第三十六話 就任後
●36.就任後
国会では郷に従え党のホームページで言っていたことに、震災のことを付け加えた所信表明演説をしていた。特に新しいことは言わず、考え方にブレがないことをアピールしていた。それ以降、林原は人の出入りが多い首相執務室で、慌ただしく様々な職務を遂行していた。
「与党の鈴木真一さんと戸倉せりさんが、郷に従え党に入党を希望しているのですが」
木本が林原の合間を見計らって言ってきた。
「また与党からの鞍替えか。面談リストに入れておいてくれ。ただの選挙当選目当ての奴らだったら、お引き取り願おう」
「応接室の倉田さんたちは、午後にしてもらいますか」
「あぁ、報告だったな。今、行くよ」
「倉田長官、梶川長官、お待たせしました。何ぶん忙しくて」
林原は応接室のドアをガバッと開けて入ってきた。数歩あとからノートPCを持った木本も入ってきた。
「総理、お忙しそうですね」
倉田が声をかけてきた。
「ぁぁ総理じゃなくて林原でいいよ。それで避難所のプライバシー確保の段ボールは足りていますか」
「はい。このほか避難所となるトレーラーハウスとコンテナハウスは、順次各所に配置できています」
「後…被災地支援金のクラウドファンディングは思ったよりも集まっているようだぞ」
「ありがたいことです。林原さんはお忙しいようなので震災復興の事は全て私に任せてください」
「心強いな。あぁ和歌山、三重、愛知、岐阜、静岡、神奈川のふるさと納税の件は、被災地支援に優先的に回せるようにしておいた」
「被災者は助かると思います。私の報告は以上です。この後、仕事がありますので震災復興庁に戻ります。それでは失礼します」
倉田は会釈して退室した。
「発足したばかりの情報サイバー保安庁は順調ですか」
林原は情報サイバー保安庁長官の梶川の方に向き直っていた。
「まだ不慣れな点は多々ありますが、震災デマや他国から分断工作SNSの監視は着実に成果が出ています」
「そうか、頑張ってくれ。あることないこと、やたらに情報が飛び交うからな」
「震災復興庁の倉田長官との連携も円滑に行っていますので、情報共有はほぼタイムラグなしです」
「迅速な復興につながるからな」
林原が言っているとドアがノックされて矢部防衛大臣と田沢が応接室に入りかけた。
「あ、すみません。まだ早かったですか。出直します」
矢部は気まずそうにしていた。
「構わんよ。二人とも入ってくれ」
「それじゃ林原さん、また何かありましたらご報告致します。私はこれで失礼します」
梶川は会釈して退室して行った。
「よろしいのですか」
矢部はちょっと申し訳なさそうにしていた。
「ご覧の通り、終わったから大丈夫だよ。矢部大臣、田沢と久しぶりに会いましたか」
「はい。ちょっと官邸内を案内してもらいました」
「私もまだ行ってない部屋がありますから、後で田沢に案内してもらおうかと思ってまして…、ところで
どうですか」
「林原さんのおかげで、前例のない災害有事と位置づけられて国会の承認を経ていますので、自衛隊治安維持出動ができました。これで怪しい偽ボランティア窃盗団を一掃しています。日本人の不届き者も、妙な気を起こさせない抑止力にもなっています」
「それは良かった。震災直後は田沢と一緒に名古屋市内であ然とする奴らと遭遇しましたから。これは何とかしなければと強く思いました」
林原は田沢の方にも語りかけるようだった。
「これで中国軍の駐留の件は消えたようですし、アメリカとの関係も今まで通りです」
「矢部大臣には、今後も憲法改正後の自衛軍の統率や段階的米軍撤退などいろいろとお力を借りることになるでしょう。よろしく頼みます」
「段階的米軍の撤退ですか。となると自衛隊の存在は大きくなります」
「先日、ウォレス大統領には首相主任の挨拶をしておいたが、まだ段階的撤退の件は話してないんだけど」
「わ、わかりました。まだ極秘案件ですか」
「ちょっと口が滑ってしまった。郷に従え党員だと、つい口が緩んでしまうな。気を付けないと」
「それで…、伊豆諸島の青ヶ島沖、水深700mの海底に熱水鉱床があり、その熱水中に金が含まれているのはご存知ですか」
「いや」
「今回の東南海地震の影響でしょうか。海上自衛隊の報告によるとのですが、熱水噴出量増大して金の含有量も増しているとのことです」
「金が取れるということか。東南海地震でカネがいるから、願ってもないことじゃないか。でも海底だとコストが問題じゃないか」
「それがここ数年で開発された採取方法ですと、金山採掘よりも安く済むようです」
「災い転じて福となすか。これは大いに進めなければ」
林原は意気揚々としていた。矢部防衛大臣はとっておきの報告ができたと満足げに退室していった。
「あぁ、これでひと通り終わったな」
「林原さん、そろそろ、あれの件は…」
木本は小声で言っていた。
「ん、…なんだっけ」
「はぁ~ぁ」
木本は急に不機嫌になり、開いていたノートPCをバタンと閉じて、席を立った。
「今日は木本の奴、トイレが近いのかな」
林原は執務室を出ていく木本の後ろ姿を見ていた。
「…林原さん、違いますよ。木本さんは、結婚の件っすよ。放っておくとヤバいことになりますよ」
田沢が気が付いていた。
「あっ、そうか。首相になってから忙しかったし、震災のこともあるから、派手にはできないと思っていたが…」
「なんとかしないと、訪米の際は一人でということになりかねませんよ」
「どうしたら良い」
林原の言葉に田沢はすぐに返答が出来ず、長い数十秒が過ぎた。
「気の利いた言葉をかけるか。サプライズめいたことを言うか。わからないっす」
「田沢…考えてくれ…」
林原が考えていると無表情な木本がトイレから戻ってきた。林原は腕を組み直した瞬間に閃いた。
「木本、今まで黙っていたが、八丈島で内々に挙式をしようと思っていたのだが…」
「本当ですか」
木本はうつむいていた顔を上げていた。
「なぁ田沢、本当だよな」
「は、はい」
田沢は一瞬置いて返事していた。。
「それで日取りなんだが、来週、青ヶ島沖の海底熱水鉱床を視察に行くから、八丈島でということなのだが」
「八丈島ですか」
木本は、どうしてそこなのかという顔をしていた。
「林原さんは、何かのついでと見せかけることで、マスコミの批判をかわすおつもりだったんすよ」
「そ、そうなんだ。震災で国民が苦しんでいる時に浮かれていては、叩かれるからな。木本なら分かってくれるよな」
「そういうことだったんですか。もっと早く言ってくれれば良かったのに」
「早とちりは、いかんぞ」
「でも、さっき矢部大臣から熱水鉱床のこと聞いたばかりですよね」
「君にサプライズしてもらおうかと思って…彼にも子芝居してもらったんだが、意味なかったかな」
「あまりサプライズしてませんけど、一応、南の島で挙式ということですか。良いんじゃないですか」
木本は頬を緩ませていた。
林原、木本、田沢、SP2人は、八丈島空港でボーイング737-800(旅客機)から降り、待機していた海上自衛隊のUS-2(飛行艇)に乗り換えて青ヶ島沖の金採取プラントに向かった。着水海域は比較的穏やかだと説明されていたが、かなり波に揺れるボートで浮体式のプラットフォームに渡った。プラットフォームには、コンテナを積み上げたような管理居住棟や作業棟、ヘリポートがあった。
林原たちは管理居住棟の会議室に通されていた。青ヶ島金鉱脈開発機構の代表の寺内はホワイトボードと藻の入った容器が置かれたテーブルの前に立っていた。その横には広報担当の前田がタブレットPCを持って控えていた。
「私は国富となるものをいろいろと探してきましたが、海から金が取れるなんて思って見なかったです」
林原は藻の入った容器を興味深げに見ていた。
「そうですか。それでは、どうして海から金が取れるのか簡単にしくみを説明します。熱水に溶け込んでいる金は主に塩化物イオンと結合し塩化金という化合物として存在しますが、この容器にあるラン藻を加工したシートを使うことで、金と塩化物イオンの結合がはずれます。それで熱水から金を取り出すことができるのです」
寺内はわかりやすく言ったつもりであったが、林原たちは、ポカンとしていた。
「具体的に申しますと金はプラスの電気を帯びていて、藻はマイナスの電気を帯びているのでお互いに強く引き寄せ合うことになります。それで分離できるわけです」
前田は補足説明していたが、林原たちはそうなのかなという顔をしていた。
「まぁ、百聞は一見にしかずですから、どのような作業工程なのかお見せします。こちらへどうぞ」
寺内は会議室から階段の方に向かって歩き出した。
次に案内されたドローン発着ポートには、マニュピレーター付きのドローン2機と大型スクリューが付いたドローン1機が置かれていた。
「マニュピレーターが付いている方が自律潜航型作業ドローンで、あの4本ある手で、いろいろな作業をします。それで大きいスクリューが付いている方が自律潜航型回収ドローンです。こちらはパワーがあるので海底から吸着シートごと引き上げることができます」
広報の前田が手で指し示しながら説明していた。寺内は作業員たちに何か不備はないか聞いていた。
「ここの下の700mの海底に吸着シートフレームがありまして、そこで熱水から金を回収します。この金を吸着する特殊な藻を加工したシートは、日本独自に開発したものですが、これに取って代わる金採取技術を各国が競って探しています」
説明を代わった寺内は網状の吸着シートのサンプルを見せると、林原に触らせていた。
「海底にはこれが設置してあるのですか」
林原は手触りを確かめていた。
「今の所、日本の独壇場ですが、この先はどうなるか微妙な所です。中国や韓国、ロシアの企業が提携したいと盛んに言ってきています」
「なるほど、安易に提携したりすると、技術が盗まれるのは確実です。注意してください。でも海底金鉱床から熱水が噴出している場所はやたらにないでしょう」
「アイスランドやフィリピンに熱水の噴出孔はありますが、金の濃度が全然違うようです。それなので、最近では中国や韓国、ロシアの船が伊豆諸島近海に現れ、排他的経済水域内で違法調査しているようです」
「違法調査しているようっていうことは、事なかれ主義で今までの政権は見過ごしているわけですか。せっかくの日本の富を横取りされるようでは情けなさ過ぎます。今後は厳しく取り締まります」
林原の強い口調でキッパリと言い放った。
寺内と前田はプラント施設内の要所要所で立ち止まり、説明して行った。ひと通り見て回ると、林原たちは会議室に戻った。
「この特殊な藻による吸着で金採取のコストパフォーマンスが良くなっているのですが、それでもここのプラントだけでは数が少ないので、もっと増やす必要があります」
寺内は今後のロードマップを会議室のモニターに映し出していた。
「すると第一プラント、第二プラントという感じに増やしていきたいわけですか」
「はい。それで現在、青ヶ島金鉱脈開発機構は官民共同事業体になっていますが、国の支援が少なめでして…」
寺内はちょっと言い難そうにしていた。
「そうですか。わかりました。東南海地震以降は金の含有濃度が高まったと聞いてますから、我々が野党時代から唱えてきた国富創生事業の一つとして予算を増やしましょう」
林原の言葉に寺内の表情はパッと明るくなった。
「ありがとうございます」
寺内が握手してくると前田も握手してきた。
「費やした予算が金になって戻ってくるわけですから、下手に増税するよりもずっと気が利いています」
林原は既に金を手にした気になっていた。
海上自衛隊のUS-2(飛行艇)は八丈島空港に着陸した。
「機長、飛行艇なんて滅多に乗れるものではありませんから、貴重な体験でした」
林原はタラップ降りると脇に立っていた石井1尉に声をかけていた。木本たちもぞろぞろとタラップを降りていた。
「我々も総理を乗せることなど滅多にないことです。しかし座席は旅客機並みではなかったと思いますが」
「ちょっと尻が痛かったかな」
林原は尻をさすっていた。
「ここからは快適な旅客機で本日中に官邸にお戻りですか」
「いや、ちょっと野暮用を済ませてから明日、官邸に戻ります」
「そうですか。それでは失礼いたします」
石井は余計なことは聞かずに敬礼していた。
八丈島にある平屋のキリスト教会の周囲では5人のSPが警戒にあたっていた。教会の中では、十字架や燭台、花などで飾られた祭壇の前に、林原と木本が牧師と共に立っていた。林原はタキシードで木本はスカート丈が短めのウェディングドレスであった。それを田沢、後から合流したベルガー、ミュラー夫妻、ランゲルが見守っていた。ベルガーが首から提げているスマホの画面には、ロサンゼルスにいるケリーの顔があった。
「新郎・征志郎、あなたはここにいる由香里を、病める時も健やかなる時も富める時も貧しき時も、妻として愛し敬い、慈しむ事を誓いますか」
「はい」
林原は照れくさそうにしていた。
「新婦・由香里、あなたはここにいる征志郎を、病める時も 健やかなる時も富める時も貧しき時も、夫として愛し敬い、慈しむ事を誓いますか」
「はい」
木本は緊張気味であった。
「新郎は新婦に指輪を」
牧師に促された林原は、木本の薬指に指輪をはめた後、軽く頬にキスをしていた。
「ここに二人を夫婦として認めます」
牧師が言い終えるともベルガーら参列者たちが拍手を送っていた。
「二人とも感動で泣いてますね」
ベルガーがやっかんだように言っていた。首から提げているスマホからケリーの祝福の言葉が、あえて肉声の英語のまま聞えていた。
「いや、ゴミが入っただけだ」
「そうね。ゴミですけど」
「息がぴったりじゃないっすか。自分も早く相手を見つけないと」
「田沢さん、ドイツの親戚にちょうど良い娘がいますから紹介しますよ」
ベルガーは真顔であった。
「え、ミュラーさんたちみたいに日独の国際結婚ですか。どちらかというと黒髪の日本人が…」
「私は日本人女性が好きなんで、春奈さんの友達でも紹介してくださいよ」
ランゲルの問いにミュラー夫妻はうなづいていた。
「この後は南原千畳敷海岸でウェディングフォト撮影があります。教会の前のタクシーに乗ってください」
幹事のベルガーが取り仕切っていた。SPたちは別の車で撮影現場に向かっていた。
南原千畳敷海岸は、八丈富士が噴火した際に流れ出た溶岩が海に流れ落ちてできた溶岩台地だった。ごつごつした岩が広がる海岸線の波打ち際ギリギリの所に立つ林原夫妻。一眼レフカメラを構えたランゲルが、いろいろなアングルで何枚も写真を撮っていた。
「もうちょっと、海に近い方が、良いですね」
ランゲルが言っていると、今までにない大波が押し寄せ、林原夫妻は波をもろにかぶり、衣装がずぶ濡れになった。近くにいたベルガーたちの足元も濡れていた。遠巻きに見ていたSPたちは何事が起こったかと動きかけたが、すぐに大事ないと悟り平静を保ったていた。
「林原さん、最高の一枚が撮れました」
「ランゲル、水も滴る良い男と女か。衣装のクリーニング代は払ってもらうぞ」
「えぇぇ、そんな…」
「冗談だよ。とにかく、こっ恥ずかしい儀式は終わったから、後はリゾートホテルでディナーだ。みんな、腹いっぱい食ってくれ」
林原は春奈ミュラーから渡されたタオルで顔を拭いていた。
「…SPさんたちもディナー食べられるのかしら」
木本はタオルで髪を拭きながら、SPたちを眺めていた。
「それはない。だから任務が終わって東京に戻ったら、何か差し入れでもしてやるか」




