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凶鳥の聖霊術士  作者: アメフラシ
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会話




  暗い暗い、海の底のような場所で。

 微睡みに沈む中、真っ暗な闇の奥で、ふわふわと浮き沈みを繰り返す海月みたいに、飛鳥の身体はたゆたっている。

 此処はいったい何処なのか。果たして今の自分は浮かび上がっているのか、それとも沈んでいっているのか。

 混濁した意識では、自分の居場所はおろかそれすらも分からない始末だった。


 ただ一つ言えるとすれば、この無音で支配された闇の空間はこの上なく、とても心地の好い場所だったと、

 そう思ってしまうくらい徒神 飛鳥にとって何故か安心する空間だった。


 このまま闇に溶けてしまっても良いかもしれない……そう感じ始めていた時だ。


 ――ぉい――きろ――き――


 ……声だ。遠くの方から声が聞こえる。

 飛鳥の耳に入ってきた少し甲高い、少年のような色の声。

 初めて聞いた筈なのにずっと昔から知っていたとも思える……とても懐かしい気持ちにさせる声だった。

 夢を見ているかのような朦朧とした意識の中、飛鳥に呼び掛けてくるその声は次第に大きくなっていった。


(誰だ……誰が呼んでる……?)


 黒一色で塗り潰された海の底。瞼をうっすらと開けて深淵を覗き込むと、そこには光があった。

 暗闇の奥底で黒に染まらんとする光を放つ円い球体。

 色を失った、死んでいるも当然と言えるこの空間にはとても異質。


 ……しかし、全力で生きている命のように強く輝く光に、飛鳥は目を奪われる。


 ――ぉい――き――


 声は光の中から漏れていた。

 自分を呼んでいたからなのか、それとも自分がそれを求めていたからなのか。

 気がつくと飛鳥は無意識の内に、そうする事が当然のように、光に手を伸ばしていた。


 もう少しで手が届く。

 指先が光に触れるか触れないかのその瞬間……、



 ――おい、さっさと起きろ……このクソ餓鬼!



「ぉわあ!? ……って、あれ?」


 苛立ち混じりの怒声に飛鳥の朦朧としていた意識が叩かれた。

 背中を蹴っ飛ばされたのに似た感覚に驚いた飛鳥は、まるで吃驚した猫のように身体を跳ね上げると眼前には、追い求めていた光では無く、見覚えのある景色が広がっていた。


「ここ……こうえ、ん?」


 色とりどりの花が咲き誇る花壇に、朝の陽の光に反射して新品同様に輝く沢山設置された遊具。そして犬の聖霊のオブジェをあしらった大きな噴水。


 間違いない。

 ここは飛鳥が通う聖霊校の近くにある公園だ。通学路の途中でいつも目にするから見間違う筈もない。

 自分はさっきまで公園にある木のベンチに眠っていて、そして今は足を伸ばして座っている。


「オレ……なんでここに居るんだ?」


 何故、自分はこんなところに居るのか。記憶が確かなら自分は森の中に居た筈だ、それも真夜中の。


「夢じゃない……よな」


 土に塗れたシューズや血糊がべっとりと付着する、脇腹辺りがかっ裂かれた紅い学生服がその証拠だ。

 木々の緑の匂いや夜の静けさも、記憶としてちゃんと鼻と耳に残っている。

 にも関わらず今感じ取れるのは、風に乗って流れてくる噴水の水の香りと、朝の訪れを歌う山鳩きじばとのさえずり。


「どうなってんだよ、コレ……」


 ……意味が分からない。

 夜の森に居たと思ったら気がつくと夜が明けていて見慣れた公園で寝ていた、なんて話、すぐには受け止めきれるものじゃない。


 そしてなにより……、


「あの鳥は……?」


 自分が助けた、あの鳥の聖霊は……いったいどこに?


『――ようやく起きたか、クソ餓鬼』

「へぁっ!?」


 突然耳に届いてきた生意気そうな少年の声に驚いた飛鳥はすっとんきょう悲鳴を上げた。

 それは意識が曖昧だった飛鳥をずっと呼び掛けていた声と同じものだった。

 それはいったい誰のものだったのか。首を左右に振って周囲を見回してみたものの人影は何処にも無かった。


 妙だな? と訝しげに首を傾げていると、


『何処を見てんだ、下だよ、馬鹿』


 左の真下の方からいきなり罵声を投げつけられた。反射的に声の方へと顎を引いて視線を落としてみる。

 するとそこには枝木のような後ろ足をピンと伸ばし、翼を折り畳んで地面に立つ黒い物体が、ベンチに座る飛鳥の顔を見上げていた。


 圧倒的な存在感を放つ黒い羽毛に矢尻のような鋭い嘴、風に靡くマフラーのように尾を伸ばす、艶のある滑らかなツルンとした造形の鳥類。


「……カラス?」


 見た目は紛うことなき烏。

 ……なのだが、その烏はどの鳥類にも見たことの無い、紅い色を瞳に宿していた。


 ルビーのように煌めく深い紅。

 燃え盛る焔を宿したようなその瞳に飛鳥は違和感を覚えた。


 もしかしてコイツは……。そう思い、確かめようと烏に手を伸ばそうとした次の瞬間、


『汚い手で俺に触れようとすんな、クソ餓鬼。一度抱きかかえたからって調子に乗ってるんじゃねえよ。俺の嘴で掌に穴を開けられてーか』


 カチッと時間を停めたかのように手が止まる。

 触れて確かめるまでもなく、向こうから答えが返ってきた。それもかなり粗暴な感じで。

 想像通り、この烏もどきは正真正銘、飛鳥が助けた鳥の聖霊だった。

 だったのだが、そんな事実よりも何よりも、別の事柄で飛鳥の頭は一杯になっていた。


「しゃ、喋った……!?」


 そう。元来、聖霊とは人間の言葉を理解はすれど喋る事は出来ないとされていた。

 何より人の言葉を喋ったという事例は今まで一つも無かったのだ。


 にも関わらずこの鳥の聖霊は発したのだ。

 堅い嘴をカチカチと、モールス信号のような音で開け閉めしては人の言葉を話してみせた。

 それは飛鳥の度肝を抜かすには充分すぎる程の出来事だった。


『なにバカ面引っ提げて呆けてやがんだ。眼ん玉剥き出す前に俺に言うことがあんだろ……せっかくあの場から連れ出して助けてやったってぇのに礼の一つも言えねえのか、最近の若い奴は』

「助けた……?」


 うっすらとだが思い出してきた。

 あの時、霊気の獣と呼ばれていた化け物に襲われ、あわや止めを刺されそうになった刹那、

 無数の黒い羽根が空から舞い落ちて、その羽根が霊気の獣を燃やし、灰にした光景を。


「あ、あの真っ黒い羽根! あれってお前が助けてくれたって事なのか!?」

『当然だ。正確に言えば、アレは契約者であるオマエの霊力を使って、オマエの代わりに俺が出してやった聖霊術だ。本来なら契約者が使う術だが、不甲斐ない主に代わって俺があの骨犬を燃やしてやったって訳だ』


 まるでアメリカ人が『やれやれ』とジェスチャーするように、聖霊は両翼を広げて、いかにも呆れていますといったような仕草をとった。

 いつもならそんな物言いをされたら、イラッとして眉間に皺を寄せているところだが、今はそんな気分には微塵もならなかった。


「契約者、主……くぅぅううっ! いっよっしゃぁあああっ!」


 両拳を天に高々と突き上げて喜びの雄叫びを上げる。


 ついに……ついに!

 自分も聖霊と契約することが出来た!


 契約するまでの経緯はアレだが、ついに自分にも聖霊が……聖霊の友達が出来たのだと、飛鳥は喜びを爆発させた。


『……なんだオマエ? 血ぃ流しすぎて頭おかしくなったか?』

「嬉しいんだよ! スッゲェさあ! オレ、ずっぅぅぅと聖霊の友達が欲しかったんだよ! おまけに喋れるなんてさあ! 朱里達と一緒にいるみたいにバカ話が出来るって事だろ、最高じゃんか! これから宜しくな、トリ!」

『トリじゃねえよ! 言っとくけどな、上下関係では俺の方が上だからな! そこのとこを忘れるなよ!』

「分かった分かった、任せておけよ、トリ!」

『全っっ然分かってねえじゃねえか! いいか、俺の名前はなぁ……!』


 と、鳥の聖霊が名を告げようとした所、それを遮るように西の空から鐘の音が響いてきた。

 青空にこうこうと響き渡り、耳の奥をキーンと震わせる甲高い金属音。

 その音を聴いた直後、なにか重大な事実に気がついたかのように、飛鳥の顔からサーッと血の気が失せていく。


「……今の、学校の……始業チャイム……」

『……? どうした、急に?』


 鳥の聖霊が訝しげに声をかけてくるも飛鳥には聞こえていなかった。


「一限目……姉貴の授業っ!?」


 何故なら、その事で頭が一杯になっていたからである。


 義理の姉の由依はとても厳しい人だった。

 ほんの数秒、授業に遅れようものなら、筒状にした教科書をバットに、額を狙った名スラッガーばりフルスイングでの愛の教育指導。家では、門限の二十一時を守らなければ「そうかそうか、ならば物覚えの悪いその頭に直接叩き込んでやろうと」問答無用で愛のアイアンクロー。


 ……とまぁ、ちょっと厳しいの度合いは越えているかもしれないが、とにかく厳しい人だった。


「ヤッッベェエエ! 怒られる!」

『急に顔を真っ青にしてだんまり決め込んだと思ったら、また発狂か。忙しいな、オマエ』

「んな悠長に構えてらんないんだよ!?」


 学校への遅刻だけなら、額を真っ赤に腫らされる程度で済むだろう。

 しかし、飛鳥は昨日、家に帰宅していないのだ。恐らく由依には無断外泊をしたと思われているだろう。不義の極みだ。


 いったいどんな罰が待っているか。とにかく早く学校に行かなければ……。


「えっと、カバンもって、それから……あ! おいトリ、お前こん中に入ってろ!」

『お、おいコラ! 気安く触んなって言ってブホォ!?』


 飛鳥は鳥の聖霊を、泥だらけのカバンの中に放り込むと、聖霊校に向かって走り出した。

 学校で待っているだろう由依のお怒りを想像し、足元に火を付けて。

 ――そして、ついにできた聖霊の友達とのこれからを思い、顔を綻ばせながら。





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