第四十五話 ロシア対策
●45.ロシア対策
公邸のコンピューター室にはプライベートを装った党三役が集まっていた。
「アメリカはウォレス大統領がいますし、中国本土は頼さんたちが暗躍していますが、ロシアはというと我々の思う方向に進んでないと言えます」
ケリーはオフになっているAIシミュレーターの画面に顔を映し髪を触っていた。
「確かに党首の言う通り、ロシア人で我が党に共鳴してくれる人はいるにしても、他国に対するリスペクトはなく、彼らの都合が良いように変形したものになっています。別ものと言って良いでしょう。どうしますか」
ベルガーはAIシミュレーターに何か入力したそうにし、今は誰が党首かわからなくなりかけていたので、あえて役職名を使っていた。
「党員獲得というより、…副党首の私は総理でもあるので、ちょっと考えが異なります。在日米軍が段階的とはいえ撤退するので、北方領土を返せば米軍基地が作られるというロシアのかつての言い訳ができなくなったと思います。そこで北方領土交渉を投げかけて、どう反応するか見てみようかと考えています」
「林原さん、まず、その線でAIシミュレーターに結果を予測させたら面白いかもしれませんよ」
ベルガーはコンピューターの電源をオンにしていた。
「まずは南樺太や千島列島は放棄したもののロシアの領有は認めておらず、北方領土の返還などを含めた日ロ和平条約を結びたいとロシア政府に打診。それに伴ってユジノサハリンスクの日本総領事館を閉鎖する。こんな感じで入力したみました」
林原はキーボードを叩いていた。
ほとんど思考時間がなく、すぐにシミュレーション結果が出た。
『ロシアは日本による1945年の結果を無視する非道な交渉には断固として応じないと非難。これによって日ロ関係は、ますます悪化する』と表示された。
「結局、米軍撤退なんか全然意味がなく、大きな政変でもない限り無理でしたか」
林原は自分の認識が甘かったと感じていた。
「ロシアは今までに獲得した領土を減らしたのはアラスカ売却ぐらいですか」
ベルガーはあんぐりと口を開けていた。
「バルト三国、ウクライナ、ベラルーシ、カザフスタンなどの独立もありますけど」
ケリーが付け加えていた。
「となると、ロシアに対しても頼さんたちのような組織が必要でしょう」
林原はアテがないか考えていた。
「現在、ロシアと停戦中のウクライナの人をスカウトするのはどうでしょうか。あの停戦にはロシア人もそうですが、特にウクライナ人は不満を募らせていますから」
ケリーは用意していたように即答していた。
「我々からしたら見た目にはわかりませんし、両国に跨って親戚もいたりして、二重スパイになる可能性もありますけど」
ベルガーはちょっと難色を示していた。ケリーはアメリカのモーガンとスマホで連絡を取っていた。
「見た目だけでなく、ウクライナに対する愛国度を見るべきでしょう」
林原はまず日本にいるウクライナ人から当たるしかないと考えていた。
「私は、ウクライナのバレエ団ぐらいしか、思い当たりませんよ」
ベルガーは何となく宙を眺めていた。
「林原さん、ロシア政府の転覆などの謀略はアメリカが既に実行しているとのことです」
ケリーはスマホを耳から外していた。
「それでは、それが成功するまで、…日本は何もしないわけには行きませんから、何かできることはないかぁ…」
「アメリカの謀略を踏まえた別のシミュレーションをしましょう」
ベルガーはシミュレーションの音声入力モードをオンにしていた。
「ケリーさん、転覆計画の概略なんてわかりますか」
林原の関心は高かった。
「はい。ソ連復活を願う大統領側近を次期大統領に据え、旧ソ連構成国を武力で併合させます。それで戦争に嫌悪感を抱く国内世論を反政府に誘導し、政変を起こさせます。ですから、現政府側と反政府側の両方にエージェントを送り込んでいます。一見するとロシア政府の味方をしているように見えますが、図に乗らせて好き勝手させるわけです。これは戦前の日本みたいなもので、政変こそなかったですが、行き過ぎた右傾化が崩壊をもたらす構図になっています」
「なるほど、手が込んでいますね。となると日本ができることは…ベルガーさん、マイクを貸してください」
林原はシミュレーターのマイクを手にしていた。
「ユジノサハリンスクの日本総領事を拠点にして平和団体を設立する。そこからネットなどを駆使して、戦争は大切な人を失う行為であり、断固反対という動画などを発信する。ある程度経過し、この平和団体がサハリン州に根付くまで待ちます。そしてソ連復活を願う大統領が現れ、武力併合に明け暮れたら、日本領になれば子供や夫を戦場に行かせなく済むと大々的にアピールする。これでシミュレートしてくれ」
林原が言い終えると、コンピューターは今までになかった表示を始め、分析中、思考中、シミュレート結果構成中となり、しばらくそのままになった。
「シミュレート結果は次のように推測されます。平和団体は設立1年後にロシア政府に睨まれ閉鎖に追い込まれる。それ以降、地下組織として暗躍する。5年後にサハリン州および極東ロシアに深く潜伏し根付く。11年後に側近が大統領に就任、14年後にロシア国民が併合戦争に強い嫌悪感を抱く、15年後にサハリン州が独立するか日本領になる可能性が87%以上と高い。以上です」
シミュレーターが人工音声で伝えていた。
「これで言う、サハリンが独立した場合、北方領土の帰属はどうなるのだ」
林原はマイクを強く握りしめていた。
「当初はサハリン共和国の帰属となります。しかし独立承認と経済支援の引き替えに日本に返還されると考えられます」
「経済支援で返還か。なんとか北方領土問題は解決するな。その後はどうなるのだ」
「サハリン共和国には日本の資本投入のみとせず、アメリカも参入させることでより安定した国家運営ができるはずです。かつての満州国もアメリカ資本を参入させれば、独立も承認され、日米戦争も回避できた可能性がありました。それを参考にしています」
「林原さん、年数はかかりますが、解決はできますね」
ベルガーはピンと1本跳ねた白髪を気にしていた。
「比較的リスクは少ないですが不確定要素がいくつかありますし、これが最良の選択肢かどうかわかりません」
ケリーは、掛け時計の秒針の進みを漠然と眺めていた。
「年数ですか。しかしここでナノロボットのクラウゼ博士がキーポイントにならないかな。我々の寿命が延びれば、15年など大した長さではなくなるかもしれません」
「でも林原さん、我々だけでなく、あちらさんも長寿になるはずです」
ケリーは険しい顔をしていた。
「しかし時代の流れは止められないと思います。取りあえずやってみる価値はありそうです」
林原の言葉にベルガーたちは異論がなかった。
「総理、大日本愛国旭日会の高坂隆二という方がお見えですが、どうしますか」
石川が顔色を変えて官邸の総理執務室に入ってきた。
「あぁ、赤沢会長の送って来た旧樺太住民4世だな。応接室に通してくれ」
「大丈夫ですか」
「木本には言っておいたが、君には話してなかったっけ。今度設立する平和団体の派遣要員だよ」
「平和団体ですか…、なんか程遠いようですけど、」
「あまり使えそうもなかったら、会長に言って帰ってもらうよ。心配するな」
応接室のソファには大柄なわりには、大人しく座っている高坂がいた。
「会長から平和団体のことは聞いていたと思うが、この地球儀の樺太の南半分と千島列島がロシアの色にも日本の色にも塗られていない意味は知っているよな」
林原はガラステーブルに置かれた地球儀を回していた。
「もちろんです。サンフランシスコ平和条約で放棄はしたものの、当時のソ連・継承国のロシアの領有は認めてないからです」
「先人の意地というか、後世で何とかしろという足跡でもあるのだが、それが全く無になっているわけだ」
「はい。旧豊原のユジノサハリンスクに日本総領事館があるということは、実質、南樺太のロシア領有を認めたことになります。無能なバカどもが、まんまとはめられたと言えます」
「いつの間にか総領事館が置かれてたけど、ロシアにしてみれば、してやったりだよな」
「はい。それを打破するために自分はやって参りました。私の曾祖父たちの無念を晴らしたいとも思ってます」
「まぁ、そう意気込まなくても良いし、時間がかかることで忍耐が必要だが…、君はできますか」
林原は高坂の知性が感じられる物腰に口調を丁寧にし出した。
「目的が達成されるまで、総理の指示に従います」
「当初は、お花畑主義のようなことを言うのだが、耐えられますか」
「奴らを騙し油断させるのですから、むしろ痛快とも言えます。また売国の総領事館を閉鎖に向けて利用するという総理の発想に感銘を受けています」
高坂は般若のような笑みを浮かべていた。
「よし、君を国際平和促進交流団の団長にしよう」
「ありがとうございます。期待以上の結果が得られるように奮闘いたします」
「それでは官邸のリモート会議室に行くから、ついて来てくれ」
林原は立ち上がって歩き出すと、スマホ耳に当てた。
「ミュラー、公邸のシミュレーション・システムは官邸のリモート会議室のコンピューターにリンクできたか」
「はい。いつでも使えます」
ユジノサハリンスクの日本総領事館だった建物は、窓ガラスが割られ入口に鎖が掛けられていた。その前の歩道を歩く林原と高坂。
「亡国の施設は閉鎖されて良かったと思います」
「まぁな。日本人観光客のために北サハリンに新しい日本総領事館が出来たけどな」
林原は気さくな感じで話していた。
「あちらなら、ロシアの領有云々に関係ありませんから」
高坂は物珍しそうにユジノサハリンスクの街並みを見回していた。
「我々と会いたいと言っていたロシア人はどこにいるのだろう。旧領事館前にいると言っていたが、空飛ぶ車で来るのかな」
林原は上空と歩道の方を気にしていた。車道を走る車は通り過ぎていくばかりであった。
対向車線の歩道寄りにミニバンが停車した。スライドドアが開くと中からこちらに向かって手を振っている中年女性がいた。
「林原さん、合図の緑の封筒を持っています。あの女性ではないですか」
「そうだな」
林原たちは通過する車の合間を縫ってミニバンの前まで行き、密会の合言葉をかわしていた。車内に入ると、女性二人と運転席に男性が一人座っていた。
「あなた方、国際平和促進交流団が、直に我々反戦母の会に話があるとは、どんなことでしょうか」
中年女性は用心深い目で林原たちを見ていた。高坂は林原の方を見る。
「君が団長だから、説明してくれ」
林原が言うと、高坂はうなづいていた。
「日ロが戦争をしないように、平和運動の仲間になってもらうために会いにきました」
「…でも日本は核を保有して、軍備を増強しているじゃないですか。平和なんて見せかけじゃありませんか」
「それは、核を保有し対等に渡り合い、話し合いで解決するためのお膳立てというものです。戦争をするのではありません」
「世界的に見て、領土の奪い合いは戦争で決まるもの…」
「あぁ、コンピューター、シミュレーション停止」
林原が言うと中年女性は話しかけた途中でフリーズしていた。
「高坂団長、この方向で会話が進んでしまうと、戦争する、しないで終わりそうだな。俺の例が正しいかどうかわからないが、俺だったらこうするというのをやってみる。参考にしてくれ。コンピューター、ミニバンに乗った所まで戻してくれ」
「あなた方、国際平和促進交流団が、直に我々反戦母の会に話があるとは、どんなことでしょうか」
中年女性は用心深い目で林原たちを見ていた。
「日ロが無益な戦争をしないように、平和運動の仲間になってもらうために会いにきました」
「…でも日本は核を保有して、軍備を増強しているじゃないですか。平和なんて呼びかけても見せかけじゃありませんか」
「核を持つ国は平和国家になれないとおっしゃいますか。だとすると、ロシアも中国もアメリカも平和国家になれないと言うことになりますよね。それに日本は暫定的ですし、その数も少ない。核保有国を交渉のテーブルに着かせるための手段として意味合いが強いのです」
林原が言い放つと、中年女性はちょっと躊躇していた。
「そうは言ってもロシア政府の見方はそうではありません」
中年女性は林原を見据えていた。
「我々国際平和促進交流団は、ロシア政府の戦争遂行には邪魔な存在かもしれません。だからその拠点だった総領事館は閉鎖れました」
「そうでしょうけど、しかし…戦争に対する向き合い方が日本とロシアでどう違うのかも、我々はよくわかりません」
「一番の違いは日本人は徴兵制がなく、徴兵には国民世論の抵抗感が強く、導入する可能性がほとんどないと言えます。無理やり息子や孫を戦場に送りだすことはないのです」
林原は息子や孫という点に力を入れて言っていた。
「…それは反戦母の会と一致するところではありますけど」
中年女性は仕方なく同意していた。
「そもそも我々の交流運動では、日ロ双方の国民が平和を望む関係を築くことです。その仲間に加わって欲しいのです」
林原が言った後、しばらく中年女性は考えていた。
「…わかりました。近いうちに我々の会長と会ってください。また連絡します。しかし表立っての交流は控えさせてもらいます」
中年女性はある程度納得しているようだった。
「コンピューター、シミュレーションを終わりにしてくれ」
「林原さん、直接的でなく柔軟に対応するわけですか。参考になりました。現地に赴いた際には、肝に銘じたいと思います」
高坂はゴーグルを外していた。
「これはシミュレーターが想定したシーンだから、実際はどうなるかは未知数だが、君ならできろだろう」
林原は外したゴーグルを近くのガラステーブルに置き、期待する表情を見せていた。
「高坂団長、現地ではウクライナ人の団員もいますが、スマホがあるので会話に問題はないでしょう。後はよろしく頼みましたよ」
「それでは、失礼いたします」
高坂は一礼してリモート会議室から出て行った。ベルガーとケリーは高坂がどんな人物か見るために、急遽リモート会議室に来ていた。
「彼なら、シミュレーション以上の結果を出してくれるでしょう」
林原は、静かに閉まったリモート会議室のドアを見ていた。
「林原さん、そうは言っても、あぁ言う男はコロッと騙されることがあります。ロシアは一筋縄では行かないので、任せっきりにはしない方が良いですよ」
ベルガーは、林原ほど期待はしていなかった。
「それとシミュレーションにもありましたが、反戦母の会に接触するのなら、幅広い年齢層の女性も団員に加えた方が警戒されません」
「わかりました。団員の人選は高坂との相性も考慮した女性を多めにしましょう」




