第七十三話 カイヨウハス
●73.カイヨウハス
林原は久々に首相官邸の応接ソファに座っていた。
「冨沢環境大臣のセクハラ発言の件は、素早い更迭で党や内閣に対するダメージは最小限度に留まったと思うよ。梶川総理も板についてきたではないか」
林原が言うと梶川は嬉しそうにしていた。
「そうですか。ありがとうございます」
「しかし、郷に従え党の人気にあやかって鞍替えしてきた議員はやっぱりダメだな。それで今日は私に何の用があったのだ」
「はい。林原さんには新しい環境大臣として二酸化炭素を吸収する海洋植物の視察をお願いしたいのですが」
「ん、そんなものあったのか」
「遺伝子組み換えで作った人工の植物なんですが、将来性とかを見定めて来て欲しいのです」
「わかった。梶川内閣のために人肌脱いで来るよ。任せてくれ」
新島沖の海洋植物センターのプラットフォームのヘリポートに林原たちが乗ったヘリコプターが着陸した。林原と田沢は髪の毛をボサボサにし、木本は髪の毛を押さえながら降りてきた。出迎えたセンター長の芦原は居住棟の扉を開けて林原たちを招き入れていた。
「奥さん…、あっ木本さん、久しぶりっすよね、視察に同行するのは」
田沢は珍しく社交的なことを言っていた。
「美咲紀がだいぶ手がかからなくなったから」
「八木さんがいるから、羽根を伸ばしても大丈夫だよ」
林原が付け加えていた。林原たちの所に芦原はニコニコしながら近づいてきた。
「林原大臣、さっそくですが、カイヨウハスをお見せしたいので、どうぞこちらへ」
芦原はプラットフォームの下層階に停泊している小型船に案内していた。
小型船で20分ほど進むと、一面に直径3~5mほどの青々としたカイヨウハスの群生海域に到着した。
「これは凄い。植物と太陽電池のハイブリッド見たいじゃないですか」
林原は船べりに立って身を乗り出していた。
「遺伝子操作して作り出した新種の海洋植物ですから、見た目通りの働きをします」
同行しいる芦原は我が子を自慢するようであった。
「ということは発電するのですか」
「はい。あの蓮の表面の青い格子状の部分が生み出す電力で、水中にある根が変化した冷媒が海水を冷やします」
「二酸化炭素は」
「もちろん二酸化炭素を大量に吸い込んで呼吸し固定化もします」
「完璧じゃないですか。これが世界中の海で繁殖すれば、地球沸騰化なんて解消できますよ」
林原ははしゃぎ気味であった。
「…、とは言いましても地球の70%は海ですからとてつもなく広いです。どの程度効果があるかは今後に掛かってきます」
「なんか、人が乗れそうっすね」
「はい。大人が二人乗っても沈みませんよ」
「この植物の寿命はどれくらいなのですか」
木本はカイヨウハスの大きさを見ながら言っていた。
「えぇぇ、これはだいたい10年程で新しい株に生え変わります」
「株ですか」
林原は水中を覗き込むように見た。
「はい。水上に出ている蓮の部分3つ程度が一つの株につながり、そこから冷却根が伸びています」
「海水温はどのくらい下げるのですか」
「海域の条件にもよりますが、だいたい4~5℃程下げます」
「だとするとこの付近を流れる黒潮の温度を下げられますね」
「はい。激しく蛇行しているとはいえ、もう少し群生を増やせれば日本近海での台風発生は、ある程度防げると思います」
「発生が防げなくても、発達は抑制できるでしょう。もっと繁殖させるために政府の予算を増やすように言っておきます」
林原が言うと芦原は視察の意義があったと言う顔をしていた。
「このカイヨウハスについて植物学的な見地から、開発者の小山内から説明させたいと思いますが…あ、彼はどこに行った」
芦原は側近の部下に小山内を呼ぶように指示していた。
「あぁ、すみません。小山内は研究のために群生の中に分け入っているようでして…、至急戻るように連絡しています」
「あ、別に急いでいませんから。ゆっくりとプラットフォームで待ちますよ」
「は、はい。…」
芦原のスマホに連絡が入っていた。芦原は急に深刻な顔になっていた。
「小山内なんですが、群生に入ってから20分後に連絡が付かなくなったとのことです」
「それは大変だ。そこの群生に居るんですよね。すぐに探しましょう」
「林原環境大臣は、プラットフォームにお戻りになられてください」
「いいえ。戻っている場合ではないでしょう。この小型船で救助艇が来るまで探しましょう。もしものことがあったら、地球を救う天才を失うことになります」
「はい。わかりました」
芦原は操舵士に群生域に分け入るように指示していた。
小型船は直径5~6mほどの浮いているカイヨウハスの間をゆっくりと進んで行った。カイヨウハスの水上に出ている青い格子状の花のような部分の高さは3mほどはあり、海水面に日陰を作っていた。
「小山内博士はスマホは持っていなかったのですか」
林原は周囲がちょっとヒンヤリしているのを感じていた。
「持っていたのですが、この先の…たぶんのあのハスの下に落としてしまったようです」
芦沢はGPSの位置画面を見ていた。
「林原さん、あのハスの上には、ノートPCが置いてあります」
田沢が目を凝らしていた。
「ここに居たことは確かですね」
芦沢は部下にノートPCを回収させていた。
「この群生はどれくらいの広さなのですか」
林原はカイヨウハスに囲まれていると、今自分たちがどちらに向かって進んているか目測ではわからなくなっていた。
「東京ドーム50コ程度の広さです」
「ということは、まだまだ先があると言うことですか」
林原は自分たちが迷子になるのでは感じていたが、芦沢はいろいろな計器を見ていたので冷静にしていた。
「何か手っ取り早い方法はないんすかね」
「あのぉ、博士の所在を示すスマホ以外のものはないですか。例えば…、鍵などの紛失に備えたキータグのGPS信号みたいなものは」
木本は思い立ったように言い出した。
「あっ奥さん、そうだ。小山内は資料庫の鍵などにキータグをつけてました」
芦沢は部下にキータグの場所をGPSで知らべるように指示した。
「センター長、小山内博士の居場所がわかりましたけど…」
部下はそれほど嬉しそうにはしていなかった。
「どうした。それでどこにいるのだ」
「はい。ここから120m先の水深20mの所にいます」
「いますって、水深20mだろう。小山内は潜水道具は持っていないよな」
芦沢は絶望的な顔になっていた。
「小山内博士は素潜りに長けているんじゃありませんか」
林原は一縷の望みを込めていた。
「潜りどころか、泳ぎも息継ぎができないくらいでして」
「あぁぁ、でも何か特別な方法で…」
「林原さん、水中ドローンの映像がこちらです」
芦沢はモニター画面を見せて来た。林原は小山内博士のご遺体を探していた。しかしそれらしいものはどこにもなかった。ただあるのは千切れたカイヨウハスの株が転がっているだけであった。
「え、ここにいるのですか」
「はい。確かにこの辺りからGPS信号が意図的に途切れたり、再開されています」
「意図的にですか」
「理由はわかりませんが、点いたり消えたりを不定期にしています」
「何かを伝えようとしているのか…」
林原は考え込んでいた。
「モールス信号みたいっすね」
「そうだ田沢。それをしている可能性はあるな」
「だとすると…、あの株の中が怪しいです。たぶんある程度の酸素が溜め込まれているはずです」
芦沢はすぐに小型船の引き上げワイヤでその株を引っ掛けるように指示した。
「センター長、あの株の中には入れるのですか」
「通常のものは無理ですが、あそこの株はやけに大きいですから、中に何らかの空間があってもおかしくありません」
小型船のワイヤが巻き上げられ、長径4mほどの株が小型船の脇に横付けとなった。
「それにしてもデカい。こんな株もあるんですね」
林原は白くてぬるぬるしている株を見ていた。
「大き過ぎて、ハスの部分から千切れたのでしょう」
芦沢が言っていると、部下たちが株の側面に穴を開け始めた。
「これじゃ、小山内博士が閉じ込められていてもおかしくないですね」
木本は希望に満ちた表情をしていた。
「しかし、どうでしょうか」
芦沢はかなり懐疑的であった。
しばらくすると開けられた穴から腕が伸びて来た。
「あ、あの腕時計は彼のものです」
芦沢は声を張り上げていた。
「あ、小山内博士が腕を振っていますよ」
と林原。芦沢の部下たちが穴を広げて、小山内博士を引っ張り出していた。
「あぁ、助かりました」
小山内は芦沢を見てから林原たちを見ていた。
「こちらが環境大臣の林原さんです」
芦沢が説明すると、林原が手を伸ばして握手した。
「とにかくご無事で良かった。ひと段落着いたら、いろいろとカイヨウハスについてお聞かせください」
林原は小山内の学者魂みなぎる顔を見ていた。
3週間後、林原は小山内博士と共に国連本部で行われている温暖化対策カンファレンスに参加していた。
「我々が遺伝子組み換えで作り上げたカイヨウハス、学名オーシャン・ロータスは温暖化対策の切り札となり得ると確信しています」
小山内博士は会場の大型スクリーン上にカイヨウハス一株あたりの二酸化炭素吸収量と冷却根の効力を示したデータを表示させていた。
「ハスの部分の大きさはだいたい直径5~6mほどですが、水中の株の部分は稀に大きく成長することがあり、長径4mを越える楕円形になることもあります」
「こんなに大きくなるのに、どらくらいを要するのですか」
大型スクリーンを見ていた参加者が挙手してから発言していた。
「1年半から2年程度です。それで、この株は3つのハスを束ね、水中に伸びる冷却根が海水温を4~5℃下げることができます」
小山内は滔々と語り出し、論文発表のようになっていた。林原は途中、不覚にも眠気に誘われてしまった。
ひと通り、学術的なことも含めて、小山内博士のプレゼンテーションが終わった。
「この画期的な人工植物を世界中の海洋で群生させれば、現在の地球環境は改善できると考えらます。国連の承認のもとに世界各国に広める推奨案を採択したいと思いますが、いかがでしょうか」
議長のケニア代表がまとめようとしていた。
「異議があります。この人工植物は、遺伝子を安易に組み替えた神を冒涜する行為にあたりませんか」
ロシア正教の支援団体を庇護するロシアの国連代表が言ってきた。
「人間のクローンを作ったり、人工子宮で胎児を作ることは神の冒涜ではないのですか。どうもあなた方の国では公然とやっているようですが」
林原は小山内に代わり応じていた。
「それとこれとは別物です。ここは温暖化対策についてのカンファレンスです」
「それでは、なおさらではないですか。小山内博士のカイヨウハスは温暖化対策の切り札ではないですか」
「温暖化対策のためなら、何でもして良いわけではありません。新しい植物を作って繁殖させることは、未来にどういう影響を与えるかわかりません」
ロシア代表はかなり否定的な態度を崩さなかった。
「そもそも日本は中華連合や中華連邦共和国と傀儡国家や組織を作り、中華人民共和国を破滅させました。第二次世界大戦前の満州国の悪行の再来とも言えます。その国が生み出した人工植物など、断じて信用できません」
ロシアに再併合されたカザフスタンに拠点を置く、中華人民共和国亡命政府の国連代表が叫ぶように言っていた。
「中華連合や中華連邦共和国は、中華の民の希望であり、自発的に建国されものです。決して傀儡などではありません」
林原は思わぬところで、変な恨み節を聞かされたと感じていた。
「こんなのはダメだ」
「もっと世界が利する方策で温暖化対策は進めるべきだ」
議場はロシアや旧中華人民共和国を支持する参加者、国境なき地球党が与党の国の参加者で騒然としていた。
「あのぉ、話題がそれてしまったようなので、後日改めては議論したいと思います」
議長が言うと、米英独仏や中華連合などの代表が拍手して、カンファレンスは幕を閉じた。
会議室を出て通路を歩く林原と小山内。
「小山内博士、国連では未だに日本は敵国や敗戦国ですし、賄賂が横行し、利権が絡みで機能不全状態ですから、今日のことは気にしないでください」
「林原さんも、いろいろと政治的に大変でしょう。100年近く前のことを引き合いに出されて恨まれるのですから」
「あれは負け犬の遠吠えですよ。正当な中国は我々と手を携えて支持をしてくれてますから」
「カイヨウハスの件は、どうなるのですか」
小山内博士は心配そうな表情であった。
「はい。郷に従え党の国際会議で検討して世界に普及させるつもりです。今や国連よりも我々の方が影響力は大きいですから」
林原は、ドンと任せてくれといった感じであった。




