二話 桜ノ国
私は家族から暴力を振るわれるのが当たり前で、人から触れられるという行為があまり好きではなかった。
「……っ、私に触らないでください!」
「いきなり女性の手に口づけをするなんて失礼だったな」
そう言うと彼は私から離れた。拒絶したのに、どうして嫌いにならないの?
普通、相手から拒絶すれば嫌な気持ちになるのが当たり前。だから、彼の白い翼が黒に変化しても不思議じゃない。
なのに何故、貴方の翼はそんなにも白いの? 今の私には、貴方のその白い翼が眩しく見える。
私に触れたって貴方が穢れるだけなのに……。
私はとうに穢れている。そんな私に触れるのは相手に悪いと思ってしまう。穢れを浄化するという口実でよく卯月に殴られていたけれど、やっぱり私はまだ穢れたままだ。
「行くあてはあるのか?」
「え?」
「もし、今日の宿に困っているのなら俺の国に来ないか?」
「私は命を捨てようとしていたんですよ。そんな私に帰る場所なんて……」
「だから俺がお前の自殺を止めたんだ。お前の命は今から俺が握る。……触れられるのは嫌かもしれないが、今だけは着物の裾を握っててくれないか?」
「……はい」
強引な人だ。私は彼の国に行くことも、命を預けることさえ同意してはいないのに。
けれど、家を追い出された今、泊まるところがないのも住む場所がないのもたしかだ。だから、今は彼にすがるしかない。
「お前はほんの少しでも幸せになりたいと願った。だから俺はその願いに全力で応えてやりたいんだ」
「それはどうして? 私と貴方は出会ったばかりなのに」
「……どうしてだろうな。俺にもよくわからん」
「なんですか、それ」
「やっと笑ったな」
「へっ?」
「お前には笑顔が似合う。……ほら。顔を上げろ。着いたぞ」
「わっ……」
さっきまで崖の近くにいたはずなのに、一瞬で景色が変わった。
もう国に着いたの?
もしかして、彼の力はとてつもなく強いのではないだろうか。
陰陽師の力を持つ兄さんや巫女の力が強いと言われている卯月でさえ、一瞬で場所を移動する能力はないのに……。
「ここは桜ノ国。俺の住んでいる町だ。桜ノ国は他の国にはない特徴があるんだぞ。それが何かわかるか?」
「えっと……」
見渡す限り、綺麗な町だ。過ぎ去る人、皆がいい着物を着ている。
……不思議だ。ここにいる住人は皆、背中に白い翼が生えている。
それに片翼だ。どうして? 片翼は生まれたばかりの赤ん坊や子供にしかないはずなのに、ここでは大人も片翼が多い。
……彼と同じだ。桜ノ国の住人は白い翼なのかしら? でも、だとしたら彼だけ六枚の翼の理由がわからない。
見たこともない白い翼に困惑しながらも、彼からの質問の答えを必死に考えた。そこでふと、あることに気付いた。
「国の名前にもある通り、桜が多い町とかでしょうか?」
「半分正解だな。それだけ答えられれば上出来だ」
「半分というのは?」
「桜の木は他の国でも珍しくはないだろう? この桜ノ国の桜は一年中咲いているのが特徴でな。枯れることはないんだ」
「それは素敵ですね。私、桜って大好きなんです。見ると心が癒されるというか、元気になりますよね。それに、知ってますか? 桜の木には男の妖精が住んでいるって。あれ? 神様でしたっけ?」
まだ出会って間もないのに何故だろう? 彼といると落ち着くのは。
まだ少し警戒してるところはある。けれど、彼の前では自分から話を振ってしまいそうになる。
こんな私なんかが誰かに話を聞いてもらうだなんて、そんな恐れ多いこと、してはいけないのに。積極的な女性なんて、はしたないわ。
「住んでいる国によって言い伝えは違うからな。桜の化身で美しい女神様……というのがほとんどの国で知られているんじゃないか? だが、この桜ノ国では男の神を祀っているんだ。だから女性が桜の木に触れると元気になったり、パワーをもらえたり、願いを叶えてくれるなどと言われている」
「……」
「お前も試しになにか願ってみたらどうだ?」
「いえ、私は……」
彼に救いの手を差し伸べてもらえただけでも十分なのに、これ以上なにかを願うだなんて、そんなのはいけない。
私にはこの先もきっと不幸が待っている。こんな生活もほんのひと時に違いない。だから、私は自らの手で命を捨てようとしていたんだ。
「あっ、団子屋~! 帰ってたの?」
「団子屋?」
「俺のことだ。俺は団子屋の店主をやっていてな」
「えぇ!?」
「そんなに驚くことか?」
「だって、そのお着物からして身分の高い人とばかり……」
「あぁ……これはな?」
「団子屋、新しい着物が完成したんだよ! 良かったら今からどう!? って、そっちのお嬢さんは?」
声をかけてきた少女を見ると、やっぱり片翼だ。どうしてだろう? この少女は私と年が変わらないように見えるのに。
「この子は桜ノ国に今日から住まう住人だ。だから、朱里にとっても家族だな。と、お前の名前を聞いていなかった」
「神無月、緋翠です」
「緋翠、か。良い名だ。緋翠、こいつは朱里。着物屋の嬢さんだ。いつも朱里から着物を貰っていてな。……良かったな、朱里。この着物だと俺は身分が高く見えるそうだぞ」
「緋翠ちゃん、見る目あるね~! 私、朱里っていうんだ。よろしく! 今日から私たち家族だね。仲良くしてね」
「か、家族……?」
彼もそういっていた気がする。
桜ノ国に住めば皆が家族?
いきなりすぎてついていけない。
……朱里さん、腰まである長い黒髪なのにとても綺麗で全然荒れてない。羨ましい。
「この桜ノ国は互いに助け合って生きている。だから住人全員が家族のような存在なんだ」
「私は家族じゃないですよ」
「細かいことは気にしない~! それで、団子屋。こんなに可愛いお嬢さん、どっから連れて来たの? って、よく見ると緋翠ちゃんの着物ボロボロじゃん。それに、その着物、使用人用だし。これ、誰が仕立てたの?」
「それは……」
誰が仕立てたなんか知らない。私は一度だって新しい着物を買ってもらえなかった。
だから着物は使い古されているし、年季が入っているせいで見た目からして着物の寿命をとっくに越えている。
「朱里。緋翠用に新しい着物を頼めるか?」
「任せて! ばっちり可愛いの選んであげる。緋翠ちゃん、こっちこっち」
「は、はい」
手招きされるがままに朱里さんに着いていく。
「朱里は忙しないだろう。でも許してやってくれ。朱里なりにお前を元気づけようとしているんだ」
「私、そんなに元気がないように見えたのでしょうか?」
「どうだろうな……。朱里にはそう見えたんじゃないか? そういえば、俺の名を名乗っていなかったな。……俺は庵。神宮庵だ」
「庵、様……」
神宮庵様。なんて素敵なお名前なんだろう。
響きもお美しい。
庵様と目が合った。……吸い込まれるような赤色の瞳。私は庵様のその目から、しばらく視線を逸らせなかった。
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