第四十一話 重大発表後
●41.重大発表後
首相官邸の記者会見場。重大発表があるという噂が広がっていたので、記者たちは神妙な面持ちで集まっていた。
「先ほど、連立与党と一部野党の賛成により新安保法案が国会を通過しましたので発表いたします。まず日本を取り巻く周辺国の状況を熟慮いたしますと、苦渋の決断ですが、やむなく核を保有することになりました。しかしこれはあくまでも朝鮮半島の非核化に連動する暫定的なものです。現在、北朝鮮が保有しているとされる数とほぼ同数の核を日本が取りあえず保有します。そして北朝鮮が国連の決議に基づき数を減らせば、日本も同じ数だけ減らし、最終的には朝鮮半島の非核化を実現させるものになります。ですから最終的には日本もゼロになるわけです。次にこれによって核の抑止力を高められるので、段階的に在日米軍を撤退させます」
林原が一呼吸置くと記者たちがどよめいた。
「これが先日訪米した際の成果なのですが、なんか皆さんは無理やり成果をアピールしているとか言ってました
けど…。これが日米安保新時代の具体的な中身になります」
林原は平然としていた。
「えぇそれでは、ご質問のある方は挙手し社名を言ってから質問してください」
その場を仕切る官房副長官の江川が言うと、記者たちは一斉に挙手した。
「毎朝新聞の磯崎です。中国は黙っていないと思いますが、総理のお考えはどうなんですか」
「日本が核を保有することに否定的な中国ですが、これは撤退と引き換えの核保有となるので黙認せざるを得ないでしょう。なぜならば、中国は自分たちの自由にならない北朝鮮の核保有は苦々しく思っているからです。その上、米軍の撤退となれば、文句の言いようがなくなります」
林原が言い終えた瞬間にすかさず記者たちの手が上がった。
「東京放送の鈴木です。米軍が撤退するとなると防衛費のGNP比は激増することになりますか」
「まず核があるので、通常兵器を増やす必要が少なくなりますし、高価な迎撃システムの購入も減ります。GNP比は現在よりも少し上げる程度でしょう。さらに米軍撤退は海外展開している米軍の経費節減につながるので、
ウォレス大統領の望むところでもあります。これで年々上がっていく防衛費のGNP比増大要求もなくなります」
「サンテレビの岸村です。仮に北朝鮮が核を全部破棄したら、日本も破棄するわけですから、その際は他国に対する核の抑止力もなくなりますよね。それはどうするのですか」
「その際の国際状況にもよりますが、基本的には現在の日米安保状態に戻ります」
「共同新聞の川上です。日本側で勝手に決めても、アメリカが飲むかどうかは、わからないのではないでしょうか」
「これは基本路線というか骨子はアメリカのウォレス大統領と意思疎通を図っておりますので、アメリカ側が拒否することはないでしょう」
「新日本新聞の中村です。アメリカが駐留米軍基地をやすやすと手放すとは思えないのですが」
「現在の米軍の最新装備をもってすれば、ほぼ全世界がアメリカ本土から出撃可能です。それに日米同盟がありますから、有事の際は自衛隊の基地は利用できます。全く問題ないでしょう」
「テレビ近畿の和田です。米軍が撤退すると極東の軍事バランスが崩れるのではないですか」
「日本は取りあえず核を保有していますし、一気に撤退するわけではないので、バランスは保たれます」
「サイバー・ニュース・ネットの菊川です。まだ充分な審議がされていないんじゃないですか」
「審議は充分にしているのですが、反対派は審議が足りないと言うのが常です。それに何百年審議しても絶対に聞き入れませんから、反対は反対でしかありません」
「政経新聞の瀬川です。核シェアリング計画や横須賀米軍基地の核兵器持ち込みはあったのですか」
「核弾頭のシェアリング及び核兵器持ち込みは、スパイ摘発のために囮捜査の一環でして、その事実は全くありません。そもそも新安保ではシェアリングではなく、保有ですから」
「NNジャパン放送の吉村です。韓国は日本が核を保有することを快く思っていないのではないですか」
「その件に関しましては韓国に配慮すると 韓国の米軍撤退後の数は北朝鮮対日本と韓国の合算数とし、例えば北が20なら日韓で10と10という形にします。これなら韓国も納得するはずです。ただ韓国の米軍撤退は米韓で決めることなので、我々が干渉すべきではないと思います」
「えぇぇ、そろそろ時間ですので、会見はこちらで終了させていただきます」
官房副長官の江川が言うと、記者たちは挙手しながらまだ質問があると声を上げていたが、林原は演台を後にしていた。
林原と木本がが国会議事堂から官邸に向かって歩いていると石川が後ろから駆け寄ってきた。
「総理、ゆりかもめがテロリストに占拠されたようです」
石川の息は荒かった。
「何っ、それで乗客たちはどうなっているのだ」
「レインボーブリッジの中程で停車中のゆりかもめには、乗客は多数乗っているものとみられます」
「警視庁のテロ対策部隊SATは出動しているのだろう」
「はい。既に現場周辺に展開しています。現在、レインボーブリッジは高速も一般道も通行止めにしていますが、テロリストたちの目的がわからず、慎重に様子を見ています」
「官邸に行ったら、すぐに対策本部を設置しよう」
林原たちは官邸に急いだ。
官邸内に急遽設置された対策本部には、柿沢官房長官、矢部防衛大臣、清水警察庁長官たちが来ていた。
「清水長官、SATテロリストを狙撃することは可能ですか」
「可能ですが、現場からの報告によりますと、まだテロリストの人数がまだ把握できていません。乗客に紛れ込んでいることも考えられます」
「矢部大臣、何らかの外国勢力のテロの可能性はありますか」
「犯行声明はまだどこからも出ていません」
「…ただゆりかもめを止めて、人質を取っているだけですか」
「総理、ここは相手の出方を待つしかないようです」
柿沢官房長官は静かに言っていた。清水警察庁長官は部下からの連絡を受けていた。
「総理、現場からの報告によりますと、テロリストの要求は新安保の撤回だそうです。これを受け入れないと今から1時間ごとに一人ずつ人質を殺すとのことです」
「テロに屈して国会で通したものを撤回などあり得ないが…」
林原は官邸の時計を見ていた。
「総理、犯行グループは自動小銃で武装している者が3人ですが、乗客を装った爆弾所持者がいると言っています」
清水警察庁長官は現場から情報を次々伝えていた。
「清水警察庁長官、私が直接テロリストと話しても良いですか」
「総理…、交渉役に任せた方が良いと思いますが、」
「新安保の撤回とあっては、交渉役も難しいでしょう。私にやらせてください」
林原が言うと、清水は現場の実行部隊長たちに連絡していた。
「私が内閣総理大臣の林原だが、わが国は民主国家であり法治国家である。テロに屈して法を撤回することはない。異議があるのなら、国会で野党と共に論戦を交わそうではないか」
対策本部の林原の声は、部隊長のスマホ経由で、テロリストのスマホに届いていた。
「本当に林原か。…どうもそうらしいな、まぁいいだろう。しかし充分に審議しないで決めた癖に論戦はないだろう。だから、やむなく行動に出たまでだ」
「わかった。だが、そこにいる乗客たちは新安保に関係がない解放してくれ」
「それは無理だ。我々の身の安全保障がなくなるからな」
犯人は少し笑っているようだった。
「奴らの身元はつかめませんでした。スマホは盗難届けが出ていたものです」
清水は林原の前にあるマイクが拾わないような小声で言っていた。
「しかし、新安保の撤回など、1時間かそこらでは、できないぞ。やるにしても手順がある」
「時間稼ぎはやめろ。とにかく何らかの誠意を見せろ」
「誠意と言われてもな…」
「後、40分しかないぞ。人質はお前のせいで死ぬことになる」
「あぁ…君のことはなんと呼べ良い。日本語が上手だから日本人だろ」
「おーっと、余計なことを聞くな。国際反核チーム主宰のYKと呼べ」
「YK主宰、ちょっと考えさせてくれ。早まる…なよ」
林原が言っている最中にYKの方から電話が切られた。
対策本部には緊張が走っていた。
「閣議決定で撤回するという動画でも流すか。もちろんフェイクだが」
「総理、もしそれがバレたら、犯人を刺激することになりませんか」
柿沢は不安げな表情であった。
「爆弾というのは、ハッタリじゃないですか。3人をまず狙撃してみては」
矢部は強気であった。
「官房長官、バレなければ良いのだよな。本当に召集してニュースにすれば信用するだろう」
「マスコミもひっくるめて騙すのですか」
「人命がかかっている緊急事態だ。嘘も方便と言うだろう」
「まず、この1時間以内に見せられる誠意は緊急閣議を召集することだけだ」
林原はYKとの通話を再開した。
「総理、もう10分しかないがな、どうする」
「それは無理だ。しかし各閣僚に連絡はする。だから履歴は残る。あんたらみたいな国際組織ならスマホキャリアのサーバーにハッキングして確認できるんじゃないか。まさか国際組織を騙っているわけではあるまい」
「わかった。それでももう1時間だな。リモートでも閣議決定で撤回はできるだろう。それから再度、新安保を決定しないと確約してもらわないと、次はどこでテロが起きるかわからないぞ」
「総理、まだ連絡がつかない閣僚が5人いますが、どうしますか」
石川は心配そうにしていた。林原は時計を見ていた。
「そうか。そろそろ時間だな。そのままで良い。YKがどう出るか反応を見てみよう」
「しかし、人質が殺されるのでは」
「奴らはサーバーのハッキングなどできないだろう。私が適当にごまかしてみる」
林原の言葉に対策本部の面々は、あ然としていた。
「君らも確認済みだろうが、全閣僚を召集したが、反対するものもいるのだが」
マイクを手にした林原は平然と言う。
「おいおい、それを何とかして新安保を撤回しろ」
「となると超法規的措置で…まぁいずれにしても超法規的措置になるのだから、君らの要求通りにする。1時間後に特別記者会見を行う。スマホで確認してくれ」
「ぐたぐた言ってんなよ。会見では二度とこのようなイカれた安保にしないと明言しろ」
「わかった。だからここまで誠意を見せているのだから、そちらも人質を一部でも良いから解放してくれ」
「それは無理だ。テロ対策部隊をベイブリッジ付近から撤退させたら考えても良い。だが解放する分だけ、人質が減るから、人質を殺していく時間も減るがな」
「それでも時間に間に合わなければ殺すのか。わかった。撤退させるから、せめて殺す順番は年齢を確認して高齢者と子供は後にしてくれぇ、お願いだ。お願いする」
林原はわざとらしく泣き声で懇願していた。
「笑えるな。えっ、一国の総理が情けない声を出して懇願か。惨めだな」
「YK主宰、とにかく一人一人の年齢確認ぐらいしてくれ。お願いします」
「わかったよ。暇だから年齢確認ぐらいしてやるよ。おい、聞いてこい」
YKは部下に命じていた。
「総理、超望遠カメラと、狙撃手のスコープで確認したところを、犯人は人質全員の年齢を聞いています」
清水が現場から報告を伝えていた。
「全員か。だとすると人質に紛れて爆弾を持っているテロリストはいないということだよな」
「…その可能性が高くなりますが、」
「たぶん爆弾はハッタリだよ。テロリストは3人だ」
「でも、もしものことが…」
「もしもの責任は私が取る。狙撃して急襲部隊を突入させよう」
「しかし殺してしまっては背後関係が解明できなくなります」
「それなら致命傷にならないように撃てば良い。できるだろう。重症でもかまわん」
「はい。わかりました」
「陽動作戦として一部のSATを撤退させるそぶりを見せてから、私の合図で突入してくれ」
「総理、相手を油断させるのですね」
清水は現場と連絡を取っていた。
二段構造となるレインボーブリッジの高速道路上に展開していたSATの車両は全て台場側に移動して行った。その様子を撮影しているマスコミ各社のヘリやドローンが周囲を飛んでいた。
「YK主宰、スマホで見ているか。SATは退却させている。これから特別会見をするから、こちらのスマホは一旦切るぞ」
「やっとその気になったか。会見とやらをニュース速報で確認してやるよ」
テロ対策本部が臨時会見場となるニュース速報映像が、SNSやテレビに突然挿入される。
「本日発生したゆりかもめ占拠テロに関しまして、人命を尊重する観点から超法規的措置を講じることになりました。誠に遺憾ながらテロに屈する形にはなりますが、新安保を撤回する…、わけねぇだろうバカ野郎。地獄に落ちろ」
林原が言うと現場の映像がニュース速報に流れていた。
一斉狙撃により、テロリストたちは自動小銃を落としていた。さらにドローンが急降下し、ゆりかもめのガラスを破壊する。高速道路下の支柱の陰に潜んでいたSAT隊員たちが、ロープを使ってゆりかもめの中に飛び込んで行った。ゆりかもめ内でパンダナで顔を隠したテロリストたちは、腕や肩から血を流し、瞬く間に制圧された。SATの隊員たちは周囲に他のテロリストたちがいないか確認していた。誰もいないとわかると、障害排除のサインを送っていた。ニュース速報の現場中継映像はどんどん引いて行く。ゆりかもめの線路と一般道のある一段目から高速のある二段目までが見えるようになる。先ほど撤退したはずの高速道路上のSATの車両は全く動いていなかった。
車内の画面に切り替わると、恐怖におののいていた人質たちは床にへたれ込んでいた。反対側の線路に横付けされたゆりかもめから、救急隊員たちが占拠された車両に乗り込んで来る。犯人と思われる3人が担架に乗せられて運ばれていた。救急隊員に支えられながら、横付けされたゆりかもめに乗る女性の姿もあった。現場のニュース速報映像はここで終わっていた。
「こいつら、こんな恰好をしていたのか。今まで音声だけで会話していたからな。しかしSATの狙撃手は優秀だな。犯人たちはどれも急所を外してあるじゃないか」
林原はニュース速報映像を何回か再生させていた。
「総理、先ほどのニュース速報はテロリスト制圧のための特番ということを全メディアな流しておきました」
柿沢が報告する。
「上手く行ったな」
「総理、冷や冷やしましたよ。でも犯人は誠意や泣き声に引っかかりましたね」
柿沢はほっと胸をなでおろしている清水たちにも笑顔を見せていた。
「私は自分たちが正義で偉いと思い上がっている奴らの感情を揺さぶっただけです。テロリストに対して誠意などない。あるのは憎悪のみだ」
林原はいつになく厳しい表情を見せていた。




