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第四十四話 クラウゼ博士

●44.クラウゼ博士

 林原は官邸の執務室でスマホをハンズフリーモードで聞いていた。

「百団の情報網で調べたのですが、ハンス・クラウゼ博士は台湾に確かに来ています。しかし空飛ぶ車の衝突事故で墜落して、記憶喪失になっています」

「記憶喪失…。ということはナノロボットのことも忘れてしまったのですか」

「はい。所持していたパスポートを見ても自分という実感がなく、名前も国籍も疑っているとのことです」

「そうですか。何らかのショックを与えて記憶を戻すしかなさそうですね。でもさすがに頼さんです。ありがとうございます。それでは失礼します」

林原は一緒に聞いていた木本の方を見ながら、通話をオフにしていた。

 「記憶喪失となると、厄介ですね」

「一度会って確かめたいな。ナノロボットを見せたりして記憶を蘇らせられないかな」

「台湾に行きますか」

「それは無理だろう。総理の俺が行ったら中国を刺激するからな」

「バーチャルで会いますか」

「そうだな、頼さんに頼んで設定してもらうか。連絡しておいてくれ」


 公邸のコンピューター室の一画に設けられたバーチャル会議ブースにいる林原。メインモニターには、クラウゼ博士と頼が並んで映っていた。

「クラウゼさん、このナノロボットに見覚えはありませんか」

林原はナノロボットの拡大写真を見せていた。

「こちらでも何回か見せられたのですが、ナノロボットとかいうものは私の理解を越えています」

クラウゼは、ボーッと写真の方を見ていた。

「あなたが開発したこれで身体を修復すれば、人は不老不死になるのですよ。凄くありませんか」

「そうですね。確かに人体の修復など本当にできれば、ノーベル賞ものと言えますよ」

クラウゼは他に事のように言っていた。

「あなたがクラウゼ・ユング・ロボティクス社に居た時に、中国人の研究者があなたの技術を持ち逃げしたんですよ。頭に来ませんでしたか」

林原はクラウゼの感情を揺さぶろうとしていた。

「あのぉ、林原さんでしたっけ、ちょっと疲れました。頼さん、終了にしてくれませんか」

クラウゼは頭を抱えても虚ろのな目になっていた。

「林原さん、クラウゼさんはちょっと無理そうなので、この辺で終わりにさせてください」

クラウゼの傍らに座っていた頼が申し訳なさそうにしていた。

「あのぉ、最後に一つだけ。クラウゼさんは記憶を戻したいと思っていますか」

「はい。自分が何者なのか、自分探しの旅をしたいとは思っています。ケガも治ってきましたし、入院生活も飽きて来ましたから」

「それでしたらドイツに帰る前に日本に立ち寄ったらどうですか。私の周りにはドイツ人が多数いますよ」

林原の言葉にクラウゼはうつむいて黙ってしまった。

「…林原さん、それが良いかもしれません。台湾には中国の潜入工作員がいるので、クラウゼさんの身の安全の確保に神経を尖らせていますから」

と頼。

「日本にも工作員はいると思いますが、少なくとも公邸で匿っていれば、より安全でしょう。クラウゼさん、どうですか」

林原は頼に言った後、クラウゼに視線を向けていた。

「あぁ、はい。私はドイツ人なのでしょうか」

「何人でも良いじゃないですか、別に今決めなくても」

「それであなたは日本の総理なのですか」

「はい。台湾の隣の日本の総理です」

「わかりました。ここにいても暇ですから」

クラウゼは特に嫌がっている様子はなかった。

「さっそく、その旨をクラウゼ・ユング・ロボティクス社に連絡し、私の部下がクラウゼさんを日本にお連れします」

頼は肩の荷が下りたような顔をしていた。


 ダブルのスーツを着た林原が運転する1940年型シボレーは、ドリフトして車体右側を建物に向けて急停止した。車体左側の前部ドアから林原とチャイナドレスの木本、後部ドアからスーツ姿のクラウゼとミュラーがソ連製の短機関銃マンドリンを建物に向けて出てきた。建物からの発砲で車体右側の窓ガラスが割れる。

「建物の奴らは俺が1階、木本が2階に弾幕を張ります。クラウゼ大佐たちは、その隙にアジトに踏み込んでください」

林原は言いながら乱射し始める。建物の窓ガラスは砕け散り、壁面は穴だらけになった。林原と木本の回りは、短機関銃の硝煙に包まれていた。

 クラウゼたちは建物のドアを蹴破り、中に飛び込む。1階はソ連兵と協力者の血の海になっていた。2階で物音がしたので、階段を駆け上がるクラウゼたち。2階には負傷したソ連兵が、手榴弾を手にしてニヤニヤしてへ垂れ込んでいた。

「あぶない」

ミュラーが叫びクラウゼを引き寄せ、二人は階段を滑り落ちる。ほぼ同時に手榴弾が爆発し、ソ連兵の血と肉片がクラウゼたちに降り注いでいた。

「クラウゼ大佐、こいつらは極秘文書を持ってませんね」

とミュラー。

「囮でしたか」

クラウゼは無念そうにしていた。

 建物からクラウゼたちが出てくると、二人とも首を横に振っていた。

「ダメでしたか」

林原は愕然としていた。すると建物の裏で、バイクのエンジン音がした。

「まだいたか」

林原を先頭に4人は建物の裏手に向かって走った。林原は髪を振り乱し、木本はチャイナドレスの裾を翻していた。

 裏手からサイドカーが猛スピードで飛び出してきた。側車に乗っていたソ連兵が拳銃を乱射していたので、思わず道を開けて避けていた。

「あんなサイドカーよりもシボレーの方が早い」

林原は車の方へと駆け出し始めた。

「林原大佐、まだ他にもソ連兵が潜んでいるかもしれません。気を付けてください」

ミュラーは走りながら言っている。木本も林原と並ぶようにして駆け出していた。彼女のタイトなチャイナドレスは走り難そうであった。

 銃声がする。林原の目の前が真っ赤になり、ライフメーターはゼロになった。

「なにやってんのよ」

木本はバーチャルゴーグルを外して叫んでいた。公邸内のコンピューター室には、ゲームに参加していないベルガーたちがあ然として、参加者4人を見ていた。

「いゃぁ、そのぉ、チャイナドレスがセクシー過ぎるから…もうちょっとキャラの衣装を無難なものにしないと気が散るよ」

林原もゴーグルを外していた。

「林原さん、木本さんに気を取られてソ連兵に狙撃されても、まだゲームオーバーではありませんよ」

ベルガーは少し笑っていた。

「わかってますって。ライフメーターが回復するまで待ちます」

林原はゴーグルを装着し直していた。

「私って、そんなに魅力的なのかしら」

木本はまんざらでもない顔でゴーグルを装着していた。

 「まもなく、ライフメーターが100%になります」

ミュラーがソ連兵をけん制するように短機関銃を散発的に撃ち、倒れている林原大佐を守っていた。


 1940年型シボレーの窓から短機関銃をぶっ放す木本たち。前を走るサイドカーはジグザグに走り交わしていた。側車の後部に弾丸が当たるが、タイヤには当たっていなかった。

「このまま突っ込むぞ」

林原は車を加速させ、サイドカーにバンパーをぶつけた。サイドカーはあっさりとバランスを崩し、派手に回転してから宙返りし道路わきで逆さまになって止まった。

 車から降りた林原たちは、血まみれのソ連兵2人の持ち物を調べていた。

「あぁ、ありました。盗まれた日独のソ連挟撃命令書が」

クラウゼ大佐は嬉しそうにしていた。

「クラウゼ大佐、盗まれものが無事に取り戻せましたね。これでひと安心です」

林原はクラウゼの肩を叩いていた。

「これで日本とドイツが同時に攻めたてれば、ソ連は崩壊します」

ミュラーは日本語に慣れていたが、この時はゲームの翻訳機能は使わずドイツ語で言い、クラウゼが手にしている命令書を誇らしげに見ていた。

「盗まれたものが取り返せて本当に良かったです」

木本はクラウゼとハグしていた。

「…、あぁぁ、なんで私はこんな所に」

クラウゼは頭をふらつかせていた。


 ゲーム参加者4人はゴーグルを外していた。公邸のコンピューター室にいる面々は心配そうにクラウゼを見ていた。 

「これでゲームクリアですが、記憶喪失の回復に効果はありましたか」

このゲームを作ったシュルツは、不安そうにしていた。

「どうでしょう。ご本人に聞いてみましょう。どうですかクラウゼさん」

林原は少し混乱気味のクラウゼに声をかけていた。

「あぁ、満州にいたり、公邸にいたり、いろいろとあったのですが、大事なもの、盗まれたもの…、」

「クラウゼさん、この写真を見てください。見覚えはありませんか」

林原は木本から手渡された写真を手にしていた。

「…ナノロボットじゃないですか。それも私が論文のために撮影したものですよ」

「そう、あなたのものです」

ベルガーはスマホを介さず、あえてドイツ語で言っていた。

「確か台北で…」

「そうです。事故に遭って記憶喪失になっていたんです。クラウゼさん思い出しましたか」

林原がたたみかけるように言っていた。

「そうだ。盗んだ奴を思い知らせる必要があります」

クラウゼの目つきは鋭くなっていた。

「良かったクラウゼさん、遂に記憶が戻りましたね」

林原が声を張り上げると、コンピューター室にいる面々から拍手がクラウゼに送られていた。


 「これで私もイノベーション産業パークで開発したアプリを、わざわざ持ってきた甲斐がありました」

シュルツは久しぶりの東京で、しかも公邸に来れたので満足していた。

「ゲームで記憶喪失が戻せるとは大したものです。これもGONEWアプリ開発社の医療製品として売り出しますか」

ベルガーは皮算用しているようであった。

「そうだ。長野県南條村のイノベーション産業パークに空きテナントはあったっけ」

林原は考えが閃いていた。

「パーク東棟に2物件空きがあります」

シュルツが即答していた。

「クラウゼさん、この日本で中国に勝るナノロボットを開発してみませんか」

林原は真剣な眼差しでクラウゼに語りかけていた。

「し、しかし、クラウゼ・ユング・ロボティクスのユングCEOに相談しないと」

「ユングさんの話ですと、自分は引退し、資金繰りが厳しいので今年いっぱいで閉鎖しようかと考えていたようです」

「技術を持って行かれたので、将来の見通しが立たなくなったことは確かです。しかし閉鎖ですか…。となると社員や研究者は行き場がなくなります」

「日本でしたら国富創生事業として政府が支援します。クラウゼ・ユング・ロボティクスのスタッフも呼んで、あなたがトップに立ち、日本で再起して見たらどうですか」

「総理のあなたが、おっしゃるのなら心強いですが、何から何までお世話になり過ぎて申し訳ない…」

「恩返しに…、日本をナノロボット不老不死大国にしてください」

「わかりました。でも再出発にあたり…、クラウゼ・ユング・ロボティクスの名を冠すると、どうもイメージが悪く不運が付きまとう気がします。林原さん何か新しいネーミングをしてくれませんか」

「そうですか。それですと、シュルツのGONEWアプリ開発社と連なるグループ会社としてGONEWロボティクス研究センター、なんてどうでしょうか」

「新しく進むというわけですか。それならユングも異論はないでしょう」

「…郷に入れば郷に従えに因んで郷入なんですけど、新しく進むという意味も確かにあります」

林原は上手くまとまった気がしていた。

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