはアニエスに何も言わないでくれとばかりに首を振ると、突然立ち上がった。

「みんな聞いてくれ。俺は確かに密猟した毛皮を売っていた」

 その場に居た誰もがアルに視線を向けていた。アニエスが動揺する。

「アル! 何言ってるの?」

「頼む、言わせてくれ。確かに密猟していた。でも森の恵みは元々は誰のものでもない。国境を決めるのも、土地を囲うのも人間のすることだ。自然にそんなはっきりした境界なんてないんだ」

「それが言い訳か。だが罪を認めた以上、法の裁きに従ってもらう」パケナムは腕組みしながら勝ち誇るように言った。

「ああ、縛り首でもなんでも。それよりもこの街を守り、戦いに勝つ方法をみんなで考えてくれ」

 アルは処刑台の向こうが見えた気がした。乾いた砂と麻で編んだロープが首に掛けられ、判事が罪状を読み上げる。足が床から離れ、瞬間的な落下と首への衝撃、苦痛。

 捕まった密猟者の末路。いつかはこの日が来ることを感じていた。横目で見るとバージルがアルを弁護しようと必死で皆に訴えかけるていた。あの森林官のバージルが。

「彼は軽歩兵中隊に編入されることになっている。軍籍にあるものは戦地にいる間、過去の犯罪は不問に付す事になっているのではなかったか?」

 アルの名前は軽歩兵中隊の名簿には載っていない。これはバージルのはったりだ。

「ミスタ・ファーガソン、彼が軍籍にある? ではその証拠を見せてもらおう」

「名簿はここにはない。一度休会にして取りに行かないと……」

「苦しい言い訳ですな。彼が逃げてしまう可能性もあるので、本当ならすぐにでも拘束したいぐらいだ」

 ここでアニエスが発言する。

「待ってください。彼は字が書けないんです。だから名簿にも名前がなくて」

「ポスナニア公。証明出来ない以上、この男は私達の管轄下だ」

「そんな」アニエスは絶句してそのまま立ち尽くす。

「私とて優秀な人間をすぐに殺してしまうほど愚かではない。彼には自らの罪を悔い改め、女王陛下への忠誠心を取り戻す機会を与えたい」

「どういうことだ?」

「刑の執行停止と引き換えにマーロウ大隊に入隊してもらう」

 悪名高きマーロウ大隊。パケナムが中心になって創設した囚人部隊だ。刑務所からそのまま兵舎に入ったような連中ばかりが集められていた。

 悪いうわさが絶えず、週に二人は規律違反で縛り首を出すような隊だった。パケナムは想像するだけで笑いが止まらないだろう。

「そうやってじわじわとなぶり殺しにするんですね」

「私は彼にチャンスを与えたいだけだよ。もっとも次の戦いは激しくなるだろうから、生き残れるかとどうかはまた別の問題だ」

「他の方々も異存ありませんな」

 会議に集まった面々はそれぞれ納得した者も、そうでない者いたが、誰もが黙っていて口を開くことはなかった。

「そういえば次の戦いまで時間がないんだったな。早速彼には戦列歩兵としての訓練を受けてもらわなければ! もっともこの男が集団行動できるかどうかは、軍曹のムチしだいと言ったところだが」

 パケナムはひとしきり笑い終えると、今度は真顔でそばに立っていた副官を呼びつけた。副官は彼の命令を受けると外から兵士を二人連れて再び現れた。

 二人の屈強そうな兵士はアルの両脇に立った。

「閣下!」副官がパケナムに敬礼した。

「なんのつもりだ」

「連れて行け」

 パケナムが煩わしそうに手をふると、アルは二人の兵士に両側から抱え上げるようにして腕を掴まれた。

「やめろ、一人で歩ける」

 アルが必死に腕を振り払おうとする。そのとき再び扉が開く音がして意外な人物が現れた。

 竜騎兵ドラグーンの制服を着た若い男だった。よっぽど急な知らせなのか、馬のたてがみのような飾りのついたヘルメットも着けたまま、腰に下げたサーベルをがちゃがちゃと言わせてマクルーアンの元まで紙切れをもって駆け寄った。

 アルの位置からは彼のヘルメットに隠れた横顔しか見えない。しかし、向こうはこちらの不穏な様子を見てとったのか、大きな声を上げた。

「アル! どうしたんだ?」

 アルはその声で誰かが分かった。ウォルターだ。

 彼はヘルメットを脱ぐと顔を見せてくれた。前より少し細くなったかもしれない。

 それは分かったがなぜウォルターがここに? しかも一番見られたくないようなタイミングで。

「ウォルター、竜騎兵ドラグーンになったの、本当だったのか」

「黙っててごめん。それより、アルはどうなってるのさ」

「今は詳しい説明は出来ない。とにかく俺も今、軍人になったところだ」

「それじゃ全然わからないよ」

 兵士に急き立てられてアルは議場から引きづられていった。一連の光景をそこにいた皆が唖然として見つめていた。

 しばらく沈黙が続いたが、おもむろにウォルターから渡されたメモをマクルーアンが読んでつぶやく。

「ラゴール軍が街から数日の場所に集結しているそうだ」

「規模は?」

「歩兵が八〇〇〇、騎兵は四〇〇、砲は大小合わせて少なくとも四〇門」

 議場にいた誰もが自軍の劣勢を悟って黙り込んでいた。

 敵は国境から海沿いに次々と兵力を増援している。海はアングリア海軍が封鎖して常に目を光らせてはいるが、半島と陸続きのラゴール軍のほうが戦力を整えるのに有利だ。おまけに本国は半島方面への出兵には消極的でこれ以上の増援は望めそうもない。

 アングリアの入植者達は手持ちの戦力だけで闘わなくてはならない。

「それでは諸君。議論を再開しようではないか」

 パケナムが鷹揚に言い放つと、止まった時計が少しずつ動き出すように議論が再開された。

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