6・使役霊の種類
それから三日後の夜、シドは黒い馬車に乗ってカレンを迎えに来た。馬車を引く馬も黒く、その顔は白いレースの布ですっぽりと覆われている。前が見えるのか不安になったが、シドはこの馬車に乗ってここまでやってきたのだから、一応は問題ないのだろう。
馬車に取り付けられたランタンの中には青白い炎が燃えており、御者台に座った人物はここに付いてからもずっと微動だにしていない。その御者にも、当然のように頭に布が被せられていた。
まるで死出へ導く死神の馬車のようだ。けれども不気味な馬車とは対照的に、シドが扉を開くと中からあり得ない量の薔薇の花びらが溢れ出してきた。しかもそれは赤い絨毯に変化しながら、カレンの足元にまでくるくると伸びてくる。絨毯の脇には数日前に見た白い布を被った小さな物体が、またも籠の中から薔薇の花びらをせっせと散らして『オメデトウ』とささやいた。
「さぁ、カレン。お手をどうぞ」
差し出されたシドの手に、自身の手をそっと重ねる。指先が震えていることを悟られるだろうか。怯えた気持ちを深呼吸で落ち着かせると、カレンは絨毯の上を進む前に一度だけ家族の方を振り返った。
「それじゃあ、行ってきます」
何だか少し寂しい気持ちになってしまったが、一ヶ月のあいだ我慢すれば再びこの家へ戻って来られる。そう自分に言い聞かせて家族に笑顔を向けたカレンは、迷いのない足取りでシド共に漆黒の馬車へと乗り込んだ。
メルスウィン家の馬車は驚くほど振動がなかった。動いていないのか思うほどだったが、窓の外を見れば外灯や家々の灯りが夜の街を静かに流れていくのが見える。人の姿はあまりなく、時折野良猫が視界の隅を走り去っていくくらいだ。
「ねぇ、どうして夜に迎えに来たの?」
「死者の力は夜の方が強くなるからね」
「……それって、御者は……」
「御者だけじゃなく、馬車を引く馬もそうだよ」
「えっ! 馬もなの!?」
「そうだね。人間にも動物にも、死は等しく訪れる。けれどその後、たまに輪廻の流れから外れてしまう霊がいるんだ。それは迷子霊だったり、生前に悪さをした者だったり様々だよ。そういう霊と契約を交わし、使役することで僕ら死霊術師は魔術を行う。謂わば死霊は僕たちの相棒だね」
「相棒ですって? 死霊が?」
「死霊術は秘匿性が高い上に、一般的には忌避されているからね。カレンの反応ももっともだと思うよ」
そう言われると、何だか自分がひどく心ない人間のように思えて居心地が悪い。けれど死霊を相棒と呼ぶシドに驚きを隠せないのも事実だ。
死霊に関わっては碌なことにならない。子供の頃、川に引きずり込まれそうになったことも、ゴースト令嬢と陰口を叩かれることも、正直カレンにとっては苦い体験でしかない。死霊を視る体質でなければ、カレンだって普通の令嬢のようにきらびやかな世界で舞踏会を楽しむ心の余裕もあったはずだ。
なのにシドはその死霊を相棒と呼び、使役して、自分の人生の一部として認めている。もちろん死霊術師の家系に生まれたのだから、幼少期よりそう刷り込まれているのかもしれない。
けれど死霊に対する考え方が根本的に違うシドの存在は、今まで死霊を自分の人生から追い出そうとしてきたカレンにとって、まるで新しい物の見方を教えてくれるような気がした。
「……ごめんなさい。死霊にいい思い出なんてひとつもないから。あなたの家系を悪く言うつもりはなかったの」
「別に気にしてないよ。死霊を怖がる方が普通だしね」
「でも……」
「君は視える分、タチの悪い者に目を付けられたこともあるんだろう。でも大丈夫。僕がそばにいる限り永遠に守ってあげるよ。悪霊も人間の男も、君には指一本触れさせない」
ちょっと不穏な言葉が聞こえた気もするが、人間の男はともかく、万が一悪霊に襲われそうになってもシドがいれば大丈夫だと素直にそう思うことができた。
「悪霊といえば、そういう霊も使役できたりするの?」
「むしろ悪霊化した霊の方が多いかもしれないね。危険な分、比例して力も強くなるんだよ。ただやっぱりすぐには命令を聞かない者も多いから、一目でわかるように使役する霊には色違いの布を被ってもらっているんだ」
そういえば馬車の馬も御者も、そして薔薇の花かごを持っていた霊も、みんな頭に白い布を被っていた。彼らがシドの命令を素直に遂行しているということは、白い布を被った霊は比較的穏やかということだろうか。
カレンの思考を読んだように、シドが軽く首肯した。
「君が想像しているように、白い布を被っている者は従順な霊だ。そして頭に何も被っていない霊は、自らの意思で僕らの役に立とうと動くことができる者。人間と見分けはほとんどつかないけど、彼らに害意はないから安心して。でも……」
一旦言葉を切ったシドが、カレンをまっすぐに見つめてきた。いつもの軽い感じではなく、シドの赤い瞳はどこか危険な感じを孕んだ鋭利な輝きを宿している。
「黒い布を被った者を見かけたら、君は絶対に近付かないでほしい。彼らは悪霊化した者で、君にとっては危険な霊になる。普段は躾部屋に閉じ込めてあるけれど、何が起こるかわからないからね。これだけは約束してほしい」
「わ、わかったわ」
そんな危険な霊までいるのかとまたも不安になってしまったが、ここはもうメルスウィン家へ向かう馬車の中である。後戻りも逃げることもできないのだから、潔く腹を括るしかない。
「僕たち一族の話は日を改めてしようと思っていたんだけど、カレンは勤勉だね。それとも僕のことを知りたいと思ってくれたのかな?」
「一ヶ月お世話になるんだもの。最低限の知識を持っていた方が、かける迷惑も少なくて済むかもしれないし」
「あぁ、カレン。迷惑だなんて思わないでほしい。君からかけられる迷惑なんて、僕にとっては食虫植物にじわじわと溶かされていく甘やかなポイズンみたいなものなんだから」
「ちょっとなにを言ってるのかわからないわ」
「すべてが愛おしいってことさ。……あ、ほら見てごらん。お喋りしている間に着きそうだよ」