第六十四話 腹いせ
●64.腹いせ
2日後、林原=アバターロボット、イワノフ、スミルノワ、反戦母の会のメンバーは、ロシア保健省疾病対策部の派遣団を装い、サハリン州政府庁舎の州知事室を訪ねていた。
「逆ロックダウン…ですか」
ゲオルギー・ペトロフは細身で実年齢よりも若く見える40代の男であった。
「これ以上感染者を増やさないためにも逆ロックダウンのようなことをしないと、以前のパンデミックのようなことになります」
イワノフはスミルノワの隣に座っていた。
「それはロシア保健省疾病対策部の考えですか」
「大まかに言ってそうですし、こちらのスミルノワさんたちも帰還兵に感染者が多いので危惧しています」
「しかし、そこまでの対策となると私の一存ではどうにもなりません。一度は私も考えたことですけど…潰されました」
「そこなんですけど、モスクワはサハリンの住民のことを本当に考えているでしょうか」
スミルノワが感情的な雰囲気を出して言っていた。
「私が勝手にやってモスクワに逆らえと言うのですか」
「果たして今のロシア政府やっていることは、国民のためになることでしょうか。過去の栄光、プライド、権力闘争にすがっているだけに見えます」
スミルノワはたたみかけるように言っていた。
「…地方の意見は中央には届きにくいとは言えます。しかし私は政府にサハリン州を任せれている身です」
ペトロフ知事はモスクワと揉めていることを隠したい様子だった。
「任されているからこそ、やらねばならないことがあると思います。それに現在のウクライナの状況は正しいやり方なのですか」
とスミルノワ。
「知事、正直なところをお聞かせください」
イワノフはペトロフをじっと見ていた。
「ここだけの話ですが…、確かに…ロシアのウクライナに対する振る舞いは、全ての伝統を踏みにじるものでしかないと感じてました。しかし強大な政府組織に立ち向かえと言うのですか」
ペトロフは知事室を見回しながら小声で言っていた。
「私もロシアはウクライナに来たらウクライナの伝統文化を尊重し郷に従うべきだと思います」
林原=アバターロボットが突然喋り出した。ペトロフはロボットの方を凝視していた。
「これはなんですか。ただの看護師ロボットではないですね」
とペトロフ。
「申し遅れました。私は郷に従え党の林原と申します。日本とロシアは渡航制限があるので
こういう形で話しています」
「イワノフさん、あなた方は保健省疾病対策部の派遣団とは違いますね」
「はい。しかしサハリンのことを考えている者です。どうしますか、治安当局に突き出しますか」
イワノフが言うと一同は黙り込んだ。ペトロフは内線電話の受話器に手をかけて考えていた。
「…元々私の祖父はウクライナにいましたが、第二次世界大戦後に強制的にサハリンに移住させられています。それでも父は努力の末、ウクライナに戻ることができました。私にとってはウクライナもサハリンもふるさとと思っています」
ペトロフはゆっくりと語っていた。
「そのふるさとが、ないがしろにされている現状をどう見ますか」
スミルノワは慈しみの目でペトロフを見ていた。
「歯痒い面はあります」
「いち地方の役人として終わるのか、地元の英雄として名を残すのかということです」
イワノフは待ちきれなくなり、本心を吐露していた。
「ペトロフ知事、もし逆ロックダウンを実行するのでしたら、日本は影ながら人道支援と称して協力できると思います」
林原=アバターロボットは徐々に本題に詰めて行った。
「これはあくまで一時的なことですよね。将来的にはどうなるかビジョンが描けません」
ペトロフは目が泳いでいる感じてあった。
「まず逆ロックダウンを手始めにサハリンが立ち上がることが、ウクライナの劣勢を挽回させることにもつながります。上手くすればウクライナ全土の独立が回復できるでしょう」
イワノフは林原=アバターロボットの合いの手のように口を挟んだ。
「それに若い世代にとってはソ連時代の栄光など、ただのノスタルジーにしか映らないのは事実ですし、女性の厭戦ムードは着実に広がっています」
スミルノワは自分が反戦母の会の人間だとバレてもかまわない覚悟で言っていた。
「なんか皆さんは、私に英雄になれと持ち上げているようですが…」
「いえ。そのような単純なものではありません。この逆ロックダウンは次のサハリン独立に向けたお試し期間と位置付けています。あなたの政治的判断によりますが、独立して日本に北方領土を返してもらえれば経済支援をお約束します」
「そんなことをしてロシア国民が支持しますか」
「あなたの場合、大陸本土のロシア国民よりもサハリン州の住民に支持されるかどうかだと思います」
林原=アバターロボットは話の核心部を述べた。
「日本のロシアに対する制裁は解除されるですか」
「はい。サハリンはロシアから独立しているのですから解除されます」
「しかしサハリンは独自の軍隊は持ちません。もしロシア軍が鎮圧部隊を送り込んだらどうしますか」
「今ならば、各地のソビエト再興戦争でロシア軍は極東まで手が回らないでしょう。またソビエト再興戦争が落ち着くか、現政権が滅びるまでは時間があるので、その間に自軍を整えれば良いと思います」
「私の全ての問いに対して答えが用意されているようですね」
「それだけ、我々は真剣に知事と向き合っているわけです」
イワノフは自らが独立指導者になっても良さそうな迫力があった。
「感染者を増やさないという大儀名分は受け入れやすいと思います。また逆ロックダウン宣言をして、周囲がどう動くか様子を見てから本格的な決断をしてもかまいません」
林原=アバターロボットは思いつくままに説得していた。
「感染者が増えれば、倒産件数や失業率も上がります。物価高騰も起きることは誰もが知る所で回避したいはずです」
イワノフの合いの手が入る。
「ペトロフ知事、熟慮して答えを出してください。ただし早い方が良いでしょう。決断していただければ、この計画は内密に進め、より具体的で双方がウィンウィンになる形にしたいと考えています」
林原=アバターロボットが言っているが、その場に林原がいて熱気が伝わる雰囲気があった。
「私なりの結論を出すには、もう少し時間をください。今日の所はお引き取りいたたけますか」
「…ということは治安当局に連行されることはなく、帰って良いのですか」
スミルノワは今さらのように身の安全を気にし出していた。
「はい。あなたは反戦母の会サハリン支局長でしたよね。結論はご連絡します」
「知事、バレてましたか」
スミルノワはロシア保健省疾病対策部の腕章を外していた。
党本部のバーチャル会議室を掃除している林原と木本。
「この操作ブースは邪魔ね。部屋の隅の埃が取れないわ」
木本は掃除機のノズルを操作ブースの後ろに入れようとしていた。
「そうは言ってもな。他に置く場所がないしな。後は俺が掃除しておくから、ゆか…木本は家に戻って
美咲紀の世話をしてくれ」
「わかったけど、サハリンの方はどうなの」
「イワノフとスミルノワは味方だが、ペトロフはどう転ぶかだな。おっ、さっそくイワノフから連絡が
来たぞ」
林原は、大型モニターの電源をオンにしていた。
「それじゃね」
木本は掃除機を持って出て行った。実際にはしていないが、投げキッスをしたように感じられた林原。
「ペトロフ知事の返事なんですが、逆ロックダウンなどの協力は惜しまないが、リーダーは私か、スミルノワ支局長にしてくれということです」
と大型モニターに映っているイワノフ。
「リーダーというか今回の企ての首謀者にはなりたくないと言うことか」
「彼の親戚が占領下の東ウクライナにいることもあるようです」
「失敗した際には、脅されてやったという言い訳ができるようにだろうな」
「どうしますか。信頼できますかね」
「取りあえず、手筈通りに逆ロックダウンはやってもらいましょう。それで少しでも怪しい動きがあったら、全てを中断してイワノフさんとスミルノワは身を隠してください。お二方はいずれサハリンの代表になってもらいたいので」
「了解しました」
イワノフは林原の言葉に元気づけられていた。
林原は官邸の総理執務室に来ていた。
「柿沢総理、日本人の不老不死化プロジェクトは、私が設定した10年以内に実現できそうかな」
「かなり進んで来ていますが、若返り分野と長寿命分野は別々に進行しているので、なんとも言えません」
「それでどちらか先行してますか」
「若返り分野の方になります」
「そうか。健康で働ける体になるなら、年金を支給せず、納税してもらえるか…」
「林原さん、前代未聞でどこの国も実現していないことなので、誰もが暗中模索という所です」
「それをやるのも、郷に従え党だがな」
「林原さん、なんかニュース速報がありるようです」
柿沢は音声をオフにしてつけっ放しであったテレビ画面を見ていた。
「お、なんだ。ロシアのサハリン州政府はホルムスク港、ユジノサハリンスク空港を閉鎖する逆ロックダウンを猶予期間1日を経てから実施すると発表かぁ、遂にペトロフ知事が動いたな」
林原はニヤニヤしながらニュース速報の字幕を読み上げていた。
「このまま上手く行けば、林原さんは北方領土問題も解決したことになりますよ」
柿沢はテレビの音声をオンにしていた。
「柿沢総理、まだ早まるなよ、これからが重要だ」
党本部のバーチャル会議室。アバターAIロボットは起動させず、通常のバーチャル会議している林原。
「逆ロックダウンを実施したその後はどうですか。港と空港を閉鎖していますが、サハリン北部から人が入ってくることはないのですか」
「林原さん、詳しいですね。でも昨今の温暖化で冬季の間宮海峡は凍結しないので渡れませんから大丈夫です。その上、監視所も設けています」
「サハリンの住民の皆さんの反応はどうですか」
「感染症対策として概ね好評ですが、食料や医療品についての心配が議論されています」
「ロシア政府はどうですか」
「大統領は激怒していますが、やはり早急に手が打てない状況で、厳しく罵っているだけです。あと、択捉島のロシア軍がモスクワの指示で動こうとしたのですが、事前に察知した州政府が抑えています」
「思ったよりも順調なようですね」
「反戦母の会の下部組織も動いてくれているので、上手く行ってます」
「それでは、私がアバターロボットで活動する幕はなさそうじゃないですか」
「…」
イワノフの返事はなかった。
「イワノフさん、どうしたのですか」
「たった今、ロシア軍兵士を乗せた軍用機がユジノサハリンスク空港に強行着陸したとのことです」
「人数はどれくらいですか」
「報告された機種からするとせいぜい30人程度だと思います」
「それで、何がしたいんでしょうか…」
林原は怪訝な表情をしていた。
「あぁ、ちょっと待ってください。スミルノワさんの部下が空港の監視カメラをハッキングしています」
「必要とあれば、アバターAIロボットを起動させますよ」
林原は操作ブースの電源を入れていた。
「監視カメラの映像によると…、兵士たちが空港に展開しているようです。でもなんか元気がないというか変なんです。今そちらに映像を転送します」
「はい」
林原は大型モニターの画面を二分割画面にしていた。すぐに監視カメラの映像がバーチャル会議室で見られた。
「…あぁ、なんか咳き込んでますね。一応、銃を空港職員に向けてますけど、ふらついている兵士もいますよ」
「制圧行動というよりも、なるべく多くの人に接している感じが…、もしかするとこの兵士たちは、感染者ではないですか」
林原はロシア政府ならやりかねないと直感した。
「腹いせに、前線で使えない兵士をかき集めて送り込んできたんですか。とにかく兵士をつかまえてPCR検査をしてみます」
イワノフは焦り出していた。
「まさかこんなことをするとは意表を突かれたぁ。とにかくそっちにアバターで行きます」
居ても立っても居られない林原は操作ブースに入り、操作アームなど装着していた。
林原=アバターロボットはイワノフたちと共にユジノサハリンスク空港のターミナルビル内にいた。
「全員陽性で感染者です。発症者も12人います」
イワノフはロボットに語りかけていた。スミルノワの部下たちは不思議そうに見ていた。
「やはりそうでしたか」
「発症者は動きが鈍いので全員確保したのですが、感染兵士の3人が検査のあと隙を見て空港の敷地から逃亡してしまいました」
「警察に連絡して捜索してもらうしかないか。後はSNSで確保の協力を市民に呼びかけよう」
林原=アバターロボットは乗り物に乗っていなければ、まだユジノサハリンスク市内にいると踏んでいた。
兵士2人は市民の協力により、3時間以内に捕まえることができた。すぐに警察はこの兵士2人の足どりを辿り、接触した通行人やファストフード店の従業員など一人一人特定して行った。兵士は発症していなくてもウィルスをばら撒いている可能性は充分にあった。たった二人を取り逃がしだけで、合計50人をPCR検査することになった。兵士はウィルスを広めるという任務を受けているので、巧みに人と接触していた。しかし残りの1人は日が変わっても捕まえられなかった。より広範囲にウィルスを広めていることが考えられた。
翌日、ペトロフ知事と共に林原=アバターロボット、イワノフ、スミルノワは、ユジノサハリンスク警察本部を訪れていた。
「このユジノサハリンスク駅の監視カメラ映像を見てください。この男は軍服を着てないですが、顔つきが逃げたコズロフ軍曹に似ていませんか」
警察本部長は兵歴写真を見せていた。拡大映像は若干ぼやけていて、微妙な感じであった。
「こんなに時間が経って見つからないのでしたら、親が匿っていることはありませんか」
スミルノワは兵歴簿の出身地を見ようとしていた。
「コズロフ軍曹はモスクワ州ポドリスク出身ですし、サハリンには縁もゆかりもありません」
本部長は切り捨てるよう言っていた。
「とにかく着替えたことは間違いないでしょう」
イワノフは監視カメラ映像を凝視していた。
「一刻も早く捕まえないと、逆ロックダウンしたことが無意味になってしまいます」
ペトロフは不安げであった。
「ウィルスを広めるには本数が多いバスに乗った可能性が高いです」
林原=アバターロボットはあえてロボット的な口調で言っていた。
「ロボットさんよ、それでは駅の男は別人だってことかい」
本部長はただのAIロボットと思っているようだった。
「捜索を攪乱させる可能性が高いです」
林原=アバターロボットが言っていると、本部長に部下から連絡が入っていた。
「コルサコフ歴史博物館前のバス停で派手に咳き込む男を発見したという情報が入っています。今その写真を送ってもらってます。えぇ、これです」
本部長はスマホの画面に映っている男の顔を見せていた。
「これこそ、コズロフ軍曹じゃないですか」
ペトロフ知事は写真を何度も確認していた。
「それでは、さっそく防護服を着用した警官を向かわせましょう」
本部長は部下に手配を命じていたが、渋い顔になった。
「防護服がないだと、そんなのサハリンの保健局に持ってこさせろ」
本部長はスマホに怒鳴っていた。
「ですが、相手が暴れた場合の丈夫なものは、ないのですが」
部下の声はハンズフリー・モードになっていたので、大きな声になっていた。
「あぁ、それでしたら、私が捕まえに行きます。パワーもありますし防護服はいりませんから」
林原=アバターロボットは途端に人間的な口調になっていた。本部長は目を丸くしていた。
「コルサコフに行くのでしたら、州政府の空飛ぶ車で行けば20分ちょっとでしょう」
ペトロフ知事はすかさず言っていた。
コルサコフ歴史博物館前のバス停の周囲には規制線が張られていた。一緒に来たイワノフは規制線の外から林原=アバターロボットの様子を見ていた。コゾロフ軍曹はサイズが合っていないシャツとズボンを身に着けていた。激しく咳き込み、痰がまき散らかされていた。荒い息でバス停の柱にもたれかかる。かなり弱っているものの、手には拳銃が握られていた。
林原=アバターロボットは規制線の中に入り、ゆっくりとコゾロフに近づいていく。
「狙撃チームが40分後に到着しますから、狙撃してから回収するのはどうですか」
イワノフはリンクしているスマホで言っていた。
「40分ですか。その間に逃げられるとまずいので、なんとかします」
林原=アバターロボットは何も喋っていないが、リンク回線で通じていた。
「おい、ブリキ野郎。こっちに来るな。スクラップにしてやる」
コゾロフは拳銃をぶっ放してきた。林原=アバターロボットの胸の辺りに命中したが、ボディが凹み、ぽろりと弾丸が地面に落ちていた。さらに拳銃で撃ってくる。金属音がしてアバターロボットは若干よろけるが歩み寄っていた。
「俺はこんなブリキ野郎に捕まるものか」
コゾロフはバス停からよろよろと歩きだし、コルサコフ歴史博物館の駐車場に停められている車の方に向かって行った。
林原=アバターロボットは駆け出そうとするが、キャリーケースの車輪が外れて引きずる格好になっていた。しかたなくキャリーケースを抱えて駆け出した。しかし胸のあたりで抱えているキャリーケースを撃たれたら動けなくなる。林原はそれを気にしながら走っていた。
コゾロフは車のドアの鍵を撃ち抜いて中に入る。彼はダッシュボードの下をまさぐるとエンジンがかかった。車が走りかけたところで、林原=アバターロボットが助手席の窓を破って飛び込んで来た。キャリーケースが助手席に落ち、ロボットの上半身が車内に入り、その両手がコゾロフの首と肩をつかんでいた。肩の骨が潰れる音がすると、コゾロフの片腕はハンドルから滑り落ちた。だが飛び込んだ衝撃でキャリーケースからバッテリー液がわずかに滲みだしていた。林原=アバターロボットは慌てて、片手をキャリーケースに突っ込み穴を塞ごうとしていた。コゾロフは、しめたという顔をしたが、時すでに遅く車は電柱にぶつかり止まった。
林原=アバターロボットは車のダッシュボードにあったガムテープでバッテリーの損傷個所をぐるぐる巻きにしていた。
「コゾロフを確保しました。って言うか死体を確保しました」
林原=アバターロボットはぐちゃぐちゃに潰れた車の脇に立っていた。
この腹いせのおかげで、サハリンは感染者が96人増え、そのうち発症者は58人で29人が死亡していた。逆ロックダウン的には悪影響があったが、サハリン住民のモスクワ政府に対する反感がより一層高まっていた。サハリン州政府は同じことが起きないように、空港の滑走路にバリケードを設置した。




