日常に非ずとかいて非日常
始まって数時間、そろそろ時計の針が7時を射す時間帯になり、勉強会も終わりを迎えた頃、煉が静かに席を立ったことに颯太がすぐに気付いた。
「煉? どこ行くの?」
「ちょっとお菓子でも持って来ようと思ってさ。休憩休憩っと」
そのまま部屋を出る。
その瞬間。
「…じゃあ、漁ろう」
「何をっ!?」
颯太が柚季の発言に驚きの声をあげた。
「……煉の部屋。ものが少ないということは、どこかに隠してる」
「あいつも男だ、エロ本の一冊や二冊……」
「お兄ちゃんのエロ本は私が用意してこっそり部屋に置いておくんだけど、いつの間にか私の部屋にあったりするんだよね」
さらっと瑠璃が凄いことを言ったが、さすがに手馴れているのかみんなスルーして流す。瑠璃の兄への異常な愛は皆が知っているところであり、気にしたら負けという共通の考えを全員が持っているのだ。
ちなみに瑠璃が煉の部屋に置いていくものは義理の妹系統が多かったりする。
「あ、漁るのは良くないと思うんだけど……」
「……そう言えば煉と瑠璃の好感度が上がる、と?」
「違うからね瑠璃ちゃん!」
「なんで瑠璃に弁明しているのか俺にはまったくもって不思議なんだが」
と言いつつニヤニヤしている健翔。
「あっ……」
乃乃は自分の行いに気付き顔を赤らめた。瑠璃は瑠璃で疑問に思い小首を傾げた。理解されていないことに乃乃はホッと息を吐く。
「まあまあ、とりあえずお茶でも飲んで……」
「お茶ねえぞ颯太」
「あ、飲み切っちゃったね」
颯太はコップの中が空だったことを思い出し、乾いた笑い声を出した。
「じゃあ、なにしよう?」
颯太のその声に沈黙が流れる。カチ、カチ、と秒針が動く音が妙にはっきりと聞こえた。
気まずい、そう思った健翔が口を開いた。
「そういや柚希と乃乃は煉のどこが好きになったんだ」
その発言は別の意味で沈黙を招いたが。
ギ、ギ、ギギ……と柚希と乃乃が錆びついたロボットのような動きをした。
「……なな、なに…………」
「ふぇ、え、う……?」
二人とも顔を赤面させて口をパクパクと動かしているが声になっていなかった。そこで健翔はやってしまったことにやっと気付いた。そしてもう一人、煉に想いを寄せている人人物を思い出しそちらを向く。
ずばり瑠璃のことなのだが、コテッと倒れていた。
「……気絶してるな」
「どんだけショックだったんだろ……? 煉ってかっこいいから煉に想いを寄せてる人の一人や二人いてもおかしくないのに」
「お前にも好意を寄せている奴が……って言っても知らぬは本人ばかり、っていう諺があるぐらいだしな。言っても無駄か。それより瑠璃を起こすか」
「うん? ……まあ、とりあえず、るりちゃーん?」
「うーん……はっ! よかったぁ夢かぁ。そうだね、柚希姉と乃乃さんがお兄ちゃんのことが好きなんて変な夢だったね」
本当のことなのだが、また気絶されても困るので二人とも口を閉ざしたままだった。
二人の方を向くと、赤面したままフリーズしていたのでどうしようかと健翔は頭を抱える。どうやって柚季と乃乃をトリップ状態から現実に戻してあげようか考え始め、颯太が微笑ましいと頬を綻ばす。
その時。
床に幾何学的文様が浮かんだ。
少し時は戻り、煉が一階に下りてお菓子を吟味していた。
「やっぱ無難にクッキーがいいか? 甘すぎると健翔が食べないし、かといって数が少ないとだめだからチョコはだめ。手が汚れるのは女性陣が許さないからポテチは論外。というより俺も嫌いだし……」
一人ずつの好みを思い出しながら選んでいく。こういう作業が懐かしくて思わず笑みを浮かべていた。無論乃乃は辛い物が苦手で、甘いものが好きだということもよく知っている。何回か家に来たことがあったのだ。その時に瑠璃と鉢合わせすることがなかったのだが。
「じゃあこの普通のクッキーとチョコクッキー持っていくか」
結局無難なクッキーを手に取ると階段に二階。ついでにお代わり用のオレンジジュースも持っていくことにした。
階段を上り、部屋に行こうとして、気づいた。気づいてしまった。
煉の部屋から通常ありえない青白い光が溢れ出ていることに。
「まさか……!?」
急いで部屋へと掛けより扉を開け放つ。そこで真っ先に目を引いたものは――――床に浮かび上がる幾何学的文様であった。
「みんな、部屋から出るんだ!」
「う、うん!!」
煉の言葉に部屋から出ようと最初に瑠璃が出ようとして、なにかにぶつかり尻もちをついた。透明な壁で阻まれたかのように部屋から出れなかったのだ。
「お兄ちゃんっ!!」
「くそっ! またこのパターンか!!」
煉は悪態をつきながら外から入れないか試したが、やはり入ることはできず、盛大に舌打ちをすると、少し距離を取る。
「瑠璃、少しどいてくれ!」
「う、うん!」
瑠璃が退いたのを確認すると、煉は腰を深く落とし、渾身の一撃を透明な壁に打ち付ける。だが、罅一つなかった。
予想以上の硬さに舌打ちをし、どうしようもないことを悟ると一度部屋見渡す。
部屋の中では軽い恐慌状態に陥ってる。ならば、と煉は一番頼りになる健翔に声をかけた。
「健翔! もうすぐ向こう、異世界に飛ばされる! たぶん召喚陣をみる限り安全な所だ! だから、素直に指示に従ってくれ! もちろん、許せないことは許せないでいいけどさ!」
「わっ、わかった!」
一番頼れる健翔は展開についていけれていないが、その度量でリーダーを引き受ける。それができるのも、煉を信頼しているからこそだ。
「颯太、柚希! 危ない目に遭うかもしれないが頑張ってくれ!」
まだ不安そうな顔をしている二人を激励し、次に乃乃をみる。その瞳は不安で揺れ、今にも泣き出しそうだった。
「乃乃ちゃん……巻き込んでごめん……関係ないのに」
「う、ううん……。私、大丈夫だから……」
煉は自分の無力さに唇を噛み締めた。
無理やり笑顔を浮かべたことが嫌でもわかってしまった煉は、やはり無理やり笑顔を作って「ありがとう」と呟いた。
すでに時間が迫っている。輝きが増し、あと残り10秒も満たない時間で転移することが嫌でもわかる。
「お兄ちゃん……」
「瑠璃……」
手を伸ばし、瑠璃の手と合わせるように透明な壁に手を当てる。瑠璃はそれだけで安心することができ、自然に笑みが浮かべた。
「瑠璃、お前は俺が守るって約束したよな……その約束は、絶対守るから」
「うん……お願いねお兄ちゃん」
「ちょっと遅刻するけど、絶対に……」
「待ってるよ」
そこまで会話を交わすと光が部屋内を包み始めた。煉はそれに焦り、声を張り上げた。
「ここに戻ってくる方法は──」
あるから、と言おうとして強烈な光に包まれ、急に収束したかと思うと、中には既に一人も残っていなかった。
「……………………」
手をぶらりと下げ、俯く。
煉にはどこに飛ばされたのか分かっていた。
異世界、ハーミリア。
地球でいうと2年前、煉が召喚された世界であり、活躍した世界である。
あの召喚陣はそのとき煉を召喚したものと酷似していたのですぐにわかったのだ。
煉は無言のまま部屋に立ち入り、そのまま押入れを開けると、そこには二つ、そこら辺の地面に落ちているような小石が入っていた。
それを一つは机に、そしてもう一つはポケットに入れた。
次に右手の人差し指と中指をくっつけて空を切るように縦に振ると、空間に裂け目ができた。そこに手を突っ込むと無造作に物を取り出しては床へと転がしていく。頭まですっぽり隠せる黒いローブや、楔帷子、刃渡り120cmほどの錆びついた両刃の鉄剣。どれも平和な日本ではお目にかかれない物騒なものだった。
それらを手馴れた手つきで装備をしていき、最後にお菓子とジュースをアイテムボックス放り込むと、先ほどしまった小石を取り出した。
「どこに出るか、だな」
転移石、かなり希少なマジックアイテムだった。
この石に魔力を込めると世界のどこかに転移することができる。机に置いたものは、もう一度使用することで戻れるアンカーみたいなもので、転移した時間・場所に戻れるものだ。
「海に出たら最悪だな。……でもやるしかないか」
一回は寂しい思いをさせてしまった瑠璃のことを思い、決意を固めた。
手に魔力を込め始める。その魔力は石に纏わりつくようにどんどん円を描きながら拾っていき、淡く発光すると、時間が経つに連れて段々と輝きを増した。
そのまま煉が魔力を込め続けると、足元にさきほど健翔たちの足元に浮かんだ文様と似たものが浮かび上がる。
そして数秒後、ふっと光が消えたかと思うと、その場所にはすでに煉はいなかった。
あとに残されたのは机の上に置かれた石ころ、ただ一つ。
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