35 [キア]使命
視線を向けると、オーゼスが一緒に連れてきたテルミラを馬から下ろしていた。
「こうなると思っていた。……テルミラ、起きてくれ。後は頼んだぞ」
どういうことだ? 嫁にしようと連れてきたんじゃなかったのか?
首を傾げているとオーゼスはくるりと振り向く。
「安心しろ、ここに来る前に部下達に牙の団の戦士達を集めにいかせた。ふむ、ちょうど来たな」
草原の向こうから馬に乗った団員達が続々と駆けてくるのが見えた。
「さすがオーゼスだ。よし、黒い悪魔の討伐に向かうぞ!」
――この世界には魔獣以上に人間の脅威となる存在がいる。
黒い悪魔と呼ばれるそれは何の前触れもなく突然現れた。わずか数日でいくつもの町を壊滅させ、あるいは国をも滅ぼし、その後また突然煙のように消息を絶つ。数十年出現しないこともあれば、数年間隔で再び現れることもある正体不明の怪物。まるで抗いようのない自然災害のように世界中で恐れられていた。
私が黒い悪魔について知ったのは生まれて間もなくのことになる。
エルフィリス国の北方民族を束ねる総長の孫娘として生を授かった私は、転生者ゆえに赤子の頃から意識がはっきりとしていた。私の魂を呼び寄せたあちらも当然そのことを承知しており、すぐに屈強そうな父と母がこの世界の言葉を身ぶり手ぶりで教えはじめる。
やがてどうにか人の会話の内容が理解できるようになった頃、召喚を命じた張本人である祖父が初めて顔を見せた。
「キア、わしの話す言葉が分かるな?」
私が頷いて返すと、老人がそれまで纏っていた少し怖い雰囲気が途端に和らぐ。しわだらけの顔にまず笑顔が広がり、それから程なく申し訳なさげな表情に変わった。
「最初にわしはそなたに謝らなければならない。勝手にこの世界に呼び寄せたこと。そして、これから重い運命を背負わせることを」
祖父は私に一族とこの国について語って聞かせた。ゆくゆくは彼の後継者として、いくつもの民族、さらには国そのものを率いねばならない未来も。
うーん、なぜ私なんだろう。あの屈強そうな両親じゃ駄目なんだろうか? 幼児にはあるまじき強者の空気を漂わせている兄もいたのに。
私の疑問が伝わったらしく、祖父は首を横に振った。
「生半可な強さではいかんのだ。後で話すが、この世界には魔獣と呼ばれる獣や、さらには人智を超えた怪物までいる。キア、そなたには幸いにも我が一族の強靭な体に加え、転生者の類稀な魔力が備わっているようだ。その力で皆を守ってほしい。わしの命は間もなく尽きるだろうが、それまでに今日まで培った全てをそなたに注ぎこむ」
こう言ったが祖父は結構長生きした。
この後十年間、様々な戦闘技術や魔法の操作術、さらには総長としての心構えなども私に指南。そうして十歳になった私が両親や兄を超えたのを見届ける。
ある日、珍しく祖父が朝寝坊したので私は彼を起こしに寝所へと向かった。私の姿を見て穏やかに微笑む。その顔は初めて出会った時に見せた表情に似ていた。
「以前、黒い悪魔について話したな。わしの母が子供の頃、あれが出現してこの一帯をひどい有様にしたそうだ。それがきっかけとなってエルフィリス国が誕生した。母はわしに、黒い悪魔が現れても耐えうる国を作れと言い残した。キアよ、そなたに託してもいいか?」
「任せろ、じいちゃん。エルフィリスは私が守る」
「そなたに会えてよかった。来てくれてありがとう、わしの可愛い孫よ……」
この日の夜、祖父はその生涯を終えた。
感謝しなきゃならないのは私の方だ。
前世での大半の時間を過ごした病室でずっと思っていた。もっと丈夫な体があれば、と。馬のように大きな魔獣を素手で倒せるほど丈夫な体を与えてくれたじいちゃんとこの世界には、本当に感謝してもしきれない。そして、暖かく見守って育ててくれた一族や国の皆への恩にも報いたい。
十年という年月を重ねる間に、じいちゃんの意志は私自身の意志になった。
――北に向かって駆けながら、私はこの世界に生を授かってからの日々を思い出していた。同時に魔力思念として外にも発信しており、ネネリーとフォルスにも伝わったはずだった。
「だからって無理に私に付き合う必要はない。黒い悪魔の力は本当に未知数だ。今からでも引き返したいならそうしてくれ」
乗っているネネリーの毛に触れてその答を待つ。
(私達がキア様と一緒に行くと決めたのは、聖獣軍団の件以外に引かれるものがあったからよ。今その正体が分かったわ)
(うん、きっとその一途で強い思いに引かれたんだ。俺達も行くよ)
フォルスも共に同意してくれて、二頭は一層力強く大地を蹴った。
嬉しい気持ちが込み上げてきたが、ここでふと我に返ってフォルスの背にいるオーゼスに視線を移す。
「あの、オーゼスも無理に……」
「俺は何があってもキアを支えると決めている。牙の団も同様だ。全員この日のために鍛錬を積んできたんだからな」
兄の言葉に後ろを振り返ると、馬で追ってくる戦士達が揃って頷く。
力を得た私は一点に前を見据えた。
「今日は世界の歴史が変わる日だ。黒い悪魔を倒すぞ!」
やがてエルフィリス最北の町が見えはじめた。魔力感知を伸ばし、いつもと変わらない営みが続いているのを確認して安堵する。
どうやら私達の方が先に着いたみたいだな。だが、敵が人の密集する場所を順に辿って襲撃しているのは明らか。次にこの町が狙われるのは間違いないし、ここからナザネシア王国南端の町に向かって走ればいずれ遭遇するだろう。
それにしても、黒い悪魔が北から来てくれたのは幸運だった。でなきゃ、ここまで速やかに対応はできなかったし、これはじいちゃんの魂が守ってくれているのかな。
うん、この戦いは勝てるってじいちゃんが言っている気がする! 絶対に大丈夫だ!
最北の町を通過してさらに十数分ほど走っただろうか。異変に気付いてネネリーに止まってもらった。
前方から一際黒い雲が迫ってくる。低いゴロゴロという音を響かせ、威嚇するように激しい稲光も。
オーゼスもしばらく一緒に空を眺めた後に呟く。
「あの雷雲は……」
「……ああ、凄まじい魔力を発している。間違いない、黒い悪魔はあの中だ」




