いつもの日常+アルファ
最悪だ……来るんじゃなかった。
午後六時過ぎ。学校の近場にあるファミレスのテーブル席で飛鳥は自分の行動を悔やみに悔やんでいた。
長年つるんできた二人の友人から『儀式に失敗した飛鳥を俺達二人で励ましてやるからよ!』と誘われ、たまり場としてよく利用しているこの場所に来てはみたものの……、
正直、来なければよかったと心底思っている。
別にその友人達がどうのこうのと言う事では決してない。
それどころか、誘ってくれた男友達の二人は自分を励まそうとして声をかけてくれた訳なので、逆に感謝しているぐらいだ。
――その二人ではなく、飛鳥を悩ませている一番の原因は……、
「それでは! 我らが友人、徒神 飛鳥の新記録、聖霊契約の儀式一〇〇回目の失敗を祝してジュースでか~んぱ~い! ニャッハハハハ!」
「………………」
……この女だ。
どうやって嗅ぎ付けたのか。呼んでもいないのに何処からともなく現れては太々しくも一緒の席に居座り続けているクラスメイト。
挙げ句の果てには本人を目の前にして平気でディスリスペクトしてくるこの図々しい女に、頭の血管がぷっちりとヤられかけていた。
「ほらほら~暗いぞ~アッつん。せっかくこの朱里ちゃんが今日の主役のアンタを労いにきてあげたのに~。もっと元気にいこう~よ~ニャハハハ!」
同級生、継野宮 朱里は、人の心傷を抉り返す事に何の臆面もなく、むしろ嬉々として、ケラケラと笑いながら手に持ったグラスを高々と掲げている。
その様子を間近で見ていた二人の友人、八頭波子 昂祐と江渡御 優人は揃って、
「うわぁ……」
と引き気味の表情で一言。
「おいコラ朱里。人の失敗を勝手に祝して笑ってんじゃねぇよ」
「え、なんでよ? アッつんだって教室で笑いながら話してたじゃん?」
「オレは当事者だからイイんだよッ! 本人でもねぇオマエが言うと、ただ馬鹿にしたニュアンスにしか聞こえねぇんだよ! ってか何だよ一〇〇回って!? 適当な数字ふいてんじゃねぇぞッ!」
「あ~ごめんごめん……一〇一回だっけ?」
「余計に一回増やしてんじゃねーよ!? プロポーズかよ!」
「え!? アッつんのプロポーズ!? ……ごめんねアッつん。気持ちは嬉しいけどアタシ、年寄りみたいに真っ白くて爺臭い髪の男はタイプじゃないの……」
「誰がオマエにするか! っつか人が地味に気にしてる事をサラッと言うんじゃねぇよ! だいたいオマエの事なんかなぁ、好きでも何でも――」
「あ、そこの可愛いウェイトレスさーん。ハンバーグセットを一つお願いしまーす」
「聞けよぉおおおおおおおおお!?」
飛鳥の嘆きを無視して朱里は背中まで伸ばした茶色の髪をゴムで纏めあげ、注文した肉に向けて臨戦態勢に入った……この女マジで人の話しを聞かない人種である。
「ね、ねぇ飛鳥君。ここお店の中だから少し静かにしたほうがいいよ……ほら、他のお客さんに迷惑がかかっちゃうし」
周囲の反応を気にしてか優人は申し訳なさそうに、小声で飛鳥を宥めた。
「それに、継野宮さんが人の話しを聞かないのは今に始まった事じゃ無いんだしさ。いちいち気にしてても仕方ないよ」
「……ちょっとユウ君。それ、どういう意味? なんかそれだとアタシ、周りの人に気ぃつかえないジコチュー女に聞こえるんだけど」
「えっ!? いや、あの……け、決して悪い意味で言った訳じゃ!?」
苦し紛れに慌てて弁解してはいるが今のは正直、誰が聞いても悪い意味としかとれない台詞だった。
相変わらず純情無垢そうな顔してサラッと毒混じりの本音を言う優人であった。
「それよか、なんでシュリっちがここに居んだ? ウチらはアスしか呼んでないのによぉ」
二人のやり取りを気だるげに見ていた昂祐が朱里に投げかけた疑問に、飛鳥激しく同意した。全くもってその通りだ。オマエが来ると事前に分かっていれば絶対に断っていたものを。
「フンッ! アタシをハブこうだなんて一〇〇年早いのよ。アタシ達、聖霊校に入ってから今まで、二年生になっても同じクラスになる程の腐れ縁よ? そんなメンツが揃ってる集会にアタシが参加しない訳にはいかないでしょ? 分かった、天パー」
「腐れ縁って言うには随分と短い期間だけどな……そして今の中傷は聞かなかった事にしてやる。俺は寛大だからな、うん」
「そ。ありがとう天パー」
「よっしゃオモテ出ろゴルァアア!」
「ちょっ、昂祐君!? 継野宮さんの言うこと気にしちゃダメだって!」
どれだけ平然を装っても朱里の手にかかれば寛大も裸足で逃げ出す始末。四人の中では朱里に口で敵う者は居なかった。
「と、じゃれ合いはここまでにして。実はまぁ今日飛び入り参加したのは、皆に逢わせたい人がいるからなのよ。特にアッつん、アンタにね」
「……オレに?」
「そ。アンタに。もうじき来ると思うからさ、もちぃっと待っててね~」
本日の目的を伝え、グラスに挿したストローに口をつけてジュースを飲み啜っていく朱里に飛鳥はがっくりと肩を落とす……本当に自分を励ましに来たわけじゃないんだな……。
「――いらっしゃいませー」
とその時、入り口の方から店員の声と共に来客を報せる自動ドアの電子音が鳴り響いた。
反射的に飛鳥は入り口の方へ顔を向ける。
そこには自動ドアを抜けた先で店内をキョロキョロと見回している、大きめの鞄を肩にかけた、水色のフレームの眼鏡をかけた女の子が立っていた。その子は飛鳥達と同じ、聖霊校の学生服を着ている。
「おっ! アリスちゃ~ん、こっちこっち!」
「……アリスちゃん?」
おもむろに立ち上がって朱里は手を振ってその子に呼びかける。もしかしてあの女の子が、朱里の言う逢わせたい人なのだろうか。
女の子は朱里に気づくと、そのまま自分達のテーブル席の前に歩み寄って来ると、
「お待たせいたしました継野宮先輩。すいません遅くなってしまって」
肩まで伸びる澄んだ水色の髪を揺らしながら一礼すると、西洋人形のような整った顔を上げ、青いつぶらな瞳を飛鳥達に向けてみせた。
遠目だと分かり難かったが近くで見ると無表情ながらも凄く綺麗な顔をしているというのが分かる。髪や瞳も透き通っている。日本人には無い独特な色を彼女は持っていた。
「ううん! ぜーんぜん待ってないよ! むしろ、ヤロー共の相手すんのも飽きてたトコだったからさ。ちょうどいいタイミングだよ~!」
……なんだこの扱いの差は。飛鳥達が遅れようなものなら当たり前のように怒鳴り散らしてくる朱里が、こんなにもお優しいとは。
颯天という女の子が朱里のお気に入りだというのが直ぐに感じ取れた。
「んじゃあ紹介するね。この子は颯天 アリスちゃん。一年生でイギリスと日本のハーフの子なの。ちょ~カワイイでしょ!」
「……継野宮先輩。以前から申し上げていますが、そんな風に言われても反応に困ります。それに私は可愛くなんてありません」
「え~! そんな事ないよ、メチャクチャ可愛いって! このアタシが太鼓判を押してんだからもっと自信もって大丈夫だってっ!」
「……はぁ……もういいです」
いったいどっから来るんだろう、その自信は。
朱里の紹介の仕方に颯天は冷静ながらも少し困った表情を見せていたが……今の説明で合点がいった。
一年生、となると今月学校に入ったばかりの新入生ということになる。どおりで見たことのない顔な訳だ。
朱里に同意するのは些か抵抗はあるが、学校ですれ違ったりすれば絶対に記憶に残る容姿をしている。
「それじゃ次はこっちね。こっちの大人しそうな顔をしてるのが江渡御 優人。んで、そっちの頭モジャモジャが八頭波子 昂祐。それで最後の真っ白オバケが徒神 飛鳥よん」
誰が真っ白オバケだ。とても雑な紹介のされ方だったが……そこにはもう触れない。なにせ朱里だから。
「初めまして、颯天 アリスと申します。先輩方の事は継野宮先輩から伺っておりました……なんでも聖霊校で唯一、本音で話し合える大切な友人達だと」
「のわぁ!? ちょ、ちょっとアリスちゃん!? ナニ言っちゃってんの!?」
それはそれは、とても良いことを聞いた。颯天の暴露であたふたと慌てている朱里にはいつもおちょくられてばっかりの後手後手だった此方側としてはとても良い情報だ。
虎の尻尾を掴んだとでも言うべきか、そんな優越な気分だった。
「な、なによアンタら……三人揃ってなにニヤケてんのよ!?」
そしてなにより、そう思ったのは自分一人だけではないと言うことだ。
「いや~まさかシュリっちが俺らの事をそんな風に思ってくれたなんてな~」
「いつもの継野宮さんからは想像できないけど、そう考えてくれてるなんて……なんだか嬉しいよ。ね? 飛鳥君」
「なんか、初めてオマエの弱味を握った気分だわ」
「はぁあああ!? な、なにバカな事を言ってんのよ、気持ち悪いっ! って言うかアンタら、ゲストが来たんだから席つめるか退くかしてさっさと動きなさいよ! この三バカ!」
朱里は顔を真っ赤に染めながら飛鳥達を迫り立てた。先程の暴露話から話題を変えようと躍起になっているのかもしれない。そう考えると今の必死な姿がなんだか可愛くも見えてくる……これがギャップというものか。
「あの、すいませんでした。急にお邪魔してしまって」
「いいのいいの。アタシが呼んだんだからアリスちゃんは気にしなくて全然いいの。それよりも来てくれてありがとう! すっっごく嬉しいよ!」
「そう言っていただけるとありがたいのですが……継野宮先輩、近すぎです。もう少し離れてください」
「良いじゃない。減るものじゃ無いし。あぁ……しあわせ……」
お気に入りの後輩を隣にはべらせて朱里はとても御満悦の様子。まるで女の子の居るお店に足繁なく通うスケベオヤジのようである。さっきの慌てっぷりは何処へいったのやら。
「なぁ朱里。その子が、オマエが言ってた逢わせたい人っていうのは察しがついたけどさぁ、オレらに紹介したかった理由ってなんなの?」
急ではあるがこうでもしなければ朱里の有頂天タイムが延々に続くと思った飛鳥は質問を投げかけた……いつまでもそんなのに付き合ってられん。
「理由? ……ああ、そうそう理由ね」
飛鳥の問いに対し、一呼吸おいてから勿体つけるように出した朱里の言葉は、
「この子……カワイイでしょ!」
なんとも拍子抜けする台詞だった。
「…………は?」
「アタシが入ってる部活の教室にアリスちゃんが見学に来てね、その時に逢ったの。一目見てビビビッときたのよ! すんごいカワイイんだもん! お人形さんかと思っちゃった!」
眼を輝かせ、生き生きとした表情で話す朱里に、飛鳥は頭を抱えた。なんだか話しの先が見えてきた気がする。
「…………つまりオマエは、たまたま知り合って気に入った新入生をオレらに自慢したくて紹介したって事か?」
「そうよ。どう? 羨ましいでしょ!」
「オマエって……ホントに……」
馬鹿らしくてこれ以上言葉は出てこなかった。というかカワイイと言う台詞、何回言ってるんだ。こんなくだらない事に付き合わされる後輩が不憫でしょうがなかったが、
「アンタも厄介な奴に捕まっちまったな……ご愁傷さま」
「いえ、もう慣れましたから」
少し疲れたように言う彼女にとっては、日常茶飯事の事であった。
「ちょっとアッつん! アリスちゃんに変な事を吹き込まないでよ! それに今回アリスちゃんを呼んだのはそれだけじゃないの! アリスちゃんがアンタに逢いたいって言ってたから紹介してあげたの!」
「オレにか?」
そう言えば最初、飛鳥には特に逢ってほしいと朱里が言っていた。それはどうやら彼女が自分に逢いたかったという所からきているらしい。
だとしてもその理由が分からない。
颯天とは今日、初めて逢ったのだ。完全に初対面……にも関わらず颯天には逢いたい理由があると言う……全くその意図が掴めない。
「徒神先輩。不躾で申し訳ないのですが……まず最初に“この子”を見ていただきたいのです」
「この子?」
颯天は持ってきていた鞄を自分の膝の上に乗せてファスナーをジィィっと引っ張って開ける。
すると中から真っ白くてフワフワの毛並みをしたウサギがヒョコっと顔を出した。開いた小さな隙間から顔だけを出している所を見ると、どこぞのマスコットみたいだ。
まん丸い瞳にピンと伸ばした長い耳。その人懐っこそうな愛くるしい姿に朱里が……いや、朱里だけじゃない。優人と昂祐を加えた三人が魅了された。
「きゃ~! カワイイ~!」
「本当だ。凄く可愛いね」
「鼻をピクピクさせてるぞコイツ。うっはぁ! おんもしれー!」
皆の言うように確かに可愛い。自分でもそう思う。
けれどコイツは普通のウサギじゃない。
この動物からは霊力を感じる。聖霊校に在学している人間なら直ぐに感じ取れる馴染み深い気だ。
「なぁ。このウサギみたいなのって……もしかしてアンタの?」
「はい。この子は私の契約聖霊『氷兎』のラフィスです。この子とは私が小さい時からずっと一緒でして、私にとって家族同然に大切な子なんです」
そう言って颯天は『氷兎』ラフィスの頭の上に、そっと手を置いた。慈しむように聖霊の頭を撫でる彼女の顔はとても穏やかに綻んでいるように見えた。
その表情から颯天の「家族同然に大切」と言う言葉が本心からきている想いだと強く伝わってきた。
とまぁ、それはさておき、
「んで。その聖霊を見てオレはどうすればいいのさ?」
まさか、この子も朱里と似たような事を、自分の聖霊の可愛さを自慢したいだけなのではないのかと懸念していると、
「んおっ!?」
颯天がラフィスの入った鞄をズイッと押し付ける形で飛鳥の方に寄せ氷兎の顔を近づけてきた。
鼻と鼻がぶつかりそうなくらいの距離である。いくらなんでも近すぎやしないだろうか。
「徒神先輩。この子と私……両方の顔を見て何か気づくことはありませんか」
「……へ?」
突然の事に思わず素っ頓狂な声が出てしまった。思い出すことはあるかと聞かれても「いや、特には」と言うのが正直な所だ。悪いとは思ったが颯天の問いの真意が分かりかねていた。
「先程先輩に『初めまして』と挨拶させていただきましたが……実は私、徒神先輩に一度、御逢いした事があるんです。この子と一緒に」
「……え、マジで?」
……全く覚えていない。本当に自分は以前に逢った事があるのだろうか。
「もう一〇年も前の事ですが私とラフィスは以前、徒神先輩に助けてもらった事があるんです。あの時は御礼も録に言えずにとても失礼な事をしてしまいました……その時の謝罪と御礼を伝えたくて今日は参上した次第です……あの時は本当に有り難う御座いました」
「……参上ってアンタ、いったい何時代の人だよ。っつかお礼とかそういうの別にいいし……」
覚えていないのだから。
「……それともう一つ、徒神先輩はその時、私と……ある約束を交わしてくれました」
「やくそく?」
「はい、約束です。一〇年前に先輩と交わした……私にとってとても大事な約束。先輩はその約束を覚えていらっしゃいませんか?」
「はぁ? 約束って言われても……アンタ……」
一〇年前と言うと自分がまだ七歳だった頃、まだ物心がつくかつかないかの曖昧な時だ。だがら先程も思ったように全くもって覚えていなかった。
記憶をしまってある頭の中の引き出しを一斉に開けてはみるも、その出来事の欠片すら見つかりはしない。
どうしたものかと考えあぐねていると、
「……やっぱり覚えていらっしゃらないんですね」
「え? あ、いや、その……」
どうやら思い出せない事が顔に出てしまっていたらしい。それに気づいた颯天は余程ショックだったのか、そのまま沈むように俯いてしまった。宿主の元気がない様子に気づいたラフィスは、耳を垂らして心配そうにアリスを見つめている。
「……ちょっと、アッつん」
「飛鳥君。それはちょっと可哀想なんじゃないかな……」
「アスったらぁホンットさ~いて~。コイツぅ女の敵よ~」
三人から口々に非難の声が上がっていく。人の気も知らないで……って言うか天パー、オマエは後で必ずしばく。けど今はとにかく、
「お、思い出す! 必ず思い出すから! だからちょっとの間だけ時間をくれ! な?」
この子をこのままにしておく訳にはいけない。そんな今にも泣き出しそうな顔をされては罪悪感で自分の心が押し潰されてしまいそうだ。
「……本当に思い出していただけますか?」
「おぅ!?」
瞳を潤ませた眼鏡越しの上目遣い。狙ってはいないのだろうがそんなアリスの仕草に、飛鳥の胸は不覚にも大きく打たれてしまう。
不覚にも可愛いと思ってしまった。それを素でやっているんだとしたらとんでもない破壊力だ……なんて恐ろしい後輩なのだろうか。
「お、おう! 絶対に思い出すから!」
「……本当にですか?」
「ホントだって」
「……本当に本当?」
「ホントにホントだ」
努力はしてみる、と小声で言ってみる。
「……分かりました。なら待ちます。先輩が思い出してくれる事を信じて。ちゃんと思い出してくださいね、徒神先輩」
その言葉に満足したのか、しないのか、アリスの顔がまた無表情に戻る。
最初に話した時は結構しっかりした娘なんだなという印象だったが、
……今じゃよく分からない。感情が読めなさすぎる。
最近の娘はこういうモノなのかと、たいして年も変わらない癖に年寄り臭い事を考えている飛鳥であった。
「コラっ、アッつん! なに一人でアリスちゃん独占してんのよ! アタシのアリスちゃんを盗るんじゃないわよ!」
この子はアタシのだ! と言わんばかりに朱里はアリスをギュッと抱き寄せた……誰がオマエのだ、誰が。
アリスを交えた五人での、徒神 飛鳥を励ます会(みんな忘れているだろうが……)の時間は楽しく過ぎていった。
……しかし、
「一〇年前……ね」
ホントに思い出せるのだろうか?