第三十五話 選出
●35.選出
「やっとくだらない茶番の国会が終わったな。まだ12時40分か。国会図書館で昼飯と抹茶パフェでも食いに行くか」
国会議事堂沿いの歩道を歩く林原。
「大賛成です。茶番の後は抹茶パフェですよ」
木本は嬉しそうに足取りが軽やかになっていた。
「なんだ、あの人ごみは。全員が国会図書館の喫茶店に行くわけではないよな」
林原は歩道のかなり先に人が集まっているのを見ていた。
「何かのデモのようですね。警官が誘導していますけど」
二人の目線の先には『後手後手の政府は終りにしよう』『内閣総辞職せよ』『今こそ政権交代』『解散総選挙』
などのプラカードが見えていた。
「さっき内閣不信任は否決したばかりなのに、まだ言っているのか。あいつらは知らないのかな」
「少数与党だから、押せばなんとかなる思ってるんですかね」
「東南海大震災の直後なんだから解散総選挙なんて、日本の事を考えたらあり得ないだろう。何を考えているんだ」
「日本の事よりも政権交代ファーストなんじゃないですか」
「ん、あっちもデモだ。国会の周りはデモの聖地かよ」
林原は後ろを振り返っていた。
「あぁこちらは、まともじゃないですか」
木本は耳を澄ませていた。風向きの関係で後方のデモの声は微かに聞こえてきた。
「コロナでCO2排出量が減ったはずなのに、その後はますます温暖化が進み環境が激烈化しています。レジ袋の有料化なんて意味があるのでしょうか。紙ストローなんて意味があるのでしょうか。EVは環境にやさしいのでしょうか…」
デモの声は強弱を繰り返して風に乗ってきていた。
「まさにカオスだな。今後はしっかりとした信念を持って政治に携わらないとダメだ。外国から言われたからこうするとか、世論がこうだからこうするでは迷走するだけだ。どんなに批判されても、未来を見据えて正しいと思ったらやり通す必要がある。もちろん正しいかどうか吟味するべきだし、間違いに気付いたら柔軟に変えることをためらってはならないが」
「今のような世の中の風潮だと赤沢会長たちも暴れたくなりますよね」
「まぁ、そうかもな。しかしあまり派手にやって、逮捕されないと良いが」
「それよりも林原さん、今は抹茶パフェですよ。急ぎましょう」
党本部のバーチャル会議室のモニターには、アメリカにいるケリーが映っていた。
「モーガンさんの情報によると、昨日、ウォレス大統領が川田首相と内密にリモート会談し、自衛隊を用いて震災の混乱と治安回復を早急に望むと伝えたようです」
「そうでしたか。でも日本は治安回復に自衛隊を使うことは、前例がなく法的根拠がないので、できないはずです」
林原は情けないという感情が心の底にあった。
「そこで大統領は、閣議決定なり、なんらかの方法で自衛隊を動かせと迫り、それが無理なら在日米軍による治安維持出動を示唆したようです」
「それは政府として赤っ恥をさらすようになものなので、容認できないでしょう」
「さらに中国軍の駐留を認めるなら、日米関係は戦後最悪となり、日米同盟にとって重大な損出を招くだろうと脅したようです」
「それはそうでしょう。日本の利権を中国と共有など許しがたいことですから。私としては、日本に主体性がないことは残念ですけど」
「それで川田首相の回答期限は明後日ですが、波風がたたない穏便な選択肢はないと言えます」
「だぶん、治安はまもなく回復するとか根拠のないことを言って、時間の引き延ばしをはかるでしょう」
林原は容易に想像できた。
「見え見えの時間の引き延ばしを大統領は認めません。アメリカは川田政権を排除するはずです。ここで、いよいよ林原さんたちの出番が来るわけです。大統領はそれを強く望んでますから。近いうちに与党から何らかのアプローチがあると思いますが、強気で通してください。たぶん与党側はこのような裏情報は漏れていないと高をくくってますから」
ケリーはニヤリとしていた。
林原は与党幹事長室に呼ばれていた。部屋のほぼ真ん中に豪華な螺鈿細工の丸テーブルがあり、林原、最後の影の実力者と呼ばれる与党幹事長の膳場、二世議員でお飾り総裁とされる川田首相の3人が囲んでいた。
「東南海大震災の影響で、何かと人で不足となったもので、君にもひと働きしてもらいたいと思いましてな…」
膳場は重々しく口を開いていた。
「この忙しい最中に、衆議院を解散している場合ではないのに、野党の連中は…、私は野党でも解散に反対しましたけど、解散とは呆れたものです」
林原の言葉に前場は軽く微笑んでいた。
「我々はこの難局を乗り切るために、郷に従え党を連立与党にし、君には海外に顔が広いようなので、外務大臣をやってもらおうかと考えているのだが、どうだろう」
「外務大臣ですか。川田首相の下で働くわけですね」
「なぁ、川田君、異存はないよな」
「はい。膳場さんがおっしゃるのなら」
川田は静かに応えていた。
「その見返りと言ってはなんだが、その後の次の選挙では郷に従え党は我が党と合流してもらい、我々と考えを一つにしてもらいたいのだが。もちろん君にはそれなりの処遇はするつもりだし、将来的には中核を担ってもらいたいのだ」
「実は東南海大震災がひと段落したら…次の選挙で、与党の議員さんの中から意欲のある人を我々が選び、郷に従え党に引き入れようと考えていまして…、それで総選挙に臨むつもりでした」
「き、君は何を言っているだ…」
膳場はとんでもないといった表情していた。川田は林原の気が触れているのかという顔をしていた。
「それは無理だ。考えを改めてもらわないと…、外務大臣や連立の件はなしになるな。慎重にじっくりと考えてくれ」
膳場はかなりムッとし、席を立った。
「林原さん、今、結論を出さなくてもよいですから、気が変わったらまず私に連絡してください」
川田はその場を取りなそうとしていた。
アメリカから帰ってきたケリーは、すぐに党首デスクのPCにUSBメモリーをさしていた。
「デジタル時代で、秘密を守るには究極のアナログ、持ち運び一番ですから」
「ケリーさん、何か重要なデータでもあるのですか」
「ウォレス大統領のビデオレターです」
ケリーは手早くデスクのマウスを動かしていた。
『「ハーイ、セイシロー、今日はベリーベリーグッドニュースがある。まずはこの動画を見てくれ」
ウォレス大統領はホワイトハウスのバーチャル会議室で陽気に手を挙げていた。
「川田には今回の震災対応の不手際と治安悪化の責任を取ってもらい、新首相に白川翔一を立てたいと思います」
膳場は留学経験がある流暢な英語で言っていた。膳場とウォレスの画面は喋るたびに切り替わっていた。
「ただの看板の架け替えではないか、そんなことをしても具体的に何も変わらんぞ」
「それでは与党内で実力ナンバーワンの若手の細井はどうでしょうか」
「もっとましな首相のなり手はいないのかね」
「しかし大統領、細井はアメリカとイギリスの留学経験があり経歴には申し分ありません」
「結局、膳場さんの言いなりの首相をいくら立てても日本は変わらないだろう」
「日本政府としては細井か白川になります。彼らなら米国のみならず中国とも上手くやって行けます」
「中国と上手くやる人物ではダメだ。中国を黙らせる必要がある」
「しかし日本としては隣国との関わりがあるのでして…」
「膳場さんが無理押しする人物が首相になるなら、全ての日本製品に関税30%を科すことになる」
「か、関税ですか」
「日本には他に世界の首脳との信頼関係がある人物がいるだろう。良く考えてくれ」
「はぁぁ…」
膳場はため息をつきながら微妙に口を動かしていた。その口は『ハ・ヤ・シ・バ・ラ・か』と動いているように見えた。
「膳場さん、あなたの英断を待ち望んでいる。それでは失礼する」
ウォレスが言うと画面は切り替わらず膳場の画面が消えていた。
「膳場は観念したようだぞ。いよいよセイシローと私の時代が来る。楽しみにしているぞ、ではまた」
ウォレス大統領は、スタッフに秘密会談の様子を隠し撮りさせていカメラをオフにしろと合図していた』。
「ケリーさん、こんなことで首相が決まるとは、日本は情けない国でもありますね」
「これが現実ですが、林原さんが首相になったら、アメリカと対等に渡り合える国にしなければなりません。その上で地球の天下統一です」
「天下統一…か。ん、ケリーさん、今、日本語でテンカトウイツって言いましたね」
スマホの翻訳があまりに自然だったので、林原は聞き流すところだった。
「英語で言う世界統一というよりも、天下統一の方がニュアンス的に相応しい気がしたものでして」
ケリーは常に英語で通していたが、日本語の意味も深く読み取れるようになっていた。
林原は与党幹事長室に再び呼ばれていた。
「林原さん、私は君みたいな身分不相応のド素人が首相になることは認めたくないが、アメリカが強く希望しているし、逆らうことはできない。その上、解散総選挙は国民世論が許さない。となれば、郷に従え党を連立与党にして、林原さんを首相に据えるしか手はなくなった。どうだね。嬉しいか」
膳場は皮肉めいた顔を林原に向けていた。川田首相も同席しているが、存在感はほとんどなかった。
「ウォレス大統領に高く評価されていることは光栄に思います。ただ私は、いくらウォレス大統領と親しくてもアメリカの傀儡の首相になるつもりはありません。親しいからこそ互いにリスペクトでき、対等にわかり合えますから」
「ほ、ほうっ。言いますな」
「歴代の意欲ある首相たちが、憲法も含め戦後の支配体制を変えようとしたが全て上手く行っていない。やり方が行けないのではないでしょうか。戦後日本の支配体制を終わらせるには、それを作ったアメリカの力を利用するのが手っ取り早いし、それしかないと私は思います」
「一理あるかもしれないが、そのようなことは土台無理だし、考えてはならないことだ」
「土台無理と決めてかかっては、何も進まないでしょう」
「できたとして、その後はどうする」
「とりあえず、あなた方の党の悲願を達成することはできると思います」
「憲法改正かね。威勢の良いこと言って、野党とマスコミに潰されるのがオチだ」
「今まではそうでした。本題に入る前に与党のスキャンダルが暴かれるのが常ですから」
「リークする奴がいるからな。特にド素人は罠にはまりやすいと言える」
膳場はせせら笑っていた。
「政治家も聖人君子ではないから、何らかの弱みはあります。でもどこの弱みも隙もない優等生だからと言って何もできないのでは、果たして良い政治家と言えるのでしょうか」
「過去を踏襲し、波風を立てないのが長続きする政治家なのだよ」
「過去に縛られ何をやってもアメリカ頼りではダメでしょう。もっと主体性を持たなければなりません」
「まぁ、お手並み拝見ということですかな。それで近々衆参両院の本会議で行われる首相指名選挙を経て、林原さんが次期首相になることを伝えておこう」
膳場はなんとも複雑な表情を浮かべていた。
『「…内閣総理大臣に林原征志郎君が選出されました」本会議場に拍手が鳴り響いていた』。林原は、昨日のこの瞬間の光景が今でも頭の中をループしている感じであった。
党本部では組閣人事で慌ただしくなっていた。
「与党議員は実績は大きいので、総入れ替えは厳しいでしょう」
ベルガーは郷に従え党の国会議員名簿と党員名簿をPCでスクロールしていた。
「実務経験を考慮すると与党でも我々と同じ考えの人はいるので、その人達を起用しようと思います」
「しかし、それですと、与党に配慮し過ぎてるとか、マスコミに批判されそうですけど」
ケリーは総入れ替えを主張していた。
「批判は気にせずに行きたいので、私は与党で、東大学閥でないというだけで冷や飯食いになっていた高畑氏を文部科学大臣にしたいと思います。紙の教科書を重視する彼なら、周回遅れのデジタル教育改革を是正してくれるはずです」
林原の意向に異議を唱える者はいなかった。
「与党でどうしても起用するなら、ウォレス大統領とも面識がある石原氏を外務大臣に据えた方が日米関係がスムーズになるでしょう」
ケリーが提案してきた。
「ケリーさん、それは良いかもしれません。当初は外務大臣を私が兼務しようかと思ってましたけど」
「私の調べによりますと石原氏の留学先は国務長官の卒業した大学ですから、ウマが合いますよ」
ケリーは与党議員の事も調べていたようだった。
「官房長官は古株議員・柿沢の弟の進君に頼んで、今回の内閣の目玉となる震災復興庁の長官には、我が党で宮城県職員として東日本大震災を体験している倉田が良いでしょう」
林原はこれも自分が兼任したかったが、倉田に任すことにした。
「それと、与党右派の前川氏は不倫騒動で失脚してましたけど、考え方は我々とほぼ一致しているし、実績もあるから財務大臣に適任じゃないですか」
木本が珍しく口を挟んできた。
「木本、首相の秘書らしくなってきたな」
「あのぉ、林原さん。木本さんはファーストレディにした方が何かと都合が良いのではないですか」
ケリーは笑みを見せていた。
「え、結婚ですか」
林原は声が裏返っていた。
「そうですよ。海外訪問の際、独り身では恰好がつきませんから」
ベルガーはけしかける様な感じであった。
「それは…組閣の後に日取りを決めよう」
林原の言葉に木本は一瞬舞い上がりそうになったが、周りを見て真顔になっていた。
「とにかく今は組閣ですから」
木本はベルガーとケリーに素っ気なく言っていた。
「それで…我が党の矢部と吉村は国会議員としての実績もあるし、大臣に起用しても良いと思います」
林原が続けた。ベルガーたちもうなづいていた。
「それでしたら田沢さんの元・上官でもあった矢部さんを、防衛大臣にしたらピッタリだと思います。どうでしょうか」
木本は絶妙なタイミングで言っていた。
「良いんじゃないか」
「後、吉村さんは父親が昔、国交大臣の秘書官をしていたツテもあるので、国土交通大臣にどうでしょうか」
木本は自分のノートPCで開いた党員名簿を見ていた。
「決まりだな」
「二人は息きピッタリじゃないですか」
ベルガーはケリーと共にニコニコしながら林原たちを見ていた。
林原が就任を依頼した与党議員は皆、快諾してくれ組閣が完了した。膳場も非主流派と言えども、与党議員が半分近くいるので、不満は口にしていなかった。意外と結束力が強い林原内閣の面々は、首相官邸の階段の所で写真撮影をした。その日の夜の各メディアのニュースでは林原内閣発足の話題で持ちきりとなった。
林原は首相官邸での一連の行事を終えると、まだ首相公邸には移らず、党本部の隣のビルの自宅で有力紙の紙の新聞を広げていた。
「『面白みのない安全運転内閣』『サプライズがない』『女性が少ない』、それがどうしたっていう見出しばかりだな。日本を変える内閣が、たまたまそうなっただけだ。ここでマスコミを喜ばすためのサプライズなど愚の骨頂だよ」
林原は新聞を畳んだらゴミ箱に捨てていた。
「明日は引越しですか」
木本は物事が進んでいくのを楽しんでいるようだった。
「…あまり行きたくないが…、セキュリティーのことを考えると首相公邸に引越す方が周囲の負担にならないか」




