第六十三話 逆ロックダウン
●63.逆ロックダウン
党本部のバーチャル会議室。大型モニターにはウォレスが映っていた。
「セイシロー、知っての通りベーカーがなんとか大統領になれたよ。しかしアメリカは多党制になったし連立与党という形だ。果たしてこれで良かったのかな」
ウォレスは目を細めていた。
「もちろんです。ベーカーさんなら、ロバート・ウィルソン氏とも表向きの融和が図れ、分断されていた国内世論は静かになります。ただ傀儡と見なされがちなので、時には反ウォレス色を見せることも必要ですが、最終的にはハロルドが正しかったことにするのが肝要かと思います」
「セイシローもなかなかの策士だな」
「いえいえ。これでハロルドは稀代のアメリカの策士になれますよ」
「中国も我々の仲間になれそうだし、いよいよ世界が面白くなってきたな」
「まだロシアが残ってますから、面白くなりかけたところでしょうか」
「ところでセイシロー、私が送ったベビーカーは使っているか」
「はい。軽くて重宝してますよ」
「それは良かった。近々もっと軽くて強靭な生分解性プラスチックが無重力プラントで、できるそうだ」
「アメリカの宇宙ベンチャー企業のものですか」
「そうだ。セイシローは最新の科学技術には詳しいようだな」
「それほどもないですけど、これからは宇宙ビジネスが宝の山になるんじゃないですか」
「今後は欧米、ロシア、日本、中国、インドなどでシェア争いが激化するだろうな」
「国を越えた枠組みで離合集散し、今までと違った世界になる気がしますよ」
林原は未来がどのように展開していくか、まだ漠然としていた。
党本部の党首室でテレビを見ている林原と木本。
『「イギリスのロイヤル疫学研究所によると、近年の環境激化でシベリアの永久凍土が溶けて活性化した未知のウィルスの可能性が高いとしています。このウィルスによるシベリアン3C感染症の患者はロシア西部とモンゴルで確認されています」
と男性キャスターの声。防護服を着てシベリアで調査している疫学研究所員の映像が流れていた』。
「なんとかロシア国内でおさまってもらいたいな。幸い、制裁などで人の移動が制限されているから
良いけど…」
林原は過去のパンデミックの状況を思い返していた。
「初期症状は風邪に似ているというから、流行り出したら、一気にパンデミックになるかもしれませんね」
「柿沢総理には早めの対策をするように言っておこう」
林原は内閣感染症対策参与としてつくばの国立感染症研究センターの会議室にいた。同席しているのは下村総合情報局長であった。
「こちらが最初にシベリアで発見されたウィルスで、隣がウランバートルの患者から採取したウィルスです」
長井センター長は電子顕微鏡の画像を大型モニターに表示させ説明していた。林原たちはそう言われても、黙ってうなづくだけであった。
「見た目はそれほど変わりませんが毒素が劇的に増しています。それでこちらがウィルスの分析データを照らし合わせたものです。ご覧の通り明らかに違っています。短期間にここまで変化することはまずないでしょう。ですからDNAが改変されているとしか言いようがないのです」
「でもウィルスは宿主が替わるたびに変化していくのではないですか」
林原はどうもしっくりといってない様子であった。
「それはそうですが、永久凍土が溶けて発見された当初とこんなに異なることはありません。人為的に操作されている可能性が非常に高いのです」
長井の考えは揺るがなかった。
「だとすると誰が操作したかになりますね」
林原は下村の方を見ていた。
「…それで言うと、ロシアの情報当局が西ウクライナの疾病対策研究センターで生物兵器を製造していると主張していますが、まんざら嘘ではないかもしれません。もちろん西ウクライナは否定していますが」
下村が言うと長井はやっぱりと言う顔をしていた。
「あぁ、いきさつはどうであっても、ロシアやモンゴルで新種のシベリアン3C感染症が流行り始めていることは確かですね」
「あのぉ、林原さん。この感染症の呼称ですが、当初は発見された地に因んでシベリアン3C感染症でしたが、ロシア政府が恣意的なネーミングだと抗議したため、現在ではウィルスが王冠状の形をしていることからクラウン感染症となっています」
「それでクラウン感染症の致死率はどれくらいなのですか」
林原はウィルスの画像をじっくりと見ていた。
「今の所、確認された発症件数が少ないのですが、50%前後になっています」
「そ、それだと生物兵器の可能性が否めませんね」
下村が真っ先に驚いていた。
「発症すると二人に一人が死んでしまうのですか…。恐ろしいですね。でも生物兵器だとしたら、西ウクライナ側はワクチンや特効薬も同時に開発しているはずではないですか」
林原が指摘すると長井は少し明るい表情になった。
「だと良いのですが。今の所ワクチンも特効薬もないのでそれに期待しています」
「すぐに出せば疑われるので、どうでしょうか」
下村は懐疑的であった。
総理官邸の会議室では、林原、柿沢、下村総合情報局長、滝田厚労大臣が丸テーブルを囲んでいた。
「ウラジオストクの感染者がこの一週間で3倍に増えています。それだけでなくロシア各地で感染者が確認されています。まだ比較的感染者が少ないサハリン島では空港と港を閉鎖して、逆ロックダウンのようなことを実施しようとしていますが、モスクワが認めずサハリン州との間でもめています」
滝田は手元のタブレットPCと同期しているモニター画面を見ながら説明していた。
「現在のサハリンの感染者はどれくらいなのですか」
と柿沢。
「正確な数字はわかりませんが、隔離されている発症者は30人ほどだそうです」
「感染者はその3倍はいるんじゃないかな」
林原はぼそりと言っていた。
「数はわかりませんが他にもウィルス感染者はいると思います。またソビエト復活の併合戦争の帰還兵の比率が高いそうです」
と滝田。
「帰還兵ですか…。最近モスクワではソビエト再興戦争と呼んでいるようですけど」
下村はモニター画面を見つめていた。
「いずれにしましてもロシア本土とは比較にならない数だと思います」
と滝田。
「ロシアの中では、本土と離れているからサンクチュアリ的な場所かもな」
林原はロシアの地図のオホーツク海の辺りを確認していた。
「このまま推移して行けば、ですが」
滝田は釘をさすように言っていた。
「となるとサハリンは一応コントロールされていると言えますね。それにモスクワとサハリン州がもめているとなると利用しない手はないな」
「ええっ、林原さん、利用するのですか」
柿沢が思わず声を上げていた。
「下村局長、現在のサハリンの知事はどんな人物かわかりますか」
林原は気になったの試しに聞いてみた。
「ぇぇ、調べててみますと…、あ、ウクライナ出身のゲオルギー・ペトロフ氏です」
下村は手元のタブレットPCで検索していた。
「なるほどウクライナか…。ロシアの我が党支持者やチェーホフ氏などを使って、サハリン州に働きかければ、この先…、何かと有利になるだろう」
林原が言うと下村が意味ありげにうなづいていた。
アンドレイ・イワノフは、アバターAIロボットの胴体と頭をはめ込み、ねじ止めしていた。彼の周りには宅配便の段ボール箱の空箱が散らばっていた。ロボットは椅子に座った状態で電源はオフのままであった。イワノフは空箱の中を一つ一つ確認していた。
「ちっ、まだバッテリーは届いていないのか」
イワノフは悪態をついていた。仕方なくアダプターを部屋のコンセントにさした。
アバターAIロボットは瞼を開いた。
「イワノフさん、久しぶりです。部品は全部届きましたか」
林原の声がアバターAIロボットから聞こえていた。
「林原さん、こんな形で会えるとは、時代が変わりましたね。あ、それでバッテリーがまだ届いてないです」
「そうですか。同じ日に送ったのですが、ロシアの宅配便事情によっては日本と同じようには
行かないかもしれません。でもこの電源は…」
「コンセント電源なんで、部屋にいるか車に乗るかしないと、使えません」
「反戦母の会サハリン支局長のオルガ・スミルノワさんに会うのは2日後でしたよね。それまでには届くはずです」
「届かなくてもなんとかします。任してください」
イワノフは林原と話しているうちに何となく抱いていた孤独感から解放されていった。イワノフはロシアに戻った数少ない郷に従え党支持者なので、仲間にはなかなか会う機会がなかった。
アバターAIロボットの操作ブースは党本部のバーチャル会議室の傍らにあった。
「イワノフさん、あれからバッテリーは届きましたか」
林原は操作ブース内でゴーグル、手や腕、足に操作アーム装着していた。林原が周りを見ると、サハリンのアバターAIロボットの頭も回っていた。まだイワノフの部屋にいるようだった。
「いや、まだです。こんなこともあろうかと車のバッテリーを接続したままキャリーケースに入れて移動しようと思ってます」
イワノフの声は操作ブースのスピーカーから、本人の声色とほぼ同じ日本語になって聞えていた。
「わかりました。それでスミルノワさんとはどこで会う予定なのですか」
「サハリン中央医療センターの隔離病棟です。ただ、その前にちょっとしたミッションがありまして、それをクリアしてからになります」
「ミッションですか」
「はい。まずロシア憲兵サハリン支局に行って脱走兵のPCR検査をします」
「脱走兵…」
林原は言われるままであった。
「それで、林原さんが操作するこのアバターAIロボットはPCR検査用の看護師ロボットいうことになっています」
「わかりました」
「それでは一旦電源を落としますが、ロシア憲兵サハリン支局に到着したら電源を入れます」
林原がアバターAIロボットの目を介して見ているものは、ロシア憲兵サハリン支局の建物内の廊下のようだった。廊下を進むと保健室のような所に入った。
「ここにいる5名が脱走兵ですが、感染している可能性はないと思いますけど」
N95マスクをした支局長は、無駄だと言う表情をしてイワノフに説明していた。
「最前線でウィルスを広められては、我が軍の戦闘能力に関わりますから」
イワノフもN95マスクをし、ロシア保健省疾病対策部の腕章をつけていた。
「N95マスクのない監視兵は保健室の外で待機だな」
「はい。後はこのPCR検査用ロボットがやりますので、心配ありません」
イワノフは林原=アバターロボットの方を見ていた。
林原は脱走兵の鼻の粘膜を綿棒でふき取り、唾液を採取していた。PCR検査は年々は簡易で短時間で結果が出るようになっていた。
1時間後のロシア憲兵サハリン支局長室。
「支局長、脱走兵5人のうち4人が感染していることがわかりました。残りの1名も陽性のラインぎりぎりの所だったので、彼らは最前線には送れません」
イワノフはキッパリと言い放っていた。
「そうか。あぁ、そのロボットは消毒済だよな」
支局長は面倒くさそうに言っていた。
「はい。完璧です」
「これじゃ、反戦母の会の嘆願は受理しなくても、治るまでここに留置しておくか」
「いえ。ここでは治療は難しいと思います。ちゃんとした隔離施設でないと無理です。これに備えてサハリン中央医療センターの隔離病棟で受け入れ態勢を整えています」
「そう言うことなら、後は頼む」
支局長は厄介払いができたという顔になっていた。
ロシア憲兵サハリン支局の敷地から脱走兵感染者たちを乗せたマイクロバスが静かに出て行った。乗車中の林原=アバターロボットはキャリーケースのバッテリーを節電するため、マイクロバスのバッテリーに接続されていた。
「あのぉ、このクラウン感染症は治るのですか」
脱走兵の一人が林原=アバターロボットに聞いてきた。
「あ、今の所、治療方法も特効薬も開発されていないので、その人の免疫力次第ですが」
林原=アバターロボットは人間的な言い方になっていた。
「林原さん、もう良いでしょう。本当のことを言ってください」
ハンドルを握るイワノフは、バックミラーで離れていくロシア憲兵サハリン支局の建物を見ていた。
「ですが、心配はいりません。これはあなた方を救出するための方便ですから」
「ええっ、そうなんですか」
別の脱走兵はあっ気に取られていた。
「あぁ、まだ喜ばないでください。隔離施設では数日間は病人を演じてもらい、後遺症の危険があるものの治ったことにしてご両親やご家族のもとに帰ってもらいます」
林原=アバターロボットが言うと、車内は明るい雰囲気になっていた。
脱走兵たちはサハリン中央医療センターの隔離病棟に収容された。この事実を確認した反戦母の会サハリン支局長のオルガ・スミルノワとは、ミール・ユジノサハリンスク・ホテルのラウンジで落ち合った林原たち。
「私がいくら嘆願書を書いても効果がなかったのですが、イワノフさんは、あの脱走兵の方々の解放をたった一人でやったのですか。それは凄い」
ふくよかな中年女性のオルガ・スミルノワは目を丸くしていた。ラウンジの隣のテーブルに反戦母の会のメンバーが同席し、不測の事態に警戒していた。
「あなたに会うには信用を得るためにも、それなりの手土産が必要だと思いましたし、このロボットもいますから」
イワノフの隣には林原=アバターロボットが座っていた。
「ここまでしてくださったということは、我々の活動に賛同なさっているのですか」
スミルノワはイワノフと林原=アバターロボットの方を見ていた。
「はい。サハリンでは帰還兵にクラウン感染症患者が多いものの、今の所、ロシア本土に比べて感染者が少ないです。それでこの感染帰還兵を出さないためにも、根本的に徴兵に応じなければ良いと考えます。これは反戦母の会の考えや感染症対策と一致するのではないかと思いました」
「それはそうでしょうけど、徴兵に応じないだけでは、感染症は減らないのではないですか」
「ですから、サハリン島全体を逆ロックダウのような形にしたらどうでしょうか」
林原=アバターロボットがいきなり会話に参加してきた。
「あら、このロボットは自分の考えが言えるのですか。でもそのようなことが、できるとは思えませんが」
スミルノワは驚いた表情をしているものの、ロボットと会話しようとしていた。
「ウクライナ出身のゲオルギー・ペトロフ州知事に働きかければ、上手く行くかもしれません」
林原=アバターロボットはスミルノワの目を見て人間的に話していた。
「…あの方はウクライナについて憂いているので、モスクワの連邦政府とは相性が良くないとは聞いていますが、思い切った策が実行できますかね。というかあなたは誰ですか。AIではないでしょう」
「ああ、申し遅れました。私は郷に従え党の林原と申します。日本とロシアは渡航制限があるもので、
こうした形でお会いすることになりました」
「郷に従え党ですか。最近、世界中でその名を聞くことが多くなったようですね」
「ロシアにも我々は支持者はいます」
「中国の次はロシアと言うことですか」
スミルノワは強張った表情になっていた。
「とにかくペトロフ知事にこの話をする前に、まずスミルノワさんにお話し、協力が得られるか確認したかったんです」
「しかしペトロフ知事にその気があっても、総合的に冷静に判断すれば、サハリン単独で何日持ちこたえられるかは自ずとわかってきます」
「そこで第三国が支援するとしたら、どうでしょうか」
「日本ですか。ロシア人には日本好きな人は大勢いますが、政治的な面では躊躇するでしょう」
「ロシア本土との行き来をシャットダウンするサハリンの逆ロックダウンには、政治とは別として医療や食料などを支援する用意はあります」
「でもそれには裏がありそうですね」
「はい。包み隠さず申し上げますと、住民の皆さんの大半が同意してくれればですが、将来的なサハリンの独立を支援したいと思っています」
「逆ロックダウンから独立ですか…」
スミルノワはそのようなことは全く考えていなかったが、ロシアでないロシアなら反戦母の会の意に沿える気もしていた。
「サハリンの現状を変えるために日本領になれば徴兵もないですし医療も充実しています。しかしそれは無理でしょうから望んでいません。となるとサハリン独立で、友好国となってもらうことなのです」
「現状サハリンは、ロシアのいち地方に過ぎませんが、独立すれば日本とは隣国となりますか」
スミルノワの心が動き出していた。
「かつてのサンフランシスコ講和条約で、樺太、千島列島は放棄しましたが、ソ連やロシアの領有は認めていない立場でした。しかしサハリンが独立して友好国となるならその領有は認める立場になります」
「いずれにしましても、私をいくら説得しても何も変わりません。一緒にペトロフ知事と直談判してみませんか」
スミルノワは思わず口が言ってしまったと言う感じであった。
「但し、独立後の経済支援をさせてもらいますが、その見返りとして北方領土を返してもらいたいのです」
林原=アバターロボットは念を押していた。
「それぐらいは仕方ありませんね。私からもそのことはペトロフ知事に言いましょう」




