悲しみの雨の話
幸いポルカは仕事でいないらしく、面倒な人にもバレずに総合拠点を出る事が出来た。外は真っ暗ではないけど、街灯がぼんやりと道を照らしているのが鬼火みたいで少し怖い。
……それでも、ボクはロギに会わなきゃいけない。会って、ロギが何者なのか確かめないといけない。
記憶を頼りに、不気味な道を走り続けた。
息も絶え絶えに辿り着いた先で、ロギは天罰を待つかの様に暗い空を見上げていた。
夜の桜は街灯に照らされて、青白く輝く。あんなに誇らしく咲いていたのが、夜になると急に今にも消えそうな儚いモノに思えた。
「……やぁ、来てくれたんだね。嬉しいよ」
「……ロ、ギ……」
全力疾走を続けたせいで、呼吸が上手く出来ない。深呼吸をして、なんとか整える。
落ち着いてきた所で、ロギは小さく言った。
「……クロトちゃん。僕……ちゃんとヒトに見えてる?」
「?……うん」
何故そんな事を聞くんだろうと疑問に思いながら、ロギを見上げてみた。
……うん、ちゃんとヒトに見えてる。
念のためもう一度、頭の天辺から爪先まで眺めてみたけど、特におかしな所は見当たらない。
ちゃんとヒトだ。異能者だ。
「そう言うと思った。……でもね、僕はヒトじゃない」
突然強い風が吹きつけてきて、とっさに目を覆った。
腕を下ろした瞬間、有り得ない姿のロギが視界に入る。
「……え?」
足が、ない。しっかりとあったハズの身体もガラスみたいに透けて、水面にでも映ったかの様に揺らめいている。
「信じられないだろうけど、多分分かるよね。
……実は僕、ユウレイなんだ。……怖い?」
未来予知に混じっていたノイズが、取り払われた。暗かった視界は、青白い光が照らす。
……ロギはと言うと、少し陰りが見える笑顔だった。
「怖くないよ」
手を取ろうとしたけど、すり抜けてしまう。本当にユウレイみたいだ。
「……普通のユウレイは、生きてる人には干渉出来ないんだよ。
……殺し屋だった僕は、2年前に変な人に殺されて死んだ。毛先にいくほど黒くなる長い髪に、なんだかよく分からない服を着てて、右腕に大きな盾をつけた……クロトちゃんにそっくりな、蒼い目の女の人にね」
……蒼い、目?
ボクにそっくり……仮にボクが母親似だとしたら母親か。父親と一緒で、最低だな。
「ううん、違う。僕はその人に何かで刺されて意識を失って……次に目が覚めると変な所にいた。『迷宮(ラビリンス)』みたいに薄暗くて、蒼い結晶が浮いてて。ここが死後の世界かなーって思ってると、その女の人が話しかけてきた。『地獄に行くと思ったか?』って」
「勿論僕は素直に頷いた。その人は黒人(クロト)って名乗ってから、『ここは地獄よりもっと酷い所だ、これからお前には存在が消えてしまうまで働いてもらう』って言った」
理不尽な人だったよ、とロギは笑う。確かに、ずいぶんと酷い人だ。……労働するだけなら、地獄の方がキツいと思うけど。
「それで生身の身体をもらう代わりに任せられたのが、死後の世界にいる化け物の世話と、時間をねじ曲げてる子の始末。そして黒人さんの生まれ変わり……つまりクロトちゃんの様子を報告する事。それが出来なかったら、完全に魂を断ち切るらしいよ」
「……ボクが……生まれ変わり?」
「うん。本当はもっと複雑な存在らしいけど、生まれ変わりで大体合ってるから。……頼まれたんだよ。『私のせいであの子が苦しんでいるのであれば、少しの間だけ助けてやって欲しい。お前を殺したのは4割そのためだから』って」
「……わざわざそんな事しなくても」
「クロトちゃん」
いいのに、と言う言葉は強く遮られた。
「そんな事しなくてもいいなんて嘘だ。初めて会った時からちゃんと聞こえてたよ。怖い、助けてって叫ぶ君の『声』がね。……今もそう。前よりはだいぶマシだけど」
「……分からないよ。そんなの思った覚えない」
「やっぱり、重症だ。でも安心した。僕が消える前に……ちゃんと君の病気を治せる」
……ロギが消える。病気が治せるモノだった事よりも、信じられない言葉だった。
「……そんなのいいよ!!ボクは……ボクは……!!ロギがいるなら、マボロシ病なんか治らなくたっていい!!」
ココロを開けてくれた人に、初めて大事だと思えた人に、消えて欲しくない。
気づけばボクは、泣きながらそう訴えていた。
……不意に抱きしめられる。雨で冷えた身体に、温度を感じる事はなかった。
どうやら自分から動いた時だけ、ユウレイは質量を持つらしい。
「……残念だけど、もう消えるしかない。キュウビの火は、ユウレイを消すから」
「嫌だ……そんなの……嘘、でしょ……」
「本当。……ねじ曲がった僕の存在は途中から元通りにされて、きっと皆の記憶からも消えてしまう。だから、クロトちゃんに言っておくよ」
ロギは酷い。酷いけど、優しい。
いつもするみたいにボクの頭を撫でて、静かに言った。
「……マボロシ病は精神病。愛されなかった人のココロの傷が、肉体に現れた結果。だから薬なんて効かない。……患者が一番信頼している人が傷を癒さない限り、決して治らないって事らしいよ」
ボクは何も言わなかった。いや、何も言えなかった。
ただロギがいなくなるのが怖くて、鼓動のない胸に顔を埋めていた。
「……だからクロトちゃんはもう大丈夫。後1回、発作が起これば治る」
「……僕がいなくなっても、きっと君は忘れないだろうね。こんなに大事だって思ってくれた人、僕も初めてだったから」
体を離される。いつの間にか、ロギの身体の周りを、ロウソクの火の様な小さな光が舞っていた。
「……これから先、君は色々な経験をする。もしかしたら、悲しい事が立て続けに起こって『嬉しい事なんか何ひとつ起こらない』なんて思うかもしれない。
……同じ様に、僕が消えたらずっと塞ぎ込んで泣いてばっかりになってしまうかもしれない」
光は数を増す。もっと増えればロギは消えてしまうだろう。そんな現実を見たくないのに、彼の言葉がボクを現実へと引き戻す。
「その時は思いっきり泣いていい。傷ついていい。いつか必ず、救ってくれる人が来てくれるから……その分、誰かを救える人になって」
「そんな人にボクなんかが……なれる訳、ない……」
ロギの身体は肩の所まで消えている。涙で滲んでよく見えないから、認めたくなかった。
「ううん、きっとなれる。……これでさよならだ、クロトちゃん。……僕を救ってくれて、ありがとう……」
最後にボクの頭を撫でると、強い光と風がロギを消し去った。
「……バイバイ、ロギ」
いつも彼のつけていた包帯が、桜の花びらと共に手のひらで濡れている。
……優しくて、どこか抜けてて、ボクの世界を広げてくれた大事な人は……
あっさりと消えた。
……夢、じゃない。
包帯を握った途端、頭痛がボクを襲う。今までにないぐらいの量の血を吐いて倒れた。
身体に受ける冷たい雫の感覚が薄れていく。
ロギを忘れるのが怖くて、何度も彼の名前を呼んだ。言葉らしい言葉は出なかったし、そもそも声すらも出ていない。
ひとりぼっちの暗い夜、ボクは悲しみの雨に打たれながら意識を失った。




