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第四十三話 ナポリ

●43.ナポリ

 ナポリのリゾート・コンベンションセンターで行われているG7先進国首脳会議。大きな円形のテーブルを林原首相、ウォレス米大統領、シュナイダー独首相、クーパー英首相、ルロワ仏大統領、ルティーニ伊首相、フォレット加首相、ラーゲフェルト欧州連合委員長が囲んでいた。各自がヘッドセットのマイクに自国語で話し、イヤホンから聞こえてくる他者の言葉はAI翻訳されていた。ただいつものスマホ通訳とは違い、政治翻訳の専門家が同時にモニタリングし、微妙なニュアンスの違いなどをチェックしていた。また各首脳や秘書が申告するとより適切な翻訳語に変えられることもあった。

 気候激甚化と排出ガスについて議論しているセッション1は、徐々にヒートアップしてきていた。

「地球の歴史を振り返ると、温暖化と冷却化を繰り返していることがわかる。今地球の環境が激化しているのは、過去に地球が繰り返してきた営みの一つかもしれない。だとしたら、各国が規制しても意味がありますか。人類の二酸化炭素の排出量は多いかもしれないが、それだけが原因かは、まだ因果関係が立証されていない。それに中国なんかは見せかけだけで、まともな規制はしていないではないか」

ウォレス米大統領は滔々と述べていた。

「科学的データに基づくと、立証されていると言わざろう得ませんけど」

クーパー英首相は、野太い女性の声で言っていた。

「ウォレス大統領、そうは言っても何らかの手を打たなければ、今までの生活環境は維持できないと言えます」

ルロワ仏大統領が説得するように言っていた。

「新しい地球環境に適応するしかないでしょう。地球の生物はそうして進化してきたではないか」

ウォレス米大統領は相次いで二人から言われたので、ちょっとムッとしていた。

「しかし…。影響力が大きいアメリカが動いてくれませんと…」

フォレット加首相は静かに言っていた。 

「結論としてアメリカは、現状の二酸化炭素ゼロエミッションには参加できない。経済的損失を無視することはできないし、下手すれば中国を発展させることに協力することになる」

「ウォレス大統領、そのような身勝手は許されませんよ」

ラーゲフェル欧州連合委員長は長い金髪をかき上げながら言っていた。

「許さなくて結構です。私はアメリカ国民の支持を受けていますから」

「そうですか。反対デモをよく見かけますけど」

ラーゲフェル欧州連合委員長はしつこく食い下がる。

「あなたは、世論操作されたニュースばかりを見ている。話にならない」

ウォレス大統領は、そっぽを向いていた。しばらく気まずい沈黙があった。

 「この件に関しましては平行線をたどっているようですが、ほぼ同じ日程で行われているBRICS会議のメンバーを喜ばせることは避けたいですね。冷たい飲み物でも飲んでセッション2を先行させて、その後にもう一度、議論したらどうでしょうか」

林原は主催国のルティーニ伊首相の方を見ていた。

「イタリアのどんな飲み物が皆さんのお口に合うか、試してみますか」

ルティーニ伊首相はスカートの裾を優雅に翻して立ち上がると、ボーイにドリンクメニューを持ってくるように合図していた。


 小休止が入り飲み物で口を潤す各首脳たち。会場のガラス大扉を開けてテラスに出る者もいた。セッションとは関係ない世間話や今日のファッションについての会話なども聞えていた。

 「セイシロー、君のおかげで、あの女を殴らずにすんだよ」

ウォレス大統領はテラスの手すりに片手を置きながら笑っていた。

「ハロルド、ここイタリアは陽気が良いですから。次のG7はアンカレッジ辺りが良いかもしれませんよ」

「あぁ、そう言えば次はアメリカが開催地だったか。セイシロー、良い提案じゃないか」

ウォレスの機嫌は直っていた。


 セッション2の議題はオーバーツーリズムと移民問題であった。これも危うい雰囲気が漂っていたが、ひと通り各国首脳が自分たちの考えを述べていた。だが意外にも規制するという面で方向性は似通っていた。順番の最後に林原が述べることになった。

 「現在、世界中の人が他国に行って好き勝手放題をして、郷に従わなくなって久しいと言えます。ある程度の国際感覚を持ち、国際的な規範を持ち合わせている人の移動は問題ないのですが、その国の田舎者のような世間知らずが、急にカネをつかんで海外渡航すると問題が起きます。またその国で食い詰めた人が海外で荒稼ぎする場合、向かった先の国の規範など眼中にないと言えます。突き詰めるとオーバーツーリズムや移民・難民問題はこれらに起因します」

林原が一呼吸置くと、ラーゲフェルト欧州連合委員長が『田舎者のような世間知らず』の表現に注釈を求めていた。専門家の訳に軽く納得している彼女であった。

「…そこで国家間の人の移動を制限すれば、秩序が保たれるはずです」

「どのような制限を考えていますか」

クーパー英首相は興味深げであった。

「各国で海外渡航税を徴収したらどうでしょうか。それに加えて向かう先の慣習やルールを熟知する何らかのレクチャー期間を設けるのも良いと思います。それでチェックをし渡航税を払った者だけが移動できるようにするのです。これである程度裕福で分別のある人が渡航できます」

「…それだけでは根本的なものが改善できない気がします」

フォレット加首相は、どうもしっくりと来ていない様子だった。

「各国の人口比に応じた渡航人数枠を設けるのも効果的だと言えます。ある程度の感染症対策にもなるはずですし、パンデミックになっても需要の浮き沈みの差は少なく、ホテル業者や航空会社がつぶれることは減るでしょう。それに最近のバーチャル・システムでは、アバターロボットもあり、旅行気分を充分に堪能できますから」

「渡航税か。響きが良いな。試しに実行したらどうだ。やってみてわかることもあるだろう」

ウォレス米大統領は乗り気になっていた。

「それで難民はどうしますか」

ルティーニ伊首相が存在感を示すように言っていた。

「難民は何らかの理由でその国に居られないわけですから、居られるように支援をする必要があります。しかし、ガバナンス不足や経済破綻、戦争や占領などがあり上手くいかないのが現実です。そこで難民を出す側と受け入れる側双方の政府に同じ志を持つ者がいれば、緊密に連絡が取れ、人々の移動を止められる気がします」

「それは、林原首相が所属しているグローバル政党の概念の一つですよね」

シュナイダー独首相は自国内の『郷に従え』党の動向が頭の中にあるようだった。

「そうとも言えますが、その国で支持されて与党になるので、どこでも成立するものではありません。遠い将来に世界の大部分の国で与党になれば、話は変わりますが」

林原はさりげなく『郷に従え』党の理念を口にしていた。

「となると、すぐにできる解決策とは言えないわけですよね」

ラーゲフェルト欧州連合委員長は切り捨てるように言っていた。

「残念ながら難民問題は時間がかかりそうです」

林原は仕方ないといった表情であった。

「となりますと、セッション2の合意としては難民問題は各国の連携を必要とし、オーバーツーリズムと移民問題は、まず海外渡航税と渡航人数枠を設けることを各国が検討するということでよろしいでしょうか」

ルティーニ伊首相がまとめていた。この後、セッション3もあるので、各首脳は一応賛成で異議は出なかった。


 G7先進国首脳会議はセッション1で平行線をたどったまで終わったが、その他のセッションではほぼ合意がみられた。首脳全員が並んで記念撮影をしてから記者会見を行い、かろうじてG7の結束をアピールできた。テロもなく予定通り全行程を終えたので予備日が一日空いていた。

 ナポリのリゾート・コンベンションセンターの会議室には、キルヒナー『郷に従え党』ドイツ本部長たちが来ていた。林原たちは簡単に秘書たちを紹介し、和やかにドイツの党員たちとティータイムを過ごしていた。

 「わざわざベルリンからご足労いただかなくても、私が立ち寄ったのですが」

「いえいえ、飛行機ですぐですし、林原首相が来るとなると随行員たちがいろいろと大変ですから、身軽な我々が来ました」

「ここナポリは真夏並みに暑いのですが、ベルリンはどうですか」

「このところ、豪雨が続いて薄暗い毎日ですよ。でも異常気象には慣れましたから」

キルヒナードイツ本部長は、一見物腰が柔らかそうだが、目つきからすると芯が強そうであった。

「それで昨日のG7でキリスト教民主党のシュナイダー首相は、我が党の動向を気にしていましたが、次の選挙で連立与党になれそうですか」

林原はG7の話になると若干硬い表情になったキルヒナーを見ていた。

「そうでしたか。現在、議会には野党として7人送り込んでいますが、10人になればシュナイダーたちも、我々を軽んじることはなくなるので、連立の一角に食い込めます」

キルヒナーが言っている傍らには、ドイツ本部に出張中のベルガーが自慢げに立っていた。

「林原さん、我々の努力が実りそうですよ」

ベルガーはいつもの日本語ではなく、ドイツ語で言っていたので、スマホが訳していた。

「それでキルヒナー本部長、ドイツでの国境なき地球党の動きはどうなのですか」

「ノイマン、あれをタブレットに表示して林原さんに見せてくれ」

キルヒナーは傍らに控えていた女性秘書に命じていた。

 タブレットの画面には、ドイツ各地で過激なデモをしている国境なき地球党員や支持者の映像が映っていた。

「ご覧の通り各地でデモを起こし、シェンゲン協定を無視するなと叫んでいます」

「本来の意味を悪用されるようでは、やってられませんよね」

「はい。ヨーロッパ人同士なら良いのですが、それ以外の人が行き来するのは我慢できません。正直言って国境を閉ざしたいのですが、現政権では申し訳程度の規制をするだけなんです」

「そこが、我々が票を伸ばす原動力とも言えますけど。それで連立与党になったら、国境は閉ざしますか」

「微妙なところです。EU加盟国の人間だけの移動を認めると、国連あたりから差別だとか言われますから」

「まぁ、国連はある種、偽善者の集まりみたいな面がありますね」

「だふん、閉ざしてもEU域内の国は、ほとんど異論は唱えないと思います」

「それでしたら条件を設定し閉ざしても良いと思います。今回のG7でも海外渡航税と渡航人数枠を設けることを各国が検討するということになっていますから」

「そうなんですか」

「あぁ、口が滑ってしまいましたが、近いうちシュナイダー首相から発表があると思います」

林原が言っていると、そばにいた木本たちが、またかという顔をしていた。

「そちらはそれで良いとしても、ドイツでも人手不足であるので…、特にきつい仕事はなり手がいなくて、老齢化も進んでいます。なんか先細りな気がします」

「…そうでもないんじゃないですか、確か…ドイツのクラウゼ博士はナノロボットで人体を修復する技術をほぼ完成させたとか聞いていますけど」

林原は急にネットのニュースの記事を思い出した。

「あぁ、あれですか。ネットのニュースで見ましたが、あまり信用できない気がします」

「そうなんですか。でも…凄くないですか。人体を修復ということは不老不死じゃないですか」

「ポジティブに考えれば、そうですが…」

キルヒナー本部長は悲観的であった。

「機会があれば、クラウゼ博士の研究所を訪ねようかと思ってました」

林原は目を輝かせていたが、周囲の誰もが不老不死には懐疑的な顔をしていた。

「あのぉ、林原さん、クラウゼ博士は失踪しているのをご存知ではないのですか」

「ええっ、」

「中国の研究者に技術を持って行かれたとかで、自暴自棄になって行方がわからなくなっているのです」

「中国に連れ去られたわけではないのですか」

「その辺の所もハッキリせず…、技術を持って行かれたのですから本人を連れ去る必要はないと思いますが…よくわからないのです」

「そうでしたか。残念です」

林原は肩を落としていた。


 林原たちは政府専用機の離陸準備ができるまで、ナポリ空港のVIPルームで待機していた。

「林原さん、ナポリとポンペイは目と鼻の先ですよね。予備日は、あそこを見て回っても良かったのではないですか」

木本は、つまらなそうにしていた。

「木本、その気持ちはわかるが、ベルガーさんがキルヒナー本部長たちを連れて来たのに断るわけには行かないだろう」

「それに林原さんが総理の間は、気安く動けないですから」

田沢も言うと、木本はあんたまでが言うのっという顔をしていた。

「何かと不便ね」

「総理をやめたら、いくらでも連れてってやるよ」

林原はVIPルームのドアが開くのを何気なく見ていた。石川がキルヒナーの秘書のノイマンを連れてVIPルームに入ってきた。

「石川、どうした」

林原は思わず立ち上がっていた。

「ノイマンさん、どうぞ」

石川はノイマンが一歩前に出るように促していた。

「林原さんが日本に帰る前に直接、お耳に入れたいことがあります」

ノイマンはVIPルームなのに声を潜めていた。

「ノイマンさんが直々にとは何か重要な事ですか」

「あのぉ、クラウゼ博士の件なのですが、先ほど消息を知っているという党員から連絡がありまして、中国に恨みを晴らすため、台湾に渡ったとのことです」

「台湾のどこですか」

「そこまではわからないのですが、林原さんならツテがあると思いますので、探ればすぐにわかるのではないでしょうか」

「ありがとうございます。クラウゼ博士に会えるかもしれませんよ」

林原は意気揚々としていた。


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