徒神 飛鳥
「何をやっとるんだ徒神っ! そんなんじゃ何時までたっても儀式は成功せんぞ! もっと集中せんかァ!」
瞼を閉じていた飛鳥の鼓膜に教師の怒号が殴り込んでくる。困ったことに視角を封じているせいか、男の野太い声を耳がよく拾ってしまう。
「もっと腹の底から体内の『霊力』を練り上げろ! でなければ聖霊は召喚に応じてくれんぞ! もっと集中せい! 集中集中……集中じゃあァァ!」
そんな『集中しろ!』なんて抽象的なふわっとした事をやれと言われても具体的にどうすれば良いのかよく分からない。
……と言うよりも、近くでそんな馬鹿でかい声のヤジを飛ばされては集中できるものもできないだろう。
ふぅ、と息を吐いて飛鳥は眼を開けた。
そこは白を基調とした無機質な部屋。目の前には腕組みをしながら飛鳥を見据える教師の姿が……眼を瞑る前と何ら変わりばえしない学校の地下室にある儀式場であった。
「………………っ!」
いや……よく見れば儀式を始める前よりも教師の顔が強張っている。眉をひそめ口をへの字に、顔のパーツを中心にギュッと集めて初老の男は表情に憤りを現していた。
飛鳥は自身の足下へ恐る恐る視線を落とした。床に彫られた儀式用の円陣に突っ立っているのは自分だけと理解した飛鳥は落胆のため息を吐いた……また失敗か、と。
「あの~すんません先生。今日もダメみたいっす……はい」
頭を掻きながら愛想笑いを浮かべて飛鳥は儀式の失敗を報告する。
その様子に教師は、右の掌で顔を覆い、深く落胆のため息をついてこう呟いた。
――またか。
◇◇◇
「儀式担当の教員から言われたぞ、飛鳥。『久地原先生が担任している学級の飛鳥君が、また聖霊の呼び出しに失敗した。だからちゃんと教育しておいてくれ』とな」
「……すんません」
目の前でデスクにふんぞり返っている黒いレディーススーツで身を固めた、これまた黒い髪の女性の御言葉に、飛鳥はただただ頭を垂れることしかできなかった。
四月一四日、時刻はもうすぐ夕方の四時。
関東の鈴扇市にある『聖霊術技高等学校(略称「聖霊校」)』。その職員室の一角で飛鳥は担任の女教師、久地原 由依から生徒指導という名のお叱りを受けていた。
儀式の後、それなりに、まぁまぁ気落ちしながら教室に戻った飛鳥を待っていたのは、担任からの校内放送での呼び出しだった。
クラスの連中に「アカ~ン、ダメだったわ~」などと失敗を軽い笑い話へと昇華させてる最中に、
『二年C組の徒神 飛鳥! 至急、職員室にまで来いッ!』
と、校内放送で怒鳴り声を名指しでバラ撒かれ、ほくそ笑んでいる教師や生徒に後ろ指さされながらも廊下を全力疾走し、そしていざ職員室の扉を開けたら待ち構えていた義理の姉でもある担任の先生に教科書で名スラッガー張りのフルスイングで額を打ち抜かれる。
……という、校内で軽い公開処刑に晒された後に担任からの愛の鞭を受ける……といった2コンボを経て職員室の今に至る訳です。はい。
「何が『すんません』だ、お前は! 他にも言われたぞ。一般教養の科目も平均点スレスレなクセに肝心の授業も居眠りしがちだと……自分の教え子ながらよく進級できものだと思うよ、本当に」
「それはオレもそう思うけど……ってか、そんな事まで言われたのか? 姉貴?」
と言った瞬間、飛鳥の頭頂部に教科書という名のバットが再度猛威を振るった。言うまでもないが打者は由依だ。
「学校では“久地原先生”と呼べ、馬鹿者」
「……あぃ、久地原先生……」
儀式にも失敗するわ頭をよく叩かれるわで、今日はまったくもって厄日である。
「まったく……一般教養は危なげなくせに霊力を応用した身体能力の強化。それを併用した体術の科目だけは特待生クラスの成績とは……」
「そりゃまぁ家で姉……久地原先生に組手の訓練に付き合わされてるから。それにオレ、生まれつき霊力が多いみたいでさ」
その二つだったら誰にも負けない自信がある。この聖霊校で唯一飛鳥が鼻高々に自慢できる事なのだが、
「だがそれだけだ。いいか飛鳥。此処は聖霊術士を育てる学舎の聖霊校だぞ。どれだけ他が突出していても、肝心の聖霊がいないのであれば評価の対象にはならん」
「うっ……」
ぐぅの音も出ない程に痛いところを突かれてしまったが、由依の言っている事は正しい。聖霊校とはそういう場所なのだ。
『聖霊』と呼ばれる特殊な力を持った幻獣が住む『聖霊界』と、飛鳥達人間が暮らす地球とが繋がってから、かれこれ四〇〇年の年月が経った。
人間と聖霊。異なる二つの種族が生きる世界へと変わった地球で、両種族を結ぶ架け橋としての役割を担って生まれた存在。
『聖霊術士』
それを目指す者を育て上げる目的を持ったのがこの学校だ。
そんな人材を育成、輩出する目的で設立された聖霊校に在学していながら聖霊と契約できていない。
そんな致命的な欠陥を抱えている生徒(飛鳥)には、正当な評価なんて下されようがなかった。
「それにだな飛鳥。私達聖霊術士は四〇〇年前に起きたあの『大災害』を繰り返させない為に存在しているんだ。この世界に最初に現れた聖霊達が起こしたあの事件のだ……聖霊を止められるのは、聖霊と契約を交わして力を得た聖霊術士のみ。その為にはまず何よりも聖霊と契約が出来なければ話にならないのだぞ」
――『大災害』
それは聖霊術士で無くとも、この世界に生きる人間ならば誰もが知っている、
今もなお、歴史に深く爪を残している悲劇だ。
四〇〇年前、この世界に突如として現れた十体の聖霊。
彼等がこの世界に出現して最初にした行動は……破壊だった。
それは予期せずにして地球に召喚されてしまったが為の錯乱によるもの。地球の環境にすぐには適応出来なかった彼等の力が暴走してしまい起きてしまった惨事だ。
大勢の人達が傷つき、そして亡くなったあの歴史的大事件を繰り返させない為にも、聖霊と契約を交わした聖霊術士という存在は世界から必要とされていた。
「けどさぁ。なんかオレって聖霊に嫌われやすい性質みたいでさ。ぜんっぜん、召喚に、だ~れも、応じてくれないんだよねぇ……例えて言えば、何もしてないのによく犬に吠えられちゃう奴? みたいな? 参っちゃうよね~ハハ」
笑って誤魔化してはいるが、実際、契約の儀式において『召喚』というプロセスが飛鳥にとって最大のネックだった。
術士は儀式で使う――聖霊の力を抑制する働きを兼ね備えた――円陣に『霊力』という体内に循環するエネルギーを流し込み、聖霊界との通路を開いて『聖霊界』にいる術士の霊力と波長が合う聖霊を召喚する。
そして双方の合意をもって契約する。といった仕組みになっている。
だが飛鳥は、その召喚という最初の手順で何時も躓いてしまっていた。理由は分からないが、誰も飛鳥の呼びかけに応じてくれないのだ。そのせいで飛鳥は未だに聖霊と契約できていなかった。
「笑ってる場合か、この馬鹿者。今は体術の成績と内蔵している膨大な霊力のお陰で在学を許されてはいるが、このまま契約ができない状態が続けば最悪の事態を招くぞ」
「……最悪の事態って?」
「退学させられてしまうと言うことだ」
「げっ!?」
突然の、しかし当然でもある通告に飛鳥の口から情けない声が漏れる。予期していなかったわけではないのだが、こうも面と向かって言われると精神的に堪えるものがある。
「それが嫌なら今以上に儀式に励む事だ。あと勉強もな」
「……じゃあさぁ、教えてくれよ久地原先生。聖霊を呼び出すコツを」
「え?」
由依はまるで不意打ちを食らったかのように顔をキョトンとさせた。
「だからコツだよ、コツ。担当した先生は集中だ~集中だ~の一点張りでさぁ。精神論ばっかで全然教えてくんねーんだよ」
「そ、そうか……精神論か。確かにそれでは……ほんのちょっと、いや、少しばかり分かりにくいか……な?」
由依の口から出てくる言葉は辿々しく、妙に歯切れが悪い。
「先生だって聖霊と契約した事あるんだろ? だからオレに教えてよ。その時どうやってやったかのかをさ」
「そ、そんなもの……お前……」
少し困ったように表情を曇らせて由依は考え始めた。そして、
「そんなものお前……気合いでどうにかするに決まっているだろッ!」
やけくそ気味に勢いでそう言ってのけたのだった。
◇◇◇
「……精神論の次は根性論っすか……」
学校終わりの通学路。はぁ、とため息を一つつきながら飛鳥はトボトボと、夕日に沈みかけた街の中を歩いていた。
結構な長い時間、拘束されてしまった。内容の殆どが説教で埋め尽くされていたし、最後の質問に対する返答は御世辞にも実りがあるとは言えないものだった。
……とはいえ、
「あの質問は少し意地が悪かったかねぇ」
契約の儀式を用いて術士は聖霊と契約する。それは聖霊術士を目指す者なら誰でも知っていることだ。
だが、その儀式の重要な構造はハッキリとは解明されていないのだ。
術士によって儀式で呼びされる聖霊の姿はそれぞれ疎らだ。箱を開けるまで分からない状態。聖霊召喚の法則性は未だ紐解かれていなかった。
それに加えて飛鳥の例はとても稀だ。いや、もしかしたら初の事例と言っても過言ではないのかもしれない。
召喚には成功したものの聖霊が契約の合意をしてくれず、なくなく聖霊界にお帰り願うといった残念なケースはよくある事ではある。
――だが、召喚に失敗したという者はいままでいなかった。
人間の対人関係で得手不得手があるのと同じで聖霊にもそう言った感情があると……それが原因で召喚に応じない事例が生まれるのではないか。
……と言うのが、聖霊校に席を置いている学者達の見解。だが実際はどうかは誰も分からない。ましてやそんな事、一介の教師に分かる筈がなかった。
職員室を出る前に見た、背中を丸めて椅子に座っていた由依の後ろ姿が頭に浮かぶ。
教師としては馬鹿が付くほど真面目な人だ。悩みを抱えた生徒の質問に対してちゃんと返せなかった事に自己嫌悪でもしてしまったのかもしれない。
……何だか悪い事をしてしまった気分だ。
「……オレってサイテー」
後で姉貴に謝っておこう。
そう考えながら友人達が待つたまり場へと足を進める飛鳥の視界に、聖霊と共に帰路につく生徒達の姿が入った。
犬のような姿をした聖霊と一緒に歩く男子生徒や、肩にリスみたいな愛らしい小動物型の聖霊を乗せた女生徒。
他にも多々居るが、彼らを見て共通して思えるのは、みんな仲睦まじそうという事。
「皆さんホント楽しそうで……」
飛鳥が聖霊校に入ったのは人間と聖霊を繋ぐ架け橋になりたいから……などと言う崇高な目的などでは無い。
飛鳥が聖霊術士を目指し、聖霊校の入学を決めた理由はただ一つ、
「……羨ましいな、ちくしょう……」
自分の事を理解してくれる聖霊と……友達になりたかったからだ。