第八十話 わだかまり
●80.わだかまり
郷に従え党の党首室にいる林原。
「ケリーさんたちと相談もせずに勝手に決めてしまったことなので、もし党首のあなたの承諾が得られないのなら、再交渉するつもりです」
林原はいつになく、よそよそしい感じであった。
「いゃ、私もドイツに出張中のベルガーさんも、林原さんの決めたことに異論はありません。この期限については3年間より5年間の方が良かったですが、再度見直すという文言を盛り込んでいるので、問題ないと思います」
「しかし将来的にどういう結果になるかは、何とも言えないのですが…」
「とにかく三人のうちの一人がやむを得ず決めたことには、三人が責任を持つことになっているので、
結果がどうなろうとも三人で解決に導くことに変わりはありません」
「ありがとうございます。ケリーさん、これで肩の荷がおりましたよ」
林原は表情を緩めていた。
「我々、三人の絆は強いものです。一人で背負い込むことはないんですから。それで来年からは林原さんが党首の番ですよ」
ケリーは党首室に雑然と置かれた雑誌類を整理し始めていた。
「ケリーさん、今度から部屋はそのままで、ドアのプレートを入れ替えるだけというのはどうですか」
「…いや、やはり気持ちを一新させるためには、部屋ごと入れ替えるべきです。これは続けましょう」
「わかりました。また部屋の模様替えを木本とやります」
林原は部屋の中を見回し、どこから手を付けようか考えていた。
郷に従え党本部のエントランスホールには門松が飾られていた。エントランスホールでスーツケース引きずるケリーは年始の挨拶を済ませると、すぐに羽田に向かっていた。
党首室の応接コーナーでは林原、木本、ベルガーが餅のつけ焼き食べていた。
「日本人はクリスマスでケーキを食べて、正月にはお節や餅を食べるんだから、まさに文化の多様性を受け入れているとしか言いようがないですよ」
ベルガーはしみじみと言っていた。
「昔から日本ではそうだからな。ドイツでは餅はないしな…。あぁそれはそうと今年から私が党首だから
よろしく頼みます。ベルガー副党首」
「あ、そうでした」
ベルガーは今さらのように気が付いていた。
「ベルガーさん、日本文化に浸ると言うことでお屠蘇はどうですか」
木本が盃を渡していた。
「酒ならなんでも歓迎です」
ベルガーは盃を手にして嬉しそうにしていた。
「密約のことは中村首相には話しましたか」
ベルガーは赤ら顔になっているが、真面目な話題が多かった。
「彼は就任早々だから、まだ言っていませんが…。いずれ話さなきゃダメだよな」
「それはそうでしょう。それでこの密約の間に朝鮮半島はどちらに転びますかね」
「日本の足元の空白地帯とも言うべき朝鮮半島はローカル政党の領域だったな」
「韓国と北朝鮮の関係は険悪期と融和期が政権交代の度に繰り返されていますけど」
「ん、韓国にも郷に従え党はあるが、郷に従えは日本語なので抵抗感があって、なかなか支持されないようだし」
林原は空になった盃をテーブルに戻していた。
「このところ、韓国と北朝鮮は中華連合に倣って、朝鮮半島の連合を模索していると聞いてますが、どう見ますか」
とベルガー。
「それは私も総合情報局から耳にしていましたが、韓国の日本と合算で均衡を保つ核保有について不服として暗礁に乗り上げ、連合の名称について朝鮮連合、大韓連合、高麗連合のいずれにするかで揉めているらしい。互いのプライドが邪魔しているようだが…」
「朝鮮半島の連合は成立しないでしょう。かといって国境なき地球党にも郷に従え党にも傾くことは
考えられません」
「ベルガー副党首の言う通り、現状維持となりますか。いずれにしても日本が口を挟むことはないでしょう。下手に口添えして後々恨まれるかもしれませんから」
「この話題はこれで終りにしますか。林原党首」
ベルガーも冗談っぽく役職名をわざとらしくつけていた。
千年に一度の大雨が韓国の至る所で降り、大邱広域市一帯は洛東江の氾濫による洪水で湖のようになっていた。その湖の中で島のように水に浸かっていないアプ山公園避難所には、緊急人道派遣された自衛軍のヘリコプターMH-53Eが支援物資を搬送していた。
ソウル方向から飛来した市原が乗るドローンタイプの飛行バイク。大邱広域市の中心部を旋回してから、アプ山公園避難所に向かって降下して行った。
市原はヘルメットを外すと、避難所にいた現場指揮官の田中3佐のもとに駆け付けた。
「至急、ここから退避してください」
「え、何かあったのですか」
田中3佐はポカンとしていた。
「はい。この災害救助に派遣された海上自衛軍の艦船が旭日旗を掲げて入港することを認めた政府に対し、けしからんと激怒した右派系野党、愛国市民団体、軍の一部がまとまりクーデターを起こしました」
市原は早口で言っていた。
「ほんとうですか。しかしいくら総合情報局の情報だとしても、上官からの命令はありません」
「まだ護衛艦おおすみの司令部に連絡が行っていないのだと思います」
「それでも、勝手に持ち場を離れるわけには行きません」
「ぐずぐずしているとクーデター派の韓国軍があなた方を拘束するはずです。削減された駐留米軍は中立を宣言し大人しくしていますが、自衛軍は標的にされます」
「でも、我々は人道的な災害救助をしているのですが」
「感情的に動いている国民や野党はそんなことは関係ないのです」
「3佐、司令部から緊急撤収命令が出ました」
田中の部下が報告してきた。田中は市原の顔を見ていた。
「間違いないですね。ただ近くのアウトレットモールの屋上駐車場に避難している人たちを見捨てるわけにはいきません。救出活動中の韓国軍は手いっぱいなので」
「しかし、その韓国軍が自衛軍を見逃してくれますか」
「彼らとはチームワークが上手く言っているので、我々を拘束するとは思えません」
田中は避難所にいる韓国軍兵士たちを見ていた。
「わかりました。なるべく早く済ませてください」
「島田2尉、自衛軍のヘリSH-60Kをアウトレットモールに向かわせてくれ」
田中は素早く命令を下していた。
自衛軍へりSH-60Kが避難所に戻ってきて救助者たちを降ろしていた。
「これで、心置きなく撤収できますね」
市原が言っていると、韓国軍大尉がつかつかとやってきて、田中3佐に自動小銃を突きつけた。田中は残念そうに両手を挙げた。
「本部から命令であなた方自衛軍を拘束せよとのことです」
韓国軍大尉の韓国語は市原のスマホで日本語になっていた。この状況を見ていた別の韓国軍ヘリコプターから降りて来たばかりの韓国軍大尉が慌てて近寄ってきた。
「何をしている」
もう一人の大尉が言う。
「ソウルでクーデターがありました。彼らには拘束命令が出ています」
「自分とお前では階級は同じだが、軍歴は俺の方が長い。その命令は5分遅れで耳にしたことにしろ」
もう一人の大尉は睨むように言っていた。
「でも、しかし…」
「自衛軍の人たちの働きを目にしたよな」
「はい…」
田中に銃を突き付けていた大尉は、銃を下向きにしていた。
「田中3佐、感謝します。この場から撤収してください」
もう一人の大尉は日本語で言っていた。
釜山にはまだクーデター派の軍は占拠していなかった。本来の韓国政府の要人たちは変装し、副大統領を含めて高速鉄道で釜山に逃れていた。
市原たちは護衛艦おおすみに無事に戻ることができた。
「長年の反日教育は日本人に対する恨みが根深いですね。人道的な救助活動でも自分たちの考えを押し付けて、否定するのですから」
市原はおおすみの甲板で林原とスマホで会話していた。
「救助よりもプライドや愛国心を優先するようだからな。中村首相の安易な判断が招いた派遣になってしまったが…。これを何かのチャンスにしたいものだ」
「それでも釜山はまだまともです。韓国人全員が恩知らずというわけでもないのが唯一の救いです」
「救いか…。まぁとにかく日本に到着するまで気を抜くなよ」
林原の声は甲板を抜ける風にかすれていた。
1か月後、大韓釜山国が大韓民国から独立を宣言し、政変前に副大統領だった李牧来が大統領になった。首相官邸の会議室には中村首相、佐々木防衛大臣 戸田外務大臣、林原が顔を揃えていた。
「李牧来はなかなかのやり手ではないでしょうか。わずか1ヶ月で竹島の核弾頭保管施設を手中に収めたのですから」
中村首相は感心していた。
「あれが独立の後ろ盾にもなるからな」
林原は竹島の地図を手元のノートPCに表示させていた。
「この大韓釜山国の領域なんですが、釜山広域市、蔚山広域市、慶尚南道でして、将来的には韓国全土の回復を目指すとしています」
戸田外務大臣は部下の官僚から渡されたメモを手にしていた。
「韓国に3ヶ所ある核弾頭保管施設のうちの一つが竹島ですから、大韓民国に対しても核保有と言うことで抑止力が働きます。それに秘匿中の秘匿ということで北朝鮮も、まさか竹島にあるとは思わなかったようです」
佐々木防衛大臣はかなり詳しい情報を耳にしている様子だった。
「大韓釜山国は日本に独立承認と経済支援を求めており、今日の時点ではベトナムとフィリピンが独立を承認しています」
と戸田外務大臣。
「今までの韓国にあまり良い感情を持っていない国だな」
林原は腕組をしていた。
「日本は朝鮮半島に関わるとロクなことが起きないですから、なるべく消極的に関わるべきですが、林原さん、どうしたら良いでしょうか」
中村首相は困り顔であった。
「郷に従えば、クーデターも彼らのルールの範疇ですけど」
戸田外務大臣が言うと、林原は表情が少し硬くなった。
「クーデター派に占拠された大韓民国は、日本に対してさらなる強硬措置を取る可能性がある。釜山国は承認はしても良いが、なんらかのメリットが欲しいな」
林原はキッパリと言い放った。
「経済支援して国力がついたら、知らん顔されるのがオチにならないようにということですか」
佐々木防衛大臣は過去を振り返っていた。
「林原さん、まずは根本原因となる反日教育を止めさせますか」
中村は珍しく一歩踏み込んだ発言をしていた。
「それもあるが…、中村首相、私を大韓釜山国に特使として派遣してくれますか。私が日本の国益に沿うように交渉してきます」
と林原。中村たちは尊敬のまなざしで林原を見ていた。
林原は関釜フェリーで釜山に向かっていた。水面下では海上自衛軍の潜水艦が護衛し、ダミーの政府専用機が釜山に飛んでいた。
クラウンスカイ・ホテル釜山のラグジュアリー・バンケットルームは、国賓クラスの人が会談を行うことが多く、セキュリティーもしっかりと整っていた。ホテルの宿泊客はどこのVIPが来ているのか全くわからなかった。
林原たちの向かい側にはテーブルを挟んで、李牧来が側近と通訳を従えて座っていた。
「日本国としては、クーデター派の韓国の敵対的行為は受け入れられるものではありません。翻ってこの状況において、海上自衛軍が安全に撤収できたことへの貴国の配慮には感謝しています」
林原が言うと、李は表情を緩ませていた。バンケットルームの通訳システムも作動しているが、双方の通訳も同席していた。
「あの者たちの日本に対する対応は行き過ぎたものだと、我々も遺憾に思います」
李には抜け目ない賢さが漂っていた。
「その言葉を聞いて、ホッとしました。あなた方となら、話が出来そうです」
「ちょうどティータイムなので、お好みのドリンクでもお飲みになって、ゆっくりと話しを進めましょう」
と李。
「独立を承認することはやぶさかではないのですが、経済支援となると少しハードルが高くなります」
林原はティーカップを静かにテーブルに置いた。
「とおっしゃいますと」
「既に韓国には多額の経済援助などをしてきました。その上で、新しい国が出来たから、新たに経済支援となると日本の世論が納得しません」
「その世論を納得させるのが、日本政府のお仕事ではないですか」
「何度も煮え湯を飲まされて来ましたから」
「過去の歴史問題がいろいろとありますので、仕方ないことかと」
李は少しムッとしていた。
「戦後一貫してきた大韓民国と同じスタンスなら承認も難しいですし、支援や援助はあり得ないと思います」
「我々は、クーデター派とは違います」
「どのように違いますか」
「今回のような海上自衛軍の艦船が旭日旗を掲げて我が国への入港を認めるという点などです」
「国際的に認められていることは認めると言うことですね」
「はい。…」
李は何か言いそびれた感じでもあった。
「それは大きな違いです。新しい日韓関係が築けそうです」
「未来志向の韓日関係を我々も望みます」
李は握手をしようと手を少し伸ばしかけていた。
「それでは話が早いと思います。竹島についてですが、あそこは人が住みにくい島で、ほぼ岩礁と言う位置づけになりますから、漁業権を除けば固執するつもりはないのですが、過去に日本人の死傷が出たといういきさつがあり、事あるごとに海外で自分たちの正当性をアピールしているので、捨て置くことができないのです。まぁ、正当性がないからこそ、必死にアピールをしているとも言えますが」
林原は滔々と語っていた。
「何を言っているのです。正しいからこそでありまして、そのような事ではありませんが…」
「国際法に則るのでしたら、帰属は明らかに日本にあります」
林原はたたみかけるように言う。
「実効支配している実績がありますけど」
「それは相手国が何もしない場合に有効となることですが、これは違います。日本側は何回も不法性を抗議しています。また本来なら今まで不法に占拠したことについて賠償を求めるべきでしょうが、それは不問としましょう。ですが返還はしてもらいたい」
「それは無理というものです」
「わだかまりが、あったままでは何も進展しません」
林原は引き下がるつもりはなかった。
「しかし、あそこには我々の核弾頭保管施設があります」
李はこの日本人は今までの日本人とは違うという目で林原を見ていた。
「それは貴国の肝となる部分なので、今日明日中に撤去しろとは言いません」
「それではしばらくは現状の変更はないのですね」
「いいえ。それだと何の進展もなく、戦後一貫してきた大韓民国と同じスタンスになります」
林原が言い放つと李たちは黙ってしまった。交渉は決裂するという雰囲気が漂っていた。
「あなた方、大韓釜山国は話ができる相手だと私は思っています。知恵を出す必要があります。そこであくまでも暫定的ですが、男島を日本領竹島とし、核弾頭保管施設や警備隊などの建物がある女島を韓国領独島としても構いません。但し領土交渉は継続することが前提ですが」
「男島と女島に分けるのですか…」
李は考えもしていなかったことに呆然としていた。
「双方の国民がギリギリ我慢できるの範囲ですし、何の進展もないよりはマシではないでしょうか」
「これなら、経済支援は可能なのですか」
「あともう一つ。日本人に対する憎悪を植え付ける教育は止めてもらいたいのです」
「長年の教育方針だったので、急に変更するには調整が必要です」
「確かに戦後100年以上出版されてきた書籍などは全て変更することができないので、そこは不問にしますが、特に歴史教育については、記述に『客観的な事実に基づかない面があります』という一文を付け加えてもらいたいのです」
「日本の言う客観的な事実ですか。なんか一方的な気がしますが…」
「元々一方的だったものを改善するだけです。とは言っても先史時代などは客観的な事実は知り得ないので、他国を貶めるようなことがなければ、あなた方が信じている歴史を尊重しましょう。例えば韓国5000年歴史とか、1万年の歴史というフレーズについては神話時代を含めるとして尊重します」
「これを飲めば、私は国民に袋叩きになるかもしれません」
「日本は国際法に則った正論を言っているので、袋叩きにする方が間違っています」
「そう言われましても…」
「韓国の方々も反日が政治に利用されていることに気付いている人もいますので、徐々に変わっていくと思います」
「この場の結論はノーですが、良く考えさせてください」
「それほど猶予期間はないと思いますが、完全なノーではないのですね。僅かながら進展が見られたわけですか」
林原は李の顔をしっかりと見据えていた。
「これがスタンスの違いですか」
李は複雑な表情を浮かべていた。
「回答がイエスの場合、国際海洋機関が指摘する現状の竹島における海洋環境汚染については、日本側が改善策や今後のロードマップを提示し対応します」
「わかりました。独立後の基礎を築くには日本の経済的支援が必要です。大韓釜山国の最高責任者である私の決定が全てに優先されます。日本側のスタンスを受け入れます。後は経済支援の額について詳細に詰めたいと思います」
「李大統領の英断に感謝します。経済支援は一度に多額ではなく、適性額で息の長いものにしたいと考えています」
林原は精根使い果たした感じであった。しかし戦後、日本の指導者が全く手が付けられなかったことを進展させられた満足感があった。




