第七十七話 スペース・デブリ
●77.スペース・デブリ
軌道エレベーターの開業記念式典には、先に現地入りしていたケリー党首が出席していたが、林原は超大型台風12号のため急きょ出席を断念していた。天候が回復し、林原が地上ステーションに来られたのは開業5日目であった。
ラサの地上ステーションから伸びるカーボン・ナノチューブ・ケーブルは空に吸い込まれるようにそそり立っていた。林原が地上ステーション内に入ると、以前にARゴーグルで目にしていた通りのホームに搬送機はなかった。
「ここの搬送機はゆりかもめと同じ自動運転でして無人なのですが、常に運行状況は地上ステーションの
オペレーター室で管理しています」
軌道エレベーターの統括管理長の葉賢俊は英語で言い、林原のスマホが日本語に訳していた。
「そうですか。それでこのホームには、いつ頃戻って来るのですか」
林原はもう片側のケーブル路線に停車しているメンテナンス用小型搬送機を見ていた。
「時刻表通りですと、こちらの路線にそろそろ来るはずですが…」
葉はスマホでオペレーティング室と連絡を取ろうとしていた。林原はタブレットPCに軌道エレベーターの詳細説明を表示させて読んでいた。
「何っ、理由がわからず停止信号が出ているのか」
葉は少し苛立った感じであった。
「どうしました」
「何らかの不具合がありまして、搬送機は降りて来られず、高度350キロ付近で緊急停止しているそうです」
「閉じ込められている乗客はいるのですか」
「帰りの回送便なので軌道ステーションの不燃ごみを積んでいるだけです」
「それは良かったですが、開業早々の不具合とは、世界各国の郷に従え党が野党に叩かれそうですね」
「私はちょっとオペレーター室に行きますので、林原さんは地上ステーションのVIPラウンジで待っていてください」
葉はすたすたと歩きだした。
「いや、私も同行させてください。ふんぞり返って報告を待つのは性に合いませんから」
林原は小走りになった。
オペレーター室には、正面の壁面にはいくつものモニター画面が並び、横長の模式路線図があり、搬送機の現在位置がわかるようになっていた。
「統括管理長、搬送機の監視カメラがターンしないので、ケーブル路線の状況が確認できません」
オペレーティング主任のヘンリー大原は英語で言っているが、林原のスマホが訳していた。
「少しは動くのか」
「はい。でもほんのわずかです」
「これは何かがカメラの動きを阻害しているな。だが別の角度のカメラはないからあくまでも推測になるか」
葉統括管理長はモニター画面を見ていた。
「軌道ステーション側のカメラから拡大倍率で見通すことはできないのですか」
と林原。
「これがそうですが、ご覧の通り特に目立ったものが見当たらないのです」
葉は別のモニター画面に映像を映していた。
「もしかすると、物凄く小さいものが引っかかっているのではないでしょうか」
「だとすると、実際に見に行ってみないとわかりません」
「ホームに停まっていた小型搬送機で行くのですか」
林原は乗りたそうにしていた。
「何が起こるかわからず、かなり危険なので林原さんを乗せるわけには…」
葉は難色を示していた。
「もしロケットに乗ることになっても訓練は積んでいますから、ご迷惑をかけることはないでしょう」
「そう言われましても、林原さんを乗車させる権限は私にはありません」
「ケリー党首の許可は私が後で取ります。それに私が同乗すれば私の判断と権限で大胆な策が行えます」
「しかし…何かあった時の責任の所在は私に」
「いいえ、私が無理やり押し切ったので、自己責任です。葉統括管理長の責任は免れます」
「それでは私が危険と判断したら、すぐに地上ステーションに戻ることを承諾してくれますか」
葉は妥協しかけていた。
「もちろんです。従います。これは開業早々の不具合なので、危険だと良からぬ噂が立つかもしれません。ですから私が行けば安全という保証にもなります」
林原は最後のひと押しをしていた。
「わかりました。大原主任たちと行ってください」
メンテナンス用小型搬送機船は丸みを帯びた親しみやすいシルエットであった。垂直走行速度は100キロで通常運転と変わりはないが、ケーブル路線上に何か不具合がないかAIセンサーで調べながら上昇していた。
「今の所、何も見当たりませんね」
林原は座席に座り、目の前の8分割画面のモニターを漠然と見ていた。
「はい。システム停止信号のプログラムにバグでもあったのかもしれません。同時にシステム担当にプログラムをチェックさせています」
大原は8分割画面を隈なく見ていた。
「主任、目視確認でも、特に異常は見られません」
同行している作業員の石陽一は小型搬送機船の窓に張りつくようにして外を見ていた。
「やはり停止している高度350キロ付近に行かないとわからないか」
大原は目まぐるしくキーボードを叩きケーブル路線の温度などをチェックしていた。
3時間が経つと進行方向に搬送機がハッキリと見えてきた。ここまでくるとほぼ無重力状態なので、進行方向が上という感覚はなくなっていた。
「あぁ、一見すると搬送機の通過の妨げになるものは何もないようですが、ここからの外部カメラ映像なら、拡大すればミリ単位のものまで確認できます」
大原はモニター画面の映像をいろいろな角度から拡大させていた。
「ミリ単位ということは、ケーブル路線の亀裂なんかもわかるんですか」
林原もモニター画面を見ているが、何もわかりそうもなかった。
「はい。もしもあればの話ですが…。あぁぁ、林原さん、ありましたよ。5ミリほどの金属片がケーブル路線上の3ヶ所に刺さっています」
大原はその画面を大写しの3分割画面にしていた。
「こんなに小さなものが搬送機の運行を止めていたのですか」
「はい。これを上昇動輪に巻き込むと、いろいろな故障の原因になります。ですから緊急停止したのでしょう」
「この金属片はスペースデブリですか」
「はい。たぶん、廃棄衛星の破片の一部だと思います。マッハの高速でケーブル路線に激突して刺さったものと思われます。避けるのは難しい代物です」
「よく、切れなかったですね」
林原が言っていると石は船外活動用の宇宙服を着始めていた。
「カーボン・ナノチューブですから」
大原は石の宇宙服の密閉度の最終チェックをしていた。その後、石は後部の二重ハッチから外に出て行った。
「今後のことを考えますと、軌道エレベーターのガードのためにスペースデブリ除去レーザーを設置
させましょう。まさかケーブル路線に衝突するとは、想定していなかったようですから」
「しかし、林原さん、長いケーブル路線上をカバーするには、何ヶ所も設置しなければなりません。そう簡単には行かないと思います」
「だとしたら、早期予測しケーブル路線上を交差するコースにあるスペースデブリを衝突する前に除去する移動式のレーザーガード・ドローンのようなものを数台配備したらどうでしょうか」
「それでもミリ単位のものはなかなか捕捉できないと思いますが…」
「大原さん、慎重なのは大事ですが、できない理由を探すのではなく、できる可能性を模索しませんか」
林原は頭が固い大原に強い口調で言っていた。若くして主任になった大原は動揺していた。
「はい」
「例えば周辺の宙域をAIで分析させて、予測させるとかはどうですか」
林原は静かに言った。
「良いと思います。システム担当にその旨、開発を急がせます」
大原は目覚めた感じであった。メンテナンス用小型搬送機船内の緊急連絡LEDが点滅した。
「大原主任、廃棄衛星のソーラーパネルが別の廃棄衛星と衝突して、急遽コースを変え、そちらに向かっています」
と地上ステーションのオペレーター。
「大きさと到達予定時刻はどれくらいですか」
「畳一畳ほどで、22分後です」
「まず、作業を中断させ、石を退避させなければ」
大原の連絡マイクを取る手は少し震えていた。
「2ヶ所は取り除きましたが、最後の一つは後5~6分で終わるらしいのです」
「それでも私の権限で強制退避させてください。それとこのメンテナンス船にレーザーとかあるのですか」
林原は大原に早口で言った。
「溶接用のレーザーしかありません」
「となると石さんを退避させても、ケーブル路線の激突は免れないわけですか」
「どうしますか」
「とにかく石さんは戻ってもらってそれからです」
林原はタブレットPCでメンテナンス船のマニュアルをスクロールしていた。後部の二重ハッチの内側の開閉スイッチの所に大原は漂って行った。
「あ、待ってください。さっきのは取り消して、石さんに作業を続けさせてください」
「ええぇ、林原さん、作業を続けさせるのですか」
「工具の電源確保しギリギリまで作業して破片を取り除きましょう」
「しかし、石を危険にさらすことになりますが」
「彼は5~6分で終わると言ってたよな。それなら、やってもらおう」
「でも…」
「このメンテナンス船はケーブル路線緊急離脱の際、重量軽減のためにバッテリー・ユニットを放出できると書いてある。これで一挙に解決だ」
「どういうことですか」
「緊急離脱して、バッテリーを放出してソーラーパネルに当てるんだ。そうすれば衝突コースを
変えられるだろう」
「メンテナンス船をケーブル路線が離脱させるのですか。そうしたら、帰りはパラシュート降下のみになります」
「パラシュート訓練だと思えば問題ないだろう。決まったら石に作業を続けさせてくれ」
「了解しました」
林原はメンテナンス用小型搬送機船の窓に張りついて石の作業を見守っていた。メンテナンス船から伸びる電源コードが無重力にふんわりとたわんでいた。
「衝突までもう9分前だぞ、手間取っているな」
林原の視線の先には半壊したソーラーパネルが見えていた。
「終わったそうです」
「ハッチを開けろ」
林原の声にハッチが開く音がしていた。腕時計を見ている林原。
「石を収容したか」
「はい」
「7分前か」
林原は緊急離脱レバーを引いた。
メンテナンス船は自動小噴射してはケーブル路線から離れた。『バッテリー放出を選択しますか』の表示が出た。林原はメンテナンス船の姿勢を制御して放出のタイミングを見計らっていた。
衝突4分前。バッテリー・ユニットはソーラー・パネルにぶつかり、衝突コースを変えさせた。
「林原さん、お見事命中です」
と大原。石も宇宙服を脱ぎながら歓声を上げていた。しかし束の間、メンテナンス船の外部センサーが警報を鳴らした。
「今度はなんだ。ご丁寧にまたスペースデブリか」
林原は窓の外の視界にソーラーパネルの支柱らしきものが見えていた。
「もう、ぶつけるものはありません」
と大原。
「ええーとこれの衝突までは…まだ10分あるな。仕方ない、メンテナンス船で体当たりするか」
林原が言うと大原と石は狂人を見るような目をした。
「おいおい、そんな目で見るなよ。神風なんかはしない。あちらの搬送機に移ってから、自動操縦でぶつけるから」
「でも、帰りはどうするのですか」
大原は声が裏返っていた。
「石さん、破片は取り除いているよな」
「はい」
「それなら動くはずだ。ここから近い方の軌道ステーションまで行って、そこから『おおたか』で帰還しよう」
林原に説得される大原たち。
大原と石は宇宙服を着て、先に宇宙空間に漂い出ていた。メンテナンス船の操作盤は外すとタブレット型のリモコンになった。林原はそれを宇宙服の多目的ポケットに入れて最後に宇宙空間に漂い出た。
既に大原たちは、搬送機の中に入っていた。林原がソーラーパネルの支柱の方を見ると、接近するにつれて大きくなってきた。林原が搬送機のハッチをくぐり中に入ると衝突まで、後6分に迫っていた。
「林原さん、早くしないと」
大原は搬送機の窓の外を見ていた。林原はレバーを操作してメンテナンス船を移動させた。
「林原さん、後2分を切りました」
「よーし衝突だ」
林原が叫ぶと、外の宇宙空間ではメンテナンス船がソーラーパネル支柱のコースを横切るようにぶつかっていた。特に爆発もなく無音。コースがずれたかどうかもわからなかった。林原たちは残り1分30秒程は息を飲んで黙りこくった。支柱はごくわずかにコースをそれてそのまま宇宙空間の彼方に向かって行った。搬送機もケーブル路線も無事であった。
「一挙に解決です」
と大原。
「ビンゴですよ」
と石。
「もう何も飛んでこないよな」
林原は窓の外をちらりと見ていた。
「さてと、下に降りずに軌道ステーションへ行こう」
「了解しました。え、あ、始動しません」
大原は悲痛な声を出していた。
「自動を解除したか」
「あ、そうでした。手動に切り替えました」
大原が言うと、搬送機は軌道ステーションに向かって動き出した。
「林原さん、皆さんは乗りましたか」
地上ステーションのオペレーターの声がおおたか船内に聞こえていた。
「着席してシートベルトも付けているよ」
林原は何気なく装着金具を触っていた。
「おおたかは自動操縦なので何もしないで地球に戻れます。後は大気圏突入や滑空を楽しんでください」
オペレーターとさり気なく言う。
「楽しめるものなのか。シミュレーターで体験しただけで、初めてだからな」
林原が言っていると、他の二人も強くうなづいていた。
おおたかの窓の外は業火の炎に包まれた。空調は利いているものの、物理的なのか精神的なのか暑さを感じていた林原たち。しかし、しばらくすると炎が消え、今度は高度差特大のジェットコースターで落下しているような加速度を感じ始めた。林原の気分が最大に悪くなりかけた時、急に上に引き上げられる感覚があった。船内モニターにはパラシュート展開とあった。
「おおたかはパラグライダー式のパラシュートですから海に落ちたりしないと聞いています」
大原は、船内に入ってから初めて口を開いていた。
「それではラサに着陸できるのかな」
林原は窓の外を見たが、海と雲しか見えなかった。
「自動操縦の目的地設定次第です」
と大原。
「なんか大きく旋回してませんか」
真ん中の席の石は窓が見えないが体が感じていた。
「確かに。それに海が見えなくなっているよ。これはラサに着陸だな」
林原はここに来て生きた心地がし始めた。




