負けたくない_2
深夜、私は気持ち良さげに眠る一人の男を、たった今発生した問題に対応するため起こさんとしていた。
「おい、起きろ男。愛する姉さんの家で何してやがる」
「こらシュリ、寝ている人を蹴るんじゃない」
敵意むき出しで足元に寝転がる人物を睨みつけるシュリをどうにか抑えて私も声をかける。
「アオト、悪いけど起きて。緊急事態なの」
「この男はアオトって言うんだな。俺に許可なく親しくするなんて許せない」
「なんであんたの許可が必要なのよ。シュリはちょっと黙ってなさい」
そんな騒がしやりとりを枕元でしていたものだから、すぐにアオトは目を覚ました。ぼんやりとした意識の中こちらを見て、一言。
「く、クレハが幼くなった」
「気持ちは分からなくもないけど、それはクレハじゃないわ」
「え、あ本当だ。本物のクレハもいる」
本物もなにも、クレハは初めから私しかいない。起きて早々では確かに理解しがたい出来事かもしれないが、にしてももう少しまともな反応があるだろう。寝起きじゃなければ一発蹴りを入れていたところだ。
「おい起きろアオト。姉さんを困らせるな」
シュリは問答無用でアオトの腕を蹴る。手加減はしているだろうが、この時点でこんなにも警戒しているとなると、少し厄介かもしれないな。シュリを止めようとしたところで、アオトが先に声を上げる。
「ちょ、痛い痛い。ちっさいクレハは普段よりも暴力的……」
「ん、何か言ったかしら」
その言葉に私も足を持ち上げると、アオトは慌てて飛び起きる。初めからそうしていればいいのよ、全く。
「クレハさん、顔怖い」
「アオトが変なこと言うからでしょ。それで、改めてなんだけど、問題が起きたので悪いけどこっちに来てくれる」
まだ状況が一切飲み込めていないアオトの手を掴み無理やり食卓まで連れていく。その後ろを、シュリが続いた。
「こらシュリ、必要以上にこの人を攻撃しない」
背後の気配で、ふらふらと歩くアオトをシュリが後ろから蹴ろうとしているのを感じすかさず牽制する。さすがにこれは、放っておける問題ではない。シュリがなぜこれほどアオトを敵対視しているのかは分からないが、反応が予想以上である。もう少しおとなしくしてくれるとこちらとしては助かるんだけれど。
とりあえずアオトを座らせ、向かいには私が、そして最も遠い位置にシュリを座らせる。今この二人を近づけてもいい予感が一切しなかった。
「疲れているのに急に起こしてごめんなさい。でも、アオトにどうしても今話さなければならないことが飛び込んできてね」
「あー、それはなんとなく分かったから気にしないで。俺もクレハん家の部屋を借りてる身だからね、今夜は。んで、この子は」
「シュリ」
冷ややかな声で放たれた言葉に、アオトは目を丸くしてシュリを見た。シュリも、相手を射るような瞳でアオトを見つめる。
「シュリ、やめなさい。少なくともアオトは敵じゃない。むしろ今警戒されてるのはあなたの方よ」
私はシュリに目を向けず静かな声で言う。彼にはその事実をよく理解する必要がある。シュリが、驚いた顔でこちらを振り向いたのを視界の端で捉えるが、しかし私はシュリを見ない。なるべく感情を混ぜないよう言葉を続ける。
「当たり前でしょう。突然現れて何が目的か分からないような相手、たとえ弟だろうと信じるわけにはいかない。例えば、そうね……里の命で私を殺しに来たんじゃないか、とか」
「変なこと言わないでよ、姉さん。俺はただ姉さんに会いたくて里を出ただけだよ。他にどんな目的もない」
必死なシュリの言葉を、どこまで信じていいのか私は測りかねていた。疑いたくはない、それでも疑わざるを得ない状況なんだ。
「私の場所が正確に分かったってことは、匂いを追ってきたのね」
「そうだよ。姉さんが里を出たのは五年も前だし、それに姉さんは匂いを消すのが上手だから俺くらいしか分からないと思うけどね」
笑顔で語るシュリに、胸が痛くなる。これが演技ではなく本心なら……いや、どちらにせよ結論は変わらないか。
「あなたは、成人の儀は済ませたの」
「もちろん。だから匂いを辿ってこられることもないから安心して。俺も匂い消しを頑張ってみたんだけど、どうにも姉さんみたいに上手くはいかなくて、だから五年待ったよ。この間成人の儀を終えて、その日のうちに里を出たんだ。姉さんが里を出た日から、ずっと再開する日を楽しみにしてたんだ」
一切の悪意も感じない純粋な言葉。シュリは、そういう子だった。真っ直ぐで単純で、迷いがない。ひたすらに私を追っていた日々を思い出す。あの頃からシュリは、何も変わっていないのかもしれない。けど、これだけは確かめる必要がある。
「じゃあ紋章はどこに」
竜狩り族の紋章。それは竜狩り族である印。私も竜狩りの力を使うときに赤い光となって放たれる。そして、成人の儀を迎えたものは、証として体のどこかにその紋章が刻まれたはずだ。
「ここだよ姉さん」
シュリは何の抵抗もなく右手にはめていた革の手袋を外し、その甲に浮かぶ紋章を見せた。まごうことなき、竜狩りの赤き印。
弟の手に浮かぶその醜い紋章を見ていられず、私は彼の手に手を重ね小さく首を振った。
「もういいわ、ありがとう。それと約束して。人前で絶対にそれを見せないことを」
「分かってるよ姉さん。ここの人が竜を恨んでいないことくらい。俺だって一人で里からここまで旅してきたんだから」
「そうね、でもあなたは違う」
竜狩りとしての、証を持った者。その体には、確かに竜を狩る力が流れている。シュリの手を握ったまま視線を伏せると、シュリは私の方に身を乗り出して訴えた。
「俺だって姉さんと変わらないよ!」
その言葉が、私の胸に突き刺さる。そうだ、何も変わらないじゃないか。どうして私だけ、偽善者ぶって竜狩りを否定できるんだろう。印がないだけで私の体にも、その血は流れているというのに。
「クレハ、二人の問題に首を突っ込むのは悪いと思うけど、君は少し勘違いしているようだから少し割り込ませてね。それでシュリ君、君の言い分はよく分かったよ。だからここでひとつ確認しておきたいことがあるんだ。迷惑だとは思うけど、これだけは、この街にいる以上聞いておかなければならないことだから」
正面から聞こえた温かみのある声に、はっとする。そうだ、アオトのことをすっかり忘れていた。シュリの紹介をして、それからアオトに竜狩り族のことをしっかり説明しようと思っていたのに、私は自分のことでいっぱいになって……。
「クレハ、反省は後ね。まずはシュリ君に話を聞こう」
見てわかるほど私は冷静さを欠いた表情をしていたのだろうか。アオトは口元に笑みを浮かべ、私を落ち着かせるよう丁寧に言葉を紡いだ。しかしシュリはそんなアオトが気に入らないのか、先ほど私に向けていた切実な表情から一変、不機嫌に眉を歪めた顔でアオトを見る。
それが最初アオトに向けていた敵意とはまた違った思いを含んだものだと気付いた時、私の心はいくらか軽くなった。この顔はそう、幼い子どもが嫌いな食べ物を見た時のそれと同じだ。そこには嫌悪感はあろうとも、明確な殺意は込められていない。
「シュリ君、お兄さんそんなに睨まれると悲しいなぁ」
「誰がお兄さんだ。俺はお前が兄とは認めないぞ」
「うん、それ絶対に何か勘違いしてるね。でも俺にとって嬉しい勘違いだから気づかなかったことにする」
そんなやりとりに、思わず笑みがこぼれた。アオトは案外、子どもの相手がうまいのかもしれない。精神年齢が近いからだろうか。
「それで、アオト。聞きたいことっていうのは」
話が逸れていきそうなので私が無理やり修正すると、アオトはそれだよと手を叩き、改めてシュリに向き直った。その瞳があまりにも真剣だったので、生意気な口を利いていたシュリも声を詰まらせ唾を飲み込む。私も、こんなアオトの目を見るのは、あの溶岩に飲み込まれかけた日以来で少し緊張する。
けれど大丈夫、分かっている。彼がシュリに聞きたいことは、私も知りたいことだ。
「ねぇ、シュリ君。竜は嫌いかい?」
シュリはアオトの眼差しから逃れるように視線を逸らした。
「誰がお前なんかの話を聞くかよ」
拗ねた口調で、しかしどこか声を震わせてシュリは言う。素直にアオトの話を聞きたくない気持ちと、真剣な思いを邪険に扱う罪悪感が小さな体の中でせめぎあっていた。どこか遠くを見つめるその横顔は、今にも泣きそうだ。
そこで初めて、十二歳という年で生まれ育った故郷を離れ、僅かな可能性にすがってここまでやってきた少年の抱える大きな不安に気づく。そうだ、シュリはまだ幼くて弱さを必死に隠しているだけの少年なんだ。私はそこに目を向けず、ただ竜狩りの里から来た危険な人としか捉えていなかった。彼の恐怖にもっと早くから気付いていたなら、どうしてあれほど冷たい言葉を投げかけられただろうか。私はこの震える少年の立場に立ち、思いを受け止めるべきだった。その裏にどんな危険が潜んでいようと、まずは彼を抱きしめて一言大変だったねと言ってあげるべきだったのだ。
彼にとって私が、どうにか探し出した安息の地であったのなら、そこですら彼を苦しめることはなかったのに。どれほどの不安に打ち勝ちここまで来て、やっと安らげると思ったらそこでも辛い思いをすることになった彼の悲しみは、それを隠してわたしに信じてもらおうと懸命に語る彼は、もう限界に違いない。
それでも負けまいと振舞う彼に、私は何をしてあげられる。
そんなの、決まっているじゃないか。今からでも遅くない、彼に手を差し伸べるのは。
「シュリ、よく頑張ったね。お疲れ様」
「ね、姉さん……!」
「もう良いんだよ、無理しなくて。あなたがどんな考えでも私は受け入れる。だから今は、力を抜いても良いのよ」
シュリは私の腕の中でしばらく黙っていた。自分の中にある複雑な感情に、どうにか片をつけているのだろう。やがて小さな声で話し始める。
「姉さんが竜を好きなのは、まだ姉さんが里にいた頃から知ってたよ。だって、俺にだけは話してくれたもんね。里への不満とか、竜に対する思いとか。けど、結局里を出ることだけは教えてくれなかった。姉さんがいなくなった日、俺がどれだけ泣いたか姉さん知らないだろう? 情けないとは思うけど、俺には姉さんが全てだった。姉さんの言うことが絶対で、両親含め里のみんなが言うことは、全てまやかしだ。だから俺も竜を恨んだことはない。散々聞かされたお伽噺も、所詮はただの空想だと思ってたよ。姉さんが竜は優しいと言うなら、きっとそうなんだって信じてた。ここに来てその言葉が嘘じゃなかったって分かったよ」
シュリは静かに語った。自分の過去を振り返りながら、ゆっくりと、なおも語り続ける。
「ただ俺は、姉さんみたいに竜を好きなわけではない。嫌いでもない、恨んでもない、どうでも良いんだ。ここの人たちみたいに竜を神様のように崇めるなんてことは到底出来ないよ。本当に、どうでもいいんだ。だから俺は、姉さんが里を出た後、俺を本格的に教育しだした両親に連れられ任務で竜と対峙した時……力を、使ったよ。殺す気はなかったけど、仲間を守るためなら、仕方がないと思った。竜を傷つけることを、厭わなかったんだ。必要があれば、今でも竜に力を使える」
それは多分、私には言いたくなかったシュリの本音だろう。言葉の端々から私に嫌われるのではないかという恐れを感じた。だから私は、受け止める。言わせたのに突き放すなんて最低なこと、もうしないから。
「あなたも、私と同じなのね」
「えっ……」
「私と同じ、竜を恨んでいなくとも竜狩りの力が使えてしまう異端児。けどシュリは今までうまくやってきたわ。それはあの里に生まれた者としては、正しい選択よ。本当はね、シュリを置いて出る時、きっとあなたに全てを押し付けてしまうのだろうと申し訳なさでいっぱいだった。竜は恨まずとも力が使えた私は、その思いを隠しひたすら両親から力を使いこなす術を叩き込まれた。幼いあなたには目もくれず、力が強かった私にだけ注目して。けどそんな私がいなくなった時、きっと両親はあなたを一人前にするため厳しい指導をするでしょう。私に裏切られた期待を、あなたで取り戻すために」
シュリは小さく笑って、私の胸に耳を寄せる。私の鼓動を聞いているのだろうか。それはまだシュリが幼くか弱い時、部屋の中で今にも泣きそうな顔をして一人座っていたこの子を、修行から帰りいつも抱きしめ落ち着かせていた、あの時のシュリと似ている。やはり、隠していただけで本当は今にも泣きそうなくらい、寂しかったのだ。
「姉さんの言うとおりだ。あの日から両親は急に俺を見だしたよ。それまでずっと育ててくれたのは姉さんだって言うのに我が物顔でね。けど修行は辛くなかった。いつか姉さんに会うためならと思えば、頑張れたんだ。そして今日、その努力が報われた」
顔を上げ、満面の笑みで私を見つめる。その瞳に宿る眩しき光を消さないよう、私は、言った。
「ありがとう、シュリ。また会えて嬉しい、そして、まだ慕っていてくれて……ありがとう。今日はあなたも休めるよう部屋を作るわ。そして、十分に休んだらすぐに里へ戻りなさい」
「えっ、姉さんどうして。俺が里の命令でここにきたわけじゃないって信じてくれたんじゃ」
「信じてるわ、シュリ。でもそれとこれとは別よ。あなたにはこの街にいる理由がない」
街にいる理由がない無目的の余所者を、この街に置いておくわけにはいかないのだ。これは、ガーディアン・フォースとしての使命でもある。
シュリは目を伏せ、しばらく黙り込む。しかし、意を決したように重々しく口を開いた。
「理由なら、あるよ」
ゆっくりと視線を上に向け、私を真っ向から見つめる。
「姉さんの側で、姉さんを守るためにここまで来た。俺はそこにいるアオトとかいう男より絶対に姉さんの役に立ってみせる! 姉さんを守ってみせる」
「それなら尚更、必要ないわね」
視界の端に、急に名前を呼ばれきょとんとしているアオトが映ったが、そんなことは気にしない。どうやらしばらく見ない間にシュリは随分と立派なことを言うようになったみたいね。それはもちろん良いのだけれど、今の発言は黙って聞いていられないわ。
「私は誰かに守られるほど落ちたつもりはないわよ。自分の身は自分で守る。他人の手は借りないわ」
「そうは言うけど、姉さん。この平和な街にいて、少し腕が鈍ったんじゃないかい? そんな時に、里の人が姉さんの命を狙いにやってきたら大変だ。俺は最近まで命をかけて竜と戦っていた。だから俺がいれば安心だよ」
「言うようになったわね、シュリ。でも甘い。そういう台詞は、私に勝ってからにしなさい」
シュリは唾を飲み込み、緊張と興奮をその顔に浮かべた。戦意は十分、といったところか。私も、久しぶりの棍使いとの戦い、胸が踊る。
「やっと姉さんに、修行の成果を見せる時が来たんだね」
「もと里一の棍使いに勝てるかしら」
「もと里一に棍を習ったんだ。負ける気がしないよ」
互いの視線がぶつかり合う。二つの鼓動が高まり、一つの色を持ってその喜びを示す。あなたと本気で戦える日が来るなんて、嬉しいわシュリ。せいぜい私を、楽しませてちょうだい。
翌朝、普段からよくジェシカの散歩に訪れる草原に三人はいた。眠そうにあくびするアオトをよそに、私とシュリは対峙する。お互いの手に握られるのは、愛用の棍。とは言っても、シュリの棍に見覚えはない。私が里を出てからもう5年も経っているのだ、成長に合わせて新調したのだろう。かく言う私も、少し前に無理をして棍を木屑にしてしまったので、新しく作り直したものだが。
でもね、たとえ振り慣れていなくともこの棍に込めた気は十分よ。ジェシカと共に選び、共に作ったのだから。この棍は、混じり気のない竜を守る意思だけを注ぎ込んだの。
シュリ、あなたのその棍には、どんな想いが込められているの。
「嬉しいよ。姉さんとこうして戦える日が来るなんて」
「私もよ、シュリ。強くなったあなたを私に見せて、喜ばせて」
「もちろん、負けないよ。姉さんに勝ち、胸を張って姉さんの隣に立つんだ。姉さんを守れる男になったって証明してみせる!」
風が二人の間を吹き抜ける。ややあって、芝の上にあぐらをかき、あくびを噛み殺しながら手を挙げる人物が一人。
「ふぁーい、一応確認ね。二人とも、絶対にその特別な力は使わないこと。純粋に棍を扱う技量で競うこと。それから……無理をしないこと。いいね、俺怪我するとことか見たくないから」
シュリは返事の代わりにふんと鼻を鳴らす。それを見て私も頷いた。それから、口を動かさずに小声で呟く。
「心配しなくても、一瞬で片がつくわ」
棍の一点に気を込めながら、ゆっくりと棍の先をシュリに向け構えを取る。この街に来てから考え出した、今の私に求められるものを的確に素早く繰り出すための、私流の構え。シュリも莫大な気を放ち全身に纏わせ、棍をやや引き気味に構えた竜狩り伝統の構えで私を見据える。その目からは、私の些細な動きも見逃さないという意思を感じる。
その目を待ってたよ、シュリ。幼い頃からずっと、相手が動いて隙が生まれるまでこっちは絶対に動いてはいけない。そのための忍耐力を鍛えなさいって言ってきたものね。その目、私の隙を捉えて確実に狙うというその意思、全て私が予想した通りよ。
あの里は何も変わらない。伝統と格式を重んじた竜狩りの魂は、たった数年では何一つ変化しない。それはつまり、衰退もしなければ成長もしないということよ。そこで修行したあなたに、私は越せないわ。
さぁ、乗ってくれるかしら。
口元に笑みを浮かべ、私は体を左に倒す。そして次の瞬間、決着はついた。空へ飛ばされた一本の棍が宙を舞い、草の上で数回跳ねた後動かなくなる。
「だから言ったでしょう。あなたは私に勝てないって」
よほど衝撃的だったのか、シュリは棍が交わり手から離れた瞬間の姿勢で静止していた。仕方なく私は背後に転がっているシュリの棍を拾って差し出した。
「相変わらず、里の木は重いわね。こんなのを素早く振おうものなら、肩が壊れかねないわ」
「どうして、俺は姉さんの棍が届かない位置を確実についたのに」
「だから、それが甘いのよ」
シュリの棍を、あえて里にいた当時私がしていたような振り方で振ってみせる。
「私の棍とあなたの棍はそもそも目的が違うの。あなたの予想を、私はある分野に関しては容易に越えることができる。それに、あなたの戦い方は構えからして全て無駄ね。強烈な一撃を食らうわけでもないのに、大量に気を放ち体を守る必要なんて、こっちではないの。加えて、人間相手にそんな大振りじゃ、動きを読んでくださいって言ってるようなものよ。あなたの行動全てが、竜を想定した戦い方ということ。この街での戦い方ではない。すべきことも、求められることも、何もかも里とは違うの。これで分かったでしょう。この街であなたは、私を守ることはできない」
「隙を見せたのは、わざとだったんだね。そっか、そうだよ、俺が尊敬していた姉さんがあんな行動、何か意図があるに決まってたんだ。それなのに俺、見切ったと思って……姉さんの手の上で踊らされてただけだったんだね。もしかしたら、どこかで姉さんはもう命がけで戦ってないからって、油断して向かってたのかも。馬鹿だよね、全く。俺が尊敬している姉さんはそんな人じゃない、どこへ行っても強い人なんだって知ってたはずなのに。だからこそ追いかけてきたのに……姉さんがいなくなってから俺、自分のことしか見えてなかったよ」
両手に持っている棍を足元に置き、力なくうな垂れたシュリの髪を撫でる。
「良いの。これからは私のことなんか気にせずに、あなたのしたいことを考えて生きなさい」
その日はシュリを家に連れて帰った。アオトには、私たちの事情に巻き込んだお詫びと、ジェシカによろしくということを伝え草原で別れた。アオトは何か言いたそうにしていたが、結局挨拶だけして去っていった。彼なりに思うところはあったのだろう。しかしながら、他人の家の問題に深く関わる勇気は無いらしい。あの何も考えていなさそうなアオトも、はばかるということを知っていたようだ。タッグを組んだものに対するその辺りの線引きは、彼なりにあるのだろう。ただ、今回はアオトに助けられた所もあった、今度礼をしなければ。
それから、今後シュリがどのような道へ進むのか。よく、話し合わなければならない。私は、シュリがしたいことを応援しよう。どのようなもになったとしでも、それが姉としての使命であり、勝ったものの責任だから。
これから十分に生きていけるだけの準備をして、彼が疑われないような言い訳を用意して……しばらく家にいることになろうとも、もう、見捨てたりはしない。
「おいくず、いつまで寝てるんだ起きろ!」
子どもたちの笑い声に溢れた賑やかな草原に、罵声と呻き声が混ざりこむ。しかしそれを周りの人は気にも留めない。それがその草原のいつもの光景であるかのように、明らかに不自然な音が自然と溶け込む。子どもたちは時折、その不自然を見て笑った。また怒られてるねと。
しかし、今日に限っては僅かな違和感を感じた人が数人いた。その人たちは、横目でその不自然を観察する。
「痛い、痛いよ、いつも手加減してくれるのにどうして今日はそんな本気なんだ」
言いつつ、開いた状態で顔に載せていた本をずらして、アオトも周りの数人が感じた違和感に気づく。それから驚いた顔をして慌てて飛び起きる。
「へ、え? シュリ君?」
シュリは鼻を鳴らして腕を組み、アオトを見下ろす。どうにも事態が飲め込めないアオトに対し、さすがにシュリが突っかかろうとしたので、さすがに止めに入った。
「シュリ、もう十分でしょう止めなさい。今後アオトは先輩にあたるんだからそのくらいにしておいて」
「っち、姉さんが言うなら仕方ない。俺はこんなクズを先輩だとは思わないし、姉さんの相棒とも認めないからな」
「はいはい。アオトも急な事で驚かせたわね。あぁでも眠気覚ましにはちょうどよかったか。というわけで、紹介するわ。この度ガーディアン・フォース養成学校に入学する事になった、弟のシュリよ」
私は無理やりシュリに頭を下げさせる。するとシュリは、嫌々ながらも小声でよろしくお願いしますと呟き、すぐに顔を上げ一歩前に出た。
「俺は旅で疲労してる中、この街の人に救われた。だから、この街の人を守りたい。そのためにすべき最善の手を選んだんだ。お前なんかすぐに抜いてやるんだから、覚悟してろよ。そして、いつかは姉さんも守れる強い男になるんだから。じゃあな」
駆け出していく白い制服姿の彼に私は手を振る。
「気をつけてね、シュリ。周りに迷惑かけないようにね」
もちろんという元気な声と、嬉しそうな横顔。それだけで、十分だと感じた。シュリは、誰かにとっては間違った選択をしたのかもしれない。それでも、彼にとっては最も正しい道を選び、歩み出したのだ。それは彼の顔が物語っている。
「てっきり俺は、里に返すもんだと」
シュリの走り去った方を見ながら、放心状態のアオトが呟く。そんなアオトの隣に私も座り答えた。
「まだ竜の事は、よくわからないって本人も言ってた。でもこの街は、彼にとって素敵な場所だったみたい。そんな素敵な街が愛する竜だから、この街にいればきっといつかは好きになるだろうって。だからこの街にいたいんだって。でも、ただいるだけではいけない、何か自分にできる役目が必要だ。そう考えた時、自分に最もふさわしいのはこれだという結論に至ってね。私も、それが本当にシュリのしたい事なら、支えてあげるべきだと思ったの。だってシュリ、里にいた頃より生き生きしてるから。……正直、あの里に返すのは不安もあった。だから今は良かったって、心から言えるわ。竜を嫌わないものは、あそこにいるべきではない。きっといつか苦しい目に遭うだろうから」
暗い話はどうも苦手だ。そのくせ自分から暗い方向に進んで行ってしまう。このままではいけないな。せっかくシュリが、明るい未来へ走り出したというのに。
「シュリは、グランド・ガーディナーを目指すみたい。もちろん、養成学校の適性試験にもよるだろうけど、一番街の側で街を守れるのはこれだって言ってたの。本当に好きなのね、この街と人が。私も同じだったから、よく分かる。あの時、身も心も崩れ果てそうだった私を受け入れてくれたのは、この街だったもの。だから私もこの街の役に立ちたい。そうして選んだのが、ガーディアン・フォース。私はこの仕事に誇りを感じてるわ。だから、どれだけ書類仕事ができない残念な上司でも、DDの仕事だけは頼んだわよ」
立ち上がり、大空に手を伸ばす。そこには遥か上空を旋回する白竜の姿。目を閉じるとキアーという特徴的な鳴き声と、羽音が聞こえてくるようだ。全てが愛おしい。
「俺も、シュリ君に負けないよう頑張らないとな。本気でクレハを取られそうだ」
ゆっくりと立ち上がったアオトも、同じように空を見上げる。
「何馬鹿なこと言ってるの。取るとか取られるとか、何の話よ一体」
「んー、こっちの話」
明らかにはぐらかされ、少し置いて行かれた気がしてアオトを睨む。するとそこに、急降下してきたジェシカが周囲に突風を吹かせながら華麗に着地する。アオトの銀の髪と、ジェシカの白翼が光を浴びて煌めいた。
一瞬、ほんの一瞬だけ、その空間が何か神聖なものに変わったかのように感じるほどその光景は美しく、私の目に焼き付いて離れない。
白が一体化して、アオトも白竜の一部であるかのようだった。そして私は、そこに混ざることはできない。この神聖なものを守るため血を浴びて身を汚すのが、私の役目なのだろう。
そう直感して、少し悲しくなった。私のちが汚れていなければ、その空間に入れたのかな。けれど今は、側に入れるだけでいい。側で戦えるのなら、それで良いじゃないか。
「ジェシカ、お帰り。ジェシカの近くに立ってれば、アオトも少しはかっこよく見れるものね」
「それ、貶してるよねクレハ……。俺にとってはいつでもクレハは可愛くてかっこいいんだけどなあ」
「ん? 何か言った」
顔を朱に染めて言われた言葉、今その言葉を聞いてしまったら甘えてしまう。だから私は、何も聞いてはいないのだ。ここを到達点にしてはいけない。まだ、強くならなければ。
「クレハ、本当は聞こえてただろう。俺の勇気を返してくれ」
泣き言を言うアオトに自然と笑みが漏れる。残念ではあるけど面白い人ね、あなたは。今まで私が関わってきた中で、一番私を悩ませてくれる。
「ほら、それよりも今日は本社へ報告に行くんでしょう。早くしなさい」