第七十九話 取引
●79.取引
「私は一等書記官の林征司です」
林原は小銃を突き付けられたまま答えていた。ケニア軍の中佐と思われる男は、林原が首から提げている身分証パスにスマホをかざし、スワヒリ語に訳した内容を確認していた。中佐は横並びに立たされた大使館員たちを一人一人チェックしていた。
「あなた方は、しばらくの間この大使館の建物から出ないでいただきたい」
中佐のスワヒリ語は林原のスマホで日本語になっていた。
「いつまでですか」
牛島大使は流暢なスワヒリ語で言っていた。
「戒厳令が解けるまでですが、追って指示します」
中佐はそう言うと、大使館の応接広間から出て行った。
窓のレースカーテン越しに外を見ると、6輪装甲車は去っていったものの、多目的戦闘車両を一台残し、門番詰所に武装した兵士たちを立たせていた。
「政情不安ということで偽名で入国していて良かったです。もし郷に従え党の林原とわかったら、何されるかわかりませんから」
林原は渡航に際してケリーに言われた通りにして良かったと思っていた。
「しかしこんなに早く国境なき地球党派がクーデターが起こすとは予想もしていかったことです」
牛島大使は驚き顔であった。
「郷に従え党ケニア支部長のテルガトが無事かどうか心配です」
林原が言うと牛島は軽く目を伏せていた。
「無事を祈るしかありません…。それで我々の扱いがどうなるかです」
牛島は応接広間に居る面々を見ていた。
「しかしなぜ我々を軟禁状態にするのでしょうか。邪魔だったら即刻退去を命じるはずですが」
と林原。
「何かの交渉に利用する可能性があるんじゃないですか」
と総合情報局員の市原。
「今ここに15人いますが全員無事に日本に帰国できるように私が説得しましょう」
牛島は窓の外を見ていた。
「門番の奴らに話しても無駄ですから、クーデターの首謀者と話す必要があります」
林原も窓の外を見ていた。
「ケニアの国境なき地球党代表は…ジョセフ・カフカでしたな」
「たぶんカフカなら、会う意味があると思いますが、どこにいるのでしょうか」
「党本部は、ここから北にちょっと行った国立図書館のそばのソリッド・ステイト・ビルにあります」
牛島はデスクの地図を手に取っていた。
「電話線は切られてますし、スマホの電波はジャミング掛けられて使えません」
正規の二等書記官が言う。
「となると、誰かが直接行くしかないですか」
と林原。
「私が行きます」
「いや、牛島大使が行く必要はありません。それなりの代理人が行くべきです」
「となると一等書記官クラスが適任となりますか。しかし鈴木は領事館の方に行っていて、ここには居ませんが…」
「…私が居ますよ。正規ではありませんがね」
林原が挙手すると牛島はえっという表情をしていた。
「それは無理でしょう。危険過ぎます。もし林原さんの正体がバレたら、帰国どころかそれこそ監禁拘束されますよ」
牛島は顔色を変えていた。
「いや、バレなようにしますし、優秀な部下がいますから」
林原は市原の肩を叩いていた。
「行くのでしたら、駐在自衛官の江口もお供させます」
牛島は肌の色が浅黒いナオミ・ミハル・エグチを呼び寄せていた。
林原たち大使館の裏側を囲むレンガ塀沿いを少し歩いた。エグチが塀沿いに置かれたパイロン(三角コーン)をどかす。市原とエグチが壊れかけたレンガの塊を蹴ると、人が一人通れるほどの隙間ができたが、茂みがあり、外の通りにはすぐに出られないようになっていた。
「こんな抜け道があるとは驚きました」
林原は茂み越しに外の通りの街灯の明かりを見ていた。
「いや、たまたまです。レンガ修理は2週間後の予定だったのが幸いしました」
エグチは茂みをかき分けて、通りの様子を垣間見ていた。
「巡回警備は、だいたい15分おきですから、…次に通過を確認したら、通りに出ましょう」
「これは楽勝ですね。大使館員全員が抜け出すことも可能じゃないですか」
市原は気を良くしていた。
「それはそうですけど、その後、どうしますか。空港も港も厳重警戒しています」
「市原、エグチ1尉の言う通りだよ」
「今です。通りに出ましょう」
とエグチ。
ソリッド・ステイト・ビルの玄関ホールで小銃を突きつけられている林原たち。
「なんでここに居る。警備の兵士の許可を得ているのか」
国境なき地球党本部の警備担当の大尉に英語で詰問されていたが、スマホが日本語にしていた。
「人道的立場から見逃してもらいました」
林原は毅然とした態度であった。
「…たるんでおるな。スワヒリ語の奴らを締めてやるか。それで」
「我々は日本大使館の者ですが、カフカ代表にお会いしたいのです」
「なんでだ」
「我々はあなた方のクーデターに逆らうつもりはありません。それに日本国は郷に従え与党国なので、他国の内政に干渉するつもりはさらさらないのです。速やかに解放していただきたい」
「カフカ代表は多忙だし、ここにはおらぬ。出直して来い」
「わかりました。それでは明日また来させていただきます」
林原はあっさりと引き下がれば、何か食らいついて来るだろうと踏んでいた。
「あぁ、ちょっと待った。身元を確かめてからだ」
大尉は部下に誰かを連れてくるように言っていた。
「この人達は、ただの大使館員です」
手錠をかけられているデニス・テルガトは、林原たちを一人ずつ見ていった。彼は一瞬、林原と目があったが、さり気なくそらしていた。
「本当だな」
「はい。大使などの役職のあるものではありません」
「それじゃ、引き続き重要な人質で何かあれば真っ先に殺されるのは、あんただな」
大尉は陰険な表情を浮かべていた。
「あのぉ、こちらの方は、郷に従え党のケニア支部長ではないですか」
林原は記憶をたどるような感じで言っていた。
「知り合いか」
「何回か大使館でお見かけしています。だとしたら、我々大使館員と共に支部長さんも解放してください」
「それは無理だな」
「何とかなりませんか。カネの問題ですか」
「…とにかく、夜間戒厳令下の移動は何かと面倒だ。今夜は一泊してもらおう」
大尉は部下に林原たちを連行するように命じていた。
林原たちは党本部の会議室に監禁された。部屋から出られるのは、トイレに行く時だけであって、トイレまでついて来られた。
「カフカはここに居ると思いますが」
市原は大尉の言葉を全く信じていなかった。
「…監視カメラと盗聴器か。私が誰だかわかればだが、カフカはすぐに出てくるだろう」
林原は天井とカーテンレールのあたりを見ていた。
「しかし、林さん」
と市原。林原は市原の言葉を遮るようなふりをした。
「私が一等書記官ではなく、郷に従え党の林原ということに気が付かせれば良いということだ」
「林書記官、それは…」
エグチの声が裏返っていた。
「いや、むしろ正体をばらした方が話が早いだろう」
「しかし、カフカは林原さんの顔を知っているのですか」
とエグチ。
「いろいろな媒体で目にしていると思う。部下が監禁した人物は怪しいと報告したら、監視カメラの映像をしっかりと見て確認するはずだ」
林原は監視カメラのレンズに自分の顔を反射させていた。
「林原さん、初めからそのつもりだったんですか」
エグチは賞讃しているようにも呆れているようにも見えた。
会議室の扉か荒々しく開けられた。武装した兵士がずかずかと入って来る。その中にスーツ姿の男が
いた。
「林原さんですかな。国連の廊下ですれ違った以来ですか」
カフカは英語で言っていた。林原は英語がかなりわかるものの、スマホにも訳させていた。
「そんなこともありましたっけ、」
林原は記憶にないようだった。
「まぁ、良いでしょう。それで日本大使館員とテルガトの解放が望みですか」
「別にあなた方に逆らうつもりはないですから」
「郷に従え党が野党どころか非合法になるのにですか」
「その国の決めたことには従う、それが郷に従うことですから、仕方ありません」
「ただ我々の立場に立った場合、敵の大将を捉えれば、計り知れない価値があるとは思いませんか」
「それでは、私以外は雑魚と言うことで解放してくれるのですか」
「どうでしょうか。取りあえず日本人の方々には、しばらくナイロビに居てもらいましょう」
「テルガト支部長は、どうなりますか」
「彼はケニア人ですから、思想犯として思想矯正することになるでしょう」
「わかったが、思想矯正は時間がかかるぞ。それよりも国外退去させた方が反旗を翻す余地もなくなるのではないか」
「今は多忙なので、ゆっくりと考えさせてください」
「カフカ本部長、カール・ウェグナー氏を知っていますか。国境なき地球党の現実協調派の」
「弱腰の奴らですか。私は好みませんが」
「ウェグナー氏を交えて今後の世界情勢について話がしたいのだ。リモートでも良いから」
「アポなしでは会えませんよ」
「郷に従え党の重鎮を捕まえて、党の上層部に報告も上げず、ほったらかしにしたら、あんたの出世に関わるんじゃないかと思うが」
林原の言葉にカフカの心はわずかながら動揺が走っているようだった。
「林原さんのことは報告しますよ。しかし話ができるかはわかりません」
カフカは静かに退室して行った。
翌日、林原だけが別室に連れていかれた。会議室とは比べ物にならない程の豪華な調度品がならぶ宮殿の大広間のような部屋。そこには大画面モニターも置かれていた。
「カフカ本部長、あなたは下がってよろしいです。林原氏を引きあわせてくれた業績はあなたの評価を高めるでしょう」
ウェグナーはモニター画面上で言っていたが、実際にその場にいるようなオーラが感じられた。カフカは意気揚々と退室して行った。
「それで、林原さん、日本大使館員とテルガトの解放を要求するのですか」
「はい」
「あなた程の人がそれだけのために私を呼んだとは思えませんが」
ウェグナーは林原の目を突きさすような視線を投げかけていた。
「このところ、アフリカ諸国では郷に従え党は野党になることが多く、ケニアでは遂にクーデターが起きてしまいました。これについて我々なりに分析をしてみました」
「ほぉ、それは国境なき地球党の長年の努力の結果だと思いますが」
「それもあるかもしれませんが、正直言って、郷に従え党の理念は、ある程度の民主主義か行き届いている西欧、北米 東アジアでないと無理があると気付かされました。残念ながらアフリカにはまだ民主主義は行き届いていないので、郷に従え党とは相性が悪いと言えます」
林原はひと呼吸おき、ウェグナーの反応を見ていた。
「国境なき地球党も民主主義であるが」
ウェグナーは強い口調で付け加えていた。
「特にアフリカ諸国は植民地時代に勝手に国境線を敷かれたので民族が他国と跨っていることが多いので、国境なき地球党と相性が良いことでしょう」
「それは当然のことです」
「さらに中東など戦乱の多い所は、和解するために過去のわだかまりを捨てる必要がありますので、伝統や宗教に関わることがない国境なき地球党の存在が意味を持つかもしれません」
「では、我々に白旗を上げるのですか。世界200ヶ国以上ある中、民主主義が定着している国は限られていますからねぇ」
「白旗ではなく、あなた方とは住み分けが必要かと思います。つまり世界天下三分の計を提案したいのです」
「なんと、まぁ、面白いことをおっしゃる。三国志ですか」
「たぶん世界今、郷に従え党、国境なき地球党といったグローバル政党と、その国独特のローカル政党の3つに分けられます」
「グローバル政党はわかりますが、ローカル政党とはなんですか」
「具体例を挙げれば、ロシアやベラルーシ、北朝鮮やキューバなどの主に旧共産圏の国で、これらは元々の共産党とは形を変え、定着した独特の政体になっていますから、ローカル政党が牛耳る形です。後、ガバナンス力が弱い中南米諸国やイスラム諸国、イスラエルも含まれますから、紛争は付きものという面があります」
「主に権威主義と呼ばれている国々ですか」
「郷に従え党でも国境なき地球党でもない、第三局ということです」
「…それなら、私からの提案だが、むしろグローバル政党同士が手を組み、ローカル政党を駆逐するのはどうだろうか」
「それも一つの手ですが、国境なき地球党にはウェグナーさんが率いる穏健派だけではなく、強硬派もいます。もちろん郷に従え党にも強硬派はいます。分裂することは目に見えています」
「三分の計は良いとしても、バランスは保てない気がするが…、これ以上、支持国を増やすなということか」
「現時点で手打ちとするのはどうでしょうか」
林原はケリーやベルガーには冗談半分に言っていたことだが、実際に話を進めていた。
「大まかに言って国境なき地球党は80ヶ国前後、郷に従え党は60ヶ国前後、残りは80ヶ国前後だが数ではなく、世界に影響力があるのが郷に従え党諸国だろう」
「数の上では国境なき地球党が圧倒していますけど。付け加えるならば、これは互いに世界制覇の準備期間になるはずです」
「なるほど、林原さんの言うことにも一理をあるな。期限付きなら、シモノフ最高党首を説得できるかもしれない」
「それでは、まずケニアから郷に従え党は手を引きますから、日本大使館員とケニア支部長を退去させてください」
「アフリカ諸国から手を引いてくれれば、話が早い」
「となると東南アジアから国境なき地球党が手を引いてからでしょう」
「詳細を詰める必要があるが、思いもかけない取引だな。1日待ってくれ」
2日後、大筋で密約合意が成立し、林原たち、大使館員たち、テルガトと5人のケニア郷に従え党幹部を乗せた飛行機は日本に向かって飛び立った。




