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第三十八話 首相公邸

●38.首相公邸

 首相公邸の大食堂にある5m近くありそうな長テーブルの端と端に座って食事をする林原と木本。

「貴族のような食事はしてみると、会話がし難いな」

林原は声を張り上げていた。

「映画で見るのは良いけど、実際にやってみると不便ね」

「ここに来てから小食堂と寝室、洋間の間を行き来しているだけだったけど、公邸内の他の部屋を利用するとなると、大変だな」

「庶民の暮らしに慣れてるから、こんな宮殿のような暮らしは合わないわ」

「しかしこの建物は作りが凝っているよ。フランク・ロイド・ライト風だが設計者は日本人の下元 連というらしいぞ」

林原は近くの柱の装飾をしげしげと見ていた。

「あらそうなの。明治村にある旧帝国ホテルと内装が似ているけど違うのね」

木本も近くの柱を見ていた。

「それと…、幽霊が出ると言う噂があるけど本当かな」

「どうでしょう。そう言えば、霊感の強い家政婦の八木さんは、夜中に廊下で気配を感じたって言ってたわ」

「だから、使える部屋がいっぱいあるのに泊まり込みは控えるようになったのか」

「それもあるかもしれないけど、娘さんのこともあるみたいよ」

木本の傍らでは給仕がお茶を注いでいた。

「総理、お食事はお済みですか」

八木はいつの間にか林原の傍らに立っていた。

「あ、食事は終わったけど、八木さんはここで幽霊を見たんですか」

「…良く調べてみないとわからないのですが、気配を感じたことはあります」

八木は皿を片付けながら言っていた。

「八木さん、今日は泊まり込みですか」

「給仕の鈴木さんが早番なので、泊まるつもりです」

「それじゃ今晩、我々と共に公邸内を探検してみませんか」

「探検ですか…。ちょっと怖い気もしますが、お供しますよ」

「おーい木本、今晩は邸内を探検するぞ」

林原がテーブルの端にいる木本に呼びかけていた。木本は軽い気持ちで嬉しそうにうなづいていた。


 リビングルームにしていた洋間の時計は午前0時を指していた。

「丑三つ時にはまだ早いけど、探検開始だ」

林原が廊下に出ると木本、八木も後に続いた。

「懐中電灯はいらなかったわね。照明はどこもかしこも点いているから」

「木本、雰囲気を盛り上げるために消灯して、見て回るか」

「…それはやめましょう」

木本は声のトーンを下げていた。

「総理、明るさに関係なく幽霊は出没するはずです。ただ霊の仕業で停電したり自然に消えることはあるでしょう」

八木の言葉にはなぜだか信憑性があった。


 公邸1階の守衛室や用務員室は使われていないので、中はガランとしていた。いつも利用しているトイレや浴室は改修されているので、ウォシュレットやシャワーが付いた現代的なものになっていた。廊下沿いに各部屋のドアを開けて一つ一つ中を確認して行くが、改修されている所は真っ白な清潔感のあるクロスが貼られ、幽霊の出そうな怪しい雰囲気は一切なかった。

「いったい、いくつ部屋があるのかしら」

木本は使わない懐中電灯首から提げていた。林原たちは廊下の角を曲がりさらに進む。

「このコンピューター室は、最新の設備が整っているし、出るとしてもデジタル妖怪ぐらいだな」

林原は真新しいドアがある部屋を素通りしていた。

「ねぇ、あれ何かしら。うっすらと緑色の光があるけど」

木本が立ち止まりコンピューター室のドアの窓ガラス越しに見える中を指さしていた。

「ん、開けてみるか」

林原は2~3歩ほど戻りドアをあけた。

「なんだ、ルーターのLEDじゃないか。正常に作動している証拠だな」

「私は何も感じませんでした。この辺は霊気は全くないです」

八木は穏やかな表情であった。


 わずかにきしむ音がする階段を上り、公邸2階の廊下に立つ林原たち。

「この敷き詰められた絨毯も高いんだろうな」

林原は足元を感触を確かめながら見ていた。

「あそこの窓ガラスの弾痕と同じものが1階にもなかったかしら」

「あぁ、そうだな。二・二六事件の弾痕だろう」

林原は2階にもあった弾痕をじっくりと見ていた。すると大ホールの方から銃声のような音がした。木本が思わず声を上げていた。八木の表情が突然険しくなってきた。

 照明の点いていない大ホールに入った林原は、シャンデリアのスイッチを入れる。しかし一向に点灯することはなかった。木本が恐々としながら、アールデコ様式の大ホール内を懐中電灯で照らしていた。光の束が当たる所は明るいが、そこからちょっとそれると漆黒の闇があった。

「誰もいないようですよ」

木本は少し安心したような声になっていた。

「林原さん、強い霊気を感じます」

八木の声は震えていた。ガタガタ。大ホールの横の廊下を人が走るような音がした。木本は足がふらつき尻もちをついていた。

 林原は廊下に飛び出して、周りを見回していた。廊下の照明は暗くなっては消えを不定期に繰り返していた。木本と八木は林原にしがみついていた。

「八木さん、今も霊気や気配を感じているのですね」

林原が言うと、震えている八木はうなづいていた。

「よく聞いてくれ」

林原は自分の声が響く廊下の天井の方を見ていた。何の反応もないが、さらに続けようとしていた。

「決起殺害に至らずとも、互いに敬意をもって話せばわかり合えたはず。日本を憂いた軍と政府双方の英霊たちよ。今、私は日本の本来あるべき姿、いや世界に冠たる日本をを作ろうとしています。ここで私を脅かしている場合ではなく、どうかこの私をご加護していただきたい」

林原は公邸の何も見えない空間に向かって呼びかけていた。

「林原さん、そんなことを言って意味あるのかしら」

木本も廊下を見回していた。

「わからない。でも言わずには、いられなかった」

林原の言葉の後、廊下の照明は安定し、徐々に明るくなっていった。

「…急に霧が晴れたように霊気を感じなくなりました」

八木の表情もパッと明るくなっていた。


 夜の探検を終えた林原たちは洋間に戻った。

「これで明日から安心してベルカーさんとケリーさんを公邸にお迎えできますね」

「たぶん、大丈夫だと思う。それにしばらくは議員宿舎に移らなくてもここに居られそうだ」

「まだ探検しきれない所があるけど、どうします。ベルガーさんたちと巡ってみますか」

「…さっきみたいな刺激的なことは、なさそうだし、やめておこう。密談の方が大事だから」

「あのぉ、林原さん、私は旧女中部屋よりも旧用務員室の方が使い勝手が良さそうなので、そちらで泊まり込みたいのですが」

「良いですよ。心おきなく仕事に励んでください」

「あ、八木さん、私の作る料理を全部マスターしてくださいよ。微妙に味付けが違うものがいくつかありますから」

木本が言うと八木はニコニコしながらうなづいていた。

「これで八木さんも安心して泊まれるじゃないですか。ついでだから隣り合っている旧女中部屋と旧用務員室の両方を使って、もっと使いやすいように改修してください。たまには娘さんも連れてきても良いですよ」

林原はなんだかスッキリした気分になっていた。


 公邸内の最新設備に改修されたコンピューター室に集まる党三役。

「やはり憲法改正がネックになる気がします。これをいかにクリアするかで先行きが変わる気がします」

林原はデスクトップPCの電源を入れていた。

「アメリカの憲法押し付け証言を発表するだけでは不十分ですか」

「ケリーさん、たぶんそれだけでは厳しい気がします」

「どうしても、そうしなければならない世論を形成するということですか」

ベルガーはいろいろと頭の中で思い浮かべているようだった。

「それで、今日はこのAIシミュレーターを用いて検討しようと思います」

林原は立ち上げた画面を大型モニターに転送していた。

「押し付け証言のみを入力している結果は、もう出ますか」

ケリーは『思考中』のアイコンが回転している画面を見つめていた。

「もうすぐです…、あぁ出ました」

林原は表示されていく文字に釘付けとなっていた。

『アメリカの押し付け証言に懐疑的な護憲民主党や共産社会党の各野党は、憲法策定のいきさつはどうだとしても結果として憲法9条があることで、日本は戦争に巻き込まれなかったと主張します。それでも連立与党の意向が強く、世論の流れもあり国民投票は行われます。しかし国民投票を実行しても、改正賛成が54%程度の僅差となり、さらに投票に不正があったとして野党や中国に後押しされた市民団体が無効裁判を提訴します。抗議デモ、国会紛糾などの紆余曲折があり、かろうじて憲法改正するには4~5年を要すると推測されます。その後も憲法改正は無効との運動が続けられるでしょう』

AIシミュレーターの結果に林原たちは、そうだろうといった表情であった。

「林原さん、この戦後日本の特殊事情を打破する奇策は他に何かありますかね」

ベルガーは同じ敗戦国ドイツは改正しているのに、日本がどうしてこのようになるのか不思議に思っていた。

「押し付け証言だけでは日本の世論を完全に憲法改正に導くことはできそうにありません。ですからさらに周辺国の脅威を煽る必要があると思います」

「アメリカから見ると、現状の日本はかなりの脅威にさらされていると思いますけど」

ケリーは違う視点から不思議そうにしていた。

「どう煽りますか」

ベルガーに腹案はなさそうであった。しばらく3人は黙って考えていた。

「中国による台湾進攻のデマ情報の拡散ですかね」

まず林原が口を開いた。

「それはイケるんじゃないですか。このSNS時代に則してますよ」

ケリーがすぐに賛同した。

「しかし、いかにして信憑性を持たせるかにかかってきます」

ベルガーは慎重派を崩さなかった。

「それには、日本の安保と関わりがなさそうなハンガリー辺りで、偽の中国スパイが逮捕されると良い気がします」

ケリーは素早く思いついていた。

「それと台湾での大規模な有事演習なども実施するとかなり危機感が増すでしょう」

「林原さん、台湾の頼さんたちの協力も必要ではないですか」

ベルガーも乗り気になってきた。

「これまで与党が言っていた、広く国民に安全保障環境の変化を理解させ、改憲=戦争ではないという正しい情報を提供して冷静な議論を促す、なんて悠長で生やさしいことを言っていたら、何十年経っても改憲はできないでしょう。今まで動かなかったものを動かすには、毒にも似た強力な特効薬が必要だと思います」

「林原さん、毒にも似た特効薬ですか…、あなたの伝記を書く時の名言になりますよ」

ベルガーはニヤリとしていた。

「それでは今、我々が出した様々な案を全て入力して結果がどうなるかシミュレートしてみましょう」

林原はキーボードを打ち始めた。

「あぁ、そう言えば、このシミュレーターは音声でも対応できます。切り替えますか」

「それは良いですね。それで行きましょう」

ケリーはベルガーの方を見るが彼もうなづいていた。林原はマウスで操作していた。

「了解しました。しばらくお待ちください」

シミュレーターの人工音声が流れた。


 「しかし、この公邸はアールデコ調の建物の中に、こんな最新のコンビューター施設があるなんて面白いですね」

ベルガーはシミュレーターが思考中なので話しかけてきた。

「新旧一体化とも言えますが、改修していない所は、昔のままですけど」

林原はベルガーが探検したいと言い出すのではと思ったが、特にその様子はなかった。

「それで、官邸と公邸はどう違うのですか」

ケリーも気になることを話しかけていた。

「官邸はオフィシャルな場所で、公邸はプライベートな場所となっています。だから今日みたいな党三役の密談は官邸よりも公邸の方が相応しいわけです」

「なるほど、党本部に林原さんが移動するとなると、SPなど警備態勢に余計な負担になりますからね」

ケリーはいたく納得していた。

「首相になると、気軽に動けない面があります」

林原はぼやいていた。シミュレーターはじっくりと未来の結果を絞り出そうとしていた。


 大型モニターの画面上で回転している『思考中』のアイコンが止まった。

「シミュレート結果をご報告いたします」

人工音声の言葉に3人は、音声と同時に文字が表示される画面にも目が行っていた。

「アメリカの情報公開制度に基づいて発表される日本国憲法9条の押し付け証言。CIAによるハンガリーでの偽中国スパイ逮捕。中国の台湾進攻を想定した大規模演習。これらを実行し情報拡散をすると、中国は否定し日米欧に対し強く抗議します。それに対抗し国連総会で制裁決議案や安保理で非難決議案が出されますが、中国とロシアの拒否権で否決となります」

シミュレーターの音声は林原が一時停止させると止まった。

「ハンガリー辺りではなく、ハンガリーと特定しているのがミソですかね」

と林原。

「まぁ、良くあることですよ」

とベルガー。

「その後がどうなるかです」

とケリー。林原が一時停止を解除する。

「かなり国際世論が混とんとしますが、真偽のほどは明らかにならず、恐怖を煽られる日本の世論を改憲に向かわせる決定打にはなります。またこの状況下では、中国の台湾進攻を躊躇もしくは遅らせる効果も考えられます」

「シミュレーター、これで充分なのか」

林原はUSBマイクに言っていた。

「さらに中国による尖閣及び沖縄本島の占領計画やロシアによる北海道侵攻計画も発覚すれば、より効果的な情報操作になります」

「シミュレーター、改憲と言う要素をクリアしてますが、注意点を言ってください」

ケリーはスマホを介さず、直接デスクのUSBマイクに英語で言っていた。林原はシミュレーターが対応するかどうか気になったが、難なく理解していた。

「俗に言われるお花畑信仰は、見る影もなくなるはずです。しかし憲法改正後の日本には新たな安保体制が必要となり、度を越えた右傾化にも注意が必要となります」

「確かにそうだよな」

林原はしみじみと言っていた。

「ただこれはシミュレーターの結果ですから、実際にやってみるとどうなるかです」

ベルガーは一抹の不安を抱えているような顔をしていた。

「でも、やるだけの価値はあるでしょう」

ケリーはモーガン氏やウォレス大統領に会いに行きたくて、うずうずしているようだった。


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