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亡国の聖槍

ただ一つだけ言えるのは、性に合わない事は絶対にやってはいけないということだ。それが人助けのような世間では美徳とされるような真似は特に注意が必要だ。

 だが、それで住む世界が変わる人間もいる。




 荒々しい馬蹄の音を聞いて、アルはとっさに道の脇に身を屈めた。風が吹き、生い茂った草の匂いが鼻につく。

 音の主は小高い森の木々に遮られて見えないが、密猟者にとって自分に向かってくる物はなんだろうと危険だと考えて動かなければならない。

 どうやら馬に乗った兵隊のようだった。

 アルは最初、その服の色を見てアングリア王国の兵隊だと思った。しかし、赤紫の軍服を着た兵士は右手に槍を持ち、四角い形の一風変わった帽子をかぶっていた。

 アルはあんな帽子を被るアングリアの兵士は見たことがなかった。それにこの森の森林官は一人だけだ。この開拓地に密猟の取り締まりで軍隊が来ているなんて話は無かった。

 仕掛けた罠まではまだ遠いが見つかる危険は避けたい。アルはこのままやり過ごすことにした。

 何かに追われているのか、その騎兵はしきりに後ろを振り向いては、必死に手綱を振るい、拍車をかけて全速力で走って来る。

 そして、さらにその後ろから、黒い毛玉の塊のような影が追いかけてくるのが見えた。

 段々と迫ってくるにつれ、その正体がはっきりしてきた。

 体毛は熊の冬毛に似ている。顔まで覆われた毛の間から二つ黄金に光る目。その手足は人間と同じ長さで、時折手をつきながらではあるが二足歩行をしていた。

 なによりの特徴は、あの光る牙。

 獣人。

 人を襲い、森を彷徨う半人半獣のなれの果て。

(まずい、この先は行き止まりだ)

 騎兵がアルのすぐそばを横切って行く。アルの身長の倍はあろう魔物は騎兵に追いすがるべく四つ足になって大地を蹴り、つばをまき散らして去っていく。

 アルはすぐに追いかけていった。たどり着いた先は切り立った崖で、例の騎兵が追い詰められていた。

 騎兵は追い詰められたのを知ると、勇敢にも襲撃者に対峙し槍を肩の上まで振り上げると、獣人に向かって突進していった。

 だめだ、だめだ! アルは物陰から全てをみていた。獣人の身体能力は人間のそれを遥かに上回る。そして、その牙は重騎兵の胸甲をも貫く力を秘めている。

 まして、馬上の兵士は見たところ甲冑の類を全く身につけていない無防備な状態だ。

「正面からは危ないぞ!」アルは叫んだ。

 騎兵が驚いて顔を上げると、帽子の影になっていた顔が現れた。色の白い肌に驚きに大きく見開かれた青い瞳が印象的だった。

 兵士とは思えないほど均整の取れた顔立ち。

「女、なのか……?」

「……!」

 アルが問いかけに顔を強ばらせるが、迫る獣が彼女を現実に引き戻す。

 たがいの距離はどんどん詰まる。騎兵は鞍からピストルを取り出すと獣に向かって撃った。だが、獣の方はその弾丸を圧倒的な身体能力によって回避した。

 身体をよろめかせながら、なおも獣は速度を緩めること無く駆け、馬の喉元を噛み千切ろうと正面に飛び上がり身を投げ出す。

 振り下ろされる槍、しかしアルの出現に驚いた騎兵は最初の一撃で急所を捉えることが出来なかった。切っ先は高く飛び上がった獣の右耳を切り落としただけだった。

 すれ違いざま、狂ったように吠える獣。血にぬれた獣の目が真っ赤に染まっていた。

 手負いの状態でさらに興奮しているようだった。時折、傷を気にしながら相手の出方を伺うように徘徊しているが、今度こそ危ない。

 アルは見捨てるか、助けを出してやるか躊躇した。

 この仕事をしているとこのような場面に出くわす事が多い。自分の身の安全を第一に考えるのがこの未開の半島での常識だ。

 だが彼はこういう時は父の最期の事を思い出してしまう。

(どうやったら、アレを忘れられるってんだ……)

 惨劇の不確かな記憶がアルの脳内をかすめる。

(ああ、忘れられないさ)

 だが、同情だけが決め手ではない。アルは冷静になるよう言い聞かせ、再び獣に視線を向けた。

(それにアイツは良い毛並みをしている)


「やってくれたな、助からないぜ」茂みから出たアルが言った。

「開拓者ね」 彼女の口から出たのはラゴールの言葉だった。

「時間がない、俺が銃に弾を込めてるあいだ時間稼ぎをしてくれ」

「だけど……」

「逃げるだけでいい。俺はあいつの毛皮で商売してるんだ、任せろ」

「解った」

 女騎兵はそう言うと、手綱を引いて獣の前に踊りだした。

 獣は受けた攻撃から立ち直り、再び襲いかかろうと後ろ足で地面を蹴りあげている。そして、手傷を追っているとは思えないほどの俊敏さで彼女に再び襲いかかった。それを見たアルは急いで弾丸の装填に取り掛かった。

 急いで、と言ってもこの作業は単純ではない。

 まず、火薬フラスコから火薬を出し、小さな計量カップに注いで適切な火薬量を量る。装薬量で飛距離、命中精度、が変わってくるからだ。そしてかばんのポケットから革の布切れと鉛球を取り出す。鉛球を布切れ包み、銃口に力いっぱい押し込む。その後は槊杖と呼ばれる長い棒で弾丸を火薬の入っている銃身の奥まで押しこむ。さらに火薬を突き固める為に何度も槊杖を押し込む。

 この作業がなかなか大変だ。特に猟銃は命中精度を上げるために銃身に掘られたライフリングに弾丸を密着させる必要があるため、通常の燧石銃マスケットに比べて装弾に力がいる。さらに火薬を突き固めるのがおろそかになっていると、火薬が均等に燃焼せずに威力が落ちてしまう。

 装弾を終えると、アルは火蓋を開けて火皿に幾らかの火薬を乱暴に注ぎ、再び火蓋を閉じて片膝を立てた体勢で銃を構えた。

 獣は何度も彼女に襲いかかり、そのたびに馬の尻尾に噛み付こうと必死だった。彼女は見事な馬術で攻撃を避けているが、そろそろ限界のようだ。

「次はどうするの!」彼女が叫んだ。

「こっちに向かって走ってこい! 俺を飛び越えろ!」アルが答えた。

 彼女の顔に疑問の色が浮かんだが、それも一瞬でアルに向かって馬を巡らせた。

 アルには秘策があった。

 獣人の凶暴性はその牙からもたらされるという。それは七五年前の星降る夜に彼らの先祖が受けた呪いなのだと古い言い伝えは語る。そのせいか、猟師たちの間では獣人や亜人の上顎から生えている牙を抜くと弱らせられる事が知られていた。

 比較的柔らかい牙の根本を至近距離で撃ちぬく。罠で捉えることが出来なかった獣を捉える数少ない手段の一つだった。

 彼女の駆る馬がぐんぐん近づいてくる。その後ろに凶暴な鳴き声を出しながら獣がついてくるのも目についた。

 視界いっぱいに馬体が正面に来る。アルは喉がカラカラになるのを感じた。

「いくわよ!」彼女の声と共にアルの視界から馬が消え、獣人の狂気に満ちた顔が飛び込んできた。片耳の欠けた輪郭、真っ赤な口は大きく、長い舌をだらりと垂らしていた。

 そして、向かって左側に生える、大きく鋭い牙。獲物を襲うその瞬間に倍にも見えると言われる大きな牙。その牙がいびつな形に変形した。超自然的な力によってなされる、猟師だけが知る彼らの最も恐ろしい部分。

 アルは引き金を引いた。燧石フリントが打金を叩き、刹那瞬いた火花が火皿の火薬に落ちて爆ぜた。一瞬遅れて、銃口から硝煙とともに弾丸が吐き出された。

 弾丸は獣の鮮やかなピンク色をした歯茎をえぐり、エナメル質の牙の根を砕き、舌を裂いた。そしてそれが脳髄に達すると、獣人の瞳から光が消えて、そのままアルの脇に崩れ落ちた。

 アルは静かなに去ってい行く興奮を感じながら、ゆっくりと倒れた獣の死体に目をやった。

「汝、勇敢な戦士、太古の証人よ、再び星降る夜に召されん事を」

 アルは短い祈りの言葉を述べると、短刀を取り出しなめらかな手つきで獣の身体に入れていく。

 女騎兵が黙々と獣の皮を剥ぐアルの側によってきた。

「助かったわ、ムシュー」彼女が言った。

「森の中ではラゴールもアングリアも関係ないさ」皮と肉を丁寧に切り分けながらアルは答えた。

「ところで、あんた名前は?」

「紹介がまだだったわね。私はアニエス・クレメンティナ・ロタラン。見ての通り軍人よ」馬から降りながら彼女が言った。

「女が兵隊に入るなんて変だな、なにか事情があるのか」アルは興味有りげに問いかけた。

「まあいろいろと、ね」アニエスと名乗った女は苦笑しているようだった。

「そりゃつまりどういう事なんだ?」

「失礼ね。開拓者のそういうあけすけな所が好きになれないわ」警戒した様子でアニエスが返した。

「話したくないならいいさ。俺はアルヴィン・ウォーデン。猟師だ」罰が悪そうにアルは相手に握手を求めた。

「そのようね。改めて礼を言うわ、ムシュー・ウォーデン」

「助けてくれてありがとう」アニエスは握手には答えず、帽子を取って丁寧にお辞儀した。

 帽子を取った彼女の顔に闘いのさなかには感じなかった幼さを見出してアルは驚いた。

(思ったより若い。俺と同じくらいの歳じゃないか)

「大げさだな。金持ちでも貴族でもないんだ。アルでいい」

 アルは再び握手を求めたが、アニエスはその手を取るのを躊躇していた。

「そんなに変なことじゃないだろう?」

「ごめんなさい、半島ここのやり方はよく分からなくて」

「大陸だとどうなんだ」

「みんな婉曲なの。女性に握手を求めるのも、ダンスに誘う時くらいで……」

「えんきょく? ラゴール語はどうも分かりづらい」

 これだから田舎者は、とアニエスは聞こえないように小さく呟いた。

 アニエスは呆れたように脇を見やる。先程まで死闘を繰り広げていた獣が、今やどこかの露店で売っていてもおかしくないような、毛皮の敷物に変わり果てていた。

「それよりこの怪物。話に聞いていた通り、大半島に人智を超えた力が眠っているのは間違いないようね」

「人智を超えた力、か」

「違うの?」

「その手の期待は捨てた方がいいぞ。ここは自然豊かな土地だが、魔力が眠ってるなんてほら話は今じゃどこの酒場でも聞けやしない」

「じゃあ、あれはなに? 大陸にはあんな生き物いない。それに狼のような尻尾と耳を持つ原住民たちもその影響を受けているとしか思えない」

「どっちも昔の名残だ。星降る夜の最後の奇跡ってやつさ」

「名残と言うにはあまりにも常識外れだわ。大陸ではあの日以来、魔術や魔法の類は一切消えてしまったのでは?」

「ラゴール人は未だにこの半島のどこか巨大な魔力が残ってる信じてるようだな」

「黄金伝説の事? 本国でも信じている人の方が少ないでしょうね」

「じゃあなんで?」アルはアニエスの言葉に違和感を覚えた。

 魔法が存在すると思っているのに、それが事実になるのを認めたくないような態度。

「でも私は知っているわ。この世にそういう物があるって」アニエスは独り言ともつかない小さな声で言った。

「まさか、見たことがあるのか」アルは疑うような目で聞き返す。

 アニエスは自分の発言が不用意なものだと気付くと口をつぐんだ。

「おい、大丈夫か」

「ご、ごめんなさい。今のは忘れて。それより私は先を急ぐわ」

 アニエスは帽子をやや乱暴にかぶり直すと馬に向かっていく。

「何を急ぐ必要がある?」

「あるのよ。この辺りで私の隊が野営しているの。私は偵察中にはぐれてしまって」アニエスは片足をあぶみにかけながら言った。

「……だからもう行くわ。もしまた会う機会があれば必ずちゃんとした礼をするつもり」

 そう言ってアニエスは勢い良く鞍に身体を預けた。

「ほら、これをやるよ」アルは獲物から牙を抜くとアニエスに向かって投げた。

「これは、牙……?」

「剣歯だ。ここいらじゃ獲物は分け合うものさ。俺は毛皮を頂く。あんたはそいつだ」

「なんだか、気味が悪いわね」

「とんでもない、獣人の剣歯はいいお守りになるぞ?」

「土地の人間の言うことに従うわ」

 アニエスは地面に突き刺さった長槍を引き抜いた。アニエスは不意に先刻、自分が追い詰められた崖に近づいた。眼下には背の高い杉の木が地平線まで広がっている。無数の川が縦横に走り、大陸と境界、北のフィニブス山脈の黒い山肌が薄っすらと見える。

「本当に広いわ。ここは百年かかっても開拓しきれないでしょうね」

「百年かかっても、俺たちはやるさ」

「でしょうね」

 アニエスはそう言って、馬に拍車をかけた。馬はゆっくりと走り出し、駆けていった。アニエスの姿が山の木々の間に消え、やがて蹄の音も聞こえなくなった。

 アニエスの姿が消えてアルは大きく伸びをした。余計な寄り道をして酷く疲れた。

「まあいいか、モノは手に入ったし」

 思わぬ収獲を手にしてアルはほくそ笑んだ。

 獣人の毛皮はとても貴重で、売りに出せばラゴール銀貨一〇〇枚は手に入るだろう。ナレッジヒルの街で半年は遊んで暮らせるに違いない。

「銀貨一〇〇枚……」

 毛皮の価値を知らないラゴール人で良かった、と心のなかでアルは女兵士を笑った。そうでなければ揉め事になったかも知れない。

 きっとラゴールから来たばかりなんだろう。

 大陸から来た――恐らくは貴族の――少女。どんな事情でここに来たか、彼女は教えてくれなかった。

 魔法を知っていると言った彼女の表情は同世代とは思えない神妙なもので、覚悟のすわった目つきをしていた。

(もしかしたら何か大きな事が起きるかも知れない……)

 アルはアニエスとの出会いそのものに違和感を覚えたが、すぐに頭を振った。きっと他の貴族連中と同じ。物珍しさで半島に来ただけで一ヶ月もいれば飽きて帰るだろう。

 忘れかけた喉の渇きが再び襲い、アルは水筒の水に手を付けた。

 喉を潤すと散漫な思考もすっきりするのか、アルは仕掛けた罠の事を思い出す。

 さて、残りの罠の方も収獲があればさらに言うことなし。アルは意気揚々と森の中へ駆けていった。


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